von:秋澤 弘
第七章
美咲本家にかつぎ込まれた姫の傷はあまりに重かった。ことに体からの警告を無視して動いたのがまずかった。外から加えられた損傷は療術ですぐさまつむがれていたのだが、己の意志で壊した体組織にはファーストエイド程度の効果しかなかった。とりわけ下半身の損傷はひどかった。完全に限界を超えた運動をさせすぎたのだ。
さらにまずい事態を招いていたのは背中から腰へ、背骨へ加えられた首格の男の一振りだ。あの小柄には術がかかっていたらしい。神経を切断するための。下半身への神経は完全に絶えていた。真由美には使われていない膨大な術力がある。幾らそれが由美をも越えるとはいえ、術力でカバーして、この状態で走ったのが誰にも信じられない程、すっぱりと。
美崎の者から報告を受け終え、御主はうなった。相手は金剛巽の手の者か。美咲本家との関係は中立だ。というよりも向こうがあまりに過激なためにこちらからの接触が全く無かったと言えよう。
金剛巽(こんごうそん)。この世を全き強きものにすべく、己が肉体を強化する大陸伝来の武闘派である。術者というよりは戦士の一門であり、主に関東の繁華街をその舞台として、華やかな繁栄の影に潜む魔物狩りを生業としている。美咲等の退魔師の家系は血筋によって結ばれた閉ざされた存在。対して彼等は師弟関係によって結ばれた、いわば一般にも開かれた存在である。少し前ならば「義兄弟」の仁義とでも言うのであろうか、同じ師に学ぶ門弟同士が血よりも濃い結束を持つと誇っている一門だ。
御主はすぐさま大宮の美崎家と連絡を取った。本家の御主から至急報を受けた当主美崎眞弓はとまどいを隠せなかった。一体何事が起きたのか。
本家の御主により事実が述べられ、まだ四十にも至らぬ若さである眞弓は電話口で崩れ落ちた。御主は黙ったまま彼女の回復を待った。数分後、受話器に聞こえてきた眞弓の声は死刑宣告を受けた囚人の様に震えていた。
「じ、次期様は・・・。次期様のお命は・・・」
「命に別状はありません。ただし、療術では対応不可能な状況です。体力を回復次第、手術を受けることになるでしょう。
それでも、おそらくもう立ち上がることはできますまい」
ユミは努めて平常に事態を語った。その言葉の奥にある想いを言霊として発さぬように。しかし、眞弓も分家とはいえミサキの名を持つ一族を束ねる者。言霊が抑えられているが故にかえって御主の悲しみと怒りを悟った。眞弓はその想いの深さに心打たれながらも、ユミの気丈さに感動すら覚えた。自分の娘が同じ目に遭ったとして、自分はこうして話ができるだろうかと。眞弓は御主の器の大きさを知り、少しづつ衝撃が薄れ、自らも当主として成すべき事が見えてきたのに気づいた。
「金剛巽の者と契約を交わしましたのは私です。総ての罪は私一人のもの。我が術者は指示に従ったに過ぎません。彼等へはどうか、どうかおしかり無きようお願いいたします、御主様! す、総て我が命一つでもって購う事を・・・」
「お黙りなさい!」
ユミの一喝。眞弓は身をひきつらせて口を閉じた。
「あなたは分美咲の退魔師十二名を預かる御主。見前の名を継ぐ者。うろたえてどうします? 真由美の命は助かりました。命の炎が一つも消えずに済んだことはまったくもって幸運でした。それなのに、その幸運を己で捨てるおつもりですか!?
命を絶つなど御主の口から出て良い言葉ではありません。あなたも術者。うかつに口に出した言霊で縛られる事の無いように心がけるのは最低限の知恵と知っているはず。
罪があったかどうか、そしてあったのならどのような罰が適当か。それは事の収束後に決めること。今はまだ進行中なのです。私は知らねばならない事がたくさんあります。その幾つかはあなたから聞けること。よいですか、心を平静に保ちなさい。
まず、いかなる契約を成したのかが知りたいのです」
ユミはあくまで同じ御主として眞弓に語りかけた。眞弓は自分と同じマユミの名の言霊を受け継ぐ本家の次期御主を襲った悲劇が、いかにして起こったのかを知る限りにおいて伝え始めた。
事の始まりは武蔵一の宮である社の結界を何物かが突破した事であった。すぐさま到着した物見が、異界のものが放った使い魔らしき深紅の影を見つけ、金剛巽の一派が出向いた。しかし、その動きは素早く、彼等の索敵範囲から消え去ってしまった。そこで美崎に要請が成されたのである。彼等の<見る>力でその跡を追おうというのだ。
ここ数年東京と言わず大阪と言わず、いずれ大都市では歪みが如実に増えていた。大宮も例外ではない。使い魔を放っておいては必ずその主が悪しき事をしでかすであろう。そこで眞弓は依頼を受ける事にはやぶさかではなかった。しかし、金剛巽はいわば退魔業界の過激派である。そこで契約前に幾つかの条件を出した。いわく退魔ではなく、あくまで物見のみに協力すること。その退魔業の中、美咲の掟に背かぬこと。術者が命の危険に際した場合には無条件で離脱すること等である。その条件を呑むに辺り、逆に金剛巽から出されたのは滅するための場を造るためと、逃げ場を塞ぐための結界造りの専門家も派遣してほしい由の依頼であった。
眞弓と金剛巽の大宮道場主、葛西昌義は互いの条件を呑み、契約にサインした。こうして双方の合同部隊が追跡を開始したのである。葛西が出したのは退魔師としての実力が高く、なおかつ咄嗟の判断力のある金子という手練れだ。二刀流の彼こそ真由美に決定打を打ち込んだ首格である。彼に術者と戦士を一名づつ付けて追跡隊とした。眞弓が出したのは由見の力の強い姪の美崎由樹。そして結界造りのために術者を二人。さらに万一に備え、療術者である仲田野由佳里も派遣した。特に由樹と由佳里には前もって指示を出していた。
追跡後、多分金剛巽はその使い魔を滅するであろう。しかし、それでは事の解決にはならない。それまでに由樹の目で必ず、かの使い魔を放った者への手がかりを得ること。そのためには直接接触も辞さぬこと。反撃を受けた場合に備え、療術者である由佳里に美崎家に伝わる霊亀を預け、必ず由樹を守ることを指示していたのである。
出立後は彼等からの連絡を受けるだけであった。昨日は久喜市の外れから連絡があった。追跡中とだけ。
以後は眞弓にも分からなかった。なぜ久喜から美咲本家のお膝元にまで至ることになったのかは。
「それはあなたの術者に問いましょう。彼等の身柄は私が預かります。問いが終わり次第そちらへ帰しますが。
事の次第は金剛巽にも伝わっているはず。直ちに行動を起こしなさい。もしも美崎の者に危険が及ぶのなら、大宮を一時放棄することも許可します。由樹たちの分手数が減っているでしょうし、法規的な問題に顔の利く者もこちらにはおりますので、今夜中に数名を派遣します。契約を今一度確認なさい。それに反していない限り、あなたに責はありません。今聞いた内容であれば美咲本家御主として私が認めます。あなたに責はありません。
しかし、向こうがどう動くかは非常に流動的です。向こうが契約通りに行動するのなら何の問題もありません。ですが、もしも向こうが契約を無視するのであれば、それは美崎だけの問題ではありません。美咲一族総てへの軽視と見なし、一族の総力を挙げて阻止します。
直ちに手の者を集め、対応を練りなさい。こちらの手勢はすぐに出立させます。よいですか、今は真由美の事は私に任せて下さい。あなたはこれから起きることにのみ専念なさい。御主として」
大宮との電話を切ったユミはすぐさま広間に向かった。集合していた者たちに判明した事を伝えるために。
