”塚越仁慈 油彩画”



「精霊流し」の 思い出のメッセージを 長崎の方々から 頂きました。
おはなさんは 島原育ちで 現在は沖縄在住です。
まつさんは 対馬から長崎市に来られました。
videoboyさんは 長崎市 在住です。
亡くなった方を偲びつつ 浄土へ見送る優しい思いが 伝わってきました。
さださんの精霊流しの歌のイメージは、「ここにあり」と 感じます。



こんばんにゃ 投稿者:おはな  投稿日:08月27日(木)22時48分27秒

小学1年生の初めての精霊流しは、大好きなおばあちゃんの船でした。

竹を組んだ船に、切り子灯籠がひらひら揺れてとてもきれいでしたが、私は泣いて

海まで送ることができませんでした。

さださんのエッセイ、本当にその通りだと思いました。

島原では最近担ぎ手がいなくて、まったく船に関係ない人が担ぐことも多いそうです。

地域の班長さんとか・・

そういうことも精霊船をおみこしに変える原因かもしれませんね。




精霊流し 投稿者:まつ  投稿日:08月28日(金)01時28分46秒

自分で担いだ精霊船は、高校3年の時。島原での祖父の船でした。

藁と竹で作った船にたくさんの切り子灯籠。燃やさぬようにそろりそろり

と親類みんなで担いだ。親類の心がひとつになって 乗っているじいちゃんに

語りかけるように ゆっくりゆっくりと。

そのころはもう泳いで流すことはなく、岸壁から漁船に曳航されていきました。

藁と竹の船が何百メートルも進むわけもなく

しばらくすると、暗闇の海に船が傾きます。切り子灯籠が少しずつ消え

完全に横倒しになったとき すべての灯籠が消えた。

「あー」岸壁で見送る人から ため息がでる。

1メートルでも長く 浮かんでいてほしいという気持ちだろう

「じいちゃん 帰っていったね」と涙声の叔母。

「泳ぎがたっしゃかけん 泳いでかえってくっさ」と笑わせる叔父。

つい昨日のように思い出された。

NO@!ボックス



re.精霊流し 投稿者:tac@videoboy  投稿日:08月28日(金)14時59分41秒

私が担いだのは2年前、父の精霊船でした。家族手作りで

ほとんど弟が作り上げました。 流すところが町内なもんで

新地経由の県庁坂おりのコースをとりました。

後ろには、母の田舎の切り子灯籠をつけてましたが、島原のと違って

千々石のは燃えやすいのか・・・、新地あたりで燃やしてしまいました。

すきな長崎くんちにでる孫の姿を見ようと、くんちまで頑張ってくれた父で

したが天国に旅立ってしまいました。

その時の映像は、下記の古いページにありますのでお暇なときにでもどうぞ。m(__)m

videoboy



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