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●タタールとたたら

 日本列島で昔より行われてきた製鉄法に、「たたら製鉄」があります。 「たたら製鉄」の語源についても諸説ありますが、その中の1つにタタール人との関係が上げられています。 一般的には遊牧民族とされているタタール人ですが、高い青銅文化を持ち鉄の生産とも深い関わりがあるようです。
 砂鉄と木炭を混ぜて鉄を得るには高温を維持しなければなりません。それには人工的に風を送る「鞴・吹子(ふいこ)」が不可欠です。 日本書紀には「天羽鞴(あまのはぶき)」という皮袋の鞴が登場します。これは鹿の皮を全剥にして作ったとされています。 この皮袋の鞴は、もともとタタールから中国・朝鮮半島と経由して日本に伝えられたと考えられています。
 「もののけ姫」に登場した山陰地方のダイダラボッチ(踏鞴法師)、鍛冶と暴風を司る神様らしいですが、 このダイダラボッチ(踏鞴法師)などは、「たたら製鉄」の技術を持った渡来人だったのかもしれませんね。

 さて、日本書紀の「天羽鞴(あまのはぶき)」という皮袋の鞴の話ですが、鹿の皮もなめさないと硬くて使い物にならないと思うのです。 では、誰が皮をなめしたのでしょうか?それは、神功皇后三韓征伐の折の捕虜に熱皮術の長けるものがいたそうです。
 現在では、どのような方法がとられたのか想像もつきませんが、インディアンの手法を参考までに。

 1.鹿から傷つけないように皮を剥ぎ取る。
 2.皮に付いている毛、脂肪を削ぎ落す。
 3.鹿の脳みそを溶かしたお湯の中に浸す。
 4.取り出した鹿の皮をきつく絞り上げる。
 5.絞り上げた鹿の皮を強く引き伸ばす。
 6.日陰で良く乾かし、手で揉み柔らかくする。

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●恐怖のタタール人

 中央アジアの騎馬民族タタール人って、ヨーロッパの人々からはとても恐れられていたようですね。 タタールの意味はギリシア神話のタルタロス(tartaros)、冥王ハデスが支配する死の国のさらに下、地下世界の中でも最底部に広がる暗黒の奈落。
 ロシア(その頃はルーシといい、今のウクライナの首都キエフが政治・文化の中心)でさえ「タタールのくびき」といって属国化されていました。
 タタール人の強さは何といっても機動力と残虐性、それも騎馬民族ならではの戦法で。 一人で多頭数の馬を駆り、乗り潰した馬は片っ端から滋養強壮剤がわりに食べてしまう。 敵が守備を固める暇もなく滅ぼしてしまうのですから無敵ですね。

 しかし、乗り潰した馬の肉なんて煮ても焼いても硬くて食べられたものじゃないはず。 そこで、タタール人は馬の鞍の下に肉を置き、自分の体重で加圧することにより柔らかくするという方法をとったそうです。 つまり、この硬い肉を柔らかいミンチにして美味しく食べながら、加熱してないのでビタミンも摂取できる。 恐るべし「タルタルステーキ」。

 そういえば、韓国料理にも「ユッケ」という生肉料理がありましたね。やはり「ユッケ」もタタール人が朝鮮に伝えたのでしょうか?
 ユーラシアの東の果てと西の果てに同様の料理が存在することを考えると、どうも食肉文化の起源は中央アジアにありそうですね。

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●ハンバーグのルーツ

 最もポピュラーな料理のハンバーグ、そもそもはどこの国の料理なのか?人気者にしてはいささか正体不明の感があります。
 起源は諸説さまざまですが、通説では「ハンバーグステーキ」というぐらいですからドイツ北部の都市ハンブルグからといわれています。 ドイツのハンブルグ地方で「タルタルステーキ」を焼いたことがハンバーグの原点であるとか? そういえば、ドイツの肉屋ではメット(未加熱のソーセージの具材)をパンに塗ったものを売っているそうです。(食べても大丈夫なのかしら?)
 しかし、日本では馴染みの「ハンバーグステーキ」ですが、ドイツでは「ドイッチェステーキ」とか「ジャーマンステーキ」といわないと通じません。

 それでは、ハンバーガー大国といわれるアメリカ料理かというと、決してアメリカ生まれではないようです。 1860年代における挽肉機の発明後、アメリカのセントルイスで開催された世界博覧会で、 広場のスタンドでハンバーグを焼いて売っていた店が、食べやすいようにパンにはさんで売り出したのが始まりです。 ちなみにパンにソーセージをはさんだホットドックも同様です。

 そこで、ドイツ料理の「タルタルステーキ」を調べてみると、ドイツ人と同じように生肉を食べていたのが中世ロシアに住んでいたタタール人だとか。 タタール人が食べていた生肉料理がドイツに伝わって「タルタルステーキ」と呼ばれるようになった?
 では、中世ロシアに住んでいたタタール人とは?

