−JUL 1998−

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月 日 音  楽  祭 宿 泊 地
  7月27日  ミュンヘン オペラ祭 ミュンヘン
エルトヴィレ〜ヴィースバーデン〜ミュンヘン

ホテルの食堂

 コーヒーが苦手なので朝食時はいつも紅茶なのだが、エーベルバッハ修道院のホテルではアールグレイとダージリンが用意されている。(四つ星クラスのホテルってみんなこうなんですか、利用したことがないもので)食堂も朝見ると、かなり古い建物をうまく改装しているのが分かる。

 頼んでおいたタクシーで駅へ向かうが、一般道を100km/hで飛ばす。名残惜しいがここともお別れだ。また来るからね。ほかの人に教えたいような教えたくないような、そんなとっておきの町、みなさんにもきっとあると思います、この気持ちきっと分かってもらえるでしょう。でも、ドイツ・オーストリアファンの方にはぜひ行って欲しいです。

ホテルの入口

 参考までに、エルトヴィレ駅からのバスは月〜土は1日7本ある。駅にはタクシー乗り場があるが、いないときは電話で呼ぶことになる。「歩き方」には駅から徒歩1時間とあるが、これは、エルトヴィレより二つリューデスハイム寄りのハッテンハイム(Hattenheim)からのことで、ここからだと地図では修道院まで約4kmで、荷物が少なければ歩けないことはない。ただし、ここには停車しない列車もあるのでDBのホームページなどで確認が必要だ。また、ここでもタクシーは呼べると思うが、バスは不明だ。ホテルはエルトヴィレの町の中にもあるが、宿泊するなら、コンサートに行かなくてもぜひ修道院のホテルをおすすめする。FAXで予約できる。レストランも宿といっしょに予約すればよい。


ヴィースバーデン
 ヴィースバーデンに寄ったのは、ブラームスが滞在して第3交響曲を作曲した家を見るためだ。昨年のオーストリア旅行ではペルチャッハで第2交響曲を作曲したときの家を見ている。その続きということもあるし、ヴィースバーデンでのこの家についてはNifty FEUROの昨年のみっきいさんの旅行記にあったが、結局たどり着けなかったということで、ドイツ・オーストリア部屋音楽探検隊(勝手に命名してしまった)の宿題になっているのだ。

 事前に現地のiに手紙で尋ねて、それはベートーヴェン通り(Beethovenstrasse)9番地で、建物は外からしか見られないという情報を得ている。みっきいさんがiで教えてもらったのはSchoene  Aussichtという所だったが、どっちが正しいんだろう、あるいは両方の家で作曲したんだろうか、地図で見ると1km位離れている。

 駅前の公園を過ぎてライン通りを右へ曲がりフンボルト通りのゆるい坂を登っていくとベートーヴェン通りと交差する。そこを左に曲がって2・3軒目に9番地の表示があった。ここか。建物は白壁の3階建てくらいで、この地区のほかの建物に比べると小さい方で、住居と何かの事務所になっている。壁には「1929-1941ここに画家ALEXEJ VON JAWLENSKYが住んでいた」という銘板がはめ込まれてあった(絵画の知識は全くといっていいほどありません)が、ブラームスに関しては何の表記もない。建物の感じからするとブラームスが滞在した1883年当時のものではないような気がするが、情報が正しければこの地で第3交響曲を作曲したのだ。(注:その後本物の建物はSchoene  Aussicht通りにあることが分かり、1999年に訪れることになる)

 州立劇場を目指して歩くが、この辺は住宅街になっていて、どの建物も大きい。金持ちばかりでなく、一般の人もきっと何代にもわたり大事にして住んでいるんだろう。クアハウスを右手に見て左へ曲がり、劇場前で記念撮影、オペラはレベルが高いそうなのでシーズンにはぜひ来てみたい。

ラーツケラー、ヴィースバーデ

 大きな通りを渡りマルクト教会へ行く途中みやげ屋へ入る。趣味にしているのではないけれど、記念になるのでキーホルダーをよく買うのだが、今回の旅行ではこれまでどこでも見つからず、ここでようやく1個買いました。教会は近くへ行くと外壁がいっそう赤く見える。隣が市庁舎だが、市庁舎といえば、ラーツケラー、ありました。

 時刻は11時少し過ぎ、営業は11時からとなっているので早速階段を下りていってみるが、しばらくしても人の気配がしない。外にはお姉さんがいたので、そこのテーブルでビールを飲むことにする。ここのラーツケラーにも入ったことにしよう。看板をバックにジョッキ片手に気分良く記念写真を撮った。

