<超かいき★くえすと>くえすたぁず

緋色の刃、朱鷺色の翼
其の参・技

von:秋澤 弘

 第十一章

 朝が来た。様々な思いを秘めた朝が。
 美由美はPHSの着信音で目覚めた。かーちゃんか? そう思ってソファーから起きあがった。見回すと真由美のベッドの脇にソファーが持ち込まれており、自分はそれに寝ていたらしい。すぐにあの後で電源を入れておいた電話を鞄から出す。
 それは母ではなく、ママからだった。
 「おはよう、みーちゃん、よく眠れた?」
 開口一番、甲高い黄色い声が耳をつんざく。ああ、朝からこれか、と思ったが、続く言葉に美由美の神経が一気に集った。
 「あれからまた出たの。今朝の5時過ぎに」
 「同じ奴か?」という自分の声がうわずるのが分かった。
 「ううん、違うみたい。昨日のはのっぺら坊みたいだったでしょ。今度のはね、真っ赤な幽霊みたいなの。形もハッキリとは見えなかったわ。多分人間みたいだったけど。お店の前が騒がしいんで見にいったらね、浮いてるのよ、それが。ふわりふわりって」
 「浮いてる高さはどのくらい? サイズは? 顔はあった?」
 美由美の真剣な声に、目覚めていた真由美も周囲の療術者たちも緊張を深めた。
 「え、えっとまず、高さはね、4メートルくらいかしら。大きさは人間みたいだったわよ。顔はなかったわ。手も足もぼーっと光っていたからよく分からないけど。でね、それを追っかけてる奴らがいたの。最初はね、みーちゃんたちのお仲間かと思ったんだけど、絶対違うわよね、なにしろ全然スマートじゃないし、汗くさくてかっこ悪いんだもの」
 「どんな奴だった?」
 「うーんとね、30才くらいかしら。ちょっとヤーさんっぽいおにいさんたち五人よ。なんかお札っていうの? のっぺら坊の背中にあった奴。あんなのを投げて攻撃したの。そしたらね、その幽霊がぴかって光って、五人共悲鳴を挙げて。それでも追っかけてゆくの。あたしは怖かったけど、ちゃんとみーちゃんに報告しなくっちゃって思ってね、そっと後を付けたの。
 そしたらね、ビル街から出て、朝日を浴びたら、すーって消えちゃったのよう。溶けるみたいに。男たちはあちこち探していたけど、昨日ゆきちゃんが話してたでしょ? まっすぐ進むって。これもそうかと思って、あたしずっとまっすぐ歩いていったの。そしたらね、そしたら歩道橋の影に一瞬ちらって、見えたのよぅ赤いのが。こわくって逃げ出してきたの」
 「どっちの方角?」
 「それがね、昨日のと同じ方向。北の東向き」
 「今どこ? 安全?」
 「ええ。大丈夫。みんなが来てくれたから」
 ふぅと美由美はため息をもらした。
 「いい、ママ、無理しちゃだめ。今度何か見たら、すぐ連絡して。そんでママたちは安全な所にいて! いい!?」
 「う、うん。分かったわ。ごめんなさい、あたし、みーちゃんたちのお役に立ちたくて・・・」
 「お役にだったら十分立ってる。ありがとうママ。でもいい? 本当にすぐ逃げて。あたしでも太刀打ちできないようなすごいの、この世の中には一杯いるんだ。まず安全を確保して。
 ママ。あかねちゃんや弥生ちゃんたちにも言っておいて。すごい特ダネ一個より、小さい情報百個の方が価値があるんだよ。それにね、無理して死んじゃったら、折角の情報ももらえないし、ママのお酒も飲めないよ。二十歳のお祝いしてくれるんしょ? ね、絶対無理しないで」
 「分かったわ、みーちゃん。みんなにも言っておくわ。それじゃね、昨日の今日でごめんなさい。朝早くって迷惑だったでしょ」
 「何言ってるの! ママの親切、忘れゃしないよ、この美由美さんも義理堅いんだから。それじゃね」
 美由美はPHSをしまった。また次のが出た。大宮はどーなってるんだ?
 「教えてみゆみ。全部」
 静かで深い姫の声。振り向くみゆみの目に、真剣な真由美の瞳が映る。
 ホームで美雪先輩を見たこと。屋上、公園での戦闘。札。ラブホテルでのママさんたちの助け。送ってくれた弥生ちゃんとの会話。そして今の電話。美由美は総てを話した。
 姫はじっと考え込んでいた。美由美に渡された破れた札を睨みながら。
 その札が語っていた。全く攻撃効果が上がらぬため、術者が最後の手段としてこの札、「餓鬼の虜」で滅しようとしたことを。しかし、美由美が闘った相手には餓鬼に食われるべき魂そのものがなかった。故に餓鬼となり、凶暴化した周囲の霊体は無策に暴れたのだ。真由美は見て取った。その術者がこれを使ったのは愛する街の寸前だった。街が襲われる前に、最後の切り札にしたのであろう。しかし、実際には愛する街を恐怖におとしめたのはこの札だった。悲しい皮肉。術者に「目」があったのなら、こうはならなかったのに。目さえあったなら。黙したまま考えをまとめる真由美。やがて口を開く。
 「みゆみは学校に行って。急がないと遅刻だよぉ」
 姫は、と言いかけて、歩けない事に気づく。唇を噛む美由美。いやだ。学校なんか行きたくない。姫を残して行けるか。
 「行って、みゆみ。そしてみんなに伝えて。何か変なのを見たらすぐに美咲に知らせてって」
 びっくりする美由美。大宮だけじゃない、ここにもなにか?
 「うん。だから、お願いみゆみ。あたしの代わりに学校に行って、みんなに伝えて。注意してって。柳さんたちにも伝えて。絶対に手を出しちゃだめ。白石さんにも。もしも攻撃したりして、本気にさせたらぁ、白石さんでも死んじゃうよ」
 MP無限大の<娘さん>が? そ、そんなに強敵が? この街に?
 「うん。だからみゆみも気を付けて。絶対に深入りしないで。
 ね、あたしに任せて。大丈夫。あたしは見えるから。あたしが見て、分かったことをみんなに教えるから。そぉすれば、きっと大丈夫」
 美由美は不意に、今の会話で自分が口を開いていなかったことに気づいた。
 「そんなの関係ないよ。みゆみのことは分かるもん」と姫が微笑んで答えた。
 その優しい微笑みに、美由美はさみしさが込み上げて来た。
 姫は、あたしの後ろをいつもついて来たあの姫はもういない。ここにいるのは御主の血に目覚めた次期様だ。姫はいなくなった。いつもあたしの後ろをとことこ付いてきたあの子は、もういない・・・。
 「ごめんね・・・。あたし・・・。もう歩けないから。みゆみに付いていきたいけど、だめなの」
 そっか。そうだった。昨日、探して一緒に新宿に行けば良かった。せめてもっと早く帰ってくればよかった。姫を助けに行ける時間に。
 真由美は首を振って言った。
 「そぉしたら美雪先輩が危険だったよ。それだけじゃない、この札のせいで大変な事になってたよぉ。みゆみと先輩のお陰で、最悪の事態は免れたと思うの。ありがとう」
 やっぱりそうだ。姫は一夜で次期様になってしまった。あたしの大事な妹。姫はもういない。
 「そんなことないよぅ。あたしはあたしだよぅ。みゆみぃ、さみしいこと言わないでよぉ」
 分からない。美由美には分からなかった。「人間は成長するんだぜ」。啓介の言葉が胸に突き刺さる。成長。それは何て悲しいんだろう。
 自分は取り残されてしまった。ぽつんと。


 家に帰ると母が朝食を用意して待っていた。それを食べながらいろいろ言いたいことがあったが、今の美由美には何も言えなかった。口に出たのはただ一言だけだ。
 「学校、行く」
 部屋に上がりブラウスや下着を取り替え、鞄の中身を入れ替える。昨日濡れてしまったのでメンテしなくてはならないPPKを置き、代わりのオフ用、ベビー南部を持とうとして手を止めた。迷った挙げ句、掴んだのは戦闘用にパワーアップしたフルオートのP08・ランゲラウフだ。ママの所へ行くことになるかもしれないから。ノーマルMAGにガスを入れ、バチンと装填し、鞄ではなく、レッグホルスターにしまってスカートで隠した。予備MAGとスネイルMAGは鞄に入れ、念のため携帯用のガスと塩玉の袋も放り込んだ。
 階下に降りると母はダイニングの椅子に座っていた。すっと立ち上がり、美由美に近寄る。一瞬のためらいの後、美佐子はしっかりと娘を抱きしめた。
 「お前の好きな様になさい。足が無くなっても、腕が無くなってもいいから。したい事を、するべき事をしなさい。
 でも、絶対に生きて帰ってきなさい。絶対に」
 美由美は母の髪に顔を埋めながら、しっかりとうなづいた。


