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更新: November 22, 2009
平成十八年(二〇〇六年)の秋、家内が突然のがんに罹り、あっけなく先立ってしまった。四十年近く連れ添った伴侶である。何をするにも詮無い思いの寂しい日々を送ることになってしまった。細君に先立たれた男など、世に珍しくもなかろうが、その身になってみれば、まさに「隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし」の心持である。 そして二年が経った。この間に詠みつづけた歌には、失った伴侶への思慕の念を込めたものがさすがに多い。よろよろと、よろめきながらの男やもめの日々。何を見るにつけ聞くにつけ、妻とのあれこれに結びつけて思うのである。いつまでもこんなことではとも考えるが、これも人生の通り道。己が心持は素直に表現しながら過ごして行こうと思う。かかる残余の人生に、なお、わが心を魅了するものの新たに出づるや。 |
目覚むれど妻の居ぬ部屋あさあさを蹌踉としてわれ歩み出づ (めざむれど つまのいぬへや あさあさを そうろうとして われあゆみいづ) 非日常を日常のことと思えるようになるまで、どのくらい月日が要るのだろう。何十年もの間、横に寝ていたもの。突然に消えてしまった。目覚めて暫くは、自分が独り残されたことを認識できない。現実に気づきがっくりとくる。そんな朝の目覚めがつづく。 Totteringly come out of the bedroom, as every morning awaking there to have a gut feeling that my wife has already gone |
黄落の道に入り来ぬ世にあまた生きゐる人と擦れ違ひつつ (こうらくの みちにいりきぬ よにあまた いきいるひとと すれちがいつつ) 大切な者を失った時の衝撃と虚脱状態。だが、この一大事に世間も地球も自然も全くの無反応。当人にはそれが不思議でならぬ。魚屋はいつもの如く威勢よく客を引き、靴屋は例の無愛想な顔で腕組みをしている。道を行く死者の目に世の中はどう見えるのだろう。 Brushing against each other with many people still alive here and now, enter the road lined with ginkgo trees and carpeted with their fallen leaves |
吾のごと妻を失ひし男きてとくに励ますこともなく去る (われのごと つまをうしないし おとこきて とくにはげます こともなくさる) 場の沈黙を恐れるもの。気にせぬ者。さまざまだ。中には、TVキャスターのように、絶え間なく、話題を提供すべく、気を配るやからもいる。無理矢理、場を盛り上げようとしてくれている。それで助かることもあるが、無言でもさして居心地の悪くない時もある。 A man, who had lost his wife like myself, paid a call on me and left without any particular message jacking me u |
蒲団カバー破れしままに迎へをりやもめとなりて二度目の春を (ふとんカバー やぶれしままに むかえをり やもめとなりて にどめのはるを) 「○○さん、そっちの端をしっかり持って…」と、母親や女房に言われて、蒲団繕いなどの手伝いをさせられた。昔の女たちは、蒲団に限らず、よく繕い物をした。今では靴下の破れも、取れた釦もそのまま。捨てて新しいのを買う方が安くて手間もかからぬ。 With the torn cover of my futon, still unrepaired, the second spring has now come to me as a widower |
みな小さき犬ともなひて住み古りし団地の道をゆく高齢者 (みなちさき いぬともないて すみふりし だんちのみちを ゆくこうれいしゃ) かって、若者たちの憧れの住処だった団地。住み続けて四十年、今やその多くが、高齢者の暮らす場所だ。子供たちはみな独立し家庭を持った。それぞれの活動の拠点に家も建てた。高度成長と都市集中の時代を生き抜いてきて、いささかの自慢話を語り合う場となった。 The elderly are having a stroll along the walkway of the housing complex where they've lived for many years, all with a small dog at their heels |
