あれはそうさのぅ、1990年のことぢゃった。DDマガジン編集局からの帰りのことぢゃ。わしは編集者の一人と、水道橋のダンキンドーナツで遅い夕飯をとっておった。
ひとしきり仕事の話しをし終えた頃、そヤツは新規で立ち上げとる読者参加ゲームのプログラムのことで困っておると言い始めた。
人間、腹がくちると気も大きくなるもの。プログラムのプの字も知らん、「あなろぐ」派代表のわしも、つい相談にのってしもうた。
話しを要約すると、どうやら読者から冒険者を公募して、その結果で景品を出すというものらしい。選択肢が多少あるが、最終的なふるい落としはダンジョン。そこで処理を早めるために地図のオート作成と、エンカウント、戦闘結果、経験値をパパっと出せる簡単なプログラムを作りたいというのぢゃ。あくまで読者参加企画ぢゃったからグラフィックは不要。エントリーナンバーの何番が生還し、何経験入手したかが分かれば良い、ランダム性の高いもんじゃった。
そこでそヤツが悩んでおったのが、毎月読者参加数が変化することぢゃ。固定人数でパーティを組ませるとか、人数に関係なく一斉に個人個人でダンジョンに入らせるとかいろいろ言うておったが、わしにはちーとも分からんかった。
「つまり何か、至極簡単なプログラムで、マップが作れてエンカウントできて、戦闘できればいいんぢゃな?」
「それだけじゃなくて、一人でも数人のパーティでも、同様のリスクがあるものでないとだめなんです」
「なら、全員、一人づつでダンジョンに入れれば良かろう」
「時間がかかりすぎますよ。それに基本の4クラスくらいは作りたいので」
「どのクラスでも、何人でも、同様のリスクということか?」
「まぁ、突き詰めればそういうことです」
「パーティと考えずに、個人個人の集合体にすればよいではないか? 順番でモンスターと戦うようにすれば簡単ぢゃ」
「そ、そうですかね?」
「ダイス一つのランダム結果を出すプログラムがあれば十分じゃろう。16.666%でランダムに1から6まで出して、その結果を対応するものに合わせて数値化すればいいんぢゃろう?」
「それなら10%の10面体の方が楽ですね。でも、言うほど簡単じゃないんですよ。なにせ時間がありません。本誌の編集の合間にやらなくてはならないんで」
「そんなに難しいのかの?」
「多分。すでにある何かを元にプログラム化するのはできますが、白紙の状態からじゃ、どうしていいかわかんないんですよ。
何かアイディアあります?」
そう言われてしまうと、企画屋としての誇りが断ることを禁じてしもうた。数分考えて、とりあえずその場にあった紙ナプキンに表を走り書きするわし。
「まずダンジョンぢゃな。これはこんな感じで」
「げっ、もしいきなり1が出たら・・・」
「突き当たりぢゃな。四畳半ダンジョンぢゃ。無事帰れてよかったのぅ」
「ワンチャンスで終了ですか? それはちょっと」
「簡単ぢゃが、経験値はないぞ。上位入賞は無理ぢゃな」
「まぁ、確かに。でも他が全滅したら、生還しただけでもハッピーですよね」
「なんかリアリティーがこもっとるのぅ。さてはセッションで全滅したことがあるな?」
「いや、まぁ。ははは。そんなことより戦闘はどうします?」
言われて新しい表を作るわし。んでモンスター、戦闘結果、経験値、イベント等の表を次々作った。
「ま、こんなモンぢゃろうて。これを順番に、表Aで6が出たらもう一回ダイス、で表Bに照らし、1だったら・・・と。うーむ、口で言うよりやってみた方が早そうぢゃの。ダイスを出せ」
早速ダイスポーチを鞄から出す編集者。こういうところは好きでメーカーに入社した者ならではのマニア感覚。使い古したそのポーチから愛用らしき6面体を一つ出す。
「折角そんだけあるんぢゃ、色違いのd6を全部出せ」
「え?」
「一度にどっと振って、一気に結果が見えた方が早い。いいか、まず表1はこの小さいクリアレッドダイスぢゃ。トマトと書いておこう。んで2はレモン小ぢゃな。んで・・・」と、各表ごとにダイスを割り振り、決定するとそれをそヤツに一気に振らせたのぢゃ。
「えーと、じゃ、トマトは3。直進ですね。レモンは5。モンスターが出ましたよ。えっと、青が4。表で見ると、ゾンビ2匹です。戦闘はHP2ダメージ受けてこっちの勝利と。20経験で宝は・・・なし・・・」
「馬鹿者! なぜ6を出さん! このダイスで6が出ないと宝はないぞ! 怪我も直せんぞ!」
「す、すみません、ごめんなさい」
「全く、だからこんな運の悪いやつにコーラーはやらせたくないんぢゃ。よこせ、次はわしが振る。
とりゃ!!