 第十二章

 美咲家にある車で一番大きいリムジンが中仙道を南下している。ユミと真由美。そして急変に備え、医者と療術者を乗せて。
 真由美が母を呼んだのは美由美が学校に行ってからすぐだ。
 「大宮に行きたい。金剛巽の道場に」
 真由美の言葉に驚きながら、ユミはその瞳の深さを見抜いた。そうだ。もう既にこの子が事実上の御主なのだ。
 道場は大宮の東側。神社の大鳥居の先にある。まずは美崎家に向かい、御主眞弓と合流し、金剛巽に乗り付けた。
 質実剛健を持って自負する金剛巽の大宮道場主、葛西昌義は連絡を受け、待っていた。彼は会談の場所を道場とし、神棚のしつらえられた板張りの床に座を儲けた。金剛巽側は葛西と師範代の矢木。そして本部から派遣された幹部の川本。美咲からは本家の御主ユミと美崎の御主眞弓。そしてリムジンのトランクに入れてきた車椅子に座った本家の次期御主、真由美。
 六人は挨拶を交わすと早速先日の一件についての事実確認を始めた。魔性狩りの進行。逃げる魔性の追跡。真由美の妨害。魔界の者と判断した理由。真由美が魔性を救おうとした理由。
 席上、金剛巽本部から来ている川本は発言を控えていた。今朝早く、本部へ天皇家守護の旗頭である錦隠岐家より一本の電話があった。しかも当主伊蔵本人からである。美咲との間に何があったのか。錦隠岐家でも気になっている。事態がはっきりしたら報告してほしい。ただそれだけの内容だった。しかし、その衝撃は本部を揺るがすに十分だったが。事は大宮道場だけでは済まなくなった。そこで急ぎ川本が派遣されたのである。平和理に音便に、なおかつ金剛巽に損失がないように収束すべく。彼は全権大使だった。
 双方の主張は一点でぶつかっていた。いわく、その魔性の処遇である。
 魔界からの侵入者はことごとく排除すべき。それが歪みを生む故にと主張する金剛巽。
 生まれはどうあれ、現界に認知されている以上、その抹消は逆に理を乱す。それが美咲の主張。事態は平行線になりつつあった。
 これでよい。川本は思った。主義主張の相違による事件だ。そうなれば錦隠岐もあらだって介入はすまい。どちらにも非はなかった。双方の主義の違いがぶつかっただけである。それが一番音便な解決法だ。金剛巽には「見る」技がない。故に今後由見の技の支援を得られなくなるのは短期的には損失だが、それを理由に錦隠岐の先見の技の支援を得られれば長期的に見て間違いなく得である。川本はそこで黙したまま成り行きに任せた。
 双方の意見が出尽くした。とりあえず葛西が譲歩し、先の美崎家との契約は果たされたとし、支払いも滞りなく行う意を示した。これで美咲の次期当主への障害も契約の中に含むしかなくなるであろう。もちろん要求があれば見舞金程度は出すが、あくまで慰謝料にあたるものは蹴る。さぁ、美咲の当主よ、どうする。
 しかし、葛西の目論見に反し、発言を求めたのはその次期当主本人だった。
 「あのぅ、向こうから来たのはみぃんな、みぃんな殺さなくてはいけないんですかぁ?」
 その間伸びした声に、一座の緊張が一気に崩れた。こほんと咳払いをし、静かだが確固たる意志を示す力強い声を作り、葛西が短く答える。
 「無論」
 「どぉしてぇ?」
 葛西は唖然と口を開き掛け、折角つくろった威厳が簡単に壊されたことを知った。こ、この小娘は本当に次期当主なのか?
 「世を乱すからだ」
 「無理矢理こっちに召還されてぇ、力を吸われちゃった子も?」
 「本人の意思に関する事ではない。門を越えた以上、それは抹消せねばならぬ」
 「こっちへ来たのはどうやって見つけるの?」
 「我らには貴家のような見る力はない。しかし、波動を感じる力はある。至近距離でなければ適わぬが、魔界から来たりし物はすぐに分かる。認即滅。見つけ次第それを滅する。それが我が掟」
 葛西の言葉を聞き、次期当主はじっと考えていた。その間、大宮の美崎の当主は困惑しているようだ。しかし、本家の当主は目をつむり、じっと動かない。この場を娘に預けているかのようだ。
 「じゃあ、じゃあ、向こうに行った人間は? 人であることをやめて向こうの力を集めて帰ってきちゃったひとは?」
 今度は葛西が黙した。相手が人間である以上、波動では判別できないからだ。葛西は気を引き締めた。この小娘、あなどるわけにはいかぬ。自分が言葉の落とし穴に向かっているのではという不安感が彼を鷲掴みにした。即座に彼は相手が歳端のゆかぬ小娘ではなく、老練な当主と同格であると認識し、答えた。
 「それは我が流派では分からぬ。しかし、その例はごくわずかだ」
 「少ないから、見逃してもいいの?」
 「否! 見逃しはせぬ。だが、それよりも先に魔界の者を倒すが先決」
 「そっちが多いから?」
 「無論」
 「じゃ、うーんと、一回、元人間を見逃しちゃったとしてもぉ、百回魔物を倒したら、その一回は無かったことにするの?」
 葛西は言葉を慎重に選んだ。
 「無かったことにはならぬ。しかし、その一回は特殊な例となる。それへの対応よりも百匹魔物を倒すが世界を強くする事になる故にな。特殊な例はあくまでごく少ないから特殊なのだ。世界を救う大儀の前に、その場では無視するしかない。我等は神ではないからな」
 娘がまた考え込み、葛西は何とか切り抜けたと知った。しかし、真由美は不意に微笑んだ。
 「よかったぁ。とっても珍しい例なら無視してもいいのね」
 この世界の精霊で形造られている魔物か。あれも特殊な例と考えろということか。だが、葛西の思いとは余所に真由美は話し続けた。
 「あのねぇ、もしもねぇ、あそこで死にかけていたのが普通の魔性だったら、あたしは邪魔しなかったの。それにね、あそこに行ったのがあたしじゃなくてぇ他の人、例えば他の家の術者だったらぁ、その人も邪魔しないと思うの。だからね、あれはとっても珍しい例だったと思うの。追っていた人。追われていた影。後から来た人。このどれか一つでも別の人だったらぁ、あんな事にはならなかったと思うの。だからぁ・・・
 だから、忘れて、金子さん」
 真由美は道場の右奥、廊下の向こうに目を向けた。
 「道場主さんも珍しいことだったら無視してもいいって言ってるもの。だからぁ、忘れよう。あたしも気にしない。だってあたしは自分の意志であの子を助けたかったんだから。
 ね、金子さん。あんなことがなかった事にして、もう一度やりなおそ。あたしには見る力があるの。例え元人間でもぉ消滅しなくちゃいけない者、逆に魔性でも助けなきゃいけない者。あたしはそれが分かるの。それを伝えるから、そしたらあなたの力でそれを助けたりぃ、倒したりすればいいと思うの」
 真由美は廊下の向こうをじっと見つめた。やがて、その襖が開き、真由美に斬りつけた剣士、金子本人が座ったまま姿を現した。
 まず神棚に一礼する。そして一座の者に。
 「次期御当主様にご指名頂きました金子にございます。乱入のご無礼、平にご容赦ください」
 そう言うと正座のまま、すすっと道場に入り、襖を閉めた。葛西も川本も何も言わなかった。さっきからのあの娘の発言は金剛巽に語りかけていたのではなかった。それは金子一人に向けられていたのだ。
 真由美の前にすり寄ると黙礼する金子。頭を深く垂れたまま真由美に語り始めた。
 「此度の一件はこの金子の判断力の無さに端を発する事。次期当主様を魔物と見間違えたはこの目。斬りつけたはこの腕。されど、あれは魔物を滅するに必要な事。故に謝罪は致しませぬ。この金子、金剛巽の剣士なれば!」
 そう言い、真由美を振り仰いだかと思うと、右手がすっと動いた。
 「だめ!」
 一瞬金子は何が起こったか分からなかった。どしんという衝撃に片膝立ちになりかけていた彼は尻餅を付いた。その目の前に、正確には腕の中に真由美がいた。彼女は動かぬ足の代わりに両手で車椅子を弾き、飛び込んだのだ。反動で突き飛ばされた車椅子がからから鳴りながら転がっている。
 「だめ、死んじゃだめ!」
 真由美はしっかりと金子にしがみついたまま離さない。一座の者が驚いて立ち上がろうとしたが、一瞬早く美咲の当主が右手を差し出し、それを抑えた。
 真由美は金子の胸に顔を埋めたまま叫ぶ。
 「次期当主が歩けなくなった。だったら剣士のあなたは死ぬしか釣り合いがとれない。そう思ったんでしょ? でも、でもそんなのおかしいよぉ! そんな事ないよぉ! 死んだらおしまいなの! あなたにはたくさん由が見える。縁(えにし)が一杯あるの。下の人はみんなあなたを尊敬してるよ。上の人はあなたを信頼してるよ。その由を断ち切ったりしちゃだめ!
 みんな、みーんな不幸になるよ」
 真由美の言葉に、金子は声をつまらせた。
 「しかし、しかしそれでは、私は・・・」
 真由美はそのままの姿勢で答えた。
 「生きて守ればいい。闘えばいい。あなたの信じるままに。それでもぉ、もし迷う時があったら聞きに来て。あたし、頑張って見るから。見たことを伝えるから」
 「生き、守る・・・。闘う・・・」
 金子の右手の指が力無く緩み、握っていた小柄を床に落とした。
 「人はね、みぃんな生まれて生きている意味があるんだよ。お友達が言ってたの。そうなんだよ。あなたにもあるの。あなたが今ここで死んでしまったら、その意味も消えちゃうよ。
 あなたにはね、成す事があるの。あなたによって助けられるたくさんの命が見えるもの。今死んだら、その人たちをあなたは見殺しにすることになるよ。人殺しになっちゃうよ!
 だから、生きて。生きて闘って。そして守って。世界を」
 そう言って沈黙した真由美は数秒後、すっと顔を上げた。金子の目を見るその瞳。瞬時、彼はぞっとした。その目は無限の深さを持っていたからだ。金子だけではない。道場にいる全員がその気配を察した。殺気ではない。狂気でもない。それはまるで神が降りたった時の波紋の様だった。真由美から降臨の波動が発せられている。金剛巽の者はそう思った。しかし、美咲と美崎は「見て」分かった。一瞬で、呪文の一言もなく真由美が<七剣>になったことを。それは召還したのではなかった。七つの精霊が自らの意志で真由美に宿ったのだ。