涙もろく朗らかなりし妻逝きて韓国ドラマをひとりわが見る (なみだもろく ほがらかなりし つまゆきて かんこくドラマを ひとりわがみる) 「またヨンさまを見てんのか・・・」評判の韓国ドラマに夢中の女房をよく茶化したものだ。実際、テレビ画面にひとり集中している姿を横から見ていると、そんな茶々も入れたくなる。それが今では、彼女の好きだった番組を代わりに見てやっているつもりになって・・・。 Watch a Korean teledrama alone while my wife, being easily moved to tears and also cheerful, is no more beside me |
少しづつ独りを生くるたつきにも馴染みてけふはコンビニに入る (すこしずつ ひとりをいくる たつきにも なじみてきょうは コンビニにいる) 生涯を独身で通した友人がいた。夕食は多く行きつけの食堂。その日の定食とビール一本。愛想の悪い店主だが、慣れれば居心地も良い。そんな町の食堂が消えた。今の男やもめはコンビニ弁当を電子レンジでチン。食事をしながらテレビも見る。大した不自由はない。 As gradually getting used to a widower's lifestyle, today, drop in at the convenience store for a box lunch |
みづからも妻を癌にて死なせしと言ふ保険屋に親しみ覚ゆ (みずからも つまをがんにて しなせしと いうほけんやに したしみおぼゆ) 「…保険屋が遠き死を売りにくる」と詠んだのは塚本邦雄。たしかに生命保険とは、己が死を月賦で買うようなもの。保険屋の方も相手を見る。丈夫そうで長生きしそうな奴が上客なのだ。幾たびも訪ねられれば、会話も深まるし情も湧く。いつしか自分の死を買うことに。 Have a friendly feeling for the insurance solicitor in the doorway who says he himself had also to see his wife dying of cancer |
縁先にふふめる椿われけふも規則正しく生きむと思ふ (えんさきに ふふめるつばき われきょうも きそくただしく いきんとおもう) 際限なく昼夜を繰り返す日々の連なり。これを日曜から土曜までの七曜に刻むのが人間社会。更に朝の九時から夕方五時は仕事や勉学の時間。職を終え、自由の身となっても、このリズムが心地よい。火曜日、金曜日はごみの日。そして今日は掃除機をかける日である。 The camellia is putting out buds in the garden, think, today too, I'll live a life keeping my regular hours |
病む妻の最後の四季のうつろひに癒ゆる兆しを見しこともあり (やむつまの さいごのしきの うつろいに いゆるきざしを みしこともあり) 「考えてみれば、彼と会ったのは、あれが最後…」はよく聞く言葉。中々、これが一生の最後などと自覚して、人と面会したり、物事に当たることはない。死刑囚さえ、その朝、宣告されるまでは、まだまだと時を送るそうだ。人の持つ生への楽観。一期一会など、とても。 During the last four seasons passing for my sick wife, she once showed some signs that she'd been recovering |
奇跡なぞ起きることなく医師の言ひし余命を妻は燃やしきりたり (きせきなぞ おきることなく いしのいいし よめいをつまは もやしきりたり) 「第四ステージ、生存率一割」などと告知されれば、誰しもがその一割の希望にすがる。そして必ず身近にそんな奇跡の実例を話してくれるものがいる。それを聞けば、気分がずいぶん明るくなる。珍しいとされる一割の話が、自分にも過たず起きる気がするから妙である。 Angels couldn't dance on pinheads, my wife burned out her life that had been numbered by the doctor |
おとづれし男やもめのたつきいま鯖の煮付けを無造作に買ふ (おとずれし おとこやもめの たつきいま さばのにつけを むぞうさにかう) 戦中戦後の食糧難。あの時代には口に入るものは何でも美味かった。好き嫌いを言うものはいない。秋刀魚などは勿論、鯵でも鮭でも骨まで食べた。お蔭で歯は丈夫、顋の張った顔にもなった。グルメや食通が話題となる今でも、夕食の目的は腹を満たすことのみである。 Here's now my widower's lifestyle starting, buy the cooked mackerel without much attention in a supermarket |
