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九龍妖魔學園紀レビュー
無印バージョン

年以上経ってからなんだよと言われるかもしれませんが、ムダに長文の感想を書く奴も珍しかろうと思いまして今更ですが九龍妖魔學園紀(無印)のレビューを。
すべて私の主観によるレビューであり、遊び方・感じ方は人それぞれであることをご了承下さい。また「魔人學園の今井監督によるゲーム」と言う大前提を元に購入したため、比較対照はすべて「東京魔人學園剣風帖」です。そのため、魔人學園をプレイしていない方にはなんの参考にもならないレビューだと思われます。わざわざ世界観&登場人物(関連&重複含)に魔人を絡めて、魔人ファンを一本釣りするある意味あざとい商売しているのですから比較すんなと言うのが無理でしょう。
後半、ストーリーレビューから九龍のネタバレが含まれますのでこれからゲームをプレイしようとお考えの方はお読みにならないようお願いします。

ちなみに九龍好きです。
2・3年?振りにオタク世界に復帰するぐらいに。大の苦手のドラマCD買うぐらいに。
秋芳…恐ろしい子!(白目)

パッケージ・説明書

 地味。
何が地味かと言うとパッケージ。正直、前知識のない一見さんが店頭でジャケットを見て手に取るとは思えない地味さ及び内容の不明さ。せっかくのアトラスブランドなのだからまずは手に取ってもらえるような装丁を心がけていただきたい。
…ぶっちゃけ自分も買ってから4ヶ月以上積みゲー。
説明書は読みにくい&役に立たない。H.A.N.Tにチュートリアルは存在するが、それなら例えばゲーム前に「ロゼッタ協会ハンター育成講座」のような形でクエストの方法やアイテムの合成、どの能力値をあげればどんな効果があるかなどの解説をする、要するに「冒険者の館」を作った方がヘラクレイオンの遺跡が初仕事だった主人公の導入としてもストーリーの流れにも沿っているし、親切だったのでは?と感じた。

システムレビュー

■アドベンチャー部分のシステムに関して

操作方法は変わったが、基本的な部分は剣風・外法と変わらないので割愛する。詳しくは剣風帖のレビューを参照のこと。感情入力システムは主人公が無色透明で、主人公=プレイヤーのアドベンチャーゲームにおいて非常に優れたシステムだと思う。


■探索・戦闘部分のシステムに関して

剣風帖・外法帖で馴染みの戦闘方法がガラリと変わったように思える今回の九龍だが、実際は目線が3Dになっただけで結局の所は升目上に区切られたフィールドで行動力(AP)を消費しながら移動や戦闘を行うという剣風からの基本動作は変わらず、それに加え「弱点」「属性」も以前から存在する概念のためそれほど戸惑わずにプレイすることが出来た。
あえて言うならば「弱点」を狙えるのが技ではなく、銃や投擲によるものだけになったところが変更点。アナコンで狙いを定めるところは…苦手…。

《宝探し屋》と言う主人公の設定を上手く活かした探索時の壁爆破・ジャンプやワイヤーアクション・謎解きやトラップは3D移動でないと出来なかった点であり、探索→戦闘への移行もスムーズに行えている。そう言った3Dになった利点がある反面、フィールドが非常に狭くなったので如何に1回のターンで複数回攻撃できるかが鍵となり、とにかくAPを増やし攻撃を食らわなければ生命力も状態変化耐性もHP回復アイテム必要なし、アイテム欄いっぱいにAP回復アイテムを詰め込めば連戦も最後の敵も1ターンKILL、と言う事態になるのが悲しいところだろうか。

単に経験値を稼ぐだけの戦闘も、クエストによって変化が与えられていて、ただ無心に戦闘をしクエストをするだけでも楽しい。
読み込みの時間が多いこと、アイテムリストの並び替えが不自由なことマダム蝶とのアイテム交換が1つずつしか行えないこと、敵の出現パターンが一定なので難易度が低いこと(たまにエリアの入り口からでなく、化人創世の間から逆ルートを通ると気持ち難しくなっていて驚く)など細かな点での不満はあるが探索の楽しさを損なうまでは至っていないと思う。クリア後も延々と遺跡に潜り続けているハンターがここに一人。