 「もしも・・・
 今死んだなら世界は終わる。
 あなたは成すべき事を持つ者。
 理大いに揺らぐ日。
 それは間近。
 その時、生きとし生ける者。総ての者が闘う時。
 己が存在を賭けて。
 あなたの成すべき事はその時に訪れる。
 あなたはとても小さな歯車の一つ。
 でもその一つ欠けただけで時計は止まる。
 世界の時が潰える。
 世界は総てが担うもの。一人欠けても世界は滅ぶ。
 理大いに揺らぐ日。
 その日に一つ欠けているだけで、
 総てに訪れる。
 滅びが・・・」

 真由美の瞳はふっと光りを失った。そのままがくっと力無く金子の胸に倒れ込む。金子は声もなく、その小さな体をそっと起こし、片手で立たせた車椅子に乗せた。ユミが両手を鳴らすとすぐに医者と療術者が現れ、真由美の介抱を始めた。金子はただその前にひれ伏していた。
 川本はちらりと葛西を見た。道場主はその視線に気づき、かすかに頷いた。総て任す。その意を告げるため。
 川本は立ち上がってユミに語りかけた。
 「次期当主殿はしばらく休んでいただいた方が良かろう。それにそちらとはいろいろ腹蔵無く話し合った方が良さそうだ。
 美咲の御当主殿、金剛巽の道場にはすべからく茶室があります。如何かな、じっくりと膝を交えて語ってみるというのは。私はこう見えても結構茶にはうるさい男でしてな。良い葉も持参しておりますぞ」
 「それは重畳」
 そう言い、ユミも立ち上がった。


 第十三章

 川本とユミの会談が行われている頃、超常研のメンバーはすでに美由美からの報告を受け、仲間内に連絡を行なっていた。

 奇怪な物を目撃したら直ちに超常研に連絡を。決して手を出してはならない。それは冬眠中の熊のようなもの。そっとしておけば何もしないが、攻撃すればたちまち反撃を受ける。どんな形態かは分からないが、赤い可能性が高い。

 休み時間毎にその連絡を広げる仲間が増えて行く。昼休みまでには霊性会メンバーまでもその中に入っていた。
 何かがこの地域に向かっている。何かが。見つけたら超常研に電話だ。でも絶対に手を出すな。その連絡はどんどん広がっていった。やがて・・・。


 暗闇の中でじっと息を凝らす男女がいた。身動きも出来ぬほどの緊張感の中で、二人はじっとしていた。と、不意に男のズボンにある携帯が十年程前のTVアニメ「らぶりートゥインクル」のテーマソングを奏で出した。
 「もしもし・・・」
 暗闇の中でそっと声を落として話し出す男。と、次いで女もバイブレーションに気づいて上着から携帯を出した。
 「はい。え・・・。異様なもの?
 うん・・・。うん・・・。
 分かったわ。うん、ありがとう香奈ちゃん」
 女は携帯を切った。男はまだ話していた。その会話から察するに、同じ内容の連絡らしい。
 男は携帯を切ると、モニターに写る姿にまた目を戻した。
 「赤い、異様なもの、ですか」
 女のつぶやきに男がうなずく。次いでぼさぼさ髪の頭をかきながら男がつぶやいた。
 「こ、これだろうね、ま、間違いなく」
 「そうですね、精進室長」
 物理部時代からずっと彼の助手をしていた香坂麻紀が、モニターに写る赤い人型の物体を見ながら答えた。

 連絡は直接美咲家にかかった。受けたのはメイドさんである。すでにいろいろな「異様なもの」を見たという連絡が入っており、この電話に出た時には少し疲れを感じていた小林だが、電話の相手を認識するとすぐに大叔母につなげた。当主ユミの留守を預かるのは長老会である。しかし、いつの頃からかこういった場面では大叔母が当然のごとくに御座に付くようになっていた。彼女はその知らせを受けると直ちに由美を呼び、複数会話チャンネルのヘッドトーキーを付け、香坂と三人で会話する。状況確認後、すぐに術者を派遣すると告げ、通話を切った。
 出立したのは運転手の他四名。由美と啓介、そしてサポートのため、本家直属の結界術者、古村柚木恵と療術者、蒔由宇理の四人だ。運転手の山内が大宮へ出向いているのでハンドルを握っているのは御主の夫君、美咲洋次朗。これもリムジンなので後部座席にまだ余裕はあるが、由美は案内役として助手席に着いた。
 二人がこうして車中にあったのは一昨日の朝だ。それからこうも変わってしまったのか。
 洋次朗は一昨日と変わらない様子だ。しかし、その胸中は分からない。後部差席とは遮断されているので、ここの会話は両手に花状態で座る啓介たちには伝わらない。それを確認してから由美は口を開いた。
 「次期様はお元気に出立なさいました。ご自分の成すべき事が分かったからでしょう。むしろ明るいお顔でした」
 「そうでしょう」
 洋次朗があまりにいつもどおりなので、由美はとまどった。彼も美咲の者。ましてや御主が後添えに選び、四年間とはいえ、御主と過ごした者。己の心を包み隠す術はあるだろう。しかし、ここまで平常とは。まさか事態を知らないのか?
 そんなとまどいを見せる由美に、義理ではあるが祖父である洋次朗は言葉をかけた。
 「今朝、次期様からお電話をいただきました。私から貰った体を壊してしまってすまない、と。でも、失った物も多いけれども、今まで気づかなかった事、たくさんの人が支えてくれていることが分かったと。明るく笑っておいででした」
 「そうでしたか」
 由美は真由美の心遣いに驚きながらも、次期御主たる者の心構えを見て取り、心強く思った。
 「でも、やはりさみしいです。
 足のことは本人が納得している以上、私からは何も申せません。さみしいのは・・・。あの子が次期様になってしまったことです。
 成長。それは避けられないこと。
 分かってはいました。いつかこの時が来ると」
 信号待ちで止まった車中で洋次朗は俯いた。信号が変わり、また走り出したとき、由美が口を開いた。
 「あの子は・・・。あの子は変わっていません。いえ、多分変わらないでしょう、ずっと。ただ、人に意志を伝えることを学んだだけです。自分が美咲一族の中心にいて、周りにみんながいる。それに気づいただけです。
 今は事件の最中。あの子は全力で真相究明に、そして事態改善に懸命に打ち込んでいます。だからまるで変わったように思えるかも知れません。でも、あの子は変わりませんよ、洋次朗さん。変わるはずないです」
 由美の言葉に少し考え込む洋次朗。由美は言葉を続けた。
 「洋次朗さんはご存じのはず。御主様の素顔を。あの御主様にも素顔があります。あの方は幾つもの顔をお使いになる。でも、真由美は多分それをしません。あの子のまま、御主の座に着くでしょう。サポートする私が大変でしょうけれどもね。でも、あの子があの子のままでいてくれるのなら、苦労は厭いません。
 洋次朗さん。あの子はやっと地上に出てきた若葉です。でも、まだその芽には種の皮がついているんですよ。花を咲かせる頃になってもきっと付いたままです。あの子はそういう子です。ですから真由美にはあなたが必要です。
 特にその日には」
 二人は一昨日の御主の言葉を思い出していた。理(ことわり)が大いに揺らぐ日。その時、ユミはもういない。
 「私は知恵者に退くつもりでしたが、しばらく待ちます。あの子の手足になるために。
 今の医術ではあの子の足は治せないとか。でも、五年、十年後、いえ、来年の医術ですらどうなるかは分かりません。
 それに、私、考えたのです。美咲の療術について。療術は精霊の力を借りて行います。地の母なる力。水の調和。炎の浄化。風の整合。そして光による供給と闇による休息です。現在の療術はそれぞれが単独で行われています。でも、もしかすると。
 もしかするとこれらを練術で結ぶことが出来るかもしれません。練術は複数の術者による集団術法で行われるのが基本。対して療術は一人が行い、他の者はそれを強化する療術結界を張るのが基本。つまりこれまで療術には練術法が入る余地がなかったのです。
 でも、ご存じですか? 私は単独で練術がこなせるのですよ」
 洋次朗は由美の言葉の続きを予測してハンドルを握りながらも興奮に顔色を変えた。
 「ええ。私、療術を学ぶつもりです。というより、今朝から始めています。まだ基礎も認識していませんが。
 この数年、私が編み出した術法は11種あります。忘れられていたものを復活させた術法は27。私以外の者ももちろん新しい術法を研究中です。来年、画期的な療術が編み出されないと、誰が言えますか?」
 由美はそこで一端言葉を切った。何か思い出しているように目を閉じ、じっとしていたが、しばらくして、彼女は続きを語りだした。
 「それにね、洋次朗さん、私、見たんです。由見の力の無い私ですが、具現化した精霊は見えます。今朝出立するあの子。その周囲には七精霊総てが揃っていました。あの子が召還したのではありません。精霊があの子の側にいることを望んだのです。
 もし、もしもですよ。あの子が本当にずっと車椅子の生活だとしたら。あの子は風と走ることも水にその身を委ねることも、そして大地を踏みしめて息吹を感じることもできない体になってしまったはず。なのに、なのに精霊は皆いたんです。地も水も風も。
 私、信じています。すぐではないかもしれません。でも、でもきっとあの子はまた泳ぎます。歩きます。そして走ります。必ず」
 その時、声が聞こえていないはずの後部座席から啓介が口をはさんだ。スピーカーから聞こえる声にびっくりする二人。
 「もう一つ可能性があるぜ相棒。さっきよぅ、蒔さんのお嬢さんから聞いてたんだが、美咲の療術には六精霊しかないそうじゃねぇか。おかしいぞ、そりゃ。きっとあるぜ。もう一系統。まだ誰も開発してない系統が」
 啓介はいつの間にか対話スイッチを入れて運転席での会話を聞いていたようだ。失礼な奴だ。そう言おうとしたが、今、由美の頭はその提案が生み出す新たな視野で一杯だった。
 「成る程な。療術は命の源に及ぼす技。ならば世界そのものの源たる<時>にも何か療術にあたるものがあるやもしれぬ。
 珍しく冴えているな、啓介。その線、あたってみよう」
 「協力するぜ、相棒。
 真由美ちゃんの親父さんよ、術の事は術者に任せてくれ。だからあんたは、真由美ちゃんの心の支えになってくれ。あんたなら、ってゆーか、あんたにしかできねぇからな」
 洋次朗は黙ってうなずいた。