職引きてよりの十年しづかなる朝餉を妻ととる幸ありき (しょくひきて よりのじゅうねん しずかなる あさげをつまと とるさちありき) 会食は人間のするもの。大方の動物は個食である。自分の餌を奪われまいと、警戒しながらの食事だ。「どうです、お近づきに食事でも」は人間社会での挨拶。互いの警戒心を解き、親しみ合うための儀式とも。人生、数多くの会食を重ねてきた。それが今や孤食の身に。 Have enjoyed taking peaceful breakfast together with my wife for ten years since my retirement |
病みをりし妻が勧めし野菜多き食事を独りとなりて食みゐる (やみおりし つまがすすめし やさいおおき しょくじをひとりと なりてはみいる) 野菜は苦手だった。食糧難の昔、道端の雑草まで食べさせられた。そして揚げ物は何でも旨かった。機械油のような粗悪な油で揚げたものでも旨かった。それが今では、山盛りの生野菜の皿を前に安堵感さえ。高級料亭の天麩羅でも二つほど食べれば飽きがくる始末である。 Being now a widower, I'm eating as much vegetables as possible since this was recommended repeatedly by my sick wife |
ゆるゆると済ましし朝餉の始末終へ独りのひと日をけふも始むる (ゆるゆると すまししあさげの しまつおえ ひとりのひとひ きょうもはじむる) 隣家の老犬が日溜まりに寝そべっている。時折、薄目を開ける。何か高邁な思索に耽っているようにも見える。朝夕二度の食事と家人との散歩。見知らぬ者が家に近づけば律儀に吠えもする。そんな日々を普通に繰り返している。この生き方に不満もなさそうである。 Taking enough time for my breakfast and doing the dishes, will start the widower's daily routine for today |
妻の分までも生きよと植木屋が松の手入れの高みより言ふ (つまのぶん までもいきよと うえきやが まつのていれの たかみよりいう) 落語にそんな噺がある。金に目が眩んで、自分の余命を他人の短い余命と取り替えてしまうという「死神」だ。金策に行き詰まった父親が家族のためにと、保険金をよすがに自死する例も。残される者たちがそれぞれの人生を幸せに生きて欲しいと願うのは誰しものことだ。 "Live the remaining live of your deceased wife," says the tree doctor working on a height to pollard the tall pine |
独り身となりて甲斐なき庭に立てば建仁寺垣も朽ちすすみゐる (ひとりみと なりてかいなき にわにたてば けんにんじがきも くちすすみいる) 盛者必衰の理。物事には必ず終焉が来る。寂しさを託つ身には慰めの言葉だ。そう見れば、築地塀の破れも、朽ちかけた竹垣にも親しみが湧く。だが、この諦観らしきものも、庭で無邪気に遊ぶ孫たちを見てのこと。消えるものあれば補うものあり。この安堵感あればこそだ。 As my wife left me alone, stand purposelessly in our garden and see the bamboo fence starting to fall into decay |
独り身のわが暮らしにもリズムあり落葉を掃かむ明日はごみの日 (ひとりみの わがくらしにも リズムあり おちばをはかん あすはごみのひ) 夏の落葉は哀れさを誘う。冬のそれは納得の落葉だ。残す枯れ木にも未練はない。世間から生気の消える冬。達成感さえある筈。それが、常磐木落葉は追い立てられて落ちるのである。芽吹き始めた若葉が、そこは邪魔、どけと言う。若者たちから邪険に世を追われる図だ。 A widower has still the daily routine, will rake up fallen leaves in the garden as tomorrow is the garbage collection day |
妻逝けば詮なき身なりこの春の花を見むとて人ら騒げど (つまゆけば せんなきみなり このはるの はなをみんとて ひとらさわげど) 「ほら、あれ、見て、見て」は連れに注意を促す言葉。どこの国に行ってみても、幼い子がまずこれを多用するのに気付く。人というものは驚きや感動を自分一人では消化しきれないらしい。他人の共感や賛意を得てやっと満足する。連れとは欠かせぬものなのだ。 Having nothing meaningful to live without my wife, just overhear people are talking about where to go on a cherry viewing picnic |
