<その次の策>
医師は早速次の手を打ってくれた。昔一緒に働いていたつてからこの処置の権威という人を捜し出してくれたのだ。彼はJR東京総合病院に勤務しているという。電話などで打ち合わせをした上で、経緯の説明をした上で相談するために妻と共に新宿のこの病院まで出かけてくれたのが木曜日であった。火・水と血液検査の結果が芳しくなく(おそらく月曜日の処置で炎症を胆管の出口の辺りが炎症を起こしていたのだろう)、ものの食べられない生活が続いていたが、この日の朝の検査結果により昼食からは久しぶりに食事ができると喜んでいた日である。
ところが、昼前に看護婦さんが来て言うには、「ちょうど食事をしていないのであれば今日でもすぐにとってしまおう」と先方の医師は言っているので、食事をしないように、とのこと。今日いきなり転院などと言うことは想像ていなかったし、大体、転院してから検査などしてからの処置というのが普通ではないか、と訝りながらも、救急車に乗って新宿へ。救急車による移動というのは初めてのことだったが、サイレンを鳴らして赤信号も通過し、渋滞中の車と車の間を縫っていき、あっという間に到着した。
妻によれば、吉祥寺の医師は丁寧に説明しようとするのだが、JRの医師は大体の状況をすぐに理解したらしく、「とれると思いますよ」と簡単に言ったとのこと。何でも年間この手の処置を500回しているのだそうだ。処置前に直接受けた説明も大変あっさりしている。こちらは先日の4時間にほとほと参っているので「どのくらい時間がかかるでしょうか?」と訊くと「20分ですね」とのこと。「万一とれなかったとしても30分でやめることにしています。それ以上そのまま続けるよりはいったんやめて別のやり方を改めて考えた方が良いですから。」だそうだ。するとあの4時間は。。。
<JR病院での処置を受けて>
本当に処置は20分で終わってしまった。もちろん、太いものを喉から入れるので楽なわけではないが、あっという間という感じだった。処置後は1時間ほどすると水分をとれるようになり、食事も翌日の昼だったからか食べられるようになった。ところで、驚いたことに、この病院ではうな丼やかつ重などが食事で出ていた。確かに特に食事の制限をする必要のない病気とのことではあったが、それまで慣らされてきた「病院食」のイメージからは大きく離れていて、退院したらまず最初に「穴子寿司」を食べたいと思っていたのが、先にうな丼を食べてしまっては穴子の立場がないではないか。カツカレーや海老フライカレーなども出たし。
さて、この処置の時に胆管が一部分狭窄を起こしていることが分かり、そこにステント(チューブのようなもの)を入れて胆汁の流れを良くする措置をとった。しかし、今入っているステントは細めのものなので、次はこれを太いものに入れ替える処置を来週にでも行うとのこと。当人にとっては、石を取るのもステントを入れ替えるのも苦痛や負担等は大差ないので、大分先が見えてきたようで安心する。ステントを入れ替えたあとには、Tチューブを抜いて終わりということになる。これらの処置は、血液検査をして炎症の収まり具合などを見て進めるわけだが、あと10日もせずに退院できそうな感じとなった。
<規則正しい生活を>
このあとの処置等は予定通りに進み、9月7日には退院となったのだが、その間の1週間、たまたま看護実習生のMさんという人が私の担当となった。JR病院附属の看護学校の最高年次なのだが、実習の時には誰か一人の患者の担当となるのだそうだ。そのようにして色々な科での経験を積んでいくという仕組みとのこと。実習というと、例えばもっと介護を要するお年寄りなどの担当となるような気が漠然としていたので、とても意外であった。処置はまだ残っているものの、もうほとんど退院を待つばかりの私のような患者について何か得るところがあるのだろうか、と。
実は、実習の時には教官から課題を与えられるようだが、私の場合は退院後の健康管理についての指導というかそういうものだったらしい。ところが、担当の医師は何を食べても何を飲んでも良いと言うし、術後の管理というほどのことはないのであって、これには教官ともども困ったらしいが、結局のところは、入院によって幸い減った体重をリバウンドさせることなく、如何に更に下を目指すかというのが、我々の課題となった。
Mさんは大変真面目な人で、毎日「糖尿病の人のための食事」というような本を持ってきて、私は食生活をどのように改善しなければいけないかと言うことを説いてくれた。減量は何度も志したり試みたりしているので、知識としては知っていることもあったが、強く勧められたのは食べたもの飲んだものと体重を毎日書き留めることであった(これがこのガーター亭で続けている飲食体重記録につながっていることは言うまでもない)。
また、退院に当たってMさんは「規則正しい生活を」という名のパンフレットを作ってくれた。全13ページ手書き手作りという感動モノである(これはその後ずっと肌身離さず持ち歩くことになる)。
<退院>
退院といっても特別のことがあったわけではない。予定通り明日退院で良いですよと医者に言い渡され、看護婦さんにその旨を伝え、翌日精算をしてロッカーの鍵を返し、それで終わりである。看護婦さんたちにとってはその日も日常が続き、しかもこの病院での入院期間は短かったこともあって、もちろん挨拶には応えてくれたりはするが、当然のことながらこちらの「いよいよ退院」という感傷的な気持ちとは大分ずれがあるわけである。その中、11階の病棟から1階の病棟玄関までMさんが見送ってくれたのはなかなか嬉しくはあった。
荷物は計画的に減らしてあったのでスポーツバッグ一つ。退院に向けて院内を歩き回る運動を繰り返していたので体力的にも回復しており、新宿駅まで歩いて中央線に乗った。(おわり)