特別篇「タシケント・スペシャル」2000年7月


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7月7日(金)
 欧州便ならば東京を8時頃には出なければならないところ、今回のタシケント行きはソウル経由で成田発は午後で朝余裕があった。が、その余裕を過信して荷物のパッキングをせずに前夜寝てしまったため、かえって朝は大わらわに。最初はトランクに詰め始めたが、同行者を荷物で待たせるのが嫌だったために結局全部機内持ちこみにまとめる。パリで買ったキャスター付きのカバン、ガーメント、通勤カバンの3点だ。
 タシケントは日差しが強いと警告を受けていたので、成田で帽子、メガネ装着用のサングラスを購入。これに加え、マルチタイプの電源アダプターを。ウズベキスタンはヨーロッパタイプのコンセントと聞いていたが、帰りの中国が不明だったため。
 なお、今回は現地でプレゼン用資料を作る可能性も高かったため、購入して間もない大判のダイナブックを持参した。

 トランジットの金浦空港ではラウンジにあるコンピュータがインターネットにつながっていたため、ガーター亭にアクセスし、文字コードを日本語にセットし、あまつさえホームページをガーター亭にすると言う狼藉をはたらいてしまった。後から来たアメリカ人(推定)はガーター亭を見て首をかしげていたが、彼もサクサクと文字コードを欧米に直してしまい、好きなページを見ていた模様。その後係りのお姉さんが巡回してきてすべてのパソコンをちゃんとデフォルト化していったので、我がガーター亭の栄光は数十分の命であった。が、「お気に入り」にも登録しておいたのだが、あれはどうなっているだろうか。。。

 タシケントに着いてホテル入りする頃から、腹が張るような感じになってくる。早速恐れていた胆石の発作に近い症状が。油っこいと聞かされていたウズベキスタン料理を一口も口にしないうちからこれでは先が思いやられる。早々に寝る。


7月8日(土)
 腹が圧されるような感じが続き朝食も昼食はとらず。午後3時からの市内視察まで寝て過ごす。
 タシケントは60年代の地震後に建てられた建物が市街中心地の大部分を占めるため、「ソヴィエト」している町なのだが、それでも集合住宅の建物の壁の意匠などはイスラムである。また、結構街路樹が多いがその維持にはスプリンクラーを多用している由。官庁街や大統領府、また、立派な建物には必ずと言って良いほど噴水があり、水が富の象徴なのかと勝手に納得。しかし、タシケントの水の大量使用はアラル海の塩害の原因となっているのだそうだ。
 市内視察では旧市街地に行く。昔ながら(と言っていつ頃からなのか分からないが)の土作りの建物、モスク、神学校などを回る。バザールでは山のような量の香辛料、野菜などに圧倒される。砂漠の中の町と言うような印象を勝手に持って来ていたが、農産物は非常に豊富である。しかし、同じ品揃えの店(というか売り子)があんなに多数並んでいて共存していけるのだろうか不思議。

 同行者は韓国料理屋で夕食ということだが、部屋にひきこもる。そう、ここはスターリン時代?に沿海州地域?の韓民族をソヴィエトが強制移住させたとかで、韓民族が多く、韓国料理屋が中華料理屋などよりはるかに多いらしい。ソウルから直行便が飛んでいるのもそうした所以か。
 ルームサービスでカレーを食べたが、これが非常に油っこく、失敗。


7月9日(日)
 昨日の油っこいカレーがよくなかったらしく、調子は一向によくならない。が、韓国料理屋には「うどん」や「おでん」もあると言われ、夕食は皆と一緒にそこへ。たしかに「うどん」があった。本当はビピンパが食べたかったがさっぱりしたものということで冷麺を。小皿やご飯、スイカまで出てきて、良い夕食だった。なお、往復とも一行のうちウズベキスタン3回目と言うこの地域の「通」の指導で白タクをひろう。彼はトルコ語ができるので、運転手ともコミュニケートしているらしい(よく分からないが)。整備の悪い道をガンガン飛ばすので、少し怖い。
7月10日(月)
 今回の仕事である会議が始まる。アジア太平洋地域40数カ国から平均2、3人ずつがやってくる結構大きな集まりである。
 韓国の代表がプレゼンにパワーポイントを使ったので、ファイルをコピーさせてもらう。デスクトップの画面やタスクバーもハングルだらけだが、同じウィンドウズなので字は読めなくても簡単な作業はできてしまう。おそるべしマイクロソフト。

