トランジットの金浦空港ではラウンジにあるコンピュータがインターネットにつながっていたため、ガーター亭にアクセスし、文字コードを日本語にセットし、あまつさえホームページをガーター亭にすると言う狼藉をはたらいてしまった。後から来たアメリカ人(推定)はガーター亭を見て首をかしげていたが、彼もサクサクと文字コードを欧米に直してしまい、好きなページを見ていた模様。その後係りのお姉さんが巡回してきてすべてのパソコンをちゃんとデフォルト化していったので、我がガーター亭の栄光は数十分の命であった。が、「お気に入り」にも登録しておいたのだが、あれはどうなっているだろうか。。。
タシケントに着いてホテル入りする頃から、腹が張るような感じになってくる。早速恐れていた胆石の発作に近い症状が。油っこいと聞かされていたウズベキスタン料理を一口も口にしないうちからこれでは先が思いやられる。早々に寝る。
同行者は韓国料理屋で夕食ということだが、部屋にひきこもる。そう、ここはスターリン時代?に沿海州地域?の韓民族をソヴィエトが強制移住させたとかで、韓民族が多く、韓国料理屋が中華料理屋などよりはるかに多いらしい。ソウルから直行便が飛んでいるのもそうした所以か。
ルームサービスでカレーを食べたが、これが非常に油っこく、失敗。
会議場は宿泊しているホテル内で、朝昼食ともビュッフェ込みになっているので、ホテルから出なくても生活できてしまうのだが、このビュッフェが曲者で、今の状態のワタクシには食べられるものは野菜とパンくらい。メインとおぼしき料理の種類は結構豊富だが例外なく油ギトギトなのである。しかし、「冷麺」のおかげか調子は大分上向きに。
夜は会議主催者主催のレセプション。昔はロマノフ朝の皇族が住んでいたとかいうレセプションハウスは内装がイスラムしていてとてもきれいだが、目のくらむような感じにはサント・シャペルを思いだしたりする。いや、こちらが本家なのか。
レシービングの際の民俗楽器とおぼしきラッパや太鼓を除けば普通のカクテルパーティだったが、一室ではなぜかジャズヴォーカルのお姉さん+ピアノトリオという構成の音楽付であった。
来るときはバス2台を連ねてホテルから来たのだが、韓国、キルギスの人々と歩いて帰る。キルギスの一人は見た目はまったく日本人のように見えるのだが、彼女自身も国際会議の場では日本人とよく間違われるとのこと。旅費の節約でよりリーズナブルなホテルに泊まっているのだそうだ。ちなみに主催者指定の我々の宿(シェラトン・タシケント)は、朝昼食込みで一泊130ドル。まあ、会議込みのレートなのだろうが。にしても、これはウズベキスタン人の平均月収約3カ月分である。完全な物価二重構造。
二重と言えば、為替レートも二重なのだ、この国では。いや、闇レートという話ではない(もちろん闇もあるだろうが)。ホテルにある「公式の」両替所では1ドル=650ソム程度なのだが、「本当の」レートは1ドル二百数十ソムらしい。現に、ホテル内のバーで支払いをする際、ドル立ての価格とソム立ての価格はその「本当の」レートで換算されている。ということは、ドル立てで請求されても「ソムで払えるか?」と訊いてOKならば、両替所でドルをソムに交換してきて払うと価格は半分以下になるということ。まったくまか不思議なからくりである。
夜はホスト国であるウズベキスタン側主催のレセプション。これは、築数十年とおぼしき「迎賓館的巨大建物」で。連邦の一員だった頃は、友好国から党幹部などが来たときに使われた建物なのだろうと想像させられる。着席の食事だったが、最初から最後までショータイム(笑)。
民俗楽器の合奏(レパートリーにバッハも含んだりする)、弦楽四重奏、民俗舞踊、ロックバンド(レパートリーに民俗音楽も含んだりする)、女性3人ヴォーカルグループ(ウズベキスタンのスパイクガールズという声も)、八代亜紀(古いか)ばりの演歌歌手、松崎しげる+北島三郎みたいな感じのおじさん(シナトラ、プレスリーを歌いまくる)という豪華出演者陣で「現代ウズベキスタン音楽の諸様相」とでもいうべき2時間であった。面白いことは面白かったが、結構広い会場に音を響き渡らせようとPAはかなりの大音響で、ワタクシの席はスピーカーのまん前であったため隣の人とも話はできず、終了後ホテルへ帰っても耳がジンジンと痛い状態であった。
休憩時間に売店に行くと、例の彼女はちゃんと料理本を探してきてくれていた。しかも、英語、ウズベキスタン語、ロシア語の三カ国語版という理想的なもの。町の本屋で見つけて買ってきてくれたのだそうだ。大変だったとのことだがそうだろう。感謝感激である。お礼を言って買わせて貰う。