夕されば三合の米をわれは磨ぐ妻の手捌きなほ偲びつつ (ゆうされば さんごうのこめを われはとぐ つまのてさばき なおしのびつつ) 人の立ち居振舞いには個性がある。たてる音にも特徴が出る。靴音にも、玄関の開け方にも、新聞の開き方にも、その人ならではの音が伴う。米を磨ぐ音、味噌を擂る音、物を刻む音。この厨に馴染んでいた日々の音。その台所に、今は男所帯の不器用な手捌きの音が響く。 Along toward evening, I wash 2kg of rice, still recollecting the master touch of my deceased wife |
草餅をひとつづつ手に妻と並ぶ花の下なるひとときありき (くさもちを ひとつずつてに つまとならぶ はなのしたなる ひとときありき) 大福、草餅、柏餅、餡ころ餅。どれにも昭和初期のなつかしい語感がある。親に連れられて入った餅菓子屋。幼い者たちには夢のような所だった。貧乏人には滅多に無いこと。それだけにこの昂ぶりの記憶は鮮明だ。後に思うほど、過ごしていたのは大切な時間だったようだ。 My wife and I, each carrying a seasonal rice cake, shared the time together under the full-blown cherry trees |
退院の妻車窓より花を見き身に来春のなきを言ひつつ (たいいんの つましゃそうより はなをみき みにらいしゅんの なきをいいつつ) 時々思う。明日の今頃は、来週の、来月の、来年の今頃はと。特に、トラブルや苦境に直面した時には。問題が解決して、通常の時間に戻っていることを思い描く。そして、大方の場合、何とか時が解決してくれている。でも、君には思い描く未来など来ぬと言われたら…。 On the way home leaving hospital, my wife was looking at cherry flowers from the car window, murmuring about the next spring not anymore for herself |
あひともに訪ふべき桜の花あまたのこして妻はひとり逝きたり (あいともに とうべきさくらの はなあまた のこしてつまは ひとりゆきたり) 名高い吉野山にもゆかずじまい。中千本、上千本など今が見ごろと聞いても、結局、そのうちにとなってしまうのだ。花は来年も咲くものと思えばこその尻の重さだった。さて今になってだが、さして尋ねてみようとも思わぬ。いわゆる物見遊山には興味がなくなったようだ。 Still leaving many popular spots where we'd planned to enjoy together looking at cherry flowers, my wife was taken alone from me |
わが右の眼の曇れるにふと気づく妻逝きしより三月目のけふ (わがみぎの めのくもれるに ふときづく つまゆきしより みつきめのきょう) 身体能力の衰えは徐々にやってくる。「跳べると思った水溜り…」などと、何かの折にふと気づくものだ。そして畢竟、同年輩の仲間との比較だ。中には、ずば抜けて若々しい奴もいるが、大方は相応に身の衰えを嘆いている。「年には勝てぬ」と笑い合うのである。 Today, it's exactly three months since my wife passed away, first thing I know is that the vision in my right eye has become poor |
妻逝きて六月目のけふ身をかたくして白内障の手術受けゐる (つまゆきて むつきめのきょう みをかたく してはくないしょうの しゅじゅつうけいる) 白内障手術は半時間ほど。それでも手術台に横たわれば緊張もする。身体にはいくつものセンサーが。それらのコードがモニターに繋がる。時々、腕が締め上げられ、血圧が自動的に測られている。昨年、女房もこのように寝かされて、数時間に及ぶオペを受けたのだ。 Today, exactly six months after my wife's death, I'm dead set on the surgical table to remove a cataract |
眼球に今し入り来るアクリルのレンズにわれはこぶしを握る (がんきゅうに いましいりくる アクリルの レンズにわれは こぶしをにぎる) 白内障手術は、白濁した水晶体を眼球から吸い出して、替わりにアクリルのレンズを挿入するもの。目の玉にプラスチックのレンズが入ってくる。その円い縁さえ見える。局所麻酔で痛みはない。手順通りの順調な進行ぶりだ。やがて、「次を呼んで・・・」と、医師の声が。 Now, as an acrylic lens is being inserted into one of my eyeballs, clench my fists on the surgical table |