「以上の様に、当方には何の責もない。大宮の手勢は契約に従っていた。そして、契約にあるとおり、今度は美咲の掟に従って真由美の言葉に添って行動したに過ぎぬ。
だが、金剛巽が契約に従うかどうかは分からぬ。故に今より、最悪の事態に備え、準備をせねばならぬ。動くとすれば今夜であろう。しかし、向こうが敵対してきたわけではない以上、術者を動かすわけにはいかぬ。それに分家とはいえ、美崎家は独立した一族。故に我が知恵者を出すわけにも行かぬ。美崎家への派遣者は総ての由見の長たる長老会から出すべきである」
御主の決定に同意を示す一同。今夜中に小林達が大宮の術者と詳細な報告書を作成するはずである。まずは長老会からすぐに手練れを五名派遣し、報告書が完成次第、第二陣として十名を出す事になった。
その後で長老の一人が発言を申し出た。
「御主様、金剛巽への抗議はいかがなさいますか? 殺人未遂ですぞ! 放っておいて良い事ではありませぬ」
ユミは殺人という言葉を聞いて、一瞬血の気が引くのを覚えた。
いかん、今はまだ御主として動かねばならぬ。感情は判断を鈍らせる。
ユミは手にした扇子でとん、と膝を打ち、己をたしなめた。
「それは後日議題としよう。大宮の御主も含め、分美咲家の御主も全員顔を揃えた席上で全美咲家よりの抗議とするべきである。だが、今はそうはいかぬ。眞弓殿はその一族を守るための行動を起こしておられるはずだからだ。まずは事態の収束を第一とせよ。罪や咎はその後で問うことにする。
他に意見はないか?」
「抗議ではありませんが・・・」
知恵者の一人が発言した。
「金剛巽本部にこちらの遺憾の意を伝えておく必要はあると思います。大宮道場の独断で行われた退魔業ですし、さらにその術者の独断で行われた傷害です。美咲一族としての意志は向こうの本部に伝えておいた方がよいでしょう。大宮道場への牽制にもなります」
同じ事を考えていた長老の一人が口をはさむ。
「しかし、それで火に油を注ぐ事になるとまずい。後日にした方がよいのではないかの」
一同は口々に賛否を述べたが、すぐに静まった。御主が思考を巡らせているのに気づいたのだ。
「ふむ・・・。
当家から直接はまずかろう。仲立ちを依頼するがよいと思うが、どうか」
御主の問いに数家の名が上がった。
「大仁木家が適任では?」
「いや、確か金剛巽とは仲が悪いはずでは・・・」
「あのう、筧家はいかがでしょうか? あの家系ならば金剛巽とも・・・」
「逆効果でしょう」と、上がった声に由美が答えた。
「筧は美咲の血縁。さらに岩槻の筧家の者が逗留している以上、筧と美咲、両家が通じていると判断されるが道理」
由美の言葉に御主が頷く。
「最良の選択は錦隠岐家であろう。金剛巽がいかなる思想を持っていようとも関東をその地盤とする以上、関東守護の長たる錦隠岐家と仲違いする危険を犯しはすまい。
それにな、双方の目的が異なっている以上、錦の家とは中立を維持せねばならぬ。彼等は極端な話し、国民(くにたみ)を犠牲にしてでも帝が守れればよい。一方、我が美咲は例え日本国が滅ぼうとも国民と大地が理のまま残るのならばそれでよし。それ程までに錦と美咲では道が違う。中立であらねばならぬのだ。双方がな。
錦隠岐家は先の地鎮祭においての借りを返す機会を求めているはず。今、当家から依頼を成せば必ず全力で支持してくれるであろう。向こうも中立であろうとするはずだからな。
由美、お主から連絡してみよ。錦隠岐家の当主にな」
「え? わ、私が、ですか?」と珍しくうろたえを見せる由美。それも当然、なにしろ相手が大きすぎるのだ。ここに居並ぶ美咲家の重鎮であっても、錦隠岐の当主と直接語った者など数えるほどしかいないのである。
「お主からが一番効果あろう。先の先方よりの謝意の書状を思い返してみよ。お主個人に宛てられておったのだぞ、あれは」
「・・・」
黙する由美。御主は会議の終了を宣言し、長老会は早速派遣者の選択に入った。
御主はその足で治癒室に向かった。医者と療術士が出迎える。
やはり下半身はだめだった。多分手術で腰までは回復できるかもしれないが、神経を元から経たれている以上、足の回復は絶望的だった。無理な疾走で筋肉も完全に分断されている。神経と筋肉。どちらか一方でも残ればなんとかなったかもしれないが、双方が重なり合っている以上、もう子供を成す事はおろか、立つことすらできない。
「次期様にはお伝えしておりません。御主様のご指示を待ってからと思い・・・」
医師の言葉にうなづくと、ユミは人を下がらせた。
部屋に入るとベッドの上で真由美が母を迎えた。笑顔で。
「おかぁさん。来てくれたの? 会議は終わったの?」
「ええ。今。
大丈夫? 真由美」
母はベッドの側に跪いた。娘の小さな手をそっと握る。
「うん。痛みはないもの。でも、ごめんなさい。折角ちゃんと生んでくれたのに。あたし、あたし壊しちゃった」
「・・・」
「もう歩けないんでしょ?」
真由美には何も隠せない。母は黙って頷いた。
「ごめんなさい。美咲のおうちは美由美か由美ねぇさんの赤さんに任せるしかないの」
「・・・」
母は何も言えなかった。涙が溢れてきた。この子には何も隠せない。ユミは涙を抑えるのを諦めた。一度流れ出した涙は止まらなかった。
「でもね、おかぁさん。あたし決めたの。あたし、御主になる」
「え・・・?」
「みんながいるもの。あたしの手になってくれるみんなが。あたしの足になってくれる人もきっといる。
だからね、おかぁさん。あたし、あたし、みんなを守りたいの。あたしの<目>はそのためにあるんでしょ。助けを求める人を見つけて、その人を助けてってみんなにお願いするために。
あたし分かったの。あたしの力は御主になってみんなにするべきことを伝えるためにあるんだって」
「真由美・・・」
母は娘をそっと抱きしめた。腕はもう治癒している。肺も内臓も。ただ、背骨と下半身は・・・
「おかぁさん。泣かないで・・・」
その頃、由美は電話口にいた。緊張の面もちで。広間の脇の控えの間。正座した由美はじっと受話器を耳に当てていた。錦隠岐家に電話をかけるなどもちろん初めてだ。一介の退魔師、ましてや他家の術者に過ぎぬ身で護国の司たる当主を呼び出すなど。
既に夜も更けている。電話に出た女性は相手が由美だと分かると少々お待ち下さい、と言って保留にした。それからずっと待たされている。当主、伊蔵は寝ているのかもしれない。事のあらましだけFAXで送った方がよかったか。そんな事を考えていた時、音楽が途絶え、伊蔵の声が耳に入った。
錦隠岐の作法など知らない由美は無礼を承知で無駄を省き、挨拶もそこそこに事態を説明した。金剛巽の依頼、真由美の対応、そしてその結果。
黙して聞き終えた伊蔵は二つの質問を述べた。一つ、契約書のコピーは貰えるか。二つ、両家の仲立ちを成すべきか。
由美は最初の問いを肯定した。大宮から送られてきた契約書をすぐにFAXで送ると。しかし第二の問いには否と答えた。美咲と金剛巽の双方で話し合いにて決着を付ける所存である。その席が設けられるまでに事態がこれ以上悪化せぬようにしてほしい。現状維持が美咲の希望であると。伊蔵は了承した。彼は最後に、自分を頼った事を決して後悔させぬと告げ、電話を切った。
受話器を戻し、由美は緊張をほぐそうとした。しかし、さすがにすぐには取れない。錦隠岐家と美咲家は中立である。しかし、あの晩、西新宿の路上で男の語った言葉。あれはあの一派からの最後勧告でもあったはず。彼等と足並みを揃えるか否かという。
