| メディア規制三法案 |
| この法案は確かにやろうとしていることや目的とすることは良いと思います。しかし、このあまり練りこまれていないのになぜ今つくる必要があるのか疑問です。まだ、充分修正できるはずです。また、人間を良くするということは考えられていないし信じてもいない法律だとこれはいえます。 とくに今回提出されはしませんでしたが青少年有害社会環境対策基本法案とは上の人がうえから下をみて勝手に決めたとしかいえない低レベルなものです。法律として高レベルなのかもしれませんが、思想や人間性というものをかなり無視しています。 今回の法律はあまり必要性を感じません。修正すれば使いようがあるかもしれませんが今のままでは弊害が大きすぎるように感じます。また別の話し合いですがこの不景気に配偶者控除を無くすという話し合いといい一体なにを考えているのかよくわかりません。 |
| 思想性、人間性の欠如、人間の機械的支配の始まりか? |
| 人間を制御するのは簡単です。法律という雛型をつくりそれに当てはめるだけです。国からみればそのようなものです。しかし、これでうまくいくはずはありません。それは歴史が示しているし民主主義国家にそんなことできません。しかし、今回の法律はそういう要素を匂わせます。こういったことは今回で終わるとは思えません。なぜなら原因が考えられるからです。 |
| 倫理観、モラルの欠如 |
| 倫理観やモラルを数学のように線引きするのは難しいと思います。しかし、必要なことというのはわかるでしょう。モラルハザードといわれている現在でもいきなり人を襲ったり、盗むことをしてはいけないくらいはわかるでしょう。 もし、そういったこともなくなるかも?と考えるとどう思いますか?どうにかして、何とかしたいとおもいませんか?それを法律でしようと考えた結果が今回だと思います。一応、色々ニュースではモラル感倫理観を取り戻そうとがんばっていたようですが戻っていません。 つまり、モラルがなくなったためいろいろ法律が作られているんです。少年犯罪が増えすぎ収集がつかなくなったから18歳だったのを14歳から逮捕できるようにしたんです。今回の規制も同様です。普通に悪さをしない人が多ければ必要がない法律です。 勘違いしてはいけないのは悪さをする人は0.1%もいれば十分多いのです。1000人に1人もいれば十分な数でしょう?大学の講義なら1人くらい発狂して暴れる人がいるかもという計算になります。(実際いるから怖いが…(TT)。) |
| 法律の意味がかわっていないか? |
| 悪さをする人がいるからそれを取り締まるものだったように私は思うのですが、いつのまにか法律にないものは何しても良いに変わっていないでしょうか?これは充分なモラルハザードです。モラルが全くないといってもいい。 人に悪いことをしないのは、嫌われるからだとか報復を受けるだという低レベルな考えじゃなくなっていないでしょうか?私がちがっても周りにそういう人が増えていませんか?たしかにそれもあるかもしれないんですが。本当のモラルってそういうものではないように思います。 そういうモラルではやってはいけないことは細部にわたってすべて法律化しなくてはいけなくなります。現実にそういう手段で平和にしようという良かれと思いはためいわくなことをしたい人もいるようです。 ただ、そうしなければ収集がつかない世の中なのも事実なので私個人としては嫌でも、日本全体としては「あったほうがましかなあ?」とおもい反論できないというなさけないこともたびたびあります。 |
| ヘリクツしかこねられない知力 |
| ヘリクツ自体は悪いと否定できないけど、低レベルなヘリクツを言う人がいます。この文章だけでも、たくさん思いつきます。ヘリクツって何?低レベルってどこまで〜?とかだ。これの意味のなさ。説明しなくてもある程度納得して話をするものなのに、そこまできていない人が目立つ。また、わざとやっている人も同じです。
そして、問題はそういうこといっててなんの話ができるのか?暇つぶしの話し合い、これも必要だけど、いざ国がとか会社、小さいのになれば会社などの難しい(難しくないかもしれない)話をしなければいけないとき、できないんじゃないか?いるだけになっていないか?考えるまでもない意見をいっていないか? 物事というのを、数字などではっきり線引をして判断するのは、学校で言えば幼稚園も出ていないことと同じだ、と私は思います。宗教などで言われる、中道や、いずのめの思想、などはそんなことでは考えられないものです。世の中は、数字での計算だけでなく、物事の折り合いをつけたりする、事柄に対する計算も必要でしょう。つまり、臨機応変というやつです。線引を極端にまですると、極端な話、赤信号の真中で、おじいさんが立ち往生していても、助けにいけません。赤信号だからです。こういうようなことが起きます。しかし、ある程度は線引きが必要なのも事実です。ようするに線を引きすぎてはいけないということです。線を引くと思考が簡単にできるようになりますが、最終的にうまくいくはずはないと思います。世の中はある程度はあやふやなもんです。 インターネットが普及してきてこれでは、知的好奇心が薄れているのかなあと思えます。広辞苑や六法全書などがデジタル化され検索も簡単になっていますからね…。また、最近よく感じるのですが、わかりやすい本が出版されるようになってきました。細野真宏さんなどがかかれている本などはわかりやすいです。 最後に私が何人かにパソコンのことを質問されて教えていたときに感じたことですが、自分で勉強していてわからず聞いてくる人はそれだけでは役に立たないけど後で役立つような知識をもっていたり、自分でやったところまでは身についているので教えるのが簡単です。また、教えだしてしばらくすればコツをつかんで自分で調べることができるようになります。 逆に教えにくい人は今回知りたいこと以外のことはすべて拒否されます。教えるほうと教えられるほうの立場が逆転しています。こういう人に限って教えた以外のことができないように感じます。 ・余談 順序や礼節っていうのは嫌でも守らないとうまくいかないようです。そのとき嫌でも守っておけば結構いいように進むようです。人間は完璧じゃありません。まちがったことをいってしまうものです。 |