 零峰大学は街の南側の低地、つまり美咲の山の反対側にある。かつては一面の田んぼだったあたりだが、今は近代的な建物がぎっしりとつまっていた。20年くらい前まで「新田」と呼ばれ、十年程前には「ニュータウン」と呼ばれていたらしい。
 プラズマ研究室は校外にある。新規で建設された独立の建物だ。精進が来ると決まってから、あわてて倉庫だった土地をならして建てたものという。なにしろプラズマ分離式発電器はでかい。校内にそれが収まる建物はなかったのだ。それに万一の事故に備えて対策を講ずるには一から建てるしかなかったらしい。
 由美の案内でプラズマ研究室に着くと、受け付けを兼ねた玄関で香坂麻紀が待っていた。去年精進と一緒に卒業した彼女は在学中物理部の副部長だった。秘書役というか実質上の統率者であった。精進はアイディアはすごいのだが、スケジュールや予算といった事務面はからきし弱かったから。つまり殿下と由美のような関係である。
 彼女の案内で地下三階に降りる。建物内は非常灯すらなく真っ暗だった。総ての電圧を回さないと例の「赤いもの」の足止めができないからだ。空調も止まった蒸し暑い地下で、精進はスタッフと共に測定器の出力を電池式のプリンターにつなげて打ち出している所だった。
 「あ、ああ、美咲。よ、よく来てくれた。困っていたんだ。あ、ありがとう」
 由美はモニターに映し出された赤、というよりも薄い桃色に発光するソレを見つめながら答えた。
 「礼を言うのは当方です、部長。よく知らせてくれました。間違いありません。これが我々の探していたものの一つです」
 「ひとつ? じゃ、まさかこれがたくさんいるの?」
 香坂は目を丸くした。これ一体を足止めするだけで全館の電力はおろか、プラズマ分離式発電器もフル回転なのに。
 「同型ではないのですが、多分もう一つ、こちらに向かっているはずです。ただ、そちらはHP体らしく、地上を歩いているようですが」
 「美咲、こ、こいつは一体何なんだ? ぼ、僕はこんなの見たことない。
 重量はない。でも質量はある。体温はない。で、でも室温は上昇している。めちゃくちゃだよ」
 精進はプリントアウトを手でぽんと叩いた。
 「それにね、こ、ここ、見てくれ」
 精進は懐中電灯でデータを照らし、美咲に見せた。すぐ側に見知らぬ無精髭の男がぬっと顔を出し、のぞき込む。精進はその時初めて美咲が一人で来たのではないことを知ってびっくりした。美咲の後ろには二人の若い女性が並んでいたのだが、それすらも気づかなかった。
 誰? そう聞こうとして精進は男の格好に気づいた。剣道着というか神主のような袴姿だ。その白い袴の腰には日本刀らしきものも下げている。どうやら美咲のお仲間らしい。自分たちの様なアマチュアの退魔士ではなく、プロなのだろう。そう思った精進は彼にも見やすいようにデータを広げた。
 「温度上昇、湿度上昇、き、気圧上昇、質量上昇。それに複雑に入り乱れたパ、パルスが発せられている。もうこれは・・・」
 「呪術結界?」
 見知らぬ男がうなりながら言った。
 「まず間違いない。人間じゃないよ。それに魔性でもない。な、なにしろ、じ、実体がないんだ。HP体もMP体もね。データだけ見ると、あそこには何も無いんだよ。あるのは確かにそこにいるという状況証拠だけなんだ。何なんだい、あ、あ、あいつは?」
 啓介はどもり声を聞いて、この牛乳瓶底眼鏡で白衣の小男がずいぶん興奮していると思った。小心者だな、と。
 「大丈夫だ。俺たちに任せておけ。これからちと手荒な事になるからな、地上に行ってた方がいいぞ。怖いならな」
 啓介の言葉にスタッフに移動を指示する精進。後には美咲たちと精進、香坂の六人が残った。
 「おいおい、あんたらも上がった方がいいぜ。無理すんなよ」
 「失礼な!」
 香坂が怒気をはらんだ目で啓介を睨む。
 「おおこわ。おい、お前からも言ってやれよ」と言って啓介はデータを黙々と読み続ける美咲の肩を叩いた。
 「お前に言ってやる。この二人は超常研のOBだ。共に闘った事もある。それも魔性ではなく、闇のものとな。去年まで私の先輩だった、大切な協力者だ。彼等を素人呼ばわりしない方がいい」
 由美にそう言われ、髭面の男が困った表情になるのが懐中電灯の照り返しで見えた。すぐに冷静に戻った香坂が彼に語りかける。
 「ここには測定器がたくさんあります。あなたたちの退魔業中も私たちはデータを取り続けるつもりです。こんなチャンスは滅多にありませんから。科学者として、そして世界を守りたいと望んでいる者として、ここに残ります。
 これは私たちの戦いです。あなたたちと道は違いますが。私も室長も危険だと思ったら逃げます。だから気にせず始めて下さい」
 自分よりも十は若い(本当はもっと違うが)香坂にそう言われ、啓介は頭を掻くしかなかった。

