9月1日〜9月10日

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9月10日(月)「成田着、大学病院」
 午後早い時間にヨーロッパを発つ便は、東京には朝着くことになる、と言うことで、比較的時差調整が容易なのではないかと思う。乗ってすぐが日本時間で夕食の時間帯なので、食べてから朝食まで寝ていればいいのだから。
 ちょうど台風が来るということだったので、成田に着けるのかどうか不安であったが、揺れもさほどひどくなく、少しの遅れ(これは出発が遅れたためのもの)で成田に到着。

 職場に寄って午後一番には病院へ行った。担当の先生が戻った大学病院は初めて行く病院なのだが、外来患者には無線の呼び出しカードを渡し、順番が近づくまでは必ずしも待合室にいなくても良いというシステムを採用していた。便利なものだ。
 採血後1時間ほど待たされた。これはどこでも同じである。結果は完璧とはいかなかったが、γGTPの戻りが遅いとのことで、次回22日の来院(今度はJR)までお酒は控えめに、と言われてしまった。

 台風が近づいてきたせいか、断続的に激しい風雨があり、荷物もあったので吉祥寺駅からはタクシーに乗ってしまう。


9月9日(日)「ジュネーヴ発」
 帰りはチューリッヒ経由である。ラウンジでは無料のインターネットサービスがあったが、文字コードを日本語にすることが出来ず(個々の端末にはその権限がないという設定)、仕方なく自分のノートを出して、カード電話を利用してアクセスする。そのためのスペースがたくさん設けられていて快適である。
 チューリッヒから東京へのフライトはスイスエアだったが、隣同士になっていない2人のために席を替わったり、オーディオ設備が壊れていたのでパーソナルDVDの提供を申し出られたり(持参のCDを聞くのでそれはパス)した。パソコンのバッテリはないが、座席のソケットから電源をとって充電できるとのことだったので、その器具を借りた。などと、パーサー氏と良いコミュニケーションの状態にあったので食事を片づけるときに「私はフォークとかナイフのコレクターなのだが」と言いだしたところ、快くOKを頂いた。が、片づけられてしまったので「?」と思ったら、未使用のセット(ナプキンもついているもの)を持ってきてくれたのだった。ここまでしてくれたのはラウダ・エア以来である。

 帰りも空路の友はベームの「トリスタン」。結局、他に持参した「リゴレット」、「ボエーム」、「死の都」、「トゥーランドット」などはジュネーヴ滞在中を含め一度も聞かなかった。

 「オペラ・ノート」読了。


9月8日(土)「医者の言うことは」
 仕事としては最終日である。明日は日曜日でさらに出発も午前中なので、昼休みに少々買い物をする。皇太子妃殿下がバレンタインデーに利用したとかで有名な店、と言うのがあって、そこでチョコレートを買ったり、スーパーの食料品店でチーズを切って貰ったりである。ワインの店で試飲を薦められ「医者に止められている」と答えると「飲まずに吐き出せば良いんだよ」と言われてしまう。ごもっともであるが、プロではないのでそんなことは出来ないのだ、ワタクシは。
 夕食は、同行の同僚が、前に入り損ねたという店にこだわりをもっており、そこにいくことになった。とはいっても、予約をしてみようと6時半頃に電話をすると留守電になっており「店は7時頃開きます。予約したい人は自分の電話番号を残しておいてください」とのことだった。7時に開くのならとりあえずもう行ってみようということになり向かったが、途中で電話が通じた。7時半に店を開けるので、その時間に行くことになった。
 旧市街を歩いて時間をつぶした後、7時半過ぎに件の同僚の案内で店に行くものの、店は開いていない。開く気配もない。。。その時に貰ったという店のカード(これを頼りに電話したのだ)をよく見ると店の名前が違う。どうも、前回彼は姉妹店のカード(あるいは、こっちへ行ってみろ、と言う意味だったのか)をもらったらしい。カードの裏の地図には二店舗が書かれているではないか。この時点で、同僚はこの店に行く気をなくしてしまったが、もう後には引けない。予約をした店に勇躍乗り込んだ(徒歩5分ほどの距離であった)。イタリア料理だったが、伝統的なものと創意工夫のあるものがメニューに並んでおり、美味しかった。例のごとくワインを「医者に止められている。」と断ると「少しなら良いだろう?」とギャルソンにつっこまれたので「来週検査の結果で今後飲めるかどうか決まるんだ。今飲むとまたしばらく禁酒を言い渡される」と答えた。非常に納得されて「では、その後また来い」と言ったが、同時に「医者の言うことは80%くらい守れば良いんだよ」とか言われてしまった。もちろん、ここまで来たのだから禁酒は続ける。
9月7日(金)「ジュネーヴ3日目」
 一度5時前に起きるが、メールのチェックなどして二度寝をし仕事への出発の20分前まで熟睡してしまう。大慌てで着替えて朝食を済ませ何とか間に合った。こういうときは、ベーコンだの卵だのがなく、コーヒーも自分で取ってこられるのが助かる。