七とせの術法を支援したあの強力な術者、宗教家たち。彼等と闘う事になるやもしれぬ。錦隠岐との中立を守れぬ限り。理(ことわり)の大いに乱れる日、最強の敵は異界のものではなく、現界の彼等やもしれぬ。今回の事件がその幕引きになるのではという不安が彼女の心を乱れさせていた。
錦隠岐たち、天津神を奉ずる者たち。対する国津神を奉ずる者たち。この争いに美咲は中立を守れるのであろうか。蝙蝠たりえるのであろうか。そして、その時、真由美は・・・。
由美は誰もいない控えの間で泣き崩れた。
第八章
美咲家が夜を徹する大騒ぎになっている頃。何も知らぬ美由美は車中にあった。今日は生徒会に鳴綾の学徒会が訪れて何かの打ち合わせがあるので、稽古はお休みだった。一度超常研にも顔を出したが姫は来ていなかった。
「ったくあいつは。今日は発売日だろーが!」
美由美は呆れた。ソフトの発売日を忘れるとは。ましてや今日のは姫が予約してくれと頼んだソフトなのに。雑誌に写真が載っていた予約特典のキーホルダーを欲しがった姫のために、わざわざ一ヶ月前の予約開始日に新宿まで出ていって予約してやったのに。近所の馴染みの店なら声を掛けておくだけでいいのだが、特典は新宿のその店だけの企画だったのだ。
予約表は渡し忘れていたので美由美の財布に入っている。仕方ない。残金は立て替えておいてやるか。最近姫はずっと落ち込んでいるから。
ソフトを買い、おまけを貰った上、店員に媚びてポスターまでもらってやった。姫が笑ってくれるのを楽しみにして。折角新宿まで出たのだ、ついでと言っては何だが中古のハードディスクの値段を秋葉の価格と比べたり、Macの角形マウス(しかも箱付き新品)を見つけてまとめ買いしたり、隣のあやしい同人誌やら中古ソフトを売っている狭い店で、客や店員の好奇の目にさらされながらもお気に入りのイラストレイターの18禁ソフトを堂々と制服のまま買ったりしているうちに、すっかり夜になっていた。
姫は夜随分早く寝てしまう。電話しておいてやろうかとも思ったが、やはりこういうのは不意打ちがいい。そう考えた美由美は携帯の電源を切っていた。発売日に気づいて聞いてくるかも知れないから。そのままで電車に乗った。そのために全く知らなかった。母が度々緊急連絡を入れていた事を。
埼京線の快速があったのでそれに乗った。既に通勤ラッシュは終わっていたので、すごい込みようというわけではないが、やはりこの路線は込む。むかし赤羽線で新宿に出ていた母は混雑する車内でサラリーマンに買ったばかりのザッパのLPを割られ、代金を弁償させた上に謝罪金までふんだくったらしい。そんな込みようではないが、やはり人は随分多い。吊革につかまって揺られながらも美由美は姫の笑顔を久しぶりに見れることでわくわくしていた。もちろん代金はすぐに請求するつもりだが。それも電車賃込みで。
姫が頼んだのはいわゆる育成ものである。と言っても女の子を育ててあーんな事やこーんな事をする物ではない。猫や犬、蛙といったキャラとお話しして育てるというものだ。美由美はどうもこの手の物が理解できなかった。ゲームとすら思っていなかった。単なる時間潰しにしか思えなかったである。雑誌によると、うまく育てると最短七日で天使になって置き手紙を残して去るらしい。で、わざと怒らせ続けると同じく一週間で呪いの手紙を残して消えるらしい。その中間でじらしたり喜ばせたりすると、ずっとお話できるというのだが。
つまりうまく進行すればするほどすぐに楽しみが終わってしまうのだ。もしも絵柄が気に入ったとしても各キャラの二種のエンディングを見終えたらそのまま二度と電源を入れないだろう。しかし、こんな小憎たらしい猫やハムスターと会話して楽しいのだろうか? これならまだエンディングでご褒美CGがあるえっち物の方が理解できる。別にユリ物に興味はないし、やおい物にはもっと興味がないのでそっちがいいとは言えないが、多分人のリビドーに響く物がある以上、えっち物の方が自然な気がするのだ。
しかし、真由美はこの手のゲームが大好きだったのだ。
姫の趣味は分からん。でも最近はなんか落ち込んでるからな。笑ってくれりゃそれでいっか。
そんな事をぼーっと考えている内に大宮に着いた。乗り換えるためにほとんどの客がここで降りるので、美由美もその流れに乗って車両から出る。そのまま波に乗って地下のホームから二階まで上がる。今度は中距離電車のホームへ降りて行く。
ここもまた人が多い。まだ終電までは時間があるが、そろそろ遠距離へは事実上の最終になっている可能性もある。ちょっと前なら新歓コンパなどでもっと悲惨だったのだが、それも一段落しており、ホームは思いの他静かだ。いつもの乗り場まで人を避けつつ進むと列に並ぶ。少しして来た電車が待っていた路線のだったので早速乗り込んだ。終わりの方だったので人の流れに乗りつつ、ひょいと方向転換してドア脇の特等地に身を滑り込ませる。嫌そうな顔でそこを占領していた若いサラリーマンが侵入者を迎撃しようとしたが、見ると相手は制服の女子高生だ。ましてやその発育たるや。サラリーマンは脇に身を寄せ、まるで「隣においで」と誘っているようだ。美由美はそいつの顔をちらりと見た。ま、フツーだな。悪戯するほどの度胸はない。そう踏んで、開いたスペースに身を寄せた。すかさず発車のアナウンスが入り、ドアが閉まる。
その時だ。ホームに走る人影があった。次の電車を待つ人やら、今降りた人でごった返す中、まるでラッセル車の様に道をかき分けて走るダイナミックな影。緑と赤に染め上げた髪。そしてそれを束ねる純白の長い鉢巻き。人ごみの逆方向、ホームの端へと駆け抜けて行く姿は一瞬見えただけだった。しかし。あれは・・・。
反射的に行動していた。閉まるドアをがっしとつかみ、周囲のブーイングを無視して車両を飛び降りようとする美由美。さっきのサラリーマンが咄嗟にドアに挟まれかけた美由美のバッグを押してくれた。おかげで折角のポスターが折れずに済んだので、閉じたドア越しにちょっと手を振り、ウィンクする。
サンクス! どっかでまた会ったらお茶くらいおごるよ! そう叫んだが車内に聞こえたかどうかは分からない。すぐにダッシュを掛け、人ごみを縫うように走り出す。
人波はあっという間に終わり、この先はホームがあるがラッシュ時の長い車両しか止まらない場所なので、ほとんど人はいない。ずっと先にたすきのような長い鉢巻きをひらめかせて走る影が見える。ダッシュするが鞄も持っている美由美は全力疾走に入れないし、もともと向こうの方が早い。まだホームの先端までだいぶある時点で相手はひらりと端から姿を消した。そのまま駆け抜けて後を追う。端には柵があるが疾駆してきた彼女にはハードル程度の障害にしかならない。ただしその先は一メートル程の段差があり、下はじゃりだ。それを考慮して片手で柵の柱を掴み、そこを軸に飛び降りた。
どこだ? どっちへ行った? 左を見る。振り仰ぐ上に新幹線ホームが見える。そこまでは随分あるのでそっちへ行ったなら見えているはずだ。右を見る。段差はあるものの、割と近くに次のホームがあり、その先に私鉄のホームが見えるが、そこの客たちに騒ぎは起きていない。そっちに行ったなら、線路を走る姿がはっきりと見えているはずなのに。もちろん正面はずっと線路だ。ほんの十秒前だ、見えないはずはない。
??? どこだ?
ひょっとしてホームに沿って下を戻ったのか? とりあえず人目を避けるためにあまり人気のない左側に回り込む。謎はすぐに解けた。ホーム下に階段があった。おそらく作業用のものだろう。そこにある柵が外れていた。ここか!