 療術者である蒔を残してモニター室を出た三人はさらに地下の実験室に降りた。中央に大きなガラスがあって室内は二つに分離されている。手前側が波動を感知する装置。奥が今、そのピンクのものがいる、波動発生装置だ。
 三人のすぐ脇には複雑なコンポーネントが見るも乱雑に結ばれている。間違いなく精進の手造りだと由美は思った。この芸術的混沌さは彼にしか出せない。啓介はキーボードの外されたノートパソコンからいきなりむき出しに付いているコードの束に足をひっかけそうになった。やばいやばい。目の前の奴に気を取られていると、あのねーちゃんに怒鳴られそうだ。一歩一歩慎重にガラス板に近づく。脇に付いてる扉に左手をかけ、美咲と古村が共にミサキの鈴を握る左手を差し出して構えているのを確認してから、そっと開けた。奴に変化はなかった。そのまま奥の部屋に入る。今ここでは擬似的な異界の者の波動が発生している。あまり術力に自信のない啓介でもそれは感じられた。奴はその波動に惹かれてここにいるらしい。
 由美はまず小村を見た。その無言の問いに彼女は同じく無言のまま首を振った。由見の技では何も感知できないらしい。
 その間に啓介はまず一歩近づいた。額に汗が流れる。おかしい。殺気もない。存在感もない。それなのに、このプレッシャーはどうだ?
 実体がないのに確かにそこにいる。先ほどの小男の言葉が蘇った。まさにそのとおりだ。それは啓介に昨日握った太刀を思い出させた。気が宿っていないあの太刀同様、何かが足りないのだ。いや、この場合、逆に気だけで入れ物がないのだが。
 もう一歩近づく。室内は狭い。もう桃色のは啓介の居合いの間合いに入っている。しかし、それでも桃色は動かない。
 「仕掛けてみるぜ」
 啓介は<七つの剣>に手を掛けた。まだしっくりとこないその感触。まさかこいつとの初陣がこうも早く来るとは。啓介はちっと舌打ちすると気を取り直し、そっと抜刀した。いや、しようとした。その瞬間、桃色が跳ね上がり、膨大なエナジーを集めるのが分かった。
 「啓介!」
 美咲の叫びに弾かれたように啓介が後ろに飛んだ。迫る攻撃を避けようと。しかし、桃色からは攻撃がなかった。
 「もう戻ってやがる。一体、何だこいつは?」
 「お前の攻撃意図に反応したようだな。多分防衛用のなにかをしようとしたのだろう。お前が下がった時、というよりも剣を鞘に戻した瞬間、力が消えた。迂闊に手を出すと、やけどするな」
 「おいおい、相棒。じゃ、どうするんだ?」
 「古村。結界でまずはこの空間を閉じよ」
 「はっ」という短い答えと共に、古村は周囲に術法結界を張った。
 「反応無し、か」
 由美は悩んだ。呪文で遠距離から攻撃してみるのも手だ。しかし、剣であの過敏な反応。もしも攻撃術法をかけたなら、一体どんな反撃があるか・・・。
 ならば攻撃せずに、まずはかの者の本質を見極めよう。由美はそう判断した。
 「啓介、刀を抜け。ただし逆手で、決して殺気を出さずにだ。剣を抜いて床に刺せ。七とせの術法で奴の本質を確認する」
 啓介はまじか、と問い返したが、一方的な相棒は既に術法に入っていた。肩をすくめ、仕方なく柄を逆手で握る。汗を感じながら、そっと刃を抜いた。しかし、桃色に反応はない。
 そのままそっと近づき、床に<七つの剣>を刺した。床に突き刺す時には気合いが少し込められたが、それでも桃色は変わらなかった。二歩下がり、戸口の手前に立つとふぅとため息をついて汗を袖で拭った。そのまま後ろに下がり美咲の脇に立つ。術法中心になった以上、多分もう啓介には成すべき事はないだろう。しかし、いざという時、盾になるために彼は相棒の脇に立った。もう相棒を失うのはこりごりだったから。

 由美は啓介が隣に収まった時、既に七剣(ななのへのつるぎ)であった。しかし、七剣ですらこの桃色の存在が理解できなかった。各精霊の「目」を通してさえ、その中心には何も無いようにしか見えない。由見の力がない由美だが、七剣になった今、その見る力は現界のほとんどに作用しているはずなのに。
 そこに強大な術力が集中しているのは間違いない。しかし、そのコアにあたる存在が見えない。聞こえない。感じられない。
 さて、まずは軽く仕掛けてみるか。
 左腕から風を送る。ごく微量に。攻撃にはならぬ程度の風を。しかし、風の揺らぎは桃色に届いていない。途中で消えているのだ。結界か? そう最初は思ったが、反発している様子がない。風を強くするか、あるいは別の精霊にするか。美咲は、いや七剣は次の一手を考えた。精霊を若干ながら続々と出し、その反応を見るとするか。そう決め、微量ながら水の精霊を送ろうとした時である。天井のスピーカーから声が響いた。
 「美咲! 止めろ! ち、中止だ! す、すぐこっちへ!」
 その声には有無をも言わさぬ気迫があった。意図せぬ限り、スピーカーを通しては言霊は通じない。しかし七剣は漠然と感じていた不安が事実であることをその声で知った。
 「な、なんだぁ?」とスピーカーを振り仰ぐ啓介。その間に七剣はきびすを返し、すたすたと室外に出る。啓介は床に刺さったままの剣にちょっとためらいの視線を送ったが、古村も七剣の後を追って室外に出たので、仕方なく続くことにした。
 室内には桃色と<七つの剣>が残った。