 会議場は宿泊しているホテル内で、朝昼食ともビュッフェ込みになっているので、ホテルから出なくても生活できてしまうのだが、このビュッフェが曲者で、今の状態のワタクシには食べられるものは野菜とパンくらい。メインとおぼしき料理の種類は結構豊富だが例外なく油ギトギトなのである。しかし、「冷麺」のおかげか調子は大分上向きに。

 夜は会議主催者主催のレセプション。昔はロマノフ朝の皇族が住んでいたとかいうレセプションハウスは内装がイスラムしていてとてもきれいだが、目のくらむような感じにはサント・シャペルを思いだしたりする。いや、こちらが本家なのか。
 レシービングの際の民俗楽器とおぼしきラッパや太鼓を除けば普通のカクテルパーティだったが、一室ではなぜかジャズヴォーカルのお姉さん+ピアノトリオという構成の音楽付であった。
 来るときはバス2台を連ねてホテルから来たのだが、韓国、キルギスの人々と歩いて帰る。キルギスの一人は見た目はまったく日本人のように見えるのだが、彼女自身も国際会議の場では日本人とよく間違われるとのこと。旅費の節約でよりリーズナブルなホテルに泊まっているのだそうだ。ちなみに主催者指定の我々の宿(シェラトン・タシケント)は、朝昼食込みで一泊130ドル。まあ、会議込みのレートなのだろうが。にしても、これはウズベキスタン人の平均月収約3カ月分である。完全な物価二重構造。
 二重と言えば、為替レートも二重なのだ、この国では。いや、闇レートという話ではない(もちろん闇もあるだろうが)。ホテルにある「公式の」両替所では1ドル=650ソム程度なのだが、「本当の」レートは1ドル二百数十ソムらしい。現に、ホテル内のバーで支払いをする際、ドル立ての価格とソム立ての価格はその「本当の」レートで換算されている。ということは、ドル立てで請求されても「ソムで払えるか?」と訊いてOKならば、両替所でドルをソムに交換してきて払うと価格は半分以下になるということ。まったくまか不思議なからくりである。


7月11日(月)
 生水はだめとのことでミネラルウォーターを飲んで暮らしているが、歯磨きにまで使うのはばかばかしくなってきたので、水道水を使うようになる。

 夜はホスト国であるウズベキスタン側主催のレセプション。これは、築数十年とおぼしき「迎賓館的巨大建物」で。連邦の一員だった頃は、友好国から党幹部などが来たときに使われた建物なのだろうと想像させられる。着席の食事だったが、最初から最後までショータイム(笑)。
 民俗楽器の合奏(レパートリーにバッハも含んだりする)、弦楽四重奏、民俗舞踊、ロックバンド(レパートリーに民俗音楽も含んだりする)、女性3人ヴォーカルグループ(ウズベキスタンのスパイクガールズという声も)、八代亜紀(古いか)ばりの演歌歌手、松崎しげる+北島三郎みたいな感じのおじさん(シナトラ、プレスリーを歌いまくる)という豪華出演者陣で「現代ウズベキスタン音楽の諸様相」とでもいうべき2時間であった。面白いことは面白かったが、結構広い会場に音を響き渡らせようとPAはかなりの大音響で、ワタクシの席はスピーカーのまん前であったため隣の人とも話はできず、終了後ホテルへ帰っても耳がジンジンと痛い状態であった。