すぐに飛び込むと駆ける足音が聞こえた。間違いない。こっちだ。
階段を降りると狭い通路が左右に伸びている。数メートル置きに並ぶ裸電球が、いかにも乗客の侵入を阻止する感があった。耳を済ます。右だ! 美由美は再びダッシュした。
途中幾つかの階段がある。多分各ホーム毎にあるのだろう。だが足音は先から響いている。もう随分差が開いた。走っていては聞き取れない程だ。とにかくここまで来たら行ってみるしかない。そう決心して疾駆する。やがて前方が明るくなった。急に飛び出るのをためらい、そのちょっと手前でスピードを落とす。そこにも鉄柵があるが、これは外れていない。そっと外をうかがうと、駅ビルに通じるホール状の部分だ。すぐ左手に階段とエスカレーターが見える。さっき美由美自身が埼京線から乗り換えるのに使ったものだ。
どうやらここは西口駅ビルの地下だ。鉄柵を越えると狭いキャットウォークがあり、左右に伸びている。左は階段につながっており、そこにも鉄柵。右は・・・。キャットウォークの先の鉄扉が少し開いているのが見えた。
何食わぬ顔をして柵を越え、そのまま悠然と右に向かう。ここは階段を行き来する人から見れば必ず目に付く場所だ。騒がんでくれよ。そう心に念じながら。
扉を開けると通路が伸びている。しかしさっきのような裸電球にむき出しのコンクリではない。ちゃんとしたビルの中だ。とりあえず最初の十字路に出た。左右、正面。どこにも人影はない。さて、どっちだ? そうつぶやいた時、右手から人の声がした。なにやら会話しながら誰かこっちへ来る。そう察した美由美は瞬時ためらった。戻っても間に合わない。左に行ったら右から来る者の正面を走ることになる。となれば・・・。ええい、と覚悟を決め、正面へ行く。会話はそのまま続いている。どうやら気づかれなかったようだ。直ぐに右手にあるドアノブに手を掛ける。まずい、開かない。続いて反対側。もう会話は十字路寸前にまで来ている。
頼む! 念が通じたのか、その戸は開いた。すかさず狭い闇の中に滑り込み戸をそっと閉める。周りを見てみると、狭いと思ったのは道理でここは給湯室だ。お茶呑もう何て思わんでくれよ! 美由美は祈った。
会話はそのまま去っていった。鉄扉の音がしたので、多分美由美が入ってきたドアから出ていったのだろう。ふぅとため息を吐く。そっと扉を開けたとき、戸のすぐ側に非常用の懐中電灯があった。一瞬ためらうが拝借することにした。ま、あって困る物じゃないから。
戸を閉めると再び考える。どっちだろう。さっきの人が来た方はまず関係ないだろう。途中で鉢合わせしているはずだ。なら、こっちか? 給湯室を出るとそのままその道を進む。しかし、こっちは外れだった。すぐに大きな広間に出ていたのだ。そこからそーっと顔を出すと、すぐ目の前に守衛室があるのでびっくりして顔を引っ込めた。どうやら監視モニターを見ている様でうつむいていてくれて助かった、正面を見ていたなら間違いなく美由美と目が合っていたろうから。
どきどきしながら下がる。監視モニターか。まずいな。これからは頭上にも注意しよう。そう思いながらさっきの十字路に戻った。
右に曲がる。こっちは何だろう? そう思いながら途中の戸を開けようとしてみたが、みな閉まっている。その先は大きな鉄扉だ。鍵穴から覗くと駐車場のようだ。煌々とライトは照っているが人の気配はない。車両もほんの少し止まっているだけだ。そっと扉を押す。開いた。きーっという嫌な音がしたのでびくっとしたが、何も騒ぎは起きない。そこでそっと身を滑り込ませてみた。まず身をかがめ人影を探す。いない。次いで監視カメラを探す。二つ見つかったが、こっちには向いていない。とりあえず暗がりに移動した。
さぁ、どうするか。
止まっているのは生鮮食料品を運ぶトラックらしい。魚のマークが付いたのやら、冷凍保管温度が明記してある白塗りのコンテナなどがあった。車内には誰もいないようだが、ドアが開けっ放しでラジオも聞こえるところからしていつ戻ってくるか分からない。こっちじゃないのか? そう思った時、反対側の壁に梯子が見えた。梯子? 一体どこに通じているんだろう。それは床から2.5メートル程の所から始まっており、そのまま天井の丸い穴に消えていた。どうやら非常用らしい。緊急時に脇にある棒で引っ張って使うタイプだと思った。カメラの位置を確認し、安全を確信するとそこへ行く。
トラックの脇をすり抜けて梯子の真下に来た。ここから登っていったとは限らないが、どうしようか。そう考え込んだとき、壁に足跡を見つけた。1.5メートル程の高さだ。なるほど。やはりここか。そう決めつけた美由美は少し下がり、二歩助走を付けて軽々と飛び上がった。美由美の脚力なら壁で1クッション入れる必要もなく届く。そのまま腕で体を持ち上げて梯子に足を掛けた。その時、下から足音が響いた。びっくりして素早く天井の穴に隠れる。じっとしていると美由美の真下を運ちゃんが歩いて行く。
しぇー、見上げないどくれー。あっち行ってーっ!
美由美の声にならない悲鳴は通じなかった。運ちゃんは丁度美由美の真下で立ち止まった。ポケットをごそごそやっていると思うとタバコを付けた。美由美は制服がスカートなのを恨みながらそっと上に登る。そーっと、そーっと。下を見ながらそーっと。その時、運ちゃんが振り仰いだ。目が美由美の方を見る。
まじー!
だが、運ちゃんは振り仰ぐと同時にタバコの煙を吐き出した。
「おー、三連だ。はっはっは。好調!」
煙のリングに満足した運ちゃんはそのまま美由美の視界から消えた。しばらくするとエンジンがかかり、車が走り出した。
美由美は凍り付いたままじっとしていたが、排気ガスの臭いが登って来て、やっと我に返った。考えてみると美由美は暗闇にいるのだ。向こうからは見えなかったのだろう。ええぃ、脅かしやがって。美由美はそう悪態を付くと、そのまま梯子を上がった。
途中で二カ所、通路を貫通していたが、床には濡れた足跡はなかった。さっきの梯子の下は水たまりだった。だから足跡が残っていたのだ。梯子にも濡れた跡がある。間違いない、もっと上だ。そう思い、どんどん登る。ちょっと疲れてきたが頑張って登る。
さすがにやがて終点になった。随分上がったはずだ。一体ここはどこだろう?
頂上は小さな部屋だった。機械室だろうか、ごうごうと音がする。扉は一つだけだ。床を調べるとうっすらと足跡があった。どうやらビンゴだ。振り返るとマンホールの様に今上がってきた通路がある。その上に立て札があった。
緊急時用。地下駐車場
なるほど、ここは登るためではなく、降りるためにあったらしい。火事からの脱出とかに使うのだろう。それでここが多分屋上なのだろうと分かった。
戸を開くとやっぱり大きな機械がうなりを上げている。掛かっている文字から、これがエレベーターの駆動部だと分かった。
高圧電流・危険
の文字に、触りゃしないよ、と答え、戸口を探す。丁度機械の反対側にそれはあった。大きく迂回して進む。そういやバイオ1のラスト近くでこんな所があったよな。そう思った美由美は反射的に頭上を見た。天井から何か襲ってくるような気がして。もちろん何もいはしない。だが、そこで立ち止まり、用心のために鞄からPPKタイプのガスガンを出した。PPK/Sではない。もっと小型のPPKだ。第二次大戦後、特に米国向きに中型のPPと小型のPPKを混ぜ合わせて造ったのが有名なPPK/S。しかし、美由美のはマガジンの小型なオリジナルPPKだ。元々警察用のPPを長さと装弾数共に切りつめ、携帯用にしたものがこの「ポリツァイ・ピストレ・クリミナレ」。つまりPPKである。高級将校や警官のオフタイム用として愛用された物だが、国家機密警察、いわゆるゲシュタポも愛用したので世間的にこの銃に対する風あたりは強い。故にこのタイプのガスガンはない。美由美のはもちろん市販のPPK/Sのガスガンをベースに改造したワンメイクものである。装弾数はちょっと心許なくたった八発。しかもマガジンが小さいのでガス圧も低い。あくまでオフタイム用のガス銃だ。インナーパンツ型のホルスターに入ったままなので、スカートの内側に仕込んであるベルトに通して隠す。さらに予備マガジン二本もマグケースに入れたままベルトに差し込む。
鞄は3ウェイバッグだ。ベルトを伸ばしてバックパックにする。手提げのビニール袋の中身も鞄に移し替える。さて問題はポスターだ。折角貰った物だし、さっきの車両のサラリーマンの協力で折らずに済んだ。広げて折ってからまた丸めれば済むのだが。何も言わずに最初からそうだったと言えば大丈夫かな? そうも思ったが、相手は姫だ。すぐに感づくだろう。仕方ない。邪魔だが、姫の笑顔にはかなわない。ビニールをかぶせ、バックパックに斜めに差し込んだ。次いで常用の単三型のマグライトを胸ポケットに、そしてさっき拝借してきた懐中電灯をスカートの内側に差し込む。落ちると困るのでスカートの真横にあるサイズ微調節用のベルトを外し、懐中電灯のお尻についているフックに差し込み、固定した。最後にこれまた愛用のフィンガーレス式の手袋をはめてパンと手を叩く。
よし、行くぜ!