お、見ろ、はっはっは! 宝は6ぢゃ! あっはっはっは」
「でもトマトは1です。ダンジョン終わっちゃいましたね。エンカウント判定も1ですから」
「げげっ!」
「えっと、僕はHP2ダメージで20経験。誤隠居はなにもなし、と」
「ぬぬぅ・・・」
「でも無事生還できてよかったですね」
「ええい、誰だこんなゲーム作ったの!」
「誤隠居です」
「ええぃ、黙れ、もう一度入るぞ! ダイスをよこせぃ」
中略
「はぁはぁはぁ」
「うーん、なんか簡単そうに見えますね、これだけだと。でも結構プログラム組むの、大変ですよ、これだけランダム要素があると」
「はぁはぁ。
だったらダイス振るか? 人数分」
「それはちょっと」
「振った方が早いと思うぞ。仕事の遅いお前がプログラム組んでおったら、来年まで待っても進まんわい。」
「いや、そこまで言われると・・・。でもそうかも。でも、なぁ・・・」
「でもでもうるさいのぅ。なんぢゃ、ダイス振るのはイヤか?」
「いえ、嫌いぢゃないですけど、読者参加でしょ、ずいぶん来ますよ、応募」
「んじゃ、DFCスタッフが揃ってる時に、みんなに手伝うてもらえばよかろう。毎月来とるではないか。イベントの打ち合わせで」
「え、それはちょっと」
「よいではないか、皆に説明して、納得してくれる連中だけでもよい。しかしな、多分、皆な手伝どうてくれると思うぞ。皆、RPGファンぢゃ、わし等に負けづ劣らづの、のぅ」
「ははは。こんなチープなダンジョンでも、ダイス振るのは、燃えますからね」
「チープだけよけいぢゃ!」
今思えば、この時の紙ナプキンとメモ用紙の束。これはもう立派に<だいす☆くえすと>ぢゃった。
「うむ。これはモノになるかもしれん」
ワシはそう思い、編集者の悩み事などすっかり忘れてその修正に熱中しておった。ま、当の編集者もワシの指示どうりにメモをとっておったし、なにより楽しそうぢゃった。ま、彼のストレス解消にはなったぢゃろうな、ははは。
その後、結局いろいろあっての、プログラムに頭を抱えとる編集者からバトンタッチ、ワシは新規で読者参加ゲームの一つを動かすことになった。そう、どうしてもこの表のかたまりを形にしたかったんぢゃ。なんやかやとたくさんの人に手伝どうてもろうてな、そのたび毎に簡略化を進めていったのぢゃよ。そのうち皆もワシの意図に気づき、読者参加ゲームというよりは、新ゲームのテストプレイ同様にワシにいろいろ協力してくれたのぢゃった。
こうして一時期は30ケ程に膨れ上がったダイスが12ケになった。この時のルールで読者参加ゲームは進行しておったがの、ここまでくると、とことん簡略化を突き詰めてみたくなるもんぢゃ。
「ダイスを振る」
その楽しみだけを抽出することが目的になっておったな、あの時のワシは。
で、結局入門用の簡易版と、基本ルールを知っている人用の中級編という二段階に分離したことで簡略化は一気に進み、なんとダイスは5ケにまで減り、一応の完成を見た。それまで、メモ書きをコピーしただけのルールしかなかったのが、この段階で簡単ながら1枚のシートにまとめられた。この時に基本は完成したと言えるぢゃろう。そこで次のDFCイベントで実際に参加者にダイスを振ってもらって遊んでもらうことになったのぢゃ。これがこのゲームの初お目見えになるわけぢゃな。
ところが、ぢゃ。イラストを起こしてらうために呼んだ、「殿下」が試作品を持ちかえった翌日。
「4個になりましたが」
そう言って、イラストを付けた4コのダイスを持って来た。
