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宮沢賢治−銀河鉄道の夜 |
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最終更新日時 |
| Overture 〜序曲〜 |
夜空に浮かぶ無数の星々。 一見、星はみな同じように見えるが、赤いものもあれば蒼いものもあり、明るさもさまざまである。しかも、星たちはみな同じ速度で動いているので、隣りあう星をなぞっていくと、柄杓のような塊や、巨大な十字架形の星たちが夜空を移動しているように見えてくる。このような星たちの塊に、かつての人々は彼らの神話に登場する英雄や怪物の姿を連想し、あるいは時代を代表する道具に見たて、名前を付けて呼ぶようになった。 これが現代までに伝わるもの、我々の知る星座のゆえんである。 現在、星座は全天で88個あり、それぞれが空の地図としての意味を持っている。「獅子座の方向」「イルカ座のα星の先端」などというように、宇宙の一角を示す時の地図記号や大雑把な座標の役割を果たしているのです。 ただ、そのような散文的な事情とは別に、いつの時代も人々はつねに星座の中に神秘とロマンを求め、さまざまな逸話を伝えてきた。 このパンフレットでは、星座に込められた古代の物語を通じて、多くの人々に感動を与えてきた作家「宮沢賢治」の、最大にして最高の傑作「銀河鉄道の夜」を、物語中の「銀河鉄道」のルートに沿って描いていこうと思います。 |
A Beginning Of A Constellation 〜星座の起源〜 |
ここでは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の解説に移る前に、星座の起源について、話をしよう。 なぜ人は星に注目するようになったのか? もちろん、神秘的で美しいからというのも、大きな理由の一つである。 しかし、古来、星を観察するのには、もっと生活に密着した意味があった。 夜空の星は、北極星を中心に円運動をしている。中心にある北極星は真北の位置からは動かない(実は極微妙に動いているが、何十年に数センチというレベルなので、肉眼で見るだけなら動いていないのに等しい)ので、この星を目印にすることで方角を知ることが出来る。よく知られた話である。 また、星がどのくらい移動したかによって夜の時間の経過を知ることができる。さらに、「桜が咲く頃に見えていた星が、夏が過ぎ、秋がくる頃には見えなくなり……また見えるようになったと思ったら再び桜の咲く季節がやってきた」というように、季節の到来とともに星が移動しているのに気がつけば、より大きな時間の単位である「月」や「年」の経過も正確に知ることが出来る。これも周知の通りだ。 学校で勉強している現代人にとって「星座から方位と時が読み取れる」というのはほとんど常識である。別に特筆すべきことではない。驚くべきことでもない。驚くべきは、実は古代人にとっても、この知識はまさに常識だったということである。彼らは、北極星のことを知っていたから安心して航海することができたのだし、季節の移ろいを星空から予想することができたから農業を営むことができたのだ。カレンダーやコンパスなどといった便利な道具が無かった分、より重要性の高い知識だったはずである。 この常識は、4大文明以前から存在していたものだったようである。この時代、まだ文字は発明されていない。よって当時の大人達は、北極星や暦の目印になる星をどうやって探すのか、その方法を口伝えで子供たちに教えなければならなかった。 伝承が進むにつれ、当時の人たちはより子供に覚えやすくするために、星の位置をイメージと関連づけて教えることが重要であることに気がついていく。「4つに並んだ星をずっとたどっていって……」と教えるよりも、「あの熊のしっぽみたいに並んだ4つの星を……」としたほうが、より子供の印象に残ることは自明の理だろう。ここに星の持つ神秘性とあいまって、星の集合体を自分たちの神話に登場する人物や怪物たちになぞらえる習慣がはじまった。崇拝や畏怖の対象となるものを彼らは星の中にイメージしたのである。 かくして星座は誕生することとなった。星座とは、美しき物語が先にあったのではなく、生活の知恵として生み出されたものだったのである。 |
Night Of Galaxy Railway 〜銀河鉄道の夜〜 |
■[「銀河鉄道の夜」の成り立ち] 「銀河鉄道の夜」は未完の作品である。その実体はというと、賢治が亡くなった後、病床の枕元に残された84枚(1枚は紛失、現存するのは83枚)の原稿が全てである。原稿を詳細に調査すると、四段階にわたる手入れが行われていたことが判明していて、それぞれ初期形1,2,3,後期形(最終形)と呼ばれている。後期形がいわゆる最終形態として、今日一般に流布している文章となっている。 初期形3から後期形への過程において、大幅な見直しが行われ主題決定に関わる重要な内容の見直しであったとされている。すなわち「ブルカニロ博士」や「黒帽子の人物」のエピソードなど、それまであったいくつかの場面が消滅し、作品の最初に「午后の授業〜家」の章が追加され、ブルカニロ博士の「実験場の幻想」だった鉄道の旅が「ジョバンニの夢として描かれることとなったのだ。 