装備を調えた美由美は戸口に向かって立った。
その外はやはり屋上だった。しかし、駅ビルの屋上といって想像していたような華やかなものではなかった。遊技用の機械も庭園もない。ベンチ一つない。殺風景なだだっ広い空間だ。足元は至る所ででこぼこしており、下をケーブルか何かが行き来しているようだ。そして当然ながら暗い。今夜は月もない。駅からの煌々とした光りが辺りを照らしており、その結果、この屋上はすっぽりと影に包まれていた。戸口に立つ美由美は背中から室内の灯りに照らされて丸見えだろう。そう気づき、すばやく戸を閉めて暗がりに身を潜める。不意に大きな音量でアナウンスが聞こえた。新幹線ホームがすぐそばにあるらしい。
しばらくじっとして暗闇に目を慣らしていた時、何やら動くものが遠くに見えた。何か? 美由美はそっと床に身を伏せてじっとそのあたりを伺った。長方形の端にあるこの機械室とはほぼ正反対の方。美由美からだと優に百メートルはある。こうして目線を低くしていれば建物の外からの光りをバックに影が見えるはずだ。じっとうかがうと確かに何かが動いている。間違いない。戦闘だ。
美由美は周囲をもう一度確認した。そこ以外に動きはない。機械室を背に行けば、向こうからはこっちが見えないはずだ。そう勝手に決めつけた美由美はホルスターからPPKを抜いてそっと近づいた。コンクリの打ちっ放しだったり、モルタル止めだったり、屋上は無秩序極まりない状態だ。だが身を隠す程の出っ張りは所々にある排気口くらいのものだ。そこを影に前進する美由美。屋上全体の半分を超えるとちょっと段差があり、さらに無秩序な床になる。そこでまた身を伏せて確認するとどうやら戦闘は終わってしまったらしい。そこには腕を腰に当てて周囲を確認する鉢巻き姿の人影があるだけだ。
美由美は立ち上がり声を掛けた。
「やっほー、今晩はぁー!」
ぎょっとしてこちらを振り向いたらしい影。美由美は段差を降りて近づく。
「いやー、駅で見かけたもんだから。なんか緊迫してたから、つい追っかけて来ちゃった」
近寄る美由美に身構える影。美由美もちょっと足取りを落とした。
「おーい、あたしだよ、美由美!」
懐中電灯を出して自分を照らそうかとも思ったが、もしもまだ敵がいたら、視力を失うのはまずい。そう判断してそのまま近づいた。もう二人の距離は十メートルもない。それでも向こうは美由美が分からないようだ。身構えたまま動かない。それどころか攻撃のタイミングを計っているかのような冷たい殺気まで出ているようだ。はて、人違い? そう思って慌てたが、目の前のシルエットは疑いようもなかった。ひょっとして双子だったとか。そんな考えが浮かんだ時、すぐ脇の建物下にあるホームに新幹線が入ってきたようだ。ぷわぁんという警笛。光りが一気に溢れ、照り返しが二人の姿を映しだした。
白いつなぎにブーツ。風にたなびくボリュームたっぷりの髪。今日は緑と赤でまるでクリスマスみたいだ。その髪を留める見慣れた鉢巻きの正面には鉄板で補強が付いている。そしてその真下に鋭い眼光。手にはナックルが光っている。間違いない。本人だ。
「やっほー、美雪せんぱーい、あたしだってば、美咲美由美だってば!」と言って笑い掛けるが、美雪の目は笑わない。
「あのー、先輩?」
美由美はちょっと怖くなった。本人だが、しばらく会っていない内になにかあったとか。まさか魔性に操られてるとか。
そう思った時、謎が解けた。こんな所で急に現れたのだ、自分の方が偽物と思われても仕方がなかった。
「あ、本物です、本物。今日はソフトの発売日だったんで、新宿に行って来た帰りです。で、ホームで先輩が走ってるの見て。なんかすごく真剣そうだったし、先輩鉢巻きして戦闘態勢だったから、つい気になって。で、ホームの下の階段から駅ビルに入って、で、駐車場の梯子ずっと登って、んで今ここにいるんです。本人ですよ、美由美です。
あ、ほら、これ、ソフトのおまけで貰ったポスター! ね?」
美由美はあわてて説明すると、背中のポスターを見せた。しかし美雪は動かない。
「えっと、そのう・・・」
折角ここまで来たが、よーく考えてみると何をしに来たのか自分でも分からない。つい追いかけてきた、というのが正解だ。
「あはは、またやっちゃった。いやぁ、あたしって考える前に走り出しちゃうんですよね、ははは。お邪魔だったみたい。すみません、帰ります。あ、でも何かお手伝いできることあったらいつでも電話して・・・」
美由美がそう言って帰りかけた時、美雪がはっとして右側、ホームのない方を見た。その視線を追って左を見る美由美。通気口の一つから煙の様な物が登り、形を成そうとしていた。幽体だ。距離14メートル。美由美はすばやく目算すると、視線を追っている間に無意識の内に構えていたPPKのウィチタ型リアサイトに幽体を入れ、上下誤差を修正すべくフロントサイトのドット四つ分銃口を上げる。希望の高さに入ると同時にトゥリガーを絞り、立て続けに三発打ち込む。この小型拳銃にはフルオートシアーも入っていないし、ノクトビジョンも、通常のレーザーサイトもない。己の技量だけが頼りだ。
三連射の塩玉の煙が消えると幽体が散っていったところだ。
「ビンゴーッ!」
PPKを突き上げてガッツポーズになる美由美。
「お見事!」と美雪が言った。その声を聞いて、美由美はほっとした。ああ、やっぱり先輩本人だ。今夜出逢ってから初めて口をきいたのだが、その声、口調。記憶にあったとおりの仲田野美雪だった。
「どーもー」と美由美はお褒めの言葉に礼を言った。
「この距離で正確に急所に当てる以上、本人ね、美由美。で、ミニミは?」
美雪は表情も一変し、いつもの顔になると話しかけてきた。
いや、あたしゃMG42のガンナーです、とボケようかと美由美は一瞬思った。でも今日はMG自体がない。それに美雪はガンマニアでもないので、米軍小隊支援用火器にミニミというのがあるとは知らないかもしれない。彼女の言ったミニミとは「ミニ由美」の略だ。つまり姫のことである。
「あ、あの子は東京みたいな人の多いとこ来ると何見るか分かんないんで。で、あたしがお使いに来たんです。
先輩こそ、どうしてここに? 先輩の会社って丸の内でしたよね」
美雪は周囲に警戒の視線を配りながら答えた。
「こっちに親戚がいるんだよ。叔母の一周忌の打ち合わせ兼ねて泊まり込みで遊びに来たんだけどね、途中で何か変なの見つけちゃって。で昼間っから追っかけてたんだ」
「変なの?」
美由美は身を低くして自分も索敵しながら問い返した。
「何て言うのかな、人間みたいでそうでないモノ」
魔性か? 美由美の神経は一気に張りつめた。単なる幽体なら出現と同時に叩けばいいが、魔性相手ではそうは行かない。
「それが何て言うのか、見たことないモノ。魔性でも、魔王でもないの。人型だし、肉体はあるんだけどね、なんかそいつの行く先々で幽体が凶暴化するみたいでさ。西口の繁華街で大騒ぎだったんだよ、さっきまで」
美雪は周囲に気を配りながらも移動を開始した。
「ま、その騒ぎが道しるべになるからね、大体移動方向は分かるんだけど。次ぎに出てくるとしたら、あっちか」
この屋上にはなんと柵がない。足をすべらせたらそのまま真っ逆様だ。安全基準とかはどうなっているのかと美由美が思っている間に美雪は眼下の線路の方を見た。