あれはほんにびっくりしたのぅ。殿下の仲間うちで早速テストプレイを重ねた結果、5個で限界と思っておったダイスが4ケで済むようにルールをいじってきたのぢゃ。
このように、本当にいろんな人のアイディアをまとめて、<だいす☆くえすと>が形になったのぢゃ。
テストプレイと言えば真っ先に思い浮かぶのがこれぢゃ。ほとんど毎日のようにテストプレイを繰り返しておったがの、あの夜ほど印象深いテストプレイはなかったの。この頃、ワシは知り合いに会えば必ず誘っていきなりダンジョン巡りをしておった。RPGファンならすぐに内容を理解してもらえたし、皆、そこそこノッてくれたんでな、商品化の意気込みもついておった頃ぢゃ。
そうさのぅ、多分あの日はADDのコンベンションかなにかの後ぢゃったのではなかろうか? 普段テストプレイに参加していなかった御仁もおったからのぅ。ま、おそらくはコンベンションか、その打ち合わせの帰り、夕飯を食いにファミリーレストランに立ち寄ったのぢゃろう。
夜遅かったこともあり、店はずいぶん空いておった。終夜営業の店ぢゃったから、夜間料金になった頃には、定期的に注文さえ続けていればRPGも可能という感じぢゃったんぢゃな。
その時、何人が参加しとったのか記憶は定かではない。ワシ、殿下、そしてサークル・ミッションの秋山氏、ADDAの龍崎氏はおったはずぢゃ。他にも数名いたような気がするがうる覚えぢゃ。
当時のルールは基本的に<つぅ>になったものぢゃったが、「生活費」「トレーニング」「不意打ち」「突撃」「防御」「エンカウント」「年齢」といったルールがまだ残っておった。特に年齢は数回冒険に参加すると1才歳をとるというものでな、無限に続くはずのゲームへ「引退」という「終わり」をつけるというルールぢゃった。スタート時の年齢は15歳以上なら何歳でも可。ただし、4回ダンジョンに入ると1年たち、40歳で引退というような感じぢゃ。ま、この時のテストプレイでいろいろ変更しながら行ったので、正確ではないがな。で、引退すると新しい冒険者を作るか、弟子を作るかを決めるのぢゃ。この他にも騎士、竜騎士、エルフ、ドワーフ、退魔師など、各種のサブクラスもまだまだ改正の余地があった頃ぢゃ。
そんな折なので、ワシと殿下は顔を合わせればテストプレイをしておったのでな、ごそごそと電動ダイス(ドラゴンボーン)を出して始めたのぢゃ。あれなら音もせんし、傍目にはゲームをしとるようには見えんからな。で、その場にいた連中にも、「今、こんなゲームを作っとるんぢゃが」と声をかけてみた。最初はちょっとやってみよう、という感じぢゃったが、どんどん熱を帯びてきた。数人が終電に間に合うように帰った後、残っておるのは徹夜覚悟の面々。もう本当に白熱したもんぢゃ。
この夜。無数の伝説が生まれた。殿下の戦士で初の「引退者」、エイリーク。「豪快さん」と呼ばれたワシのウィッチ(女魔道士)、カサンドラ1世。とにかく、ベテランRPGプレイヤーたちのテストプレイへの参加は大きな影響力を与えたのぢゃ。最初は興味半分で参加した秋山氏など、後半はどんどんルール改変を提案し、膨大な追加ルールが生まれては消え、変更されては統合され、最後に残ったのが
『シンプル・イズ・ベスト』ぢゃ。
基本は最低限でOK。後はエンドユーザーが自由に直せばよい。それが結論ぢゃった。やはり<だいす☆くえすと>はこうでなくてはいかんな。