 今日の昼食は仕事先のカフェテリアで済ませる。サラダ(と言ってもパテやテリーヌもある)をセルフサービスで取るだけで済ませる。


 今まではホテルと仕事先を車で往復するばかりの日々だったが、カフェテリアの食事のおかげで昼休みにある程度時間が出来たので、ホテルまで歩いてみる。15分弱である。天気が良くて気持ち良い。気温は低めだと思うが日差しが強い。初めて「ジュネーヴの街に来ている」と実感する。

 夕刻にパリからの応援出張者が到着する。夕食はスイス料理の店というところに行くが、結局誰もフォンデュもラクレットもとらなかった。ワタクシは鴨のマグレだったが、ノンアルコールは守る。我ながら、医者の言うことをちゃんと聞いているなぁと感心。しかし、ジュネーヴでまだ良かった、パリで食事をしてワインなしであったら相当に辛かったことだろう。


9月6日(木)「アクセス」
 ホテルの部屋には、モデムの差込口があるが、日本と同じモジュラーのコンセントが2つと、スイス風?のコンセントが1つある。モジュラーのコンセントの一つにはUSA、もう一つにはCH(スイスという意味)と書いてある。どれをどう使って良いのか、また、部屋の電話同様ゼロ発信かどうか分からなかったので、到着した日にフロントに問い合わせたのだが「自分も分からないので、色々試してみて」と答えられてしまったのだった。で、試行錯誤の末、CHでゼロ発信というので@Niftyのアクセスポイントにつながることは分かったが、4回に1回くらいの割合でしかつながらない。パスワードの確認の辺りまでいってダメになることが多い、と言うことは電話代はそのたびに取られているわけである。

 同じ仕事のためにバンコクから出張してきた関係者がたまたま同じホテルに泊まっており、8時からホテルのカフェで打ち合わせ。本務の方の準備は東京と連絡を取る必要があって6時前から始めていたが、朝食は早く食べてしまおうと開始時刻である7時に食堂に降りていった。この時間に食事を始めているのは誰もいないかと思ったが、そのバンコクの関係者も同じ発想なのか出くわしてしまい、思わず苦笑い。彼もまだ時差がとれないのかもしれないが。

 夕刻に上司ともう1人は次の目的地であるロンドンへ発っていった。残ったのは2人と現地駐在員の1人である。何だか外に食べに出る気が起きず、夕食は、レセプションでサンドイッチなどをつまんで済ませてしまう。