手術室よりわれを迎ふる妻はなし笑顔そろへて孫子ならべど (しゅじゅつしつより われをむかうる つまはなし えがおそろえて まごこならべど) 一年前、胃の手術を終えて集中治療室に移される妻を子らと迎えた。全身麻酔から覚めて間がなく、握る手にも力がなかった。譫言のように「痛い、痛い」と言っていた。そして今、たとえ簡単な白内障の手術とはいえ、それを無事に終えた患者の気分を味わいながら・・・。 There's no more my wife waiting for me released from the surgery, although my boys and grandbabies stand together, all smiling |
清掃の月当番となりしよりごみ回収車を待つ身となりぬ (せいそうの つきとうばんと なりしより ごみかいしゅうしゃを まつみとなりぬ) 町内のごみ置場の清掃当番。女房が入院するとき、仕事の要領を教えられた。以後、数ヶ月ごとに、この月当番が回ってくる。回収車がごみ袋を持ち去った跡を掃除するので、それが来るまでは落ち着かない。散らかったごみを掃き取り、水を打っている男やもめの姿だ。 Now on the turns of a duty cleaner in the community, becoming the man who's waiting for the garbage truck twice a week |
大方の国民の持つケータイに徴兵令の届く日ありや (おおかたの くにたみのもつ ケータイに ちょうへいれいの とどくひありや) 携帯電話を持たぬ身だ。一向に不自由とも感じない。お蔭で振り込め詐欺にも遭わぬ。関わり薄く世を生きているとも言える。電車に乗れば、小さなスクリーンに、黙々とメールを待ち返信を打つ人々でいっぱいである。不思議の国に踏み込んだ気分だが、これも良かろう。 Since almost all people have a mobile in this land, they'll eventually get their call-up on the screen |
わが家のダイヤル式の黒でんわ鳴れば昭和の音と囃さる (わがいえの ダイヤルしきの くろでんわ なればしょうわの おととはやさる) 「ダイヤル・ア・コール」と今でも英語では言う。電話を掛けるの意だ。昨今、文字盤を回す電話機など滅多に見ない。たまにお目にかかっても、指使いが昔のようにゆかぬ。もう忘れてしまっている。書類を見ながらでも、指先が勝手に、しかも性格にダイヤルしていた。 An old, black rotary phone still works in my house and draws visitors' cheer for the Showa sound whenever it starts ringing |
ヒロシマと書く一本の鉛筆が人類のこと言ひ尽くしをり (ひろしまと かくいっぽんの えんぴつが じんるいのこと いいつくしおり) 歌手の美空ひばりが歌う反戦歌がある。「一本の鉛筆」だ。とても説得力のある歌いぶりである。一九七四年の広島平和音楽祭で初めて歌われたそうだ。以後、あまり頻繁には歌われていない。艶歌など多くのヒット曲を持つ彼女だが。この心のこもった歌唱には感じ入る。 A pencil, when it writes the letter string of HIROSHIMA, talks enough about what's humankind |
勤めゐし軍需工場に年金制度ありしを知らず母逝きて久し (つとめいし ぐんじゅこうばに ねんきんせいど ありしをしらず ははゆきてひさし) 恩給と呼ばれていた頃だ。官吏や軍人ゃ教師の貰うものと思われていた。食うや食わずの戦時下の庶民。油まみれになって兵器を削る日々の仕事。そんな兵器廠で働いていた母にも、なにがしかの恩給の権利があったようだ。当人も知らず、誰からも教えられず時は過ぎた。 Already, it's a long time ago my mother passed away without knowing she could receive pension benefits as she'd worked in an armory in wartime |
生きるのが面倒臭いと言ひをりき新盆の妻に選ぶ提灯 (いきるのが めんどくさいと いいおりき にいぼんのつまに えらぶちょうちん) 日々の暮らしのリズムを追うのが億劫なことがある。無為を重ねていると滅入るのだ。時折、このリズムを外れた非日常なチャレンジが起こる。不安で面倒くさい。そして、旅行などから戻れば、「ああ家が一番」と安堵する。非日常あってこその日常の有難さであろう。 Choose a mint lantern for my deceased wife for her first Bon Festival, who'd often murmured "It's a pain of living!" |