DFC。DDのオフィシャル・ファン・クラブたるここは年に数回イベントを行っておった。その中でも最大級のイベントで始めて一般客に披露された時。あの大型ダイスを使った<だいす☆くえすと>はほとんど完成状態のものぢゃった。あの時なかったのはルールブックと外箱くらいだったと思うぞ。わしが打ち込んだtxtデータの打ち出しが唯一のルールぢゃったからのぅ。あの大型ダイスに張ってあったイラストはほぼ商品と同じものぢゃったしな(容積は百倍以上あったが)。
このDFCイベントではメインプログラム終了後、分科会のような形でいろいろなサブプログラムが用意されておった。コンベンションのようにゲームスタートしたら閉会寸前までプレイングのみ、というものとは全く異なり、一種のお祭りぢゃったからの、どこのイベントに参加してもOK、という感じぢゃったのぢゃよ。で、ワシが中心となって「<だいす☆くえすと>体験」というコーナーが一カ所に設けられたというわけぢゃ。
それまで雑誌で名前だけは載っておったが、実際に一般客に実物を見せたのは初めてぢゃった。それ故、何人が参加してくれるか、実はずいぶん不安ぢゃったもんぢゃて。なにせDDの監修者、「大貫先生によるQ&A」なぞという大看板もそばにあったのでの。
「最低で3人くらい参加してくれれば、後はスタッフを混ぜてなんとか形にしてみせます」
などと進行を手伝ってくれとるイベントスタッフに励まされたもんぢゃ。ぢゃが、結局全て杞憂にすぎなかった。いや、それどころか参加希望者が多すぎて、キャラシートが足りん。大慌てで駅前のコンビニにコピーしてきてもろうた始末ぢゃ。その間、ワシのだいくえに関するよもやま話で場をつなぎ、いよいよ参加者全員にキャラシートが配られた。
(写真二枚はDDマガジンから転載)
ま、多分、この時、参加者の大半、というかほぼ全てががっかりしたかもしれんの。彼らが熱を入れてやっておるゲーム、つまりDDなどのRPGのキャラシートと比べると、ほんのメモ程度のシートぢゃ。
「なんだ、新ゲームってこの程度か」
そう思い、別のサブプログラムに行った者もいたかもしれんな。
まずは参加者全員にゲームの全体を説明するのが普通ぢゃ。ぢゃが、ほぼ全員がRPG経験者であろうと踏んだワシは、ぶっつけ本番でスタートした。全員に一列に並んでもらい、先頭の参加者に、この日のために特に殿下に作ってもろうた大型特製「移動ダイス」を渡す。
「さ、振るのぢゃ」
結果が出ると、それをワシが説明する。スタッフが机の上に大きなフロアタイルを並べ、ダイスの出目に合わせてダンジョンを組む。次の人に「遭遇ダイス」を渡す。
「さ、振るのぢゃ」
モンスターが決定するとすぐに「戦闘ダイス」を渡す。
「さ、次はこれを振るのぢゃ」
振った結果をワシが説明すると、スタッフがすぐにキャラシートに書き込み、参加者に戻す。彼はその後、列の最後尾に並ぶ。もちろんキャラが生きておれば、ぢゃがな。
ワシの目論見以上に皆熱中してくれた。あまりにうるさすぎての、他から注意が出ないかと冷や冷やものぢゃったよ。ダイスは6面体。それが4個。結局24の絵の意味さえ分かれば、後はワシの説明なんぞいらん。どんどん列が移動し、強い敵が出ると列の後方からブーイングが出、それをやっつけてしまうと、今度はさらに強いブーイング。とにかく、一周した後は皆、ゲームルールが分かっているのでワシはいるだけぢゃったな。
この時の参加者の反応が、商品化を促進したのは言うまでもない。ま、こういった経緯を経て、<だいす☆くえすと>は完成したのぢゃ。