 「み、美咲、これを見てくれ!」
 モニタールームに着くと、精進がLCDの一つを指さした。
 「X軸は時間だ。Yは赤が気温、緑が気圧、あ、青が湿度、茶が、し、質量だ。いいか、まずはさっきまでの君の周囲のだ」
 そう言い、精進がキーボードに打ち込むと、急激な変化を示すラインが現れた。美咲が七とせの術法を唱え、周囲に精霊を集めたからだ。
 「いいか、次ぎに波動発生室内、つまり、あいつの周囲だ」
 Enterキーを押す精進。すると、先ほどのラインが一定にまとまった瞬間、それまで横這いだった線ががくんと上昇した様子が現れている。しかも、総てのラインが先ほどのより上に。
 「分かるか美咲。あいつは君の術に反応して強化したんだ。しかも総てが上を行く。それなのに、ち、中心には何の変化も無い。それどころか、いいか、この急に上がったとこだけ、か、か、かく、か・・・」
 「拡大します」と香坂が言い、自分の前にあるサブキーボードに指令を打ち込んだ。
 ラインは急激に伸びている。斜めという状態ではない。完全にまっすぐに上昇している。
 「現在、単位は秒です。これをナノセコンドに移します」
 画面がぱっと一転し、今度は斜めの上昇線になった。
 七剣はうなった。古村は先ほどからモニター室にいた蒔同様、顔面蒼白になった。啓介は訳が分からなかったが。
 「成る程な」と七剣。
 「私が4分半かかった状態に0.08秒で至っているというわけか」
 啓介はやっとラインの示す事を理解して口をあんぐりと開けた。
 「れいこんまれいはち?」
 精進はうなづくと、さらに事実を告げる。
 「しかも、それぞれがコンマゼロワンセコンド単位で、び、微妙にずれてる。つ、つまり、これは・・・」
 「術、だな」
 「そ、そうとしか考えられない。あ、あいつは0.1秒以内で、ひ、人が5分かかる術を唱えるんだ!」
 美咲は何も言わなかったが、古村と蒔は知っていた。由美だから完全な七剣になるのに5分で済んだことを。通常通り集団術法で七とせの術法をかけているのなら15分はかかるということを。
 「それに、音声にあたるパルスも出てないのよ、美咲。だから、あれは術を呪文ではなく、己の意志で操れるの」
 香坂は呆れ顔でそう言った。もうこうなったら呆れるか笑うしかなかったから。
 「意志ではない」
 香坂の声に七剣はそう答えた。
 「え?」
 「あ奴に思考の動きは無かった。あれば私も気づいていたよ。奴の術力が私を凌駕していることは薄々察していたが、その正体を見破れなかった。奴の正体が隠れていると思っておったが私の過ち。奴の正体は見えたとおりの存在だったのだ。全く隠れてなどいない」
 「ど、ど、どういう、ことだ?」
 啓介が聞きたかった事を先に精進が尋ねた。古村も蒔も香坂も不思議そうな顔で美咲を見る。
 「見たとおりだよ。奴の正体は、純粋な<術力>だ」
 「術力? じゃあ、あいつは力だけの存在なのか?」
 「そうとしか考えられんよ、啓介。しかも相当の術者、多分異界どころか三界あたりのものが発したものだな」
 「そんなんありか?」
 「あるぞ、足元に」
 啓介は階下にある桃色の正体に身震いした。
 「で、美咲、何か手はある?」
 香坂がいち早く事態を飲み込み、次の段階へ移行すべく問いを発した。
 「・・・」
 思考をまとめる由美。すっと古村を見る。
 「うちの術者を総動員して封ぜられるか?」
 その問いを予期していた古村はすぐに答えた。
 「既存の結界の中ならば。結界術者が全員封印に回せるのならば。つまりお屋敷の中に誘い込み、霊器でおさえれば、多分」
 「それは駄目だ。七剣の状態になれる以上、美咲の結界は奴には逆効果になりうる」
 「ならば、ならば<器>を用意するしかありません」と、答える古村。
 「しかし、柚木恵様、由美様以上の容量のある者など・・・」
 薪の言葉に古村は口を閉ざす。
 悩む小村の代わりに七剣が答える。
 「唯一の可能性は・・・。次期様だ」
 「そ、それは、それは危険です。確かに次期様の器は桁違いに大きなもの。しかし、今次期様はお体が分断されているも同じ。それに気づかれたら簡単に乗っ取られます!」
 療術者である蒔が恐怖に顔を歪めてそう言った。
 「そのとおりだ」と七剣。
 「となれば次ぎに確率の高いのは私だ。七つの剣を用い、かのものの容量も借りて私に宿す」
 「そ、それは・・・、それは危険過ぎます。呪の心得のない次期様ならばともかく、由美様の技量をあ奴が操った場合、もうどなたにもお止め申す事が出来ません」
 「しかしな、古村。他に方法がない」
 「無謀です! 由美様がもしも、もしも操られた場合、我らには為す術がありません!」
 「いや、あるぜ」と啓介。目を伏せたまま、言葉をつなげる。
 「暴走する強大な術力。だったら、それを止めるのは剣だ。
 確認するぞ。他に方法がないんだな? だったら、やってみろ相棒。お前の思うとおりに。もしお前が暴走したら俺が止めてやる。お前の体が、あんなわけの分からん奴の思い通りにされるくらいなら、その前に俺が殺してやる」
 「頼む」
 啓介の言葉に、七剣はそう答えた。なんのためらいもなく。
 言葉を失う古村と薪。そして会話が理解できていない様な顔の香坂を余所に、啓介と由美は肯き合った。
 その時、それまで何かずっと考え込んでいた精進が小さくうなった。その声に、精進の存在すら忘れかけていた啓介が声を掛ける。
 「何だ?」
 「・・・」
 精進は答えず、じっと桃色を見つめている。白衣のポケットに突っ込まれた両手の指先が、まるで太股にキーボードでもあるかのように小刻みに動いている。
 「おい、どうしたんだ、一体・・・」と言って啓介が精進とモニタの間に顔を突っ込もうとしたとき、いきなり立ち上がった香坂が彼の袴をがっしと掴んで引き戻した。
 「待って! そのまま」
 「って、何だ、お前?」
 「室長の指を見て。間違いないわ、何か思いついたのよ。浮かんだアイディアを形にする時、何かすごい事を思いついた時、いつもああなのよ、彼は。あの癖が出ている時に邪魔しちゃだめ。すぐに忘れちゃうから、彼」
 香坂は真剣な眼差しで精進を見つめている。その異様な気迫に押され、啓介は両手をお手上げ状態にして下がった。そして香坂の隣に立って、腕組みしたまま小男を見つめていた。と、不意にその小男が叫んだ。
 「そうか、そうだよ、そ、それ以外にない!」
 その目は牛乳瓶底眼鏡で隠れて見えないが、口元が大きく歪んだ所を見ると、満面の笑みを浮かべたようだ。
 「何がそうなんだよ・・・」そう言いかけた啓介だが、袴をまた力一杯引っ張られ、口をつぐんだ。
 「分かりました? 室長」と、さりげなく問いかける香坂。助手にそう言われ、精進は首をくるっと振って彼女を見た。そして、またにんまりと笑う。
 「分かるかい、香坂君。あれがなんだか」
 「術力の固まり、と聞きましたが」
 「違う違う、それは存在だろ。僕の言っているのは、あ、あいつの正体というか、目的だよ、何を意図して作られたかだよ」
 「作られた?」と問い返し、香坂は首を傾げた。
 「なんだ、そのレベルで止まってるのかい、君の認識は。それでは駄目だ。い、いろんな本とか読んで、自由に・・・」
 「私は室長ほど発想力がありませんから。で、あれは何の目的で作られたのですか?」
 脇道に逸れ掛ける精進の思考を香坂は見事に操っている。ここは任せた方がいい。そう皆思って見守っていた。
 「簡単だよ。ほらグラフのここ、ここが総ての解だ。み、美咲が、な、何かしたろ、風圧が上がってる。多分空気に関する何かをぶつけたんだ。でも、すぐに戻っちゃってる。異常だろ、こんなに早く。で、この時点から気温も湿度も質量まで微妙だが、あ、上がっている。
 つまりね、あいつは美咲が出したものを食べちゃったんだよ」
 「吸収したと言うことですか?」という香坂の声はうわずっていた。
 「そう。で、力が増えたので、比例して他の現象も増したんだ。これで分かったろう、あいつがここにいる理由。な、なにもしないでここでぼーっとしている理由」
 「波動を吸収するためですか?」
 「違う違う。吸われてたらもっと前に分かったよ。奴は波動に惹かれてやって来た。でも何もしなかった。ところがこの人が剣を抜いたら反応し、さらに美咲の力を吸った。
 つまりね、あいつはこ、ここに食事に来たんだよ。魔性の波動に惹かれて移動するんだ。で、当然魔性は攻撃するよね、こんなのが来たら。で、それを食べるのさ。も、もしかしたら魔性の存在そのものまで食べちゃうかもしれない。こっちに来ている魔性にとって術力は存在そのものだからね。
 だから攻撃に対しては敏感なんだ。で、で、でも、僕らのシステムでは波動しか出ない。だから、待ってたんだよ、攻撃してくるのを。じっとね」
 精進は地球が太陽の周りを回っているのが当然というのと同レベルで、さも当たり前の様にそう言った。
 「ではあいつの正体は? 生まれた目的は魔性狩りなんですか?」
 「違う違う。まだ目先の事しか見えていないね、こ、香坂君。
 こいつは作られたものだよ。だって術力だろ、自然にこ、こんなに純粋に集まるはずがない。
 こいつを作った奴は天才だよ。無限機関を生み出したんだから。移動し、補給し、また移動する。すごいよ、それを全部インプットした術力のか、かた、固まりを作るんだから。ぼ、僕が作るとしたら、い、一番苦労するのは補給だ。そ、それを吸収することで無限供給させるんだからね、天才だよ、ぼ、僕が保証する。
 目的? それも簡単なことさ。多分こいつには何かの条件で反応する様にイ、インプットされているんだ。特定の波動に出逢ったらメッセージを渡す、郵便屋さんかもしれない。あるいは特定の波動に出逢ったら、主人の元にその場所を知らせる探偵かもしれない。ひ、ひょっとしたら特定の魔性を発見したら自爆する、誘導爆弾かもしれない。な、何にせよ、こいつなら、必ず見つけだすよ、特定のをね。な、なにしろ無限機関なんだから」
 「では室長、波動を変化させることで、その特定のパターンを生み出せませんか?」
 「ん? そうか、そうだな。うん、出来るよ。でも、で、電力が足りるかな? ま、やってみよう」
 「あ、室長、もしも爆弾だったら、やはり爆発しますよね、その波動に出逢ったら」
 香坂の顔はちょっと青ざめていた。
 「うん。もちろん」
 「どれくらいの破壊力でしょうか?」
 「そりゃすごいよ、もちろん。核爆弾なんて問題じゃないね。な、なにしろ術力だけを実体化しているエナジーだろ。す、すごいなぁ、それが使えたら、木星まで数日で付けるぞ。わくわくしてこないかい、香坂君」
 「は、はぁ、私はどきどきしてますが。まだ吹っ飛びたくありません」
 「そ、そうかい? 夢がないなぁ。木星まで吹っ飛んでみたいなぁ、僕は」
 精進はそのまま木星旅行について夢の翼を広げているようだ。香坂はそこで精進に話しかけるのを止め、美咲を見た。
 「どう、美咲? 何か解決策出た?」
 「多分。今の会話であいつの目的が読めた。最悪だな、これは」
 「特定の波動ってやつ?」
 「うむ。だが詳細は言えぬ。すまぬ」
 「いいわよ、そっちにはそっちの都合あるでしょ? でも、ここをどうするか、それは教えてくれないと」
 七剣は少し間を置き、答えた。
 「やはり私が受け止めるしかなかろう。今の会話でさらに危険度が増すことが分かったがな」
 沈黙する一同。精進だけは木星旅行まで可能にする、この素晴らしい力についての想像にうっとりとしていたが。
 「どうなっているんだろうな、外格もなしにどうやって固定しているんだろう? やはりほ、本体はどっか他にあるのか? ああ、これを固定できないかな? 何か手段があるはずだ。コップが無くても、み、水だって固定できる。凍らしちゃえばいいんだ。どんなに危険な刃物でも、鞘にいれちゃえばいいんだ。な、なにか方法があるはずだ」
 精進の言葉に、啓介がはっとして顔を上げた。何か、さっき思いついた事があった。それを今、ふっと思い出し掛けたのだ。何だ? 何か桃色のに関する事だったはずだ。
 「! ???」
 啓介は思いだそうとしたが浮かばない。そこでドリーミング中の精進に話しかけた。
 「おい、今何て言った?」
 しかし、すでに出力180%で夢見る彼の耳には入らない。
 「何か方法があるはずって言ってたけど?」と香坂。
 「違う、もっと前、何か例を出してたろ!」
 香坂は呆れた。つい数秒前の事なのに。
 「水を凍らせるとか、刃物を鞘におさめるとか・・・」
 パチンと啓介が指を鳴らした。
 「それだ! 刃物! さんきゅ、恩に着るぜ!」
 啓介にばんと背中を叩かれ、目を白黒させる香坂。啓介はそれに気づきもせずに美咲を見た。
 「あれ、借りられるかな?」
 そこまでの会話で七剣にも分かっていた。啓介の思いついたモノが何なのか。
 「頼んでみよう」
 「何ですの?」と話の見えていない古村が尋ねた。
 「膨大な気を宿すはずなのに、今は空っぽの器があるのだ、屋敷の地下にな」
 七剣はすでにどうやってそれに桃色を封じるかの策を練りながら答えた。