ことごとく妻につき来しわれにして妻の供養を仕切る身となる (ことごとく つまにつきこし われにして つまのくようを しきるみとなる) 時々思う。もし自分が鬼籍にあって、女房の方がこっちに残っていたら。折々の供養をどんな風に行なってくれているだろう。彼女のことだ。心のこもった回向をしてくれるに違いない。そう考えて、明日の命日にと花屋に立ち寄る。だが、例の如く無造作に選んでしまう。 Though having acted up to my wife's instructions all along the line, it's myself now to initiate periodical memorial services for her |
ばばを欠く家としなりきをさならは来るや帰るとママに言ひゐる (ばばをかく いえとしなりき おさならは くるやかえると ママにいいいる) 幼い子らにとって大人の男は胡乱なものらしい。帰省した孫たち。祖母にはすぐ馴染むが祖父には中々近づかぬ。女性は守ってくれるもの。男は攻撃してくるもの。そのように認識する本能を持つらしい。祖父の方も、それを淋しいとも思わずに日々のリズムを保っている。 On visiting my house, where their gramma has already departed, the little children say to their mom "Let's leave here!" |
あらかたの家には老いも交じり住み朝顔咲かせ水を打ちゐき (あらかたの いえにはおいも まじりすみ あさがおさかせ みずをうちいき) 世帯当りの人数が減った。核家族化、少子化の故である。サラリーマン時代にあくせく働いて得た夢のマイホーム。いまや老夫婦、独居老人が住み、空き家も目立つ。どこの家にも爺さん婆さんがいて、狭かった長屋暮らし。子供部屋など夢のまた夢の日々が妙に懐かしい。 In those days, almost all houses had some elderly family members, and in summer, they grew the morning glory and sprinkled with water |
庭草に沈みゐるわれ背後には草引く妻の息遣ひあり (にわくさに しずみいるわれ はいごには くさひくつまの いきづかいあり) 夏草が生い茂る。あっという間に庭を覆い尽くす。毎年のことだ。地面の下から、この無尽蔵に押し上げてくる莫大な量。太陽と雨と空気、それに若干のミネラル。それらが相携えて世に送り出す生命である。この中に沈み込む時、邪険に引き毟ることに引け目さえ感じる。 Sinking in the grass in our garden, still hear my wife breathe hard weeding behind my back |
妻あらば話題つきまじ台風も地震もありしこの週末は (つまあらば わだいつきまじ たいふうも じしんもありし このしゅうまつは) 世に大事は絶えぬ。良いこと、悪いこと。時に未曾有の場面にも遭遇する。そんな時、長生きをすればこその至福とも、惨めさとも思う。波乱の昭和に育ち、人生の起伏のあらかたはこなした。新聞の大見出しに、高みの見物と語り合うべき同輩もつぎつぎ泉下へと退場する。 This weekend, typhoon and earthquake hit us, I'd have things to talk about with my wife, if she were still alive |
新盆に寄り来しうから妻の名のもはや出でざる話題のつづく (あらぼんに よりこしうから つまのなの もはやいでざる わだいのつづく) 当事者には不満かも知れぬ。周囲の共感が期待ほどではないと見る時。しかし、多かれ少なかれそんなものだ。葬儀参列の連中が後方で呵呵大笑の談笑をしている景はよく見かける。政治の世界では弔問外交とさえ呼ばれる。参列してくれて幾許の同情は頂戴したのだから。 My kith and kin, getting together at the altar of the first Bon festival for my deceased wife, refer no more to her name in their topics |
五〇〇系に乗ると言ひ張るをさなゐてホームに待てり我ら一族 (ごひゃっけいに のるといいはる おさないて ホームにまてり われらいちぞく) 近頃は女性の鉄道ファンが増えているとか。男の子には電車の玩具、女の子には人形を。昔はこうして育てられてきた。育児に励む父親、働く母親。男女の役割についての世の中の固定観念。それが急激に変りつつある。その内に電車に興味を示さぬ男の児が増えるのかも。 As our little kid insists on getting on a Type 500 bullet train, all our family members wait for it coming into the station |
