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| ラオス・ルアンプラバン(Luang Phabang)のプーシー(Phusi)の丘から 東側山並み/朝日を見る。 |
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*ラオス地図 |
| ラオスの歩き方 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ラオスの旅行事情 1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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* この情報は、2000年春に ラオスを約4週間一人旅した際の情報に その後の7週間の旅情報を追加・補正しています* 西のムアンシンから東のサムヌア、北のポンサリーから南のパクセー・アッタプーまで ラオスの「西東-北南」を 陸路(バス)で 数年に亘ってではなく 年月を空けず 走破しています。 nifty.comの「ワールドフォーラム・アジア館(fasia) メコン新聞」にも掲載されています。 *** 2000年 秋・2週間の旅事情を このフォントの色で 補足しました。 *** 2001年 新春・3週間の旅事情を このフォントの色で 補足しました。 *** 2001年 夏・2週間の旅事情を このフォントの色で 補足しました。 お役に立つとは 口がさけても言えませんが ひとり旅で遭遇した「危険」(ハプニング)を 綴っているページが こちらに あります。 |
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| 2000年 春 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2000年 秋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2001年 新春 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2001年 夏 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ラオス25日間2000年04月06日にフェーサイから入り 陸路主体に 北西から北東 そして 南へ移動し パクセーから05月02日にタイに出ました。乾季のこの時期しか移動できない方法をあえて 選択しました。 これまで ラオスには サイヤブリを除く ラオス16県を踏破しています。 行 程タイ・チェンコンから メコン川を渡って フェーサイ(フアイサーイ)/ルアンナムタ/ムアンシン/ウドンサイ(ウドムサイ)/ポンサリー/ハットサ/ムアン クァ/ノンキァウ/ルアンプラバン(ルアンパバン)/(ノンキァウ)/ヴィエンカム/ヴィエントン/ナ ムヌーン/サムヌア/。。。。 ヴィエンチャン(ビェンチャン)/タケーク/サバンナケート(サワンナケート)/パクセー(fパークセー)/アッタプー/セコン/サラワ ン/バクセー そして ムアンカオ・ワンタオから タイのチョーンメック(チョンメック)。。。。 です 。 サムヌア/ヴィエンチャンの飛行機、ハットサ/ノンキァウの川下り・船以外は バス
・トラックでの 現地人に紛れこんだ 約4週間の一人旅でした。サイヤブリー県とチェンクワン県以外は 足を踏み入れたことになります。
結果的に 過去を含めて タイ・ラオス国境越えを 飛行機・船・バス・徒歩の 4種類経験しています。
2000年の秋には 2週間 タイ・ノーンカイから「友好橋」を渡って ヴィエンチャン/バンビエン/ルアンプラバン/(パックモン)/ウドンサイ/ルアンナムタ と移動し ルアンナムタからは 飛行機でヴィエンチャンに 戻り 再度「友好橋」を経由して タイに入りました。 2001年大晦日、新春を どうしても ラオスで迎えたくて(春のピーマイラオとの雰囲気の違いも肌で感じたく) タイ・コーンケーンでVISAを取得し ムクダハンから サヴアンナケートに渡り ラオス南部を 3週間 さ迷い歩きました。 大晦日は ボラバン高原の「タッロー・リゾート」で ラオスには につかわしくない場所で 優雅に21世紀の到来を迎えました。 出国は パクセーから 新しく出来た メコン橋を越えました。 2001年の夏・雨期に 2週間 タイ・コーンケーンのラオス領事館で VISAを取得し 友好橋を渡り 北東部サムヌアから ナムヌーンを経由して シェンクワン/ポンサワン/ジャール平原へ 移動しました。 ラオスでは 事情が大きく相違すると感じますので 無謀とはおもいますが ルアンプラバン以北を「北部」「北シリーズ」、以南を「南部」「南シリーズ」として 使い分けて記述しています。 通 貨当然 ラオスの通貨はkipですが ラオス愛好者は 何等かの形で タイ・バーツの