 タタールあるいはタタルは、北アジアのモンゴル高原から東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動した モンゴル系、テュルク系、ツングース系の様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族名称である。 タタールと呼ばれる人々の実態は多様であり、その名が用いられる時代と場所によって指し示す民族は異なる。 現在では、ロシア連邦内のヴォルガ川中流にあるタタールスタン共和国に住むタタール人、ウクライナ領のクリミア自治共和国に住むクリミア・タタール人などが 自称の民族名としてタタールを称する。中国の少数民族のひとつタタール族は、中国領に住むタタール人のことである。 語源は古テュルク語で「他の人々」を意味した Tatar(タタル)で、中国語では韃靼(だったん)、ロシア語では Татар(タタール)といい、 西ヨーロッパの諸言語では伝統的にはもっぱら Tartar(タルタル)と呼ばれてきた。 日本では、伝統的には中国から伝わった韃靼を使っていたが、現代ではロシア語風にタタールと呼びかえることが一般的である。(Wikipedia)

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●肉屋と郵便

 国会の郵政民営化の話で、例えによく登場したドイツの郵便局事情。そのドイツの郵便局といえばカタツムリ型のラッパ(ホルン)マークが目印。 ちなみに日本の場合は(〒)ですね。このラッパマークの起源は中世の肉屋にあった?
 中世ヨーロッパにはきちんとした郵便制度というのはありませんでした。 都市の肉屋ツンフト(職人の同業者組合、ギルド)の仕事といえば、近郊の農村に出張して家畜をハムやソーセージなどの保存食に加工すること。 肉屋は農村に着くとラッパ(ホルン)を吹いて、「肉屋が参りました。御用の方はいませんか。」と村人に知らせたそうです。
 そのうち、都市と近郊の諸農村を定期的に行き来する肉屋に目をつけ、彼らに手紙の配達を頼む人が出てきました。 とりわけ確実にはやく届けられるというメリットから、上流階級などから大きな信頼を得ていました。
 この肉屋の吹いていたラッパ(ホルン)がドイツの郵便のシンボルとして現在に引き継がれています。

 さて、郵便配達を兼業としたドイツの肉屋ですが、日本人がイメージする肉屋とは少し違います。 日本の肉屋のようにスキヤキ用の薄切りの肉など、用途別に肉を切るのが仕事ではなく、前段でも述べたように、 家畜をハムやソーセージなどの保存食に加工することが仕事です。
 それというのも、スイスのように山国なら戦争も大変なので外国も攻めるのに容易でありませんが、ドイツという国は平坦な土地が多く、 古来よりドイツ民族は隣国から攻められたり逆に隣国を攻撃したりという歴史を繰り返してきました。 攻められたら食料を持って逃げる、攻めるときは食料を持って攻める。平和な時でも越冬のために、 肉も日持ちがするようにハムやソーセージに加工しておく必要がありました。 ドイツの逸品、各種ソーセージ類はそのような環境から生まれたのでしょう。

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●人間と家畜の歴史

【牛の歴史】
 牛の祖先は絶滅した原牛オーロックスが家畜化されたものです。紀元前7,000年代、地中海東岸地方、特に小アジアからパレスチナ地方で 家畜化されるとともに比較的早く各地へ伝わり、南はエジプトへ、東はインドのパンジャブ地方へと伝わっていきました。
 日本列島では弥生時代の遺跡から家畜牛の遺骨が出土しています。年代にして紀元前400年ごろです。 日本列島で飼われるようになった牛は、主にアジア大陸で家畜化されたものが、渡来人によって持ち込まれたものと見られています。 現在わが国に出回っている国産牛肉には、肉専用主(和牛)、乳用種、交雑種(和牛と乳用種)、外国種などがあります。 和牛には黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種の4種類があり、いずれも明治時代に農耕用の在来種外国種を交配して改良されたものです

【豚の歴史】
 豚は猪が家畜化されたものです。猪の家畜化は世界各地で行われ、紀元前6,000年代のヨルダンの農耕遺跡から出土した豚の骨が世界最古のものです。 紀元前5,000年の新石器時代のスイスの遺跡から発掘された泥炭豚も、家畜化の初期の豚と見られています。 その後、エジプトやアジアの東部、南部で飼われ、紀元前900〜500年ころにはヨーロッパ各地に広がっていきました。 中国では紀元前1,500年ごろに、すでに食用として飼育されていました。 1880年代に入ってイギリスを中心に西欧諸国で多くの品種が作り出され、アメリカでも品種改良が進められました。
 わが国では、弥生時代にはすでに、鶏とともに豚もいたとされています。しかし仏教の伝来後に食肉が禁じられたため、 沖縄以外では豚は飼われませんでした(実際に食用にしていたという説もあります)。明治初期からは全国的に養豚が行われ、欧米の品種が数多く導入されました。

【鶏の歴史】
 鶏の先祖は、現在でも東南アジアの熱帯圏に生息している赤色野鶏で、紀元前5,000年前後に中国やインドで家禽 (肉や卵をとることなどを目的に家で飼われる鳥の総称)化され、東西へ広がっていったとされています。
 鶏がわが国へ渡来した年代は明らかではありませんが、中国大陸から朝鮮半島を経て渡来し、紀元前数百年にはすでに飼われていたとされています。 その後、平安時代から江戸時代の初期にかけて中国大陸や東南アジアから新しい品種が入ってきましたが、江戸時代末期までは、 肉用より主に時を告げたり闘鶏、愛玩が目的で飼育されていたようです。 食用が定着してからも、長い間鶏卵用の廃鶏で間に合ったため、肉生産を目的とした養鶏はほとんど行われませんでした。 現在、わが国に出回っている鶏肉のほとんどを占めるブロイラーの飼育は、1940年代にアメリカで始まり、 わが国では50年代中ごろから行われるようになりました。