エッシェンバッハといえば,その昔「オーケストラがやってきた」で小澤征爾,山本直純と一緒にハンガリー舞曲をリレーで演奏していたくらいの情けない記憶しかなく、まともに聴いたことは多分なかったのだと思う。ヘンツェと協演したベートーヴェンの3番の協奏曲はヘンな演奏だったような気はおぼろげにしているけれども。ろくに聴きもせずに自分の中では「真面目な青年音楽家」としてカテゴライズしていたのだろう。ベートーヴェンの協奏曲と言えば,1番と5番もあったと思うが一体どんな演奏だったのだろう。3番も含めて聞き返してみたいものだが,さてCD化はされているのだろうか。。。
既に上記のマーラーの時に彼は今のようなスキンヘッドになっていたのかどうか分からないのだが、とにかく、昔の印象とは違うエッシェンバッハの出現に驚いたものの,直ぐにCD漁りをすることもなく,次に接したのは多分数年後に発売されたブラームスの交響曲のCD。今は仮住まい中で段ボール箱の中に入っているため直ぐには聞き返せないが,静かでいて異様な緊張感の漂う部分が随所に現れて,やっぱりエッシェンバッハ、ただ者ではないな,という印象を再び持った。
パリではパリ管とでも彼の指揮を2、3回聴いているが,強く印象に残っているのは何といっても99年3月の北ドイツ放送響の来仏公演。曲目はマーラーの交響曲第一番だった。クレーメルの独奏でチャイコフスキーの協奏曲も演奏しているのだが、遅刻してワタクシは聴いていない。
このマーラーは,緊張感いっぱいの響きや痛いようなピアニシモと笑いをこらえるのがつらいほどのわざとらしい大げさな表情が交錯する不思議な演奏だった。あの変な表情付けは確信犯だったのだろうか。まあ、とにかく、小綺麗に整った演奏よりは100倍面白いものだったし、20年も経てば「大巨匠」に大化けするのではないかと強く確信した。
アンコールに演奏されたスメタナの「売られた花嫁」のより「道化師の踊り」,コイツがまたすごかった。冒頭からの弦の細かい動きが一段落着いた後のちょっとたゆたうような部分だが、ここのニュアンスづけが、何と言ったらよいのか,爪の先で「つつー」と背中を触られるような感じですっかり参ってしまった。「ごめんなさい,もう降参」状態。
さて、そのエッシェンバッハの最近の録音の中ではRCAから昨秋リリースされたシューマンの交響曲全集がなかなか良い。
実演とは違って,それほど思い切った変なことはやっていないが、第1番「春」の1楽章の序奏から主部への移行部のエネルギーの漲り方など、随所に見られるテンションの高さは普通ではない。クレッシェンドする前に音量を落としたり、響きの質を変幻万化させるなどの「小細工」は,確かに自然さを欠き,シューマンの音楽のいびつさを表面に出し,かなり居心地の悪い思いを引き起こすのだが、それも、現代のシューマン解釈としてふさわしいのかも,という気もする。
ただし、この演奏は単体で聴けばそれほどヘンなものではないと思う。生でのヘンさ加減を知っていることがバイアスとして働いている結果,それを彷彿とさせる要素をクローズアップして聴いてしまっているということはあるだろう。したがってこの盤は「ヘンテコ盤」コレクター諸氏の期待には沿えないかもしれない。
エッシェンバッハ/北ドイツ放響のコンビは今年来日する。どんな演奏を聴かせてくれるか,非常に楽しみである。また、彼には長生きしてもらってぜひぜひ大化けして欲しいと思う。何だか鬼気迫る感じなので、漠然とした不安を感じているのだが。