それまでのテストプレイでは通常のd6を使用し、出た目を表にあてはめてゆく形式ぢゃった。ま、ワシらは目を暗記しておったから、d6だけでできたがの。しかし、それは慣れの問題ぢゃ。それでは商品化などできはせん。単に表がついているだけで、ダイスは各自自分ので振ってもらおうというアイディアも出たが、それではわざわざ商品化する必要もない。雑誌に表を掲載するだけで十分ぢゃ。そこで、彫り込みのない、無地のダイスに何とか印刷する方法を考えた。このゲームを商品化するには無地ダイスが不可欠ぢゃったんぢゃな。
ワシが交渉したのは大阪にある、大手のダイス屋ぢゃった。ここはいろんなダイスを作っておったが、その中に「ダブリングキューブ」というものがあった。
バックギャモンを知っとるかの? あの、ダイスを二つ振って出た目だけ円盤を進めるというクラシック・ボード・ゲームぢゃ。あのルールでは掛け値を倍にするというルールがある。「これなら勝てる」と思ったら、ボードの真中に置いてあるダイスを相手に渡すのぢゃ。差し出された方が「二倍? よっしゃ受けて立とうじゃん」と思ったならそのダイスを受け取り、「やめやめ、コレ以上リスクは犯せないよ」と思うのなら降りればよいというルールぢゃ。この面白いのは、受け取った側だけが「さらに二倍」の権利を持つことぢゃな。そのダイスが手元にある者だけが「さらに二倍」コールをできるということになる。
この特殊なダイスには印刷で「2、4、8、16、32、64」という数が入っておる。最初は二倍、次ぎに4倍等々ぢゃな。んで、このダイスを二倍づつにするという意味で「ダブリングキューブ」と呼ぶのぢゃ。
話しが脱線したかのぅ。つまりぢゃ、ワシが注目したのは、この「ダブリングキューブ」は印刷なのでフラットのままということぢゃ。つまり、ここに好きな絵を印刷できるのぢゃよ。
早速電話したワシは、その会社の社長殿からいろいろと価格をうかがった。ダブリングキューブが一色印刷なので、各面それぞれで一色印刷なら、全面色を変えることもできること。ただし、フルカラーなどの多色印刷はやったことがないのと小さいので色版のズレが出るため難しいということ。そういった話し合いの結果、印刷前の無地ダイスを譲ってもらうことになったのぢゃ。
で、このダイス。その大阪のメーカーさんではクラフトダイスと名づけておったが、ワシ等は勝手にこう呼んでおった。
「とうふだいす」と。
さて、これにどうやって印刷するか。印刷屋に相談してみたが、やはりスクリーン式しかない。それをあの大きさに6回行うとなるとなかなか面倒な工程になってしまう。カラーにした場合、「色ズレ」も起こるであろう。だが、それを防ぐ結果、値段が上がってしまっては元も子もない。何かいい解決方法はないものか。
そんなことを考えておった時ぢゃ。DFC会員へのダイレクトメールの準備をしておったのが目に付いた。そのシールラベルを見た瞬間、「これぢゃ!」と叫んだもんぢゃ。
再度印刷屋の営業殿と打ち合わせ。ビク抜きで、型を一つ作れば可能なことが分かった。ビク抜きというのはシールだけを形に切っておくことぢゃ。これでそのままはがして貼ることができる。もちろんカラー印刷ぢゃ。その上にPP加工(トレーディングカードのようにカード表面を丈夫にするため、皮膜を貼ること)し耐水&色落ち処理すればOK。
無地ダイスにシールを張る。
こんな簡単なことを思いつくのが、実は一番苦労したといえるぢゃろう。これが解決した瞬間、商品化が一気に具体化を帯びてきた。
