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8月31日(金)「退院」
再度の血液検査、結果については太鼓判という訳にはいかないが、何とか退院させてもらえた。その代わり、出張から帰る当日の10日に大学病院の外来に来るように、とのこと。考えてみれば、担当の先生は今日がJR病院は最後で、明日からは大学病院に戻るのだった。いつもの薬に抗生物質を加えたものを2週間分処方されて放免。
夕刻からは職場に顔を出すが、さすがに疲れており、早々に辞去。
8月30日(木)「退院延期の可能性」
熱は下がって快調。血液検査の結果、昼食から食事をとれることとなる。が、あまり、結果は思わしくなく、予定通り明日退院できるかどうかは今の段階では決められないとのこと。1年間のステント留置により自然に太さが戻っている筈の胆管が、ステントを抜いたら狭窄状態に戻ってしまっている可能性もなくはないのだそうだ。おそらく一時的なものによるとは思うが、とのこと。もしも、再度狭窄を起こしているということだと、ステントを入れ直すことになる。そのこと自体は、別に大仕事ではないが、退院が最低でも2日遅れることになるので、来週のジュネーヴ出張に影響が出てしまうかもしれない。
その旨は職場に伝え、万一の場合の策を検討し始めて貰うようにお願いする。
8月29日(水)「入院」
今日からJR病院に入院である。処置の日は朝から絶食である。半年前にもしていることなので手続きは手慣れたもの。9時過ぎに病院に着いてレントゲン、血液、尿、心電図など所定の検査を経、病室に入ってとりあえず点滴を始める。メインの先生とチーム?を組む若い医師が針を入れてくれるが、なかなか巧く、痛くなかった。
13時半からの処置は問題なく30分ほどで済む。ステントを抜いた後造影するので、二度内視鏡を飲むことになったが、スムーズなものである。人間ドックの時のただの胃カメラよりははるかに大きなものを飲んでいるのだが。
喉の麻酔の他にも若干の鎮痛剤?を打っているので、終わった後は若干朦朧として眠る。起きて売店で水などを買ってくる。とりあえず、水とかお茶は処置後2時間後だったかで解禁なのだ。食事をとって良いかどうかは翌朝の血液検査の結果で決まる。
少し眠ったが、どうも寒気がして毛布を1枚余計に掛ける。熱は計っても6度台なのだが。そうこうするうちに今度は暑くなって、熱が8度少し。処置後の炎症が出ているのだろうか。若干不安ながらそのうちに寝てしまう。入院の友はベームの「ワルキューレ」。
8月28日(火)「入院直前」
明日からの入院を前に仕事に区切りをつけようと思っているが、なかなか上手くいかない。思い切って手を放せばいいのだが、入院中もメールの送受信は可能なので、ついついそれによって職場と連絡を取るという前提で色々考えてしまう。長期出張中も同じだが、連絡が取れる、と言う状態は便利なのか不便なのか?また、幸福なのか不幸なのか?
8月27日(月)「バンコクから一時帰国」
4月からバンコクに赴任している同僚が一時帰国したので、夜は居酒屋へ。もう5ヶ月も経とうとしているのだから当たり前だが、生活も落ち着いたようで何よりだ。
「破産しない国イタリア」読了。
8月26日(日)「サッカー合宿から帰る」
サッカー合宿からの帰りは、千倉から新宿まで直通の特急である。乗り換えがないのはありがたいことだ。だが、車中の子供たちのうるさいことうるさいこと。いくら、行楽帰りモードの車内と言っても度を過ぎていると感じ、注意して回ったが、口だけでなく3回ほど子供に手をあげてしまった。体罰というほどのものではないが。
考えてみれば、今の先生は子供を叩いて叱るということはないのだろうか?自分が子供の頃はゲンコツやビンタなどしょっちゅう食らっていたような記憶があるが。いや、そういう教師は当時でも既に少数派だったかもしれない。とにかく、けがをさせるほど殴るのは言語道断だが、さりとて叩くことは全くまかりならんという風潮は如何なものかと思ってしまう(ここいら辺実情を知らずに書いている)。
8月25日(土)「サンドサッカー」