バディについては次のストーリーレビューと絡むので次の項へ。


ストーリーレビュー

(完璧なネタバレが含まれますので、未プレイの方はご覧にならないで下さい。制作者様の意図とは違う受け取り方をしている部分もあると思いますが私はこう受け取ったという事でひとつ。)


■宝探し屋という《仕事》とバディという名の《仲間》

主人公は《宝探し屋》である。仲間になったキャラクターは主人公に協力する《バディ》として2名まで探索に同行する。探索モードにおけるバディは画面下でたまにコメントを発するものの、基本的には喋らない。バディは回数制限のあるスキルを必要に応じて発動する。バディが同行する事によって主人公のパラメーターが修正される。

これだけ見ると、バディとは「アイテム欄を消費しないアイテム」扱いのようではないか?

基本的に主人公の《宝探し屋》は《秘宝》を求めてその地に入り、目的を達成したら去って行く。剣風帖の真神学園は我が母校であり得たが九龍の天香学園は仕事場にすぎない。
どうしたら協力者である《バディ》からかけがえのない《仲間》へ、《仕事場》から《思い出の地》に変えることが出来るだろうか。それは主人公であるプレイヤーの思い入れの度合いによって変わって行くだろう。

九龍はアドベンチャー部分よりも探索部分に重点をおいているのはゲームをプレイしていて良くわかる。しかしどうしても探索の時間が長くなってしまうので、アドベンチャーパートの印象が薄くなってしまう。執行委員たちや生徒会役員たちも、バディに加わる回以外ではなかなか交流の機会に乏しい。風呂イベントのような些細なものでいい。ほんの少しの会話でもいい。自分と仲間達が学園で「生活」している様を感じさせるようなものをもっと増やして欲しかった。そうすればこの学園や、各バディに対する愛着もまた違ったものになっただろう。
ゲーム内時間はたったの3ヶ月である。その上、最終戦直前(11話、12話、13話は連続した日にちなのでゲーム内では3日しか経っていない)に仲間になるキャラクターが7名(!)もいる。 ストーリー上、この3日で交流を深めようと思っても違和感がある。事実、私は夷澤・鴉室・JADE・響・境は仲間にしたものの一度もバディに加えずクリアした(…女の子は…可愛いから…笑)。そんなプレイヤーも多いのではないだろうか。
だからこそ、仲間加入以前からの日常を描く事によってその違和感を少なくする必要を感じたのである。
九龍では各キャラクター毎にクリスマスイベントが用意されている。だが「いや、俺そんなこと言われるほどキミと仲良くないし」なんて、つい思ってしまう。剣風帖では全員のクリスマスイベント&EDが欲しいと思わせたが、逆に九龍では全員のクリスマスイベントなんかいらないと思ってしまうのは皮肉である。

主人公対バディ以外にも、各バディ同士の関係についても考えたい。
同じ学内でずっと生活しているバディ同士、特に主人公の探索に付き合ったりしているので当然『横の繋がり」も出来て当然だろう。
そんなバディ同士の関係は昼休み・夜の自由移動で相関図として確認することはできるが、あくまでも主人公と対話するのは一対一であって「横の繋がり」を感じさせるには物足りない。同じ場所にいる仲間同士ならアドベンチャーパートのように複数で話をする方が自然な感じがする。
相関図のような記号的なものではなく、会話によってキャラクター同士の相性が想像できる方がずっと楽しい。皆守と夕薙のやりとりなどは、お互いを認めつつも腹の探り合いのような緊張感が感じられる好例であった。


■「九龍妖魔學園紀」は《ジュヴナイル伝奇》か

最初に《ジュヴナイル》とは一体何かを考えてみる。
ジュヴナイル【juvenile】を辞書で引くと「少年少女の」と言う意で、これが物語によって使用されるときは「児童文学」「少年少女向け小説」となる。そして「少年少女向け小説」のターゲットにしている読者層と同じ年代(一般に高校生以下)に主人公達を設定する場合には大人へと向かってゆく少年少女の成長を主題とする作品が多い。
少年少女向け小説と一括りに言っても、「ヤングアダルト」「ライトノベル」「ジュニア小説」などと様々な呼び方が存在する。それをあえて《ジュヴナイル》とする明快なポイントを思いつかなかったので他の方が《ジュヴナイル》をどのように考えているかを調べてみたのだが、その中で翻訳・評論家の大森望さんがまさに我が意を得たりな文章を載せていた。さすがはプロである。自分で考えようとしたのが間違ってた。