イラストは当然「殿下」に任せることになった。箱絵だけは名の知れたイラストレーターに頼んだら、とメーカーサイドから言われたが、ワシ等にとって<だいす☆くえすと>はもはや殿下の絵以外考えられなかったんぢゃよ。ゲーム自体手作りぢゃ。だったら、イラストも全部手作りっぽい方がよかろう。そういう経緯で、総て殿下に任せた。ダイスの絵だけは手書きイラストのままでは数字が読みにくかろうということで、セル画を起こしてもろうた。が、もちろんその絵も殿下のモノクロイラストをトレースマシンにかけて色を付けてもらったというわけぢゃ。当時DDマガジンで「ガゼッタワールドへのいざない」という連載を故O貫先生が行なっておったが、その連載のイラストを描いていた平井久司(FM企画。H・H名義)の本業がアニメーターなのでな、セル画起こしはすぐに終わった。
ダイスは転がるのが仕事ぢゃ。そこでシールは表面にPP加工を加え、「数年でも遊べる」耐久性を与えた。こんなとこでこだわったので、メーカーサイドからもクレームが来たがの、ダイスは<だいす☆くえすと>の命ぢゃったからな、押し切ったのぢゃ。
次いで箱。これにはずいぶん苦労した。ワイシャツの胸ポケットに入る大きさを目標にしたんぢゃが、最低限、とうふだいすの厚みは必要。ルールとダンジョン記録シート、そしてキャラシートも中にそのまますっぽり入れることで、いつどこでもその箱さえあればできるようにしたかったんぢゃよ。
本当は消しゴム付きの小さな鉛筆も入れる予定ぢゃったんだが、これはコスト的に諦めるしかなかった。で、出来あがったのが<だいす☆くえすと>というわけぢゃ。箱のレイアウトも総てワシが一人で作った。プロに任せる予算もなかったしな。それに、手作りにこだわりたかったんぢゃ。
ま、今だから言えるがな、実はあの箱の小ささにはずいぶんクレームが付いたものぢゃ。お店サイドからは「小さすぎて万引きされるのでは」と言われてしもうた。それに小さいのでダンボールに入る数が多くなりすぎてしまった。通常、問屋からは箱(カートンと呼ぶがな)単位で注文を受けるので、なるべく注文しやすいように6ケとか12ケといった少ない数にまとめるのが基本なのぢゃ。ところが<だいす☆くえすと>の小箱では100も入ってしまう。小さいダンボールを考えたが、今度は輸送サイドから、「輸送中の紛失が予想される」と断られてしもうた。
当時は二千円くらいのカードゲームが流行っておっての、その箱の大きさに統一するとよいのではと大手問屋殿から意見もいただいた。しかし、それでは当初の目標ぢゃった、手ぶらのままでいつでも持ち歩けるという方向性から外れてしまう。標準的な価格の二千円にしてダイスポーチを付け、それで持ち運んでもらったらという中間アイディアも故O貫先生からもらったが、結局は小さな箱で押しとおす方を選んだのぢゃ。中身もゲーム内容に合わせて必要最低限にする方向性ぢゃ。
しかし、箱の大きさに対するクレームで一番困ったのは印刷サイドからのものぢゃった。印刷した後、まず箱を組み立てるのぢゃが、小さすぎて機械ではできない。で、結局人間が全部処理することになったのぢゃ。箱への組み込みもクレームの嵐。まずとうふだいすを4ケ入れ、ルールその他を入れ、蓋をしてシュリンク(透明の袋詰め)。これ総てがサイズの限界を超えており、機械が使えないのぢゃ。
で、結局工場の人達だけでは足りんで、印刷の営業殿等々、数十人の応援を呼んで倉庫で一箱一箱組み上げるという夜なべ作業になってしもうた。
新しいモノを作るというのは本当に大変なことぢゃとつくづく思い知らされたもんぢゃよ。