 が... 、これが原因で、かどうかは未だに不明だが、このあと州都で分速130mの競歩の選手のようになるのだ。

 ミュンヘンへ行くICEにはマンハイムから乗るのだが、ヴィースバーデンからマンハイムまでは2本の列車に乗ることになる。ラーツケラーのテラスでビールを飲んで11時50分ころから中央駅を目指して歩き始める。ゆっくり歩いて20分、12時30分発の列車には十分時間がある。間もなくiがあったので地図で場所を確認する。途中雑貨屋で「ドイツスタイル」の表示の事務用はさみを買う。通りの名前を確認しながら行くのだが、地図に出ていない。小さい通りだからね、と思いながらさらに行くのだが、大きな通りでも地図で探せなくなった。

 これはどうも変だと思いおじいさんに訊くことにする。ここでも知っている表現は二つしかない。「駅はどこか」「(地図を示して)今いるのはどこか」そうすると、「駅はあっちだ」と今来た方を指さし、「今いるのはBismarck-ring(の北の端)だ」と教えてくれた。歩いているはずの通りと直角に、しかも駅に遠くなる方に曲がってしまったのだ。おじいさんは「バスに乗ればいい」と言って親切に我々の早足に会わせて数メートル付いてきてくれたが、駅まで地図の目測2kmちょっとを15分なら歩いて行ける、「ダンケ」もそこそこに道を急ぐ。

 こういう事態になっても同行者は従順だ。これは評価してあげよう。何せ、方向音痴気味なため、街歩きは私にまかせっきりなのだ。でも、身長差が20cmあるのに、こうなった時歩くのが私よりも速いんだなー、これが。指差し確認で赤信号は無視、でも、さすがに駅前に来ると車の往来が激しく、長い信号を待った。駅に着いたのが発車2分前、コインロッカーの鍵をしまった小袋をひっくり返し、荷物を転がし、いちばん端の8番ホームへ。ところが、列車がいない! 発車案内板もない! するとちょうど近くにいた駅員が「マインツ」と言って7番ホームを指さしてくれた。確かめる間もなく列車に乗り込むとすぐに発車。ホーッ、間に合った!

 あとで確かめると、2.2kmを17分で歩いたことになる。分速130m! これまで順調な旅行だったのに、終わりに近くなってから危ういところだった。教訓:初めての町では初心に返り、こまめに地図で現在地を確認すべし。

 ミュンヘンまでのICEには2時間50分乗る。ビュッフェでパンとコーラを買って遅い昼食。まだ謎が解けていないテレホンカードを取り出して、あれこれ眺めていると、同行者が「そのカード、どっちを上にして入れてる?」と言った。
 
 「どっちって、絵がかいてある方、日本と同じ」
 同行者 「反対の面に矢印があるけど」
  「!!!」
 ここで頭にサザエさんのひらめき電灯がぱっとついたのでした。

 習慣って怖いですね、これまで迷うことなく絵がある面を上にして入れていたのだ。ドイツでは絵のある面が下になるのだ。あまりに見事なマヌケだった。


ミュンヘン
 ミュンヘンは4回目になるが、いつも午後着いたり、行程の最後だったりしてあまり観光はしていない。今回は買い物だけだ。いつものノイハウザー通りのカウフハレでエアメール用の封筒や、地下でハム類とチョコレートなどを買う。それからドヴォのはさみを求めてマリエン広場近くのカウト ブリンガーへ行く。ドヴォは置いてなく、代わりにレルヒェ(Lerche)というのがあって、これもいいデザインだが、何しろ高いのだ。同行者も同じ趣味だが、けちなのもいっしょだ。レルヒェのカタログを2部手に握って店を出た。

 宿も4回目になるHotel Senefelder、中央駅からすぐだ。レセプションには初めて見るおじさんがいて、やたらと日本語を言って陽気だ。ツイン1室159DM(カード可)はこれまでの3回より高いが、今までとは別のきれいな部屋だった。着替えて最後のコンサート(開演20時)へ出かける。外は雨降りで、19時少し過ぎなのにもう暗くなっている。

中央、リポヴシェク

 ミュンヘン オペラ フェスティヴァルは3回目だ。当初の予定はメゾソプラノのリポヴシェクのリサイタルがあるカリンシアの夏音楽祭(フィラッハ/オシアッハ)だった。けれどもそこからドイツへの移動はきつい。ミュンヘンのプログラムにちょうど日程的にも都合良くリポヴシェクのコンサートがあったのだ。しかも指揮は有名なサヴァリッシュだ。

 1か月にわたるこの音楽祭唯一のオーケストラ コンサートだ。初めはスメタナの「モルダウ」、サヴァリッシュが登場すると、それだけで、待ってましたとばかり床を踏み鳴らしての拍手がなかなかやまない。

 リポヴシェクが歌ったのはヴァーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの歌」だ。多分野で最近忙しく活躍しているこの歌手が好きなのだが、写真では若くて細いのにずいぶんと違う。本調子ではないのだろうか、以外にも声量があまりなく、音楽の起伏もあまり感じられない、やや期待はずれだった。