  第十四章
 

 十分後、美咲家で緊急召集がかけられた。長老や知恵者、そして昨夜の出来事で駆けつけていた一族の者が広間に集まった。
 「緊急議題である」
 大叔母の声は妹のように凛ととぎすまされているわけではない。美由美の命名では「山姥声」というしわがれ声だ。しかし、居並ぶ一座の者にはそれがかえって緊張感を増していた。
 「先ほど零峰大学より怪異現象が起きているとの通達があった。その報告からしておそらく本日未明、大宮を通過した例の存在と見て間違いない。現在、それは同大学の研究施設内におり、由美の組が調査中である」
 周囲のざわめきが収まってから大叔母に代わりメイドさんが引き継いだ。
 「ご承知のように零峰大学にはプラズマ研究施設があります。ここの室長、精進氏のグループが数日前から、より異界の者に近い波動を起こし、それを測定する装置の実地試験を開始しておりました。この装置は<くみちゃん3号>と呼ばれる物で異界より訪れた魔性が発する波動を感知し、その放射特性から魔性の階位、位置を割り出すという装置です。現在まだ試作段階ですが、この装置の量産により、魔性の進行を予測しうる画期的発明になるでしょう。かねてより当家もこの開発にデータ供給の形で協力しておりました。
 本日昼過ぎ、正確には12時15分、本日三度目のテストとして、擬似的な魔性の発生パターンを照射した所、異常な数値が測定されました。しかも、それはプラズマ発生装置からではなく、外からの波動だったのです。精進室長は緊急停止を命じ、点検を行いましたが、照射装置にも、<くみちゃん3号>にも異常はなく、再度再開されたのが1時5分。時を同じくして異様なものが出現しました。界二級の結界並に張られたプラズマ遮断器を物ともせずに。それは人間大で透明。薄紅色の光りを放つ物体です。波動発生装置の側の空間に出現し、そのまま動かぬため、詳細なデータを集めながら、当方に連絡してきたのです。
 2時15分、由美様の組が到着し、調査の結果、その正体は純粋な術力と判明しました。しかもその力は七剣になった由美様をも凌駕する程」
 メイドさんはわき起こったざわめきが静まるのを待って続けた。
 「由美様から緊急動議がなされました。それはこれを封じるのに、まずは器物に遷し、固定化した後、美咲の術者を可能な限り集め、結界の中で昇華することの許可についてです。
 この方法以外に、この術力の固まりを無力化する方法があればそれをご提案いただきたいとも申されております」
 メイドさんの言葉を大叔母が補足する。
 「封じる器物は当家に伝わる霊刃、<紅>を持って行うことも議題となる。あの莫大な容量を持つ神器以外に受けられる物がないからだ。
 よいか、皆の者。零峰大学での足止めは持って後1時間。通常の電力では電圧が足りないのだ。そのため、御主の帰還を待っておる時がない。
 そしてこれが最大のポイントじゃ。
 由美の予測では、そやつの、いや、大宮、久喜と通過し、一直線にこの地に迫る妖し総ての目標はここじゃ。美咲の御山じゃ!」
 一座のざわめきは頂点に達した。手をぱんと叩き、皆の注目と静寂を求める大叔母。
 「おそらく門の発する波動を感知して集まっているのであろう。当然目的は門にからむことと推測される。よいか、事は一刻を争う。もしも科学による足止めがのうなったら、由美以上の術力を持つ者に、我らでは抗えぬぞ! 美咲の、いや、現界総てへの影響を鑑み、即座に決意していただきたい。
 では、由美の発案以外に代案のある者は?」
 大叔母は周囲を一瞥すると次の言を発した。
 「代案はないか。では由美の発案を採択するしかあるまい。他に案がないのではな。異議のある者は右手を挙げよ。無い者はそのままで居よ」
 また一瞥し、右手を挙げた一人を見つけた。長老の綿貫だ。
 「延べよ綿貫。己の意見を」
 「畏れながら申し上げます。由美様の御発案に抗するつもりはないのですが、くだんの太刀、かの物は当家の重伝ではなく、尾宇部家からの預かり物、確かに尾宇部家は滅んでおりますが、他家の家宝を美咲の自由にしてよいものか、分かりかねまする」
 それに即座に答えるべく発言を求めたのは知恵者の由居だった。
 「長老殿、それは全く問題なきものと存じます。彼等は我等がかの太刀を理のために使うことを望み、我らに託した故。記録によりますと、かの太刀を家宝としていた尾宇部家最後の当主はその最期にあたりこう言い残したとありまする。

 儂の命と共に尾宇部の血も消えぬ。されど心は残る。美咲の者よ、願わくば尾宇部の志たる我が家宝を受けよ。理を共に守らせよ、我らが家宝に。尾宇部の血に代わって」

 語り部たる由居がとうとうと吟じた。尾宇部弐左衛門の今際の際の言霊を受け、綿貫も右手を降ろした。
 「ならば全会一致じゃな。由美の発案は美咲の意志とする。
 一等価俊即を許可する。倉開けの儀総てを後刻とし、疾く太刀を移送せよ。強制的に寄り付かせるには結界が必要であろう。既に古村がおるがエイドがなくてはならぬ。小林。その方、結界術者を一班集め、疾く出立させよ! 以上じゃ」
 