7月12日(水)
 昼休みにホテルの小さな売店で本をみていると売り子のお姉さんが片言の英語で話しかけてくる。「どこから来たのか」くらいは良いとして、車の雑誌の表紙を指して「自分はこの車が好きだ」(BMWだった)「私のようにこの車は大きい」(確かにロシア人で背も高く大柄であった)とか。。まあ、暇をもてあましていたか、英語で話してみたい年頃(?)なのだろう、と解釈。
 彼女にウズベキスタンの料理の本はないか?と訊ねたところ、ここにはないとのこと。売っている場所を教えてくれれば買いに行くと言うと、明日自分はオフだから探してきてやる、と。到着時にお会いした在留邦人の話では、ウズベキスタンには出版産業はなく、本はすべてロシアで印刷されている、とのことだったが。。半信半疑で、それでも彼女の好意に甘えることにする。
7月13日(木)
 一つの議題についてタイの代表と共同でプレゼンをすることになっており、分担などについて打ち合わせ。こちらがパワーポイントを使うことを伝えると、自分たちも使いたいとのこと。準備してきているのかと訊くとこれから作るとのこと。機械は持っているのかと訊くと貸してくれとのこと(笑)。先方の配付資料原稿のフロッピーを使って、指示に従ってパワーポイント用にごく簡単なレジュメのようなものを同行者が作った。
 と、ここまでは良かったのだが、作業効率を高めようとこちらのハードディスクにコピーした先方のワード文書のファイルが、なんとウィルスに汚染されていたのだ。本当か嘘か分からないが、アンチウィルスソフトにそう警告されてしまった。そのファイルはあわてて削除したが、他のファイルに汚染されていないかチェックする羽目に。非常に時間がかかったが、他は大丈夫とのことでとりあえず安心。
7月14日(金)
 タイとの共同作業を見ていたカザフスタン代表がやってきて、自分のプレゼンにも使わせて欲しいとのこと。こちらは作成中のウェブサイトの中身をCD−ROMに焼いて持参しており、デモンストレーションが行われた。すると、地元ウズベキスタンも負けじとこれは出来合いのCD−ROM(ウズベキスタンの民族文化に関するもの)を見せたりした。我々も感謝されてパソコンを持ってきた甲斐があったというものだ。"with the Japanese technical assistance"というのが、一種のはやり言葉になって受けたりしていた。そうそう、遠くタシケントの地で稼働早々大活躍したダイナブックにとっても本望であったことだろう。

 休憩時間に売店に行くと、例の彼女はちゃんと料理本を探してきてくれていた。しかも、英語、ウズベキスタン語、ロシア語の三カ国語版という理想的なもの。町の本屋で見つけて買ってきてくれたのだそうだ。大変だったとのことだがそうだろう。感謝感激である。お礼を言って買わせて貰う。

 夜は現地邦人関係者と食事だったが、そこに余興で民俗楽器のグループが来た。演奏後、楽器を見せて貰う。打楽器奏者のワタクシとしては、月曜日のレセプションの時から気になっていた大きなタンバリンのような太鼓をさわらせて貰う。直径30センチ以上する大きなもので、鳴らすには相当の力がいる。
 これはどこかで探して買って帰らねばという思いを更に強くしていたところ、なんと、その楽器を売っても良いとのこと。セミプロなのに自分の使っている楽器を売るなんて、とも思ったが、価格交渉にはいる。使っていた楽器の他にもっと良いのも持っていると言われ控え室へ(ということは予備楽器?で演奏していたということだが、それは不問(笑))。確かにその40年使いこんだもの(本当か??)の方が良い音がする。しかし、楽器を彼がまた買うのは簡単ではあっても、本当に40年使い込んだものを売るのだろうかというのは大きな疑問。が、まあ、それも不問。50ドルと言われたが、一応値切ってみて、ケース込みで150ドルが100ドル(ケースの方が高いというのが不思議)というところに落ち着いた。お互い大満足。


7月15日(土)
 午前中は自由時間だったので、美術館まで歩いて行ってみる。途中のどが渇いたのでコーラを買ったり露店を冷やかしたりしたのだが、子供へのみやげとしてピンバッジを探していたはずが、気が付くとそれに加えてずいぶんと立派な昆虫や蝶の切手のコレクションを買ってしまっていた。美術館の売店では古いカメラとか絨毯とか色々なものを売っているのだが、家族が好きな「石」をいくつか買う。
 デパートというものにも行ってみる。昨日と同じような楽器が大分安く売られていたが、これは一見しただけで分かる「安物」。試奏はしなかったが、まあ、おもちゃのような音しかしないであろう。昨日買えて本当にラッキーであった。
 昨日の楽器もそうだが、町に出るとこちらの感覚からすればひどく物が安い。それでも、観光客相手の露店などは、向こうにしてみれば結構ボロい商売なのだろう。
 帰りはタクシーに乗ってみる。もちろん白タクである。言葉は全く通じなかったが何とかなった。