やっとのことで商品が出たのは1990年も終わりに近い、11月になってからぢゃった。最初、生産した数の半分くらいが問屋さんを通してお店に流れていった。残り半分。果たして追加注文は来るぢゃろうか。いや、それ以前にお店に並んだ半分が売れるぢゃろうか。たとえ<わん>が売れなくても、三ヶ月後に発売予定ぢゃった<つぅ>だけはなんとか販売したい。そう思ったワシはいろんな出版社へ<だいす☆くえすと>を持ち込み、それぞれの担当氏を誘って<だいす☆くえすと>を一緒に遊んだもんぢゃ。
大抵の反応は「すぐ死ぬ。これじゃ面白さを分かる前に諦めるんでは」という否定的なものぢゃった。だが、ある編集者(彼はRPGファンだったのぢゃが)は試作品を一度やっただけで、「サンプル貸してください。絶対気にいってくれるライターさんに心当たりがあります。必ず記事にします」。そう言ってくれた。各社のRPGやカードゲームのカタログを作成中だった企画製作会社でも、「新規でダイスゲームのジャンルを作ります」と言うてくれた。賛否両論ぢゃったがな、とにかく可能性はあった。角川書店刊「コンプティーク」誌でのモニター募集、エニックス社(当時)刊「ガンガン」誌への景品提供等、コネのあるところはほとんど周り、ワシとしてやれるだけのことはした。<わん>に関しては結果待ち以外ない。ワシ等はハラハラしながらも、<つぅ>の作成にいそしんでおった。
最初の1週間。ほとんど反響はなかった。ところが、ある日、数通の手紙がメーカーに届いておった。自作の追加ルールの投稿が来たのぢゃ。もともとワシらはこう考えて商品化した。
ゲームができる最低限のみを提供する。後はエンドユーザーが自由に作る
このテーゼが実現したんぢゃな。その日から、毎日、たくさんの手紙が届くようになった。高すぎるという抗議の手紙もあったが、反響が大きかったことは確実ぢゃった。ゲームデザイナーの伏見健二氏からも、「シンプルだがゲームバランスがよい」という手紙をいただいた。HPが二桁あるRPGに対し、HPが2とか3の<だいす☆くえすと>では「一打撃」の意味が大きく異なる。戦闘をd6、つまりたった6種で処理するようにした以上、HPに対するバランスは本当に時間をかけてテストプレイし続けておった。それを分かってくれたのかと、スタッフ一堂、感謝して回し読みしたものぢゃ。
ついで問屋さんから大量の再注文が相次ぎ、12月もクリスマスの時期になると、DFCイベントの景品を確保するのがやっとという状態になった。つまり、「完売」ぢゃ。
一番喜んだのはワシと殿下ぢゃったろうな。しかし、テストプレイに参加してくれたDFCスタッフやゲームサークルの諸氏も喜んでくれた。で、翌年早々、<つぅ>の発売に合わせて再生産が決定され、二月には両方が店頭に並んだ。この再生産で、一番悲しい思いをしたのは製造工程の皆さんぢゃったろうなぁ。まさかすぐに再生産がかかるとは、とかぼやきながら、一箱一箱手で詰めてゆくことになったのぢゃから。すまんのぉ。ほんに。
しかし、この再生産も見込みが甘かった。すぐに売りきれてしまったのぢゃ。ゲーム雑誌やファンタジー雑誌などが取り上げてくれた結果、広告以上の効果があった。ライター諸氏も「確かに死にやすいが反面生還した時は感動もの」「どうすればもっと面白くなるか」という前向きな姿勢で記事を書いてくれた。
ワシらが当時流行っておったカードゲームのユーザーに、RPGの楽しみを知ってもらおうと作ったこのゲームは、ダイスゲームというジャンルでありながら、単独の存在ではなかった。カードゲームとRPGの橋渡し、いわゆる「ブリッジゲーム」として捉えておった。そして、レビューが載ったある雑誌で、ワシらの「ブリッジゲーム」はこう名付けられた。