昨日は11人制のゲームだが、今日は1日砂浜でサンドサッカー(5人制)である。試合がないときに休むための天幕(日陰がないとさすがに辛いのだ)を張りに行くため、6時前にコーチと出発。良い場所だと思って張り終わったところ、大会関係者が現れて我々の隣に場所を物色していた別のチームに、そこは本部のテントの場所と注意。しかし、既に張り終わった我がチームには「ま、いいっすよ」ということで気の良いお兄ちゃんだった。長袖でないと焼けて大変だという事前情報の割には思ったほど暑くなく、普通に日焼け止めを塗るだけでTシャツ短パンで過ごす。後で気が付くと塗り損ねたふくらはぎや膝裏などが結構赤く焼けてしまったのだが。
サンドサッカーは6分ハーフでハーフタイムは1分というルールだった。この1分間に水分補給をさせるべく麦茶とか水を準備し濡れタオルを渡す、というのが保護者の主たる任務である。我が校からは4学年計6チーム出場しているので学年ごとに分担である。結構スケジュールが複雑で、試合開始時間になっても海を見ていて集合しない子などもいたりして大わらわである。
大会終了後はスイカ割りと水遊び。この辺は外房なので結構波も高く、とても我々素人の引率では総勢40人ほどの子供たちを「海水浴」させるのは無理である。腰ぐらいの深さのところで波と戯れる程度。
宴会は、昨晩より人も増え、盛り上がりを見せる。飲み物も豊富で、なぜか差し入れのヴーヴ・クリコのイエローラベルなどもあったりした。昨夜、ワタクシがB型だから飲むと思って用意した、と期待されたにもかかわらず一滴も飲まなかった赤ワインを中心に飲む。中には保護者同士小学校の同級生などという人たちが当時の愛称?で呼び合ったりして、なかなか面白い世界であった。
8月24日(金)「サッカー合宿へ」
今日は休みを取って、子供のサッカー合宿に参加する。ウチの子は2人とも昨日出発の先発組(4年生以上)だが、ワタクシは3年生の引率と言うことで今日から乗り込むのだ。千葉の千倉へは東京駅から「さざなみ」に乗るのだが、吉祥寺からの中央線、9時ではまだまだ通勤者がおりすし詰めではないにしても満員ではあって、わずか6人とはいえリュックを背負ったサッカー姿の3年生を連れて行くのは、気疲れする仕事である。通勤電車は誰が何と言おうと大人の世界で、こちらはそこに紛れ込んでいる異分子なのだから。
「さざなみ」は京葉線のホームから出るので結構駅構内を歩くが、途中からは行楽客の多い世界となり、迷子にならないかにだけ気をつければ良くなって非常に楽である。さらに特急に乗ってしまえばもうこっちのもの。もう一人のお父さんの提案で午前中からビールである。
夜はミーティングの後、保護者とコーチだけのミーティングと言うことだったが、ただの飲み会だった。ビールだけを飲む。なぜか学生のように血液型の話で盛り上がる。ワタクシのことをB型だと信じて疑わなかった人がいたのには驚いた。B型などと言われたのは生まれて初めてのことである。
8月23日(木)「休憩なし」
チョンミュンフンの「魔弾の射手」@演奏会形式は、演奏もあまり感心しないものだったが、休憩が全く入らず8時半には終わってしまったのには驚いた。それだったら、平日なのだからもう少し遅く始めてくれても良いと思うのだが。
そもそも「休憩なし」なんて「反オペラ的行為」だと思う。
8月22日(水)「講談社」
仕事で講談社の本社に行く。展示コーナーのようなところがあったのだがなかなか面白い。「キング」を筆頭とする9大雑誌を誇った頃の資料として、当時の少年雑誌の付録が展示されていたが、本当に付録にこんなものが付いていたのかと思うものがある。日光東照宮、万里の長城、大阪城、国会議事堂、戦艦三笠、エンパイアステートビル、名古屋城(夜景)、空中軍艦大飛行艇ドックス。これらが組み立て模型?として雑誌の付録に付いていたのだ。「雑誌付録としての限界に挑戦」したと解説されていたが、まったく頭が下がる。また、当時の少年雑誌の特集というとやたらと立身出世物語とか偉人伝が多いと言うことも分かった。非常に面白いのだが、一般公開されているわけではないようなのが残念。
8月21日(火)「ミートコロッケサンド」
どうも昼ご飯が重すぎる傾向にあるので、スタバでパンを買って済ませると言うことを試みているが、飽きてきた。今日は、渋谷の銀座線改札近くの神戸屋でミートコロッケサンドを買っていく。ここでパンとサラダを買って銀座線に乗るなど、まるでOLである。
ところで、ミートコロッケサンドは、パンもコロッケも美味しいのだが、昼までおいておくと揚げたて?のコロッケの熱でパンがふにふにになってしまう。残念である。
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