また、賢治が複雑な手入れを施したことに起因して、活字化する作業、つまり全集の編纂においても、おおよそ昭和30年代、昭和40年代、昭和50年代、それぞれ違った解釈が行われ、いくつかのエピソードが現在とは違う順番で紹介されてきた。読んだ時代により、異なる「銀河鉄道の夜」が存在しているという、不思議な現象が起きているのだ。 ■[「銀河鉄道の夜」の創作時期] 次に「銀河鉄道の夜」の創作時期についても触れておこう。実は、賢治自身がこの作品を友人の菊池武雄、藤原嘉藤治に「読み聞かせ」をしたという記録が残されている。1924年(大正13年)12月頃のことである。菊池武雄は賢治の唯一の生前刊行童話集「注文の多い料理店」の挿画を描いた人物、藤原嘉藤治は花巻高等女学校の音楽教師で、賢治の親友である。 花巻の料亭で、宴会の最中、賢治が「今こんなものも書きかけてるがどういうもんでしょう。子供等にはわかるようだが」とオーバーのポケットから原稿を取り出して、銀河鉄道旅行のストーリーを読み上げ始めたのだ。この時、賢治により朗読された本文は、前途の初期形1に相当していたのである。このことから、1924年末ごろにはその一部がすでに成立していたと推定されている。 賢治が「少年小説」としての構想を持ち、10年近くも取り組み続け、おびただしい手入れが行われたにもかかわらず、生前ついに発表されることがなかったのである。初出は、賢治の死の翌年にあたる1934年(昭和9年)10月刊行の宮沢賢治全集(文圃堂)である。 では、次のページからは「銀河鉄道の夜」を「銀河鉄道」のルートに沿ってご紹介していきます。 |
Explanation 解説 「天気輪の柱」 |
【「天気輪の柱」諸説】 「天気輪の柱」とは何か。もちろん賢治が創り上げた創造上の事物であることに間違いはないが、その真意を求めて、度々議論されるテーマだ。この不思議な存在が、ユニークな説を生むことになった。 作品中では、ジョバンニが現実の世界から、夢の「幻想第四次の銀河鉄道」の旅へと移行していくための重要なシンボルであり、つまりはジョバンニとカムパネルラの「銀河鉄道の旅」の始まりの地点でもあるのだ。少し長くなるが、本文でその部分をもう一度確かめておこう。 ………………………………………………………………………………………………………… 牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星《おおくまぼし》の下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。(中略) そのまっ黒な、松や楢《なら》の林を越《こ》えると、俄《にわ》かにがらんと空がひらけて、天《あま》の川《がわ》がしらしらと南から北へ亘《わた》っているのが見え、また頂《いただき》の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢《ゆめ》の中からでも薫《かお》りだしたというように咲き、鳥が一|疋《ぴき》、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。 ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。(中略) あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。 ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴《こと》の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬《またた》き、脚が何べんも出たり引っ込《こ》んだりして、とうとう蕈《きのこ》のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。 六、銀河ステーション そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍《ほたる》のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃《こ》い鋼青《こうせい》のそらの野原にたちました。いま新らしく灼《や》いたばかりの青い鋼《はがね》の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。 ………………………………………………………………………………………………………… 以上の記述から「天気輪の柱」のイメージを思い浮かべてほしい。賢治が「天気輪の柱」を発想するにあたって、何がそのモデルとなったのか、今までの諸説をいくつかピックアップしてみた。 【天の麒麟の柱】 ここでは、星との関係に注目した「天の麒麟(きりん)座」説を紹介しておこう。これは「天気輪の柱(テンキリンノハシラ)」を「天麒麟の柱」と解釈し、星座の麒麟(きりん)座との関連で推測したものである。 本文の記述により確認すれば、「天気輪の柱」のある丘は、次のようなものである。