9月5日(水)「ジュネーヴ初日」
 夜中の12時40分くらいに起きてしまうが、案に相違してその後は6時近くまで結構熟睡。やはり疲れているのかも。
 朝食は久々の完全コンチネンタルというかフランス風で、パン(都合5種類ほど)、バター、チーズ、ジャムと蜂蜜、各種フルーツ、シリアル、牛乳、コーヒー、オレンジジュースというものだった。卵とかハムとかソーセージとかヨーグルトなんてものはない。
 結構気温が低く、さわやかと言えばさわやかだが若干肌寒い。仕事の方は波乱含みでスタートしたのだが、ここはそれを書く場所ではない。
 夕食は、レマン湖畔の公園内にある立派なフランス料理の店だった。座った位置もあってワインの注文などソムリエにする役回りになった。折角だからスイスのもの、それもジュネーヴのもの、白は辛口、赤はどちらかと言えばしっかりしたもの、などと言って適当に選んで貰ったのだが、そんなことを言いながら味見から先は他の人にお願いしたのだから、変な客である。もっとも味見だけして「自分は飲まない」と言ったらさらに変だったろうが。
9月4日(火)「ジュネーヴへ」
 ジュネーヴへ出発である。一行は4人。機中の友はベームの「トリスタン」であった。機内のプログラムではドヴォルザーク特集と9,10月の来日演奏家特集であった。進行役が黒田恭一なのは新鮮だった。いつも石戸谷結子(?)だったのだが。機内ではパソコンのバッテリーを借りて作業などをするが、使いすぎたのか、最後の方はバッテリーが上がってしまった。全部貸し出し中とのことで、なかなかニーズも多いようだ。気が付くと回りの席ではどこもかしこもパソコンを立ち上げている。機内食は洋食にしたのだが、ワインを飲まずに通すというのもなかなかつらいものがある。とりあえず10日までなわけだが、ジュネーヴでの食事の時が思いやられる。
 トランジットのパリに着く少し前になって気が付いたのだが、近くの座席に知り合いの美術館の学芸員が座っていた。というよりは、子供の保育園の保護者仲間だったうちの一人なのだが。パリはトランジットで、ヴェネツィアとベルリンに出張だそうである。世間は狭い。降機時に、上司の乗る上のクラスの席へ回ったのだが、そこでは中村紘子氏を発見。世間は狭い、といってもこちらは別に知り合いというわけではないが。
 ジュネーヴで8時過ぎにホテルに着いてから、上司は時差調整と称して?ビールを飲む。ペリエでつきあう。こういう場面で飲まないでいるのはこちらは苦痛ではないが、先方が気にするかもしれないと、悪いなぁとは思うが、まあ仕方がない。
9月3日(月)「出張前」
 普通にしている分には体調はどうということはない。出張もこれなら大丈夫そうである。それよりも、ヨーロッパで禁酒しての食事というものが辛そうな気がするが。
 それより、旅行代理店が今回はあまり慣れていないらしく(少なくともワタクシは初めて)、無用の説明が長い割には肝心なことを間違えて言うし、手配の方は大丈夫なのかな、と要らぬ心配までしてしまう。
9月2日(日)「本調子ではない」
 久しぶりのフランス語の後、子供のサッカーの試合を見に行く。普段なら歩く距離を、時間が迫っていたとはいえタクシーに乗ってしまうというのは、やはり本調子でないせいか。明後日からの出張に体調万全で臨みたいものだが。試合では先週合宿に参加したので応援に来ていた他の保護者にも顔見知りが増えたような気がした。
9月1日(土)「縁がない」
 本当は飯守/シティフィルの演奏会形式の「ワルキューレ」を聞きにいく予定だったのだが、今ひとつ体調に自信が持てず、パス。このシリーズ、昨年の「ラインの黄金」も入院中で聞き損なっているのだ。どうも、縁がないツィクルスのようだ。
 縁がないと言えば、リヒテルとゼルキン(父)である。2人とも何度か来日公演の切符を買っていたが、そのたびにキャンセルやらで結局一度も聞かずに終わってしまった。実はアルヘリッチも私にとってはその部類で、パリでも何度かキャンセルに会い、もしかしたら一生聞けずに終わってしまうのではないかと思ったのだが、幸い東京で聞くことが出来た。
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