「屋上に来るの、見たんですか?」
「ううん、駅までは先回りしたんだけどね。このビルの壁をすたすたと垂直に歩いてるのを見たのが最後。で、屋上に来たんだけどね、遅かったみたいだね。幽体ばっかで、実はちょっと困ってたんだ。あたし、MP戦苦手だからさ」
そう言って美雪は苦笑した。美由美も苦笑する。
「すみません、今日はオフ仕様なんで予備マガジン、2ヶしかないんです。で、そのうち一個は実体弾なんで。あんまりお役に立てません」
「いいんだよ、美由美。なんか一人が心細くってさ。あたしもオフ仕様なんでね、殿下の札もないし。とりあえず戦闘服はいつも持ってるからトイレで着替えてそれらしい格好にはなってるけどね、手持ちの武器はこれだけさ」
そう言って拳を握る美雪。
「困りましたね、どうします、先輩」
「つき合ってくれるかい?」
「ははは、ここまで来て帰れって言われた方が悲しいっす」
二人はにっと笑い合った。
「じゃ、また先回りすっか。多分あっちの方に進んでるはずだから」
そう言い、美雪は私鉄のホームの先を指さした。
「行くよ!」
「はいな!」
二人は来た時の反対側にある非常階段に姿を消した。
第九章
美由美の荷物をコインロッカーに入れてから、駅前の掲示板で進行方向と思われる方角を確認する。その先には神社とそれに隣接する公園があった。春の桜や夏の花火大会で美由美も名前は知っていた大きな公園。ここなら幽体の不意打ちもなく迎撃できるだろう。途中、駅のロータリーに入ろうとしていたタクシーを無理矢理拾い、公園に直行する。良くしゃべる運ちゃんは二人を勝手にカップルだと決めつけていた。どう見たって女同士だろうに。しかし運ちゃんには性別はあまり関係ないようだ。ま、美雪は男装と言ってもよい格好だったし、美由美も一見すると高校生には見えない。格闘家と女子高生のコスプレと思われていたのかも知れない。
初めて行くのかい? だったら神社裏は止めた方がいいよ。暗くてムード満点だ、行くとこまで行っちゃうアツアツカップルは必ずそっちに行くんだけどね、あそこは出刃亀ならともかく、置き引きが多いからさ。俺の親父も退職後、警備員してたからよく聞かされたよ。ま、初心者なら池の周りにしときな。あの辺は丸見えになっちゃうけど、警備員や管理事務所の周回も多いから安全だよ。でも制服だと補導されちゃうかな? だったら博物館の脇がいいよ。
走行中はなんか勝手にべらべらとしゃべり、お金を受け取るとにやにやしながら去っていった。
「変なおっさん」
そう言って二人は公園に入っていった。
確かにここは広い。どうやら神社の反対側に来た様だ。目の前にさっきの博物館とやらがある。わざわざ一番近い入り口に付けてくれたらしい。余計なお世話とはこの事だ。
二人はきょろきょろしながら進む。すぐに池があった。これも大きな物だ。ボートをつなぐらしい場所もあったが、ボートそのものはない。周囲は水銀灯でそこかしこが明るく照らされており、正面にはうっそうとした小高い丘の様なものがある。その向こうが大宮の名の起こりである、荒ぶる神を祭る神社だろう。左手に池は伸びており、その遙か彼方に街の灯りが見えた。
池に沿って進む遊歩道らしき道を歩きながら、さっきの運ちゃんの台詞があながち間違いではなかった事に気づく。道そのものは明るいのだが、一歩右に、つまり池側に行くと木立で暗くなる。その下のベンチは全部がいちゃつくカップルで埋まっていた。道の左手側は斜面が登っており、その芝生でも・・・。さらにその奥には深い木立があり、ちょっとびっくりするような声があちこちから漏れている。そして木立の影にはなにやら怪しげなおじさんの姿もあり、二人に見つかると何食わぬ顔でそっぽを向く。
しかも、だ。中には明らかに女性同士、もしくは男性同士も混じっている。キスなんか当たり前だ。丁度すぐ左の芝生でOL風のおねえさん二人が抱き合い、ハイヒールの足がからみあっている。美由美も美雪も心底びっくりした。
「いやぁ、世の中、進んでるわ」
「ほんと・・・」
つい目的を忘れ、立ちつくして見とれてしまう二人。
その耳に途切れ途切れの声が聞こえた。
「あぁ、先輩・・・」
なーんかこっちが恥ずかしい。そそくさと立ち去る事にした。
ベンチは全部が埋まっていたので、二人は池の真ん中辺の遊歩道で立ち止まった。側に金属柵があったのでそこに腰を降ろす。
「どうします、先輩」
その<先輩>という言葉がさっきの光景を呼び覚まし、赤くなる二人。
「そ、そうだな、あー、
まああの変なのが出てきたら、勝手に騒ぎが起きるだろうから、待とう」
美由美が制服なので、運ちゃんの言うように補導されるとまずい。そこで二人は水銀灯下を離れ、少し斜面を登って灌木に身を隠そうとした。と、そこでは先客が盛り上がっていたのでもっと右に行く。芝生の真ん中だが、木の陰になる場所を見つけて腰を降ろした。
後ろは広場になっているらしい。木立の隙間から大学生らしい男の集団が大騒ぎしているのが分かった。美雪にはよく分からなかったが、美由美は一目で見抜いた。サバゲーをしているのだ。しかも銀玉鉄砲で。サバゲーごっこという方が正確か?
いやぁ、世の中平和だわ。美由美はそう思った。
ずいぶん時間がたった。彼等の側に何度か単独の影が近づいてきたが、二人が座っているだけなのを見るとそそくさと去って行く。
「すまんな、出歯亀。期待を裏切って」
美雪がつぶやいたその時、池の反対側で悲鳴が響いた。だが、単にカップルが痴漢か出歯亀に気づいただけかもしれない。そう思って見守っていると、すぐにその騒ぎは大きくなる。二人は跳ねるように飛び出した。池の反対側、小高い丘の左側で十人程の人影が走り回っている。そこにちらほらと見える白っぽいもの。幽体だ。
余程見る力を有さぬ限り、幽体は初めて見る者には形も見抜けない。ぼんやりとした煙の様にしか見えないのだ。美由美も美雪も最初はそうだった。慣れてから、そのコアとでもいうべき姿を捉えられるようになったが。池の反対側ではなにやらうごめく物にカップルが大騒ぎをしているようだ。
「どっち? どっちから回る?」
「右の方が近いか。でも姿を確認してからにしよう」
美雪がそう言ってじっと目を凝らした。美由美もすぐ脇に立ち、睨み付ける。
と、その、<変なの>が見えた。それは確かに人の形をしていたが赤く透き通る様に見えるだけでまるで赤い蝋でできている人形のようだった。顔に当たる部分には鼻らしきでっぱりがあるだけだ。今、丁度水銀灯の下にその姿がくっきりと見えた。
「きゃー、おばけー!」
悲鳴が対岸から響く。どうやら目に見えない幽体よりもこっちの方が怖いようだ。
「さあ、どっちに来る? 右か左か・・・
ええっ!?」
美雪が素っ頓狂な声を挙げた。それもそのはずだ、そいつはまっすぐ池に足を入れ、そのままどぶーんという音と共に水中に姿を消してしまったのだから。
「だれか落ちたぞ!」
「警察呼べ、誰か110番!」
対岸の騒ぎはその主が姿を消した後でピークになった。
「一体、何?」
「美雪先輩・・・。さっき壁を歩いてたって言ってましたよね?
ひょっとして、あいつ、ビルも池もおかまいなしに、まっすぐ歩いてるんじゃ・・・」
「!」
美雪ははっとして街の灯りを見た。もしまっすぐ来ているのだとしたら。上陸地点はもっと右だ!