セミRPG
この言葉には目から鱗、という感じぢゃったな。ワシ等の目標を見事に現してくれておった。
冒険に目的を加えた<つぅ>も好評ぢゃった。エンドユーザーからのアイディアは多岐にわたり、その結果、91年4月には一ユーザーが改造した<わん>の投稿ルールが基本となり、新ゲームが誕生。<すりぃ>として商品化されたのぢゃ。黒い箱の奴ぢゃな。
この時、<だいす☆くえすと>はワシ&殿下から離れ、独り立ちしたのだと思うておる。ゲームルールの調整も根本的に<だいす☆くえすと>に合わないものを指摘するだけで、後はメーカーのスタッフに任せた。ま、「監修」ぢゃな。レイアウトもDDマガジンの編集者に頼み、ついにはイラストさえも殿下の手を離れた。こうしてワシ等の「だいくえ」は<だいす☆くえすと>として再誕したのぢゃ。
アイディアは提供した。後は自由に作って欲しい。そう考えておったワシは無地シール、汎用キャラシート等をセットした<だいす☆くえすと・あくせさりぃ>を7月に商品化した。自分で改造して遊んでほしかったのぢゃ。
一方、ワシと殿下は新しい方向性を探っておった。<わん>と<つぅ>を作る段階で消えていった無数のルール。そして無数のシステム。フロアタイル使用の<たいる☆くえすと>、チットを使った<だいす☆くえすと・すぅぱぁず>、ダイスを元の8個に戻し、パーティプレイを重視した<超・だいす☆くえすと>、逆に一人プレイ専用の<そろすぺ>、メタルフィギュアとカードを使用したボードゲーム、<だいす☆くえすと・でらっくすぅ>、怪奇モノの<KQ>、SFの<ミッション1>、妖精育成モノの<フェアリーマスター>、混沌の戦士が主役の<カオスブラッド>、O貫氏もデザイナーとして参加予定だった究極の<だいす☆くえすと・あどべんちゃー>。そして<ひつじさん>や飛行機モノの<ウィニー・ウィング・ウィニング>等の番外編。
とにかくアイディアはありすぎたので、テストプレイががしがし行われたもんぢゃ。次々と絞られて行く中、7月末にSS(そろすぺしゃる)が、そして生誕1年を迎える91年11月にはアメリカ・ラルパーサ社に特注した「ぐゎるまのベストセレクションMF4体」付きのDX(でらっくすぅ)が発売された。
さらに翌年の予定では、ルールが完成しておったM1(ミッション1)とKQ1(かいき☆くえすと左)などがイラスト作成段階に入っておった。その他、92年中に合計6点の新作を業界に発表しておった。
この時、シリーズ全体の販売数は4万個に登っておったのぢゃ。
終わりは本当に突然ぢゃった。メーカーがゲーム業界から撤退することになったのぢゃ。
「来る21世紀は知育玩具の時代」
それがメーカー会長の方針ぢゃった。社長から抗議してもろうたが、会長の意思は固かった。生産計画は総て休止。広告予定も総て白紙。本当にたった一夜にして<だいす☆くえすと>は終焉を迎えた。呆気ない幕切れぢゃった。
こうしてワシの手元には無数の企画のみが残った。その中でも、特にKQ1は雑誌宣伝もしていたために、なんとか発表したかった。イラストもルールも完成しておった。外箱もほとんど出来あがっていたのぢゃ。
しかし、残念ながらワシには個人で印刷を依頼するだけの資金がない。諦めるしかなかった。けれど、いつまで経ってもあきらめきれなかったのぢゃ。その結果、同人ゲームとして<超>シリーズをスタートするに至ったわけぢゃ。