飼主も犬もいささか太りゐて晩鐘ひびく街道を行く (かいぬしも いぬもいささか ふとりいて ばんしょうひびく かいどうをゆく) 半世紀になる。あの戦後の食糧難の頃。道を行く人も犬も痩せこけていた。犬と言っても当時は殆どが野良犬だったと思う。面白いことに、野良と言っても、みな顔馴染みの犬なのだ。時には長屋の悪童たちの遊び相手にもなる。町内の犬好きに尾を振って残飯も貰うのだ。 The dog and its master are both a bit fat, the evening bells are ringing while they go along the street |
秋風を身にとほしつつ草ひけり皮肉屋たりし面影も失せ (あきかぜを みにとおしつつ くさひけり ひにくやたりし おもかげもうせ) 昔はよく頑固爺などと呼ばれたものだ。隠居の身ながら一家の権威だった。家族全員が一目置いた。それが、核家族の世となった今日、権威を誇るべき舞台がない。果たした家族への貢献を言いたくもなるが。何事にも抗わぬ好々爺たらんと自らを律しているのだ。 The man is weeding his garden being impregnated with autumn breeze, showing no signs of a cynic he used to be called |
灯ともるも人声のなき独り居の家を囲みてちちろ鳴きをり (ひともるも ひとごえのなき ひとりいの いえをかこみて ちちろなきおり) 虫の音は秋の風情。異国の人はただの雑音と聞くとか。鳴く虫に感情移入して思いにふけるのが日本人。虫の種類を聞き分ける能力も持つ。大方は虫の声から寂しさや儚さを思う。でも、四六時中それに感じ入っている訳でもない。邪魔にならぬBGMとして聞いている。 While lights are switched on, there's no sound of voices in the widower's house surrounded by singing insects |
雨脚を確かむるごと手のひらに降りそそぐ月のひかり受けゐる (あまあしを たしかむるごと てのひらに ふりそそぐつきの ひかりうけいる) 焚き火に手のひらを翳して暖を取る。バイバイと別れる時も手のひらを見せて振る。子供の具合が悪そうなら、額に手のひらを当ててみる。腹が痛ければ腹に手を当てる。それは人間にとって大切なセンサーだ。さらに顔面に加えて、喜びや悲しみを表現する道具でもある。 Expose my palm in a flood of moonlight, as if it were confirming raindrops in the fine rain |
ベランダの男やもめが秋空に洗濯物を高く干しゐる (ベランダの おとこやもめが あきぞらに せんたくものを たかくほしいる) 洗濯をするとて大層なことではない。毎週土曜日がその日。男やもめの洗濯物の分量は知れたもの。ポリバケツで風呂の残り湯を五杯ほど洗濯機に入れる。洗剤をスプーンで一杯。スイッチを押す。男もすなる洗濯などと言っても何のことはない。大方は機械の仕事なのだ。 A widower works on veranda, he's hanging out washing high up in the autumnal sky |
遠き地に菩提寺を持つわれにしてたまさかに乗る新型特急 (とおきちに ぼだいじをもつ われにして たまさかにのる しんがたとっきゅう) こちらを年寄りとみてか、葬祭場の案内や墓地の売込みの電話が頻りにかかる。菩提寺を遠く離れた当地に根を下ろして五十年。近くに墓地をなどと女房と話したこともあった。何の決断もせぬうちに彼女の方が逝ってしまった。墓地なんぞ何処にあろうと。今ではそう思う。 Having our family temple back of beyond, could get a chance to take the most modern express train |
ひと夏がやうやく過ぎぬ灯のもとに食器を洗ふ水のつめたし (ひとなつの ようやくすぎぬ ひのもとに しょっきをあらう みずのつめたし) 歳を取ると暑さ寒さにかくも敏感になるのか。この身体に心地よい気温は摂氏二十五度。面白いことに、これを一度以上も超えるともう汗ばむし、二十三度にもなれば股引を履く。外気温への許容度がいたく落ちてしまった。そして今や水仕事は給湯器に頼る季節となった。 The summer has passed at last, clean plates and utensils by autumnal lamplight in dishwater that gets cold now |