夜は現地邦人関係者と食事だったが、そこに余興で民俗楽器のグループが来た。演奏後、楽器を見せて貰う。打楽器奏者のワタクシとしては、月曜日のレセプションの時から気になっていた大きなタンバリンのような太鼓をさわらせて貰う。直径30センチ以上する大きなもので、鳴らすには相当の力がいる。
これはどこかで探して買って帰らねばという思いを更に強くしていたところ、なんと、その楽器を売っても良いとのこと。セミプロなのに自分の使っている楽器を売るなんて、とも思ったが、価格交渉にはいる。使っていた楽器の他にもっと良いのも持っていると言われ控え室へ(ということは予備楽器?で演奏していたということだが、それは不問(笑))。確かにその40年使いこんだもの(本当か??)の方が良い音がする。しかし、楽器を彼がまた買うのは簡単ではあっても、本当に40年使い込んだものを売るのだろうかというのは大きな疑問。が、まあ、それも不問。50ドルと言われたが、一応値切ってみて、ケース込みで150ドルが100ドル(ケースの方が高いというのが不思議)というところに落ち着いた。お互い大満足。
その後、招待された陶芸家の家へ行く。有名な親子二代の陶芸家(亡くなったその更に父親が初代とのこと)で親日家であった。親父さんの方は英語は通じないので息子(恐らく20歳台)に通訳をして貰う。親父さんは金沢の陶芸工房?でしばらく仕事をしたこともあるとのことだ。プライヴェートな美術館のようになっており、先代の遺品から彼らの作品も見せて貰った。色や形、意匠など、この地に遠い昔から興隆したその時々の流行を踏まえて、いくつかの流儀によって作られている。大変美しい。昼食をごちそうになる。
会議も最終日になり、参加者たちともひとまずお別れである。キルギスの代表が集合写真を撮ってくれ、メールで送るとのこと。郵便よりメールの方が確実な手段なのだそうだ。後で気が付いたのだが、デジカメで撮ったわけでもなし、どうやってメールで送るのだろうと不思議には思う。
キャビアが安くてモノも良いと聞き、明日経由地としてお世話になる北京の担当責任者(日本人)へのおみやげに探す。結局ホテルのレストランで分けて貰う(この地ではモノは誰でも売ってくれるということを学習)。500グラムで19000円というのが最低量であったので2つに分けて貰い半分は東京まで持ち帰ることにする。単なる発泡スチロールの箱で保つかどうか不安だが。
夕食は同行者と2人で韓国料理店に行く。が、レストランはショーをやっていてショーのチャージがかかると言われ、食事だけならとバーコーナーへ案内される。韓国料理店と言っても日本食もあり、何しろバーコーナーだから隣にお姉さんが座って親切にメニューを説明してくれる。私はビビンバ、同行者はカレーライスを注文。ところがこれがなかなか出てこない。当然の成り行きとしてビールを飲む。そのうちに隣のお姉さんにオレンジジュースを飲んで良いかと訊かれ、ただのバー状態に突入していった。
まあ、ジュースならかわいいものだと思い、日本だったらあなたはコニャックなどを飲まなければいけないのであるなどと得々と説明し、食事が終わる頃にはビールを私はウォッカ、同行者はジントニックに切り替えたのだが、後で請求書を見ると何のことはない、それぞれの単価は以下のとおり。
ビール2700ソム、ビビンバ3500ソム、カレー3000ソム、ウォッカ700ソム、ジントニック3800ソム、ジュース4500ソム(!)。隣の女性の飲むものは世界共通と言うことか。
マッサージもあるなどと散々引き留められたが11時には退散した。
夕食は中華料理だったが非常に美味しく、タシケントの味に浸かっていた我々には夢のよう。主催してくれた担当責任者(友人の上司)はキャビアが大好きと言ってくれ、ほっとする。別に変質したりもしていないようだったし。
にしても、北京の渋滞もいい加減ひどい。また、何かの秩序というものはあるのだろうが、旅行者の目にはそれが全く見えず結構怖い思いをした。
前回見ることもなかった天安門広場というものを目にすることができる。何かの記念館に入る列が延々延々とできていたが、今日中に入れるとは思えないほど長く並んでいた。いずれにしても、今度はプライヴェートで来て観光してみたいものだ。
10年前には空港には免税店などなかったのではないかと思うが(紹興酒というものがそもそも空港のレストランになく、ぬるい五星ビールを飲んだ記憶は明確にある)、充実ぶりはソウルやパリと変わらないくらい。タシケントもいずれはそうなるのだろうか、と懐かしく思ったりしつつ機中の人となったのであった。