ゆるい丘の黒い平らな頂上には、北の大熊座が見えていて、天の川が南北に横たわっている。この様子を「星座早見」などで設定すると、夏の宵の夜空であることがわかる。 そして、北の空を見ると大熊座(おおぐま座)の横に、きりん座が位置している。きりん座の星は暗く(4等〜5等星で構成)あまりはっきりせず、ジョバンニの「天気輪の柱も見分けられたのでした」という表現とも一致し、きりん座α星とβ星に注目すれば、「まっすぐにすきっと立つ」というイメージにもつながるというものだ。 【賢治の「天気輪」】 賢治の作品には、この意味を追い求めるかのように「天気輪」もしくはそれに準じた表現がある作品が幾つかある。 「5輪峠」「晴天恣意」:春と修羅場第二集より 「病技師[2]」:文語詞稿一百篇より とくに後者の「病技師[2]」では「天気輪」という語が使われている。「銀河鉄道の夜」意外では唯一のものだろう。この作品の下書稿において「天気輪」の部分は、当初「五輪塔」という語が使われていたことが知られている。 つまり賢治は「五輪塔」のもつ機能、言いかえれば、異空間への旅立ちの場所を、独自の「天気輪」という語に託したと考えられるのである。 「銀河ステーション」 【銀河ステーション】 天気輪の柱は変化を重ね、空の野原にきっと立つと、まばゆい光が輝き溢れ、気付けばカムパネルラと夜の軽便鉄道に一緒に乗っている。いよいよここから銀河鉄道旅行の始まりだ。銀河鉄道旅行は、宇宙旅行ではない。賢治は身近な風景や、美しいと感じるものの集大成を描いている。そして、ジョバンニの体験を通じて読者に「ほんとうの幸福」を求めることの意味を問いただしているのだ。 銀河鉄道の旅は、銀河ステーションから始まる。銀河ステーション、すなわち天の川に駅を作るという構想は賢治の詞の中にも見つけることができる。「冬と銀河ステーション」や「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」などだ。賢治の中で「鉄道」と「銀河」という、異なる二つのモチーフは密接に結びついていたのだ。 また、農学校で教え子だった生徒の回想にも、賢治と夜の岩手山登山を敢行し、その途中、夜空を見上げながら「先生、天の川の光る星、停車場にすればいいナッス」などとふざけて騒いだという思い出話が残されている。 【銀河鉄道のコース】 銀河鉄道のコースは、北十字(白鳥座)〜南十字(南十字座)への旅である。北十字から南十字までの天の川(銀河)に沿った部分の天体や星座をモチーフに、いくつかの挿話が並べられているのだ。 ………………………………………………………………………………………………………… そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤《ばん》の上に、一一の停車場や三角標《さんかくひょう》、泉水や森が、青や橙《だいだい》や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。 ………………………………………………………………………………………………………… カムパネルラが「銀河ステーション」でもらったという星座早見盤風の地図には、銀河鉄道線の全貌を知るために重要なヒントが含まれている。「天の川の左の岸に沿って南へと路線が続く」ことや「11の停留場があること」だ。星座早見盤を用意し、さそり座付近を南中させると、天の川(銀河)の流れは上(北)から下(南)へと連なる。賢治はその天の川の左側の岸に沿って銀河鉄道のレールを敷設させたのだ。 【白鳥の停留場まで】 列車は最初に「白鳥の停留場」へと向かう。「白鳥の停留場」は、白鳥座からヒントを得たものであろう。 「白鳥の停留場」までの風景はとくに美しい。ジョバンニの視点は、銀河の岸、銀河の水、野原の三角標へと移動する。三角標は星のシンボルだ。三角標の形作るイメージを星座や星のならびに対応させると、「三角形」は「夏の大三角形」、「四角形」は「ぺガススの四辺形」、「雷(イナヅマ)の形」は「カシオペア座」、「鎖の形」あ「すばる(M45)」などをイメージすることができるであろうか。 賢治の作る「天の野原」には不思議な花々が満ち溢れている。「月長石ででも刻まれたやうな、すばらしい紫のりんどうの花」そして「たくさんのきいろな底をもったりんだうの花のコップ」、車窓に広がる風景は幻想的だ。 「北十字とプリオシン海岸」 【北十字】 ………………………………………………………………………………………………………… 俄《にわ》かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石《こんごうせき》や草の露《つゆ》やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床《かわどこ》の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射《さ》した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架《じゅうじか》がたって、それはもう凍《こお》った北極の雪で鋳《い》たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。 ………………………………………………………………………………………………………… 銀河の流れの中央にある島に、白い十字架が立っている。章題以外では、本文中に「北十字」という文字は無いが、まさしくこの十字架は、白鳥座の骨格を成す部分「北十字」がモデルだ。 英語ではSouthern Cross(南十字)に対して、Northern Cross(北十字)と呼ばれている部分である。 北側の1等星デネブ(白鳥座のα星)から南側のアルビレオ(白鳥座のβ星)までを軸に、左右にバランスよく星が並び、その姿を十字架に見立てることができる。キリスト教星図では大きな十字架が描かれているし、日本でも「じゅうもんじさま」と呼ぶ地方がある。とくに冬の宵空、西に大きく立ち上がった十字架の形は印象的である。 賢治の描いた十字架は、島の上に立っているが、天の川はちょうどこの付近で暗黒帯が入り込み、あたかも川に浮かぶ島のように見ることができる。また、夏の大三角形の付近には、こぎつね座、や座、いるか座、こうま座といった小星座が位置している。車窓の風景には「狐火」が出てくるが、「こぎつね座」からの着想かもしれない。 時刻は11時。最初の停車駅「白鳥停留場」に20分間の停車だ。ジョバンニとカムパネルラは、途中下車して化石発掘現場へと向かう。 【プリオシン海岸】 ………………………………………………………………………………………………………… 〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物《せともの》のつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干《らんかん》も植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。 「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖《とが》ったくるみの実のようなものをひろいました。 ………………………………………………………………………………………………………… 賢治は「銀河鉄道の夜」の中で、天の河原の一画を、プリオシン海岸と名づけた。プリオシンとは地質年代で、新生代第三紀の鮮新世(Pliocene)を指す言葉だ。 賢治自身、北上川の河原を「イギリス海岸」と名づけ、くるみの化石発掘を行っている。そういった経験が、エピソードの中に組み込まれたのである。地上の「イギリス海岸」が、童話となって天の「プリオシン海岸」へと姿を変えたのである。 しかし、海岸とはいうものの、イギリス海岸は海辺ではない。河原に見えるやや白っぽい火山灰質の泥岩の露頭を、イギリスのドーバー海峡にあるチョーク(Chalk)の海岸に見たてたのだ。 賢治が農学校の教師をしていた時代から、およそ80年ほどの時間が経過している。今日では、河川自身による浸食作用はもちろん、治水事業でイギリス海岸付近は護岸工事を施されており、下流で合流していた支流の瀬川も、イギリス海岸付近で合流している。付近の景観もだいぶ変わってしまったようだ。 「白鳥の停留場」の発射は11時20分だ。 「鳥を捕る人」 「白鳥の停留場」から鳥捕りが登場する。鶴、鷲、白鳥、雁を捕まえるという。このうち、「鶴」と「白鳥」は、星座名「つる座」「白鳥座」とも共通する。 賢治はなぜ、鳥捕りを登場させたのか不明であるが、星座名に鳥に関するものは多い。 列記すると、からす(烏)、きょしちょう(巨嘴鳥)、くじゃく(孔雀)、つる(鶴)、はくちょう(白鳥)、はと(鳩)、ふうちょう(風鳥)、ほうおう(鳳凰)、わし(鷲)と9星座に及ぶ。天上を鳥たちの楽園として捉えていたのであろうか。 「ジョバンニの切符」 ………………………………………………………………………………………………………… 「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四|棟《むね》ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼《め》もさめるような、青宝玉《サファイア》と黄玉《トパース》の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面|凸《とつ》レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環《わ》とができました。それがまただんだん横へ外《そ》れて、前のレンズの形を逆に繰《く》り返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、またちょうどさっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡《ねむ》っているように、しずかによこたわったのです。 ………………………………………………………………………………………………………… 「アルビレオの観測所」は、「星」と「銀河鉄道の夜」の解説では必ず取り上げられる名所の一つだ。