感覚に親しんでいると思いますので 気 候乾期の真只中で 雨はほとんど体験せず 北部のウドンサイ・ボンサリーで 各1日
朝方に小雨程度と 南部のアッタプーで1日だけ 雷を伴う4時間程度の大雨を経験しただけでした。 情報源日本国内で入手できる ラオスの情報源・ガイドブックとしては「lonely p..、ラオス
」版と日本の「旅行.、メコンの.」版と思いますが 今回は詳細記述という点で「lon..」版を使用しました。
2000年の5月に 何とも中途半端な情報ではあるが 「地球の歩き方 ラオス版」が 出版された。 移 動結果として ラオスの客輸送として使用されている全種類・サイズの手段を経験したと思います。
飛行機での国内移動は ラオス航空のみです。地方飛行場では まだ レーダー装備が未熟であり 悪天候の場合には 相当な危険を覚悟する必要がある。日本外務省も 機材に不安がありとの注意喚起。ルアンナムタ=ヴィエンチャンは ジェットだったが 大半は プロペラ機。 多分 オンライン化していない為だろうが 往復切符の購入は困難で 帰路便は 到着した町のラオス航空事務所に出向いて購入。地方でも 出発の時は 飛行場で 必ず パスポートのチェックがされる。搭乗案内は無いので 現地人の動きを注意してみていて 合わせる必要あり。飛行場に直接出向いて 購入できることもあるが ヴィエンチャンでの 国内線航空券購入は ラオス航空事務所のみで購入可で 外人は 国際線用の窓口へ。座席指定は無いので 窓側座席を希望するならば 先手必勝。支払は USドルのみ。 移動/北部北部では 一度だけミニバスを経験しましたが 基本はトラックの荷台にベンチを取りつけたもの(タイでいうソンテオ)のみ。
移動/南部ヴィエンチャンから南方面に走る国道13号線には バスの横に日本の国旗を印した
新車の韓国製のバスが日本政府援助により導入されており乗り心地は快適。 バスターミナル北部のターミナルは ほぼ街中にあり 徒歩での移動も可能だが 南部では 必ず 街
外れにあり 街中との移動は 値段交渉前提の 小型トラック・トゥクトゥク等利用が
不可欠。タケークとパクセーでは 北方面と南方面バスのターミナルが別々。 道路/北部少なくとも フェーサイとルアンナムタ間は 道幅拡張工事進行中ですが 小川に橋がなく 舗装もなく 水はけ悪く 雨期の増水時には陸路での移動は極めて困難 というより 不可能の状況。
道路/南部南部のメコン川と平行する国道13号線は 日本の援助もあり ハイウェーともいえる程 立派に整備済み。数年前のガイドブックには このルートの陸路移動は困難、メコン下り以外は不可能とされていたのが嘘の様。逆に 現在は 現地人も船の利用は激減の様子。
荷 物荷物は 北部ではトラックの屋根の上が基本で 直射日光・土ぼこり・激しい振動に耐えられる荷造りが必要。また トラック内の足下に置くとしても その上に重い荷物が載せられる ドンと座られる 他の荷物の水汁を浴びる 匂いが着くことも充分想定す る必要あり。 南部では バス内持込み バスの屋根の上 トランクを経験しましたが 北部と同様の注意が必要。サラワンとパクセー間の韓国製の古いバスでは トランク内に 生きた豚2頭が そのまま格納されるのを見ました。荷物が一緒だったら? 到着後 掃除する のだろうか? 宿泊 その1「visit Laos year」効果もあり 新しい快適な宿泊施設が出来ていますので ガイドブックに頼らず 到着後 自分の足 あるいは ターミナル等での聞き込みが不可欠。
街外れにあることも。 宿泊 その2北部の そこそこの建物のG/Hで 看板はラオ語・英語・中国語の併記でしたが 白人宿泊者は皆無でした。不思議に思い 受付の主人を見ていると 一切英語を話さない
で応対し 白人が敬遠している様子。 後で 主人は相応に英語を話せることが解り 尋ねてみると 英語しか話さない横柄者は積極的に対応しない方針とか。ディスカウント交渉当然可能ですが 宿泊代は相場の2倍で表示していました。
おかげで 現地人宿泊客から 生の情報を ゆっくり仕入れることができ こんな泊まり方もあるものと 感じました。当然ですが 北部では中国人、南部ではベトナム人宿泊客との交遊も楽しめます。 |