基本的には、大人の作者が子供の読者に向かって書くものであって、
それを大人の読者が読む場合には、ノスタルジーがキーになることが多い。

「大森望のSFページ」より引用 http://www.ltokyo.com/ohmori/991031.html


「少年少女を主人公とした成長もの+それによってノスタルジーを感じるもの」
それが私の個人的な《ジュヴナイル》物語の定義であるが、剣風帖をプレイされた(おそらく高校生以上の年齢)方には同意していただける部分があるのではないかと思う。

「剣風帖」はまさに《学園ジュヴナイル》だった。
多くの人が経験するであろう学生時代、新しい環境への不安や気が合う友達が出来たときの安堵。流れゆく四季、学園で行なわれる行事、友達同士の会話のやり取り、仲間と共に自分自身も成長しその成長は「卒業」と言うイベントにより昇華される。個人的には高校生以下のプレイヤーが「剣風帖」を遊んだ場合、どのように感じるかが興味深い。既に高校を卒業して時が経過している自分にとって剣風帖はノスタルジックなものであったが、小・中学生にはどうなんだろう。

さて、本題。九龍である。
九龍は《ジュヴナイル伝奇》とジャンルをうたっている。
《伝奇》についての話は今回は特に行わない。主題に古来の伝説・伝承を盛り込み、超常的な出来事を組み合わせた創作物語───剣風帖に引き続き九龍でもそれは健在である。日本神話とエジプト・ピラミッドをミックスさせ、いい意味での胡散臭い《伝奇》世界を創造している。
そして《ジュヴナイル》。
本来の意味である「少年少女向け」だと言われると困るが(でもCERO15)、前にあげた定義に沿ったジュヴナイルかと言われると少々物足りない。

主人公の《宝探し屋》は最初から最後───の直前までトレジャーハンターとして行動する。そもそも天香の地下に眠ると言われる《秘宝》が目的なのだから当たり前だが、荒吐神が《九龍の秘宝》などないと言った(実際は伝説とはちょっと違うものがあった訳だが)時になって主人公は初めて明確に「仕事」から離れた行動をとる事になる。
それは親友を救う為であったり大切な誰かを守る為であったりかつては長髄彦と呼ばれていた哀れな被験体を永遠の眠りにつかせる為であったりするかもしれない。それは主人公=プレイヤーが感じることである。できれば最終戦に突入する前、クリスマスイベント前ぐらいから《秘宝》がないと判明していた方が主人公=プレイヤーの動機付けの変化と言う部分でより《ジュヴナイル》的だったように思える。
おまけの黄龍モードの方が本人《宝探し屋》でもないのに天香と関わる事になる理由を主人公の気持ちになって想像する方が少し楽しい。だいぶ年を取っているので少年少女とは言えないが。蛇足。

ゲーム中にちりばめられたジュヴナイル的な「お約束」にニヤリとさせられる部分もあるが、それはネタであってパロディであり、ノスタルジーを感じるものではない。剣風帖的《ジュヴナイル》を期待されていた方には少し肩すかし感があったのではないか。あえてジャンルを問うならば 《伝奇冒険活劇》とするのが妥当であったのでは、と思わざるを得ない。

しかし、九龍においての《ジュヴナイル》を構成する1つのファクターは確かに存在する。前にあげた通りバディ達との交流が薄い本作において唯一濃密でおそらく本筋とも言える、皆守甲太郎のシナリオである。


■皆守シナリオにおける《ジュヴナイル》

ノスタルジーを感じるのはなにも舞台設定やイベントだけではない。主人公を含めた登場人物の心の変化、これに過去の自分を投影してノスタルジックな感傷に浸る事もある。

各バディとなるキャラクターにも心の変化・成長のストーリーは存在する。外法帖で不評だったからか、他キャラクターからの説得(ファンの間では「説教」なんて言われてたっけ)によって「改心」するのではなく「自ら気づく・思い出す」ように改善されていたのが微笑ましいが、残念ながらそのストーリーは短く、1話でほぼ完了してしまう。そしてワンパターンだ。ゲームを通して細やかに語られているのは皆守甲太郎のシナリオのみと言っていいだろう。
(取手は数は少ないもののその後の会話イベントも絡めて上手く作られていたので、やはり製作期間の問題だったんだろうか?)