 その後、招待された陶芸家の家へ行く。有名な親子二代の陶芸家(亡くなったその更に父親が初代とのこと)で親日家であった。親父さんの方は英語は通じないので息子(恐らく20歳台)に通訳をして貰う。親父さんは金沢の陶芸工房?でしばらく仕事をしたこともあるとのことだ。プライヴェートな美術館のようになっており、先代の遺品から彼らの作品も見せて貰った。色や形、意匠など、この地に遠い昔から興隆したその時々の流行を踏まえて、いくつかの流儀によって作られている。大変美しい。昼食をごちそうになる。

 会議も最終日になり、参加者たちともひとまずお別れである。キルギスの代表が集合写真を撮ってくれ、メールで送るとのこと。郵便よりメールの方が確実な手段なのだそうだ。後で気が付いたのだが、デジカメで撮ったわけでもなし、どうやってメールで送るのだろうと不思議には思う。

 キャビアが安くてモノも良いと聞き、明日経由地としてお世話になる北京の担当責任者(日本人)へのおみやげに探す。結局ホテルのレストランで分けて貰う(この地ではモノは誰でも売ってくれるということを学習)。500グラムで19000円というのが最低量であったので2つに分けて貰い半分は東京まで持ち帰ることにする。単なる発泡スチロールの箱で保つかどうか不安だが。

 夕食は同行者と2人で韓国料理店に行く。が、レストランはショーをやっていてショーのチャージがかかると言われ、食事だけならとバーコーナーへ案内される。韓国料理店と言っても日本食もあり、何しろバーコーナーだから隣にお姉さんが座って親切にメニューを説明してくれる。私はビビンバ、同行者はカレーライスを注文。ところがこれがなかなか出てこない。当然の成り行きとしてビールを飲む。そのうちに隣のお姉さんにオレンジジュースを飲んで良いかと訊かれ、ただのバー状態に突入していった。
 まあ、ジュースならかわいいものだと思い、日本だったらあなたはコニャックなどを飲まなければいけないのであるなどと得々と説明し、食事が終わる頃にはビールを私はウォッカ、同行者はジントニックに切り替えたのだが、後で請求書を見ると何のことはない、それぞれの単価は以下のとおり。
 ビール2700ソム、ビビンバ3500ソム、カレー3000ソム、ウォッカ700ソム、ジントニック3800ソム、ジュース4500ソム(!)。隣の女性の飲むものは世界共通と言うことか。
 マッサージもあるなどと散々引き留められたが11時には退散した。


7月16日(日)
 タクシング中にも携帯電話での話をやめないウズベキスタン人と一緒にウズベクエアでタシケントを出発して北京へ向かう。北京では10年来の親しい友人が直接の担当者となっているので非常に気楽である。北京に来るのは10年ぶりであるが、空港が非常に非常にきれいになっていて驚く。空港から市内へ向かう道も立派な高速になっていて驚く。市内はまるで新宿か何かのようになっていて驚く。と驚いてばかりであった。何でも昨年の建国50周年に間に合わせるため非常な突貫工事で整備されたのだそうだが。なお、空港も高速も円借款でできたと聞かされる。
 また、素材は牛の皮なのでそういう問題はないはずだが、楽器の通関にはうるさいと脅かされた。実際にもめた例があるのだそうだ。彼女も赴任4ヶ月にして色々な目にあっているらしい。が、無事にパスする。

 夕食は中華料理だったが非常に美味しく、タシケントの味に浸かっていた我々には夢のよう。主催してくれた担当責任者(友人の上司)はキャビアが大好きと言ってくれ、ほっとする。別に変質したりもしていないようだったし。


7月17日(月)
 午前中のアポから古天文台の視察、昼食、空港と回る予定だったが、何と自分の分のキャビアと切手コレクションをホテルに忘れてきてしまい、ワタクシは古天文台をパス。

 にしても、北京の渋滞もいい加減ひどい。また、何かの秩序というものはあるのだろうが、旅行者の目にはそれが全く見えず結構怖い思いをした。

 前回見ることもなかった天安門広場というものを目にすることができる。何かの記念館に入る列が延々延々とできていたが、今日中に入れるとは思えないほど長く並んでいた。いずれにしても、今度はプライヴェートで来て観光してみたいものだ。

 10年前には空港には免税店などなかったのではないかと思うが(紹興酒というものがそもそも空港のレストランになく、ぬるい五星ビールを飲んだ記憶は明確にある)、充実ぶりはソウルやパリと変わらないくらい。タシケントもいずれはそうなるのだろうか、と懐かしく思ったりしつつ機中の人となったのであった。


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