ダッシュする二人。街の灯りの中心に駅があるとは限らないが、多分この辺だろう。そう目星をつけたあたりで水辺に降りる。
美雪は水際で仁王立ちになる。一歩下がり、美由美は膝撃ち姿勢が出来るようにした。
「水際ならこっちが有利! ここで阻止する」
「ロンメルだね!」
美雪にはその意味は分からなかったが、同意の意は伝わった。緊張する二人。
「ちょっとぉ、見えないでしょ?」
不意に声がする。振り向く二人の目に、木陰のベンチで抱き合うカップルが見えた。
「誰か落ちたみたいなのよ、そこどいてよ、見えないじゃない」
美由美も美雪もまた目が点になった。その抱き合うカップルは男同士だったのだ。
美雪がすぐに気を取り直し、こほんと咳払いして警告を発した。
「早く避難した方がいいぞ。ここは戦場になる」
だが男は意にかえさなかった。
「邪魔なんだったら。あんた等見かけない顔ねぇ。分かった、新入りでしょ? あたしたちは十年以上このベンチを使ってるの。扇情だろうがなんだろうが、あたしたちの愛を邪魔するのは許せないわ」
新入り? 十年? 愛? 二人は気が抜けて行くのを感じたが、すぐに緊張感を取り戻す。水中で魚がばしゃばしゃ跳ねたからだ。
「あいつはまっすぐ進む。ここにくるぞ、早く逃げな。痛い目に遭いたくないならな」
「脅してもムダよ。あたしたちの愛を邪魔することは誰にもできないの」
「うん」
あー、勝手にしてくれ。美由美はそうぼやきながらも水中に目を凝らした。どんよりとした濁りが起きている。多分水底をかき乱している奴がいるのだろう。
「早く逃げろ! どうなっても知らないぞ」と美雪。
「なによおっぱい大きいからって偉そうに」
そう言われ、美雪はきょとんとする。彼女は胸が小さい。気にしている程だ。隣の美由美に比べたらどっちが後輩か分からない。しかし、この二人には大きいらしい。当然だが。
「ねー、あの騒ぎ、あんた等なの?」
美雪が切れかけて、すごみの効いた声で答える。
「騒ぎの元凶はもうすぐここに上陸するさ。水底を歩いてるんだよ、ここに向けてな」
そう言われ、二人の男(?)は立ち上がると池を見た。
「な、なに、あれ!?」
どうやら濁りに気づいたらしい。
「分かったら逃げろ。すぐ来るぞ」
「い、いや! このベンチはあたしたちの愛の巣。誰にも譲らないわ!」
「そこまで言うなら勝手にしろ」
その時、水音がした。ぬっと水中から顔が出る。すぐ前だ。
相手が完全に実体と悟った美由美はすぐにマグチェンジをかける。実体弾に。ただし、薬室には一発、清めの塩玉が入ったままだ。この効果によっては塩玉に戻す可能性もあるので、抜いたマグはそのまま手元に置いた。
「今度こそ逃がさないよ、のっぺら坊!」
美雪が身構える。美由美が照準を合わせる。敵が真正面に来た。その手が伸び、美雪のすぐ足元の岸辺に掛かる。
「てー!」
美由美が自分で命令を発し、初弾、清めの塩玉を顔に叩きつけた。しかし、敵はびくともしない。塩も、吸わせてある霊性会の聖水も効果ないようだ。続いて0.46gの実体弾が放たれる。びしっという音と共に、額にそれを受ける敵。ぐらりと揺れる。しかし、すぐにバランスを戻した。
「効いてない?」
間違いない。今身を揺らしたのは衝撃に動かされただけだ。全く痛みは感じていない。
「なんだこれー!」
美由美が呆れた。しかし、そう言いたかったのはカップルである。何か水から出てくる。それに女が銃を撃った、二発も。でも、でも、全然効いてない。
「化け物ー!」
やっと自体を認識したが、今度は腰が抜けて動けないらしい。難儀な奴等だ。美由美はそう思った。
「はっ!」
気合いと共に美雪の蹴りが炸裂する。じゃばーんという派手な音を立てて水に没する敵。その音でどうやら周りのカップルたちがこっちに気づいたらしい。
「やばい、騒ぎになる前に・・・」
そう言いかけたとき、水面から奴が飛び上がった。3メートル程の高さまで。柔らかいはずの水底を土台に、水の抵抗を受けながらも。信じられない跳躍力だ。
奴は瞬時に地上に上がる。虚を突かれ、美雪が反応できない間に美由美が左手を軸にして足払いをかけた。
「せいやーっ!」
ばっしゃーん。
再び奴は水に落ちる。
「おーい、こっちでも人が落ちたぞー!」
無責任な誰かの声がする。だが、そんな事よりも二人は今見た物を確認したかった。
「見た? 今の」
「ふ、札が、背中に! なんか不気味なのが・・・」
そう、足を払われ、すっとんだ時に背中が見えた。その背には腰近くに一枚のお札が貼ってあったのである。
美由美も美雪も術力はない。しかし、その札が攻撃や治癒を目的としているのでは無いことはなんとなく分かった。なにか不気味なものを感じたのだ。
「先輩、あいつ抑えて!」
「おっけー! 剥がすのは任せた!」
この二人がペアを組んだことはない。去年一年間クラブで一緒だったが、なにしろ一年と三年である。同じチームになるはずがなかった。しかし、何故か息はぴったりだった。美雪が左に構えると、自然に美由美はその行動を予期し、PPKを構えると右に付いた。
来る!
奴はどうやら学習能力が全くないようだ。そのまままっすぐにまた上がってくる。今度はわざと地上に上げ立ち上がった時に美由美が連射を叩き込み動きを止める。そこへ美雪が真っ正面から挑み掛かった。奴もそれに反撃し、殴りかかろうとする。素早く奴の右側に身をかわす美雪。それを追う敵。美由美はPPKをホルスターに戻すと正面に来たその背中に手を伸ばした。しかし、奴は背部にも目があるかのように左手で美由美を軽々と突き飛ばした。衝撃で数メートル跳ぶ。だが受け身を取って回転し、そのままジャンプして再び挑み掛かる。今度は美由美を目指して攻撃してくる敵。その背に美雪が挑み掛かり、札の端を掴みかけたが、振り回す右手に突き飛ばされる。
完全に腕力だけで反応している。まるで機械の様に。力業ではかなわない。ならば受け流すしかない。
二人は目を合わせるまでもなく同じ事を思いついた。そして悟った。美由美なら、先輩なら同じ事をすると。
まるで二人はペアの退魔師のように互いの行動を信じ、同時に正反対の方向から飛びついた。
「やっちゃえー!」
「ガンバレー!」
ベンチの男(?)共の黄色い声援を受け、二人は同時に接敵した。美由美に右手が、美雪に左手が来る。二人は同時にその腕をつかみ、同じ方向に投げた。と、すぐさま上に馬乗りになり、札に手をかけるとびりっと音がしてその札がはがれかける。後一息という時、奴が片腕の力だけで跳躍した。美雪は回転しながらもかろうじて受け身を取り、身をかわした。彼女よりも軽い美由美はもっと跳ばされ、背中から地面に撃突しかけたが、ちょうどそこにあのカップルがいた。
「あーれー!」
黄色い悲鳴で我に返った美由美が猫の様に身を反らすと、男共が彼女をキャッチした。見た目よりも随分軽い美由美。男たちはその尻と乳房を掴んで一瞬嫉妬の炎を燃やしたが、すぐに背中を押して立たせた。
「がんばって!」
「さ、さんきゅー!」
再び声援を受け、美由美が立ち向かう。しかし、事態は一変していた。奴の体に変化が起きていた。両腕をだらりと下げ、背中を丸めている敵。と、その背中が割れ、何かが出てきた。
「きゃー」
「気持ちわるーい!」
その悲鳴に、気持ち悪いのはあんたらだ、と、そう言いたかったが、今助けられたばかりの美由美は言葉を飲み込んだ。
見る見る出てくるもの。それはピンク色の羽根だった。
げっ、こいつ飛べるのか!
その翼は図体の割りに華奢で細く、まるで取って付けたかのようだ。多分長時間は飛べない。おそらく歩きでは突破不可能と悟った障害物を避けるための補助推進に過ぎないのだろう。
しかし、それでも二人は真っ青になった。あの不気味な札をつけたまま飛ばれたら。あたりの浮遊霊を呼び覚ましながら飛ばれたら。
そう、二人は確信していた。元凶はこいつではない。こいつは単なる運び屋だ。問題はあの札である。あの札こそ、幽体を凶暴化せしむる元凶だ! 飛ばれる前に剥がす。これが最後のチャンスだ!
美由美は両手でPPKを構えるとその羽根の付け根に残りの重BB弾を全弾打ち込んだ。今出たばかりの翼はセミの羽根のようにもろかった。その直撃を受け、歪み、形を崩したのである。そこに美雪が飛び込んだ。一瞬早く奴が無理矢理羽根をはばかたせた。歪みのある羽根が大きく動くと、突風が巻き起こる。瞬時に数メートルも舞い上がるモノ。あの羽根の状態でこれか! 美由美は驚愕した。だが、そんな暇はない。美雪がジャンプの体勢に入ろうとしていたのだ。
今だ!
それは考えてした行動ではない。全身が勝手に動いたのだ。美雪がその屈強な足で力一杯地を蹴り、ごうと飛び上がる。瞬時遅れ、美由美がしなやかな足で地を蹴り、ひゅんっと舞い上がる。次の瞬間、美由美は美雪の上に舞っていた。その美由美の靴底を掴み、美雪が空中で力一杯放り上げる。足場の無い不安定な状況。しかし、美由美のバランス感ならなんとかする。そう美雪は信じて放り投げた。二段目のジャンプをそれに合わせ、再び美由美が跳ぶ。しかしそれでも届かない。
<そこで跳ぶ! 高く! 早く!>
緑坂の声が美由美の心に響く。よっしゃー!
空中で右足を踏ん張り、バランスを取りながらまるで目に見えぬ階段を登るように三度目の跳躍。その頂点で美由美の伸ばした右手が札を掴んだ。その途端、奴の腕が美由美をたたき落とす。ぐふっという苦痛の声をもらし落下する美由美。美雪が轟音を立てて落ちた水面のすぐ脇に、美由美が落ちた。
衝撃に背中をしたたかに打たれるが美雪がすぐに抱きかかえた。
「札は!?」
美由美は苦悶の表情を浮かべながらも右手を差し出す。そこには半分にちぎられた呪札があった。
「は、はっはっは!」
「ははは、ぐぅ・・・」
苦しみながらも笑う二人。水面に上がると周囲は人に溢れ、遠くからパトカーのサイレンが響いているのが分かった。
ここにいてはまずい。そうは分かっていても疲れ切っていた二人は動けなかった。
「だ、大丈夫? あいつ、逃げちゃったわよ!」
黄色い声が聞こえる。もう目を開ける気力もない美雪がそのまま答えた。
「あいつを・・・
あいつを操ってた呪文は破ったよ。もうあいつは無害だ」
「そ、そうなの! やったわね、お手柄よ。でもここにいたら警察が来ちゃう。
あ、弥生ちゃん、あかねちゃん、丁度良いところに! 手伝って!」
どやどやと足音が聞こえた。
「どっこいしょ!」
耳元で野太いかけ声がしたかと思うと二人は担ぎ上げられた。
「早く、こっちへ!」
パトカーのサイレンが止まった。二人は見知らぬ者たちに抱えられながら意識を失った。
第十章
目が覚めたとき、美雪はけばけばしい部屋にびっくりした。どこだここは?