 休憩時にロビーでメゾソプラノのアン マレイが主役のヘンデルのオペラのCDが売られていた。この音楽祭でのライヴ録音で、前から欲しかったものだ。3枚組で90DM、後悔しないように買った。

 最後はメンデルスゾーンの第2交響曲、声楽付きだが地味な曲だ。さすがはサヴァリッシュ先生、年老いてしまったが得意の左手のヴアイブレーションは健在で手堅くまとめる。しかし、大きな感動はなかった。観客の拍手はサヴァリッシュ先生への敬意も入っているだろう、長年この劇場の顔だったのだから。登場の際に比べると熱狂的ではなかった。ヨーロッパの観客の拍手は演奏に対して感じたとおりにいつも正直だ。

 それから、この日はテレビの収録のためカメラ(キャノン製)が8台設置されていた。それと、気になるのは、いつもヴァイオリンの2番にいるモデルさんのようにきれいな女性だ。プログラムに2人のKonzertmeisterinの名前が載っているのでどっちかだ。それにしても、ナツィオナル テアターは響きが良くない。コンサートのときはステージに音響反射板を設置しているのだが、やはりオペラ劇場なのだ。(この年の秋、音響反射板は新調されたそうだ)

 終演は22時20分、最後の夕食は、もちろんラーツケラーで。ミュンヘンはやはりビールだ。ドゥンケルヴァイスというのを飲んだが、小麦で作った黒ビールのことだろうか、でもほとんど白ビールという感じだ。口直しにドゥンケルを1杯。結構客がいる。少し離れたところではおじいさんがドゥンケルをつまみなしでゆっくり飲んでいる。ここもいい雰囲気だった。


  ゼンメル(SEMMEL)パンは南へ来るほど風車模様の切れ込みが深くなっていくのがおもしろかった。でも、ここの宿のものは少し皮が柔らかめだ。もっとパリパリしている方が好きだ。

 宿の支払いを現金でして空港への切符を買うと、残りが2DMになった。うまく使ったものだと我ながら感心する。空港でみやげを買うがこれはカードで。500mlの缶ビール6本(うち白を3種類5本)と200mlのゼクトを4本にしました。(2人分で)ほかにチョコレートなど。

 ブリュッセルからの飛行機は整備の関係で90分遅れて離陸、エアバスA340の巡航速度は890km/hのところ、最高980km/hで飛ばしたが、結局成田へは1時間遅れで到着、このため羽田からの国内便でJASとひと悶着あった。


終わりに(感想・反省など)

 日程から予想していたほど疲れることはなかった。観光は駆け足だったが、それでも十分それぞれの町を楽しむことができた。やはり日の長いこの季節がよい。ただし、今回はそれほど暑い日はなかったが、日が長い分活動時間が長くなるので、体調維持には気を使う。観光+アルコール+コンサートなので、その配分にも配慮が必要だ。

 ラーツケラーは7都市で利用したが、どこも満足した。場所が分かりやすいし料理はおいしいし雰囲気はいいし、値段も大体見当が付く。ラーツケラー クラブでも作りたい気分だ。

3 コンサートでの席は可能な限りいいところ(=概ね料金が高い席)にしたい。高い料金にはそれなりの意味がある。特に教会ではそうだ。音楽祭での料金は(一部のオペラ等を除いて)たかが知れている。これまでの反省から、今回は全部1・2ランクの席にしたが、最高でも100DM程度、教会の場合は一般に低めだ。

 第1目的の音楽祭はほぼ満足した。会場は5回の内4回が教会だったが、どこも素晴らしい音響だった。演奏者はこの響きを聴きながら演奏するんですね。こういう会場だったら実力以上+霊感による素晴らしい演奏になるわけだ。ヨーロッパではこうやって実力をつけていくのだろう、きっと。

5 第2目的のワインとビールは、十分ではないけれど、楽しんだ。コンサート開始が18時とかだと終了後に飲めるのだが、コンサートの前のときは控え目にしなければいけないのがちょっとつらい。もっと飲めばよかった! これは毎回反省に出る言葉だ。

6 ヴィースバーデンで道に迷い危うく列車に乗り遅れるところだったが、初めての町では初心に返り地図で通りの名前を確認しながら歩かなければいけないと思った。

 今回訪れたシュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ラインガウの音楽祭は、ほかの都市へも行きたいと思う。北ドイツの教会のオルガン聴き歩きもしてみたい。また、エーベルバッハ修道院は、演奏曲によっては毎年でも行きたい。

 西暦2000年のバッハ没後250年には、ぜひゆかりのテューリンゲン地方を訪れてみたい。バッハ以上にヘンデルが好きなのだが、参考書にどんなものがあるか分からない。ヘンデルはやはりイギリスまで行くことになりますか。

 言葉は、できれば英語だけでも、きちんとできるようになりたい、といつも思う。けれど、行きたいという気持ちが強ければ今の程度でも、アクシデントでもない限り何とかなってしまうから、なかなか力が入らない

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