 尾宇部の太刀を持ち、結界術者が揃ったのはわずか30分後だった。ただちに小村の結界を強化し、縁を結ぶ力を増す。
 未だ七剣のままである由美は既に啓介に策を与えていた。今、術法結界が強まる中、啓介は己の成すべき事をずっと考えていた。
 桃色の足元には今も七つの剣が床に刺さっている。それを尾宇部の太刀と瞬時に入れ替えようというのだ。要は入れ替えの術法とか、移し身の術法とか呼ばれているものだ。二つの存在、縁を近め、それを術者の意志で入れ替える術法である。基本中の基本ではあるが、時の術以外は三流の啓介には手に余る感があった。その一方が七つの剣である以上、それを動かせるのは術か剣に精通した者のみ。しかし、由美は続く封じ込めの術法のために隙を作れない。なにしろ術力では由美以上の相手なのだから。
 しかし、魂の無い神刀を近づければ、それは封印の器だと知れるのは無論である。棺桶が近づいているのを黙って見ているほどの度胸はないだろう。となれば、瞬時に七つの剣と場所を入れ替えるしかない。それが一番相手の不意を突ける策なのだ。
 それは分かっていた。しかし、頭で分かるのと実際に行うのとでは雲泥の差がある。ましてやその方法を具体的に聞いた啓介に美咲はこう答えたのだ。
 「知らん。剣は専門外だ。自分で考えろ」
 そして今は古村たちと共に階下の感知装置室で精神統一をし、七剣としての気を高めている。
 術法結界内にいるだけの術力のない啓介はモニター室にいた。そしてずっしりと重い太刀を手に悩んでいる。既に全員が所定の場所に着いている。ここの電圧も随分下がっており、いつ足止めが消えるか分からない状況だ。香坂が焦りの表情で睨んでいる。
 笑えばきっとかわいいのになぁ。ふとそんなことを考える。別に啓介の気が乱れているわけではない。ふんぎりが付かずにいただけだ。<闇の姫君>にへし折られた啓介の剣だったなら、多分ためらいなくこの術法を行なっているだろう。しかし、七つの剣は先日借りたばかりなのだ。あれからずっと手を置いて瞑想し、鏡の境地にまで至りはした。昨日も、そして今朝も日課だった素振りをした。多分剣としては十分に振るえるはずだ。しかし、一番大事な剣との「縁」がないのだ、七つの剣とは。
 太刀を見る。見惚れるほどに力強く、雄々しい姿だ。もしも啓介がただの剣士であれば、これを得るためには何を捨ててもいいと思うかも知れないほどに。しかし、術者の目で見ればこれは「空」にすぎぬ。これと七つの剣。片や太刀、片や刀。片や空、片や七剣。ここまで差のある二つを平行して見るのは・・・。
 啓介は頭を振った。雑念を追い払い、思考の方法を変えることにした。
 ええぃままよ。相棒が俺に託した以上、俺にできるはずだ。絶対出来る。多分大変だろうが、あいつが任せた以上、絶対に。
 そう思うしかなかった。考えたって分からないのなら、実際に動かしてみるだけだ、と。
 啓介の左の腰には七つの剣の鞘がある。彼は右の腰に太刀の帯を結んだ。直接腰に下がる七つの剣の鞘に比べ、縛られた太刀の鞘は随分位置も違う。もちろん抜刀する向きもちがうのだが。なんとか紐をたぐり、二つを同じ様な位置にしてみた。
 さて。
 深呼吸一つ。右手で左腰にあると信じた幻の七つの剣を握る(ような気になる)。そして左手では右腰の太刀を握る。筧の剣術は一刀流が主だが、二刀流たる双剣技というものもある。陰と陽というように相反する二つの力を寄り付かせて神技をかける事もあるからだ。その中でも特に抜刀技、つまり居合い技が閃双剣技。二本の剣の軌跡が煌めく閃光の様に踊るためにそう呼ばれる。啓介にとっては十八番の一つだ。二刀流の際、普段は右手が上になるのだが、それでは太刀の抜刀に邪魔になるので、今回は左手を上にして交差させる。両手で柄を握り、啓介は技に入った。
 「閃双剣技奥義、双突。参る」
 そのままの姿勢でまずは右足を下げる。体の向きを変え、次いで左足を先ほどよりも多く下げる。腰を落とし、しかし背筋はまっすぐに頭頂部までぴんと伸ばし、虚空を見る。総てを見、総てを通過する視線で。遠く、遙か彼方に藁柱を思い浮かべる。まっすぐにこちらに向かってくる敵。じりっと裸足の右足が微妙に向きを変える。太刀で上段を、刀で下段を袈裟懸けにするために。どちらかは得物に弾かれるであろう、場合によっては両方とも。そのための奥義である。居合いで防御を突き崩して敵の柄物を弾き、続く二本の突きで胴を貫くための。
 敵は一直線に来る。啓介の目は瞬き一つしない。目線も全く同じまま、向かってくる敵、その周囲、風の動き。戦場の総てを見る。
 この場に残っている薪は筧の集中している気に飲み込まれそうだった。術者ではない香坂まで手にじっとりと汗をかきだしたのを感じた。啓介の先ほどの動き。そして今、敵を迎え撃つ寸前、放たれる寸前の弓の弦のごとき緊張感。それを全身で表現しながら、まるで動きを感じさせない姿勢。香坂は瞬きはおろか、呼吸すら止めていた。ひょっとすると鼓動も止まっているのかも知れない。
 不意に啓介が動く。伸ばしていたはずの脚が伸び、瞬時に2メートル程跳んだ。前に。その時にはすでに両手が弧を描き、二本の剣の軌跡が雷の様に部屋の隅で閃いた。それを見た瞬間、すでに啓介は舞っていた。片足を軸に、くるりと周り、もう一方の足を地に付けたかと思うとその身が低く、地面を這うように一気に伸び、二本の剣が再び鋭い軌跡を描いて真っ正面に飛んだ。
 ぴたりと動きを止める啓介。その両手は合わさり、二本の刃は一つになって壁の寸前で止まっていた。すぅっとその剣が縮み、その身がその分伸びたかと思うと、両足を肩幅に広げた素立ちの姿勢で立つ啓介。そのまま右手だけが動き、刀が鞘に納められた。ちん、という小さな音。そして柄にゆわかれている小さな鈴がころん、と鳴り、総ての動きは終わった。
 香坂は涙が溢れるのを感じた。今、命が一つ散った。啓介の想像が生み出した敵の命が。剣で人を斬る。その怖ろしい、そして非生産的な行為は香坂が最も忌み嫌うものだった。しかし、啓介の舞いはあまりに厳しく、その型にはまった動きには全く彼女の嗜好が付け入る隙がなかった。左手にしか剣を持っていなかったはずなのに、剣の軌跡は二本あった。そして今、啓介の左腰に向けられた右手の先。その鞘には一本の剣が納められている。左手は平手だった。もちろん右腰の鞘は空のままである。いつの間に。そう思ったが、まるで不思議に感じられなかった。その結果よりも過程の舞が香坂の心を捉えていた。
 美しい。その舞いはそうとしか表現できなかった。美しい。死の美しさ。香坂は口を押さえたまま、涙を流すしかできなかった。
 薪はすとんと崩れ落ち、苦しげにあえいでいた。まるで今の啓介の動きで部屋中の空気が無くなったかのように、息が苦しかった。彼女の意識総てが吸い取られたかのように。一方、ずっとモニタをにらんでいた精進は自分のすぐ後ろで起きていた緊張感には全く気づかず、今、モニタに映る階下の光景に目を見開いていた。

 啓介の剣が鞘に収まった時、かすかに鈴が鳴った。その音は階下で時を待つ術者全員の耳に、正確にはその鈴に響いた。
 その瞬間、床に刺さっていた刀が太刀に替わった。すかさず練り上げていた術の最初の一言を発する七剣。そして満を持して結界の縄目を絞る術者達。
 しかし、事態は全く予期せぬ方向へと動いていた。
 桃色の姿が一瞬にしてぶれたのだ。
 ぶれ。
 空間が歪み、放射装置のある部屋全体がぐにゃりとひしゃげたかのようだった。
 七剣が即座に空間を強化しようとした刹那、桃色だった影が一直線に飛び込んだ。床の太刀へ。

 一瞬の間。七剣はすでに術力の固まりであった目標が現界から消えたことを知った。いや、消えたのではない。溶けたのだ。太刀の中に。
 空であったはずの尾宇部の太刀は今、見るからに強力な気を宿している。由美はその刃が深紅に輝いているのを精霊を通して見てとった。紅蓮の炎の様に見えた。周囲の術者たちも由見であったので、その技で刀身に先ほどの物が宿っているのがはっきりと見た。術で封じるまでもなく、寄り付いていたのだ。己の意志で。
 「つまり、これが求めておったのは特定の波動ではなく、宿主か? 器を求めておったというのか?」
 七剣は躊躇無く太刀に近づき、抜こうとした。しかし、深紅の光りが結界のごとくその手を拒んだ。降りてきた啓介が無言のまま挑戦するが、彼にも触れることはかなわなかった。あまりに気が強すぎるのだ。生身の人間である以上、七剣であってもエナジーの放流に触れれば消滅する。実体を形成できなくなるから。それと同じ事がここで起きていた。刺さっていたはずの床が一部すっぽりと消え、太刀は宙に浮いていたのだ。
 七剣の指示で古村たち結界術者が懸命になって術法結界を、その深紅の結界のすぐ外に張った。そのまま七剣が術力で押さえつけ、慎重に、慎重に啓介が掲げる太刀の鞘に納めた。ちん、という音。すうと消える深紅の波動。
 こうして桃色は尾宇部の太刀に封じられた。
 一切を見ていた精進は集めていたデータのバックアップを大急ぎで始めた。
 「よしよし。うまくいったようだな」
 啓介がほっとしてつぶやいた。
 「どうかな? 私は何もしておらぬ」
 「な、なに? どういうことだ?」
 「お前は見ていなかったようだな。先ほどの奴は、我らが術法で封じられたのでない。その太刀に自ら飛び込んだのだ」
 「はぁ? みずからぁ?」
 「おそらく己を受け入れられるだけの宿主を捜しておったのであろう。そこへ望みの容量を持ちながら空の尾宇部の太刀が現れた。だから己から降りたのだよ、刃にな」
 啓介は憮然とした表情になった。
 「じゃ、俺様の双突は無駄か? 太刀持って、こっちのみーずはあーまいぞって、おにーさん、いい子いるよって寄ってけばOKだったのか?」
 「それで目標は達せられたな。死亡者一名で済んだ」
 「死亡者?」
 「おぬし」
 「どうして?」
 「その太刀の周囲には深紅の波動が満ちている。それが収束する時、空間すら歪めたほどの波動だ。鞘に納めてあれば問題ないようだがな、抜き身ではその持ち主すらそのあおりを食らっておろう。もしお前が持ったままだったなら、今頃内臓をまき散らして部屋中に散らばっておったろう。故に死亡者一名、だ」
 「そ、それは・・・。困るな」
 「うむ。掃除する者が大変だからな」
 啓介は本気かと聞こうと思って止めた。またミステリアス云々の会話に持ち込まれることを悟ったからだった。
 尾宇部の太刀に古村たちが何重にも結界を施した後で、彼等は美咲の屋敷に戻っていった。
 精進と香坂はスタッフに指示を飛ばすのに躍起になっていた。プラズマ放射装置が全壊した事も気にならなかった。莫大なデータが入手できたのだから。特に術力が収束する時の空間の歪みは貴重だった。人の術者が呪文で行った物と違い、瞬時に発動したものだった。魔性が呪文によらず、意志で結界を張るのとほぼ同じ速度だったのだ。その瞬間を初めて捉えたのである。
 このデータによって<くみちゃん3号>は魔性本体の発見のみならず、残滓、あるいは結界をも見いだす可能性が明らかになった。さらに見つけ次第その結界を消去できるかもしれない。それを人が利用できるエナジー、つまり電力に転換する方法はすでにあるのだから。プラズマ研究室のスタッフが勢い込むのも無理はなかった。



つづく


<超かいき★くえすと>くえすたぁず