ふと見ると隣で美由美がぐーすか寝ている。ベッドだ。しかも丸い。布団も丸い。何だ?
「あ、気が付いたぁ?」
黄色い声。振り向くとベンチにいたカップルの一人、背の高い方がなにやら布らしいものを持って隣室から出てきた。
服? それは美雪のつなぎだ。はっとして自分を見る。裸だ。唖然として口をぱくぱくさせる美雪。
「お洋服、すぐに乾くわ。今ランジェリー、乾かしているからね。
ここはねぇ、あたしたちのよく来るホテルよ。オーナーも顔見知りだから、事情を話したら洗濯機と乾燥機、貸してくれたの」
とりあえず美雪はまた布団に潜り込んだ。一体、何がどーなってるんだ?
辺りを見ると天井と言わず壁と言わず鏡だらけだ。ふと天井の鏡を見ると、枕元にあるゴミ箱に黄色い物が溢れている。おしぼりだ。自分の手を見ると池の泥水につかったはずなのに綺麗だった。ふき取ってくれたのか、全身を・・・。
すぐにどやどやと足音がして、6人の男(?)たちが入ってきた。けばけばしい化粧。派手な服。特にピンクハウスの男は、メーカーが見たら涙する格好だ。
「みんなあたしの仲間。もう感激よ、あたしたちの愛の巣を守ってくれたんだから」
「ええ、あたしも見たわよん。すごかったわぁ、あのジャンプ。ンもう男だったら放っておかないのに。女で残念!」
「あかねちゃん、失礼よ、あたしたちの恩人に向かって」
「あーん、ママ、ごめんなさーい」
美雪は事態に付いて行けなかった。やがて美由美も起きたが、彼女も全く理解不能という顔だ。二人してガラス張りの風呂に入れられた。出てからバスタオルに身を包んだまま、丁寧に髪を梳かれ、乾かされた。そのすぐ後に下着も服も綺麗になって渡された。美由美の制服はこの時間にどうやったのか、クリーニング屋のビニール袋に包まれて出てきたし、下着はちゃんと手洗いしてくれたらしい。コロンが炊き込まれており、ちょっと困ったが親切なのは分かったのでそのまま履いた。
「えっと、ここはどこ?」
「ここは公園のそばにあるホテルよ。みーちゃん」
自己紹介を終えた後、美由美の最初の問いにすぐに答えが返ってきたが、それを理解するのにたっぷり十秒はかかった。
「それって、つまり、その・・・。ラブホテル?」
「ぴぃんぽぉーん! この辺りじゃ一番い・い・と・こ・ろ!」
「お食事来たわよー!」と弥生ちゃんがお盆を持って来た。
「あらあら、早かったわね。さ、ゆきちゃんもこっち来て。おにぎりとね、カツ丼とラーメン、どれがいい?」
「ママのおごりよ、さ、好きなのをどうぞ!」
「もうすぐお寿司も来るわよ」
「お酒があるといいんだけど。でもみーちゃんは未成年よね? 20才になったら絶対お店に来てね。成人のお祝いしたげるわ。とっておきのがあるの。必ずよ」
「みーちゃん」こと美由美と「ゆきちゃん」こと美雪は途方に暮れながら、この黄色い声の親切を受けるしかなかった。
結局二人は弥生ちゃんの車で送ってもらうことになった。まずは大宮駅に向かい、美雪と美由美の荷物を回収した。ロータリーを迂回して今度は植竹にある美雪の親戚の家に向かった。大宮の北部にある植竹まではすぐだった。助手席を降りて美雪は別れの挨拶を弥生ちゃんと交わした。今度お店に遊びに来てね、と名刺を渡されながら。それから美由美は助手席に座り、中仙道に入って弥生ちゃんと深夜のドライブになった。その間に、大宮の街でも最近怪異現象が続発していること、そして特に繁華街で不気味な影が多いことなどを聞かされた。数時間後美咲の山の麓に来ると、美由美は車を止めて貰った。
「えー、こんな所で良いの? 家の前まで送って上げるわよ、みーちゃん。ママに言われているもの」
そうは言われても、さすがにこのけばけばしい男に送ってもらったとなると噂になるのは避けられない。
「心配しないで、あたしたちの恩人に迷惑かけたりしないから。こう見えても義理は堅いのよ」
そう言う弥生ちゃんには悪いが、頼み込んでなんとか降ろしてもらった。しかし、名前を教えてしまったし、この街を知られた以上、素性は分かってしまうだろう。それにママには拝まれてPHSの番号も終えてしまったし。もしもあの変なのが再び現れたら、今度こそ決着を付けねばならない。そのためにはママの頼みを無視できなかった。だが、ま、それも仕方ない。とにかく見た目は最悪だが、悪い奴等ではないのだから。
美由美は鞄を抱えると、深夜の我が家に帰宅した。何を言われるかとびくついていたが、ま、説明すればなんとかなるだろう。そう思っていた。
家に近付くと異常に気づいた。駐車場は一杯だし、この深夜に灯りが付いている。入り口には普段いない門番まで。
「美由美様! お帰りをお待ちしておりました!
こちら正門。美由美様がご帰宅です」
美由美に、そしてインターフォンに向かって告げる術者。何だ、一体何が?
母屋に行けと言われ、そっちに行くと、入り口で母が待っていた。おかしい。美由美の心臓は早鐘のように鳴った。冠婚葬祭以外母屋には行かないと豪語する、あの母が母屋にいる。一体何が・・・。
そう言いかけた瞬間、母の平手打ちが飛んだ。
「!」
痛かった。打たれたことよりも、母の思いが籠もっていたことが。
「一体どこにいたの! 何度も呼んだのに!
真由美ちゃんが、真由美ちゃんが・・・」
姫が? まさか!
もう歩けない。
その言葉が心で落ち着くまで数分かかった。振える足で治癒室に向かう。途中、由美がいた。冷たい能面の様な顔。昔の彼女のようだ。しかし、今はその下にある表情を察し、美由美はうつむいた。
姫の部屋の前で美由美は立ち止まった。入れなかった。そのまま立ち去ろうとした時、姫の声がした。
「みゆみぃ」
飛び上がりそうになる美由美。
「・・・入るよ」
そう言って室内に入る。三人の療術者が術を唱えている。その中央にベッドに横たわった姫がいた。たった一日ですっかりやつれていた。鳴綾高の事件の後でもこんなにひどくはなかったのに。
「お帰りなさい、みゆみぃ」
「姫・・・」
「ごめんね、ちょっと無理しちゃった」
「ばか!」
万感の思いを込め、美由美の口をついて出たのはその言葉だった。
「ばか! ばか! ばかぁ・・・」
美由美は崩れるようにベッドに突っ伏した。
「ばか・・・」
姫はベッドに流れるウェーブの見事な髪をなでた。
「ごめんね、みゆみぃ。もう一緒に歩けなくなっちゃったの。ごめんなさい」
「ばかあ・・・」
それしか言葉が出ない。しばらく泣いた後、美由美は鞄からおみやげを出した。
「ごめん、すぐ来れなくって。これ、引き取ってきたから・・・。
あんたに笑ってほしくって、きっと笑ってくれると思って・・・。それなのに・・・、なのに・・・」
姫は袋を開けてソフトを出した。一緒に欲しかったかわいい猫さんのキーホルダーもあった。その上おっきなポスターまで。
「ありがとうみゆみ。すっごくうれしい。ありがとう」
姫はにっこりと優しく微笑んだ。美由美の顔が歪む。
「違うよ、違う。あたしが見たかったのはそんな笑顔じゃない! そんなの、違う!
もっと明るくって、どーしよーもなく脳天気で、そんで、そんで・・・
姫らしい笑顔が見たかったよお!」
美由美は泣き伏した。姫はその髪をいつまでもなでていた。美由美が泣き疲れて眠るまで、いつまでも。
つづく