皆守の言動には、思春期特有の閉塞感や焦燥感が溢れている。高校時代、特に3年───嫌が応でも「大人」へと変えられてゆく、変わってゆく漠然とした未来への不安。ずっとこのまま変わらずにありたいと思う気持ち───それを忘れたいが故に無感覚でいようと、内に閉じこもったり無関心を装ったり。皆守の場合は女教師の死というきっかけを与えられていたが、似たような感覚は多かれ少なかれ、誰しも持っていたものではないだろうか。
そんな皆守が、周りからも本人自身も自覚出来るような心の変化が少しずつ主人公によって(←ここ四倍角)もたらされる。まさに《ジュヴナイル》的な心の成長!

ところが、ゲームにおいて主人公(=プレイヤー)がみることが出来る最後のシーンは皆守が自らの死を選ぶと言った、成長どころか後退してるじゃねぇか皆守テメェゴルァ、とこれまで主人公が努力したことを無にするようなオチであった。成長台無しである。始めから皆守シナリオを追っかけて来た人を心底同情する(笑)良かったよ女好きで。

皆守の真の成長が語られているのがシナリオブック下巻に収録されたエピローグ「遠くはるかに」。プレイヤーの怒りのやり場が報われるエピソード、爽やかな未来への希望が感じられるエピソードなのに、これがゲーム内にない!
基本的にゲームのストーリーはゲームの中で語られることであり、それより先はユーザーの想像にゆだねるのが理想だと思う。外伝的な、補完的なものをメディアミックスによって語るのは構わない。だがゲームしかプレイしていない人にとっては、最終的に親友に背を向けられたままで終わっているのだ。
このエピローグがゲーム内に入らなかったのは本当に惜しまれる。剣風帖における朧のように補完ディスクでも出てくれるとありがたいのだが…。

※「遠くはるかに」は後に発売の「九龍妖魔學園紀 re:charge (再装填)」には収録されている。


総括


九龍は「遊べる」ゲームとしては秀逸の出来であり、探索メインで「楽しく・軽い」ノリを目指して作られたものとしては大満足だった。
その一方で、言い方は悪いが「楽しく・軽い」ノリの良作ゲームは他にもたくさん存在する。「剣風帖」の今井監督のゲームとして《学園ジュヴナイル》を期待していた自分にとっては少々物足りなさを感じてしまったのも確かである。
魔人シリーズでは現代を舞台にした学園ジュヴナイルは望めないようなので(今井監督は各所で魔人3の舞台は剣風帖と外法帖の間の時代と述べている)今後、新シリーズや九龍の続編で今井節の《学園ジュヴナイル》が見られる事を、いちジュヴナイラー(笑)として希望したい。

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…と、真面目に書いたら知恵熱が出そうです。しかもだんだん後半になって照れが入って来てるし。皆守シナリオの部分書くんじゃなかった。クソ、なんだかんだ言って秋芳の手のひらで踊らされてるよ!(笑)
もし、九龍がこのまま軽くライトな冒険活劇調にシリーズ化されるとしたらの要望〜

(1)バディに愛着を持とう!レベルアップ時に一緒にいたバディの得意科目が優先的に成長するよ!ちなみに「天才」はすべての科目が+1だ!

ガンパレですね。

(2)好評?だった食材の調合。リストに出ているのをそのまま組み合わせるんじゃなくて、とにかく適当に調合すると最初は恐ろしいモノが出来るけど、各所でレシピをゲットレしたりバディに料理を教えてもらうとレシピが増えるよ!作れば作る程調理レベルがあがってより効果の高いものも出来るよ!

テイルズシリーズですか、そうですか。

(3)調合してステキアイテムが出来ても、探索でレアアイテムゲットレしても使っちゃったらないのと同じ。せっかくなら今までゲットレしたアイテムを一覧で見て悦に入るのが真のトレジャーハンター、コレクター道でしょう!

あー、そう言うゲームいっぱいあるねー。



…自分はクリエイターには不向きだと実感しました。ゴメン。

     
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