白鳥座β星、つまり二重星「アルビレオ」にヒントを得ていることは、疑う余地もない。 「アルビレオ(Albireo)」とは「くちばし」を意味するとも言われている。白鳥座の星座絵では、くちばしの位置に相当している。「銀河鉄道の夜」では、天の川の水の速さを測定する装置を備えた「観測所」になっている。この不思議な観測所のイメージは水沢の緯度観測所(今の国立天文台地球回転研究系水沢観測センター)あたりからの発想であろうか。 当時の天文書、吉田源治郎「肉眼に見える星の研究」の「第六章第三節 白鳥星座」よりアルビレオの解説部分を引用してみよう。 「この星座中、尤も、注目すべきは、くちばしのところにある三等星のべ星でありませう。この星はアラビア名で、アルビレオと呼ばれています。小望遠鏡で覗けば、連星であることがわかります。連星中の大きな星のほうは三等星で、色は、トパ−ヅのやうな黄色に輝き、小さい方は、サフワイアのやうないろをしています。この連星は、1度観望したら決して忘れられぬ美観であります。」 宝石に例える方法が賢治の表現と類似していることがおわかりいただけるだろうか。 サファイアとトパーズに例えて説明している部分だ。草下英明氏は、この類似点や他の共通部分にも注目し、賢治がこの天文書を読んでいたものと推測した。 【鷲の停留場】 ………………………………………………………………………………………………………… 「もうじき鷲《わし》の停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較《みくら》べて云いました。 ………………………………………………………………………………………………………… 「鷲の停車場」のモデルは「鷲座」だ。 白鳥座を北から南へ、さらに天の川の流れに沿って、鷲座のそばを通過する。 「三つならんだ小さな青白い三角標」とは、鷲座のアルタイルと両側の星を含む、「鷲の三つ星」とでも呼べる配列(鷲座α星、β星、γ星)の部分であろう。 突然、鳥捕りの姿が消えると、船の沈没で難破した青年、姉弟が乗車してくる。この部分は1912年4月、北大西洋で氷山と衝突し、沈没した客船タイタニック号のエピソードが引用されている。賢治がタイタニック号の沈没する場面を知り得ていたことは、次の詞から知ることができる。 (前略)いったい霧の中からはこっちが見えるわけなのかさよならなんていはれるとまるでわれわれ職員がタイタニックの甲板でNearer my Godか何かうたふ悲壮な観客まがひである(以下略) 〔今日もまたしやうがないな〕春と修羅場第2集 【孔雀】 ………………………………………………………………………………………………………… そして青い橄欖《かんらん》の森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗《へ》らされてずうっとかすかになりました。 「あ孔雀《くじゃく》が居るよ。」 「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。 ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。 ………………………………………………………………………………………………………… 次は、たくさんの孔雀の場面だ。賢治が「くじゃく座」を意図したものかどうか真意はわからない。銀河鉄道のコース付近の銀河鉄道から大きく離れた星座も、自由な発想で物語の中へと盛り込んでいたとしても、それは不自然なことではないであろう。 賢治は、詩集「春と修羅」の序文で「青空いっぱいの無色な孔雀がいたと思ひ」と、天上の孔雀の存在について言及している。 天の川が鳥のために二つに分かれ、その鳥に築かれた高い櫓では、赤帽の信号手が旗をふって「わたり鳥」に信号を送っている。さらに列車は崖の上を走り、地平線の彼方まで続く美しいとうもろこし畑が車窓にひろがってゆく。天の川が二つに分かれるとは、白鳥座から鷲座のあたりが、暗黒帯で隔てられている様子を取り入れたものだろう。 【インデアン】 ………………………………………………………………………………………………………… 「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」 黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。 ………………………………………………………………………………………………………… 時刻は2時。汽車は「小さな停留場」に到着する。すると、列車内には野原の果てからかすかに新世界交響曲が響き始める。 新世界交響曲とは、もちろんドヴォルザークが作曲した交響曲第9番「新世界より(From the new world)」のことだ。この「新世界」とはアメリカを意味する。チェコスロバキア出身のドヴォルザークが、滞米中に抱いた故郷への思い郷愁の念や、アメリカ的な音楽を取り入れて書き上げた楽曲がこの「新世界より」だ。中でも第二楽章ラルゴは、賢治が特に気に入っていた部分で、歌詞をつけて「種山ヶ原」という楽曲も作っている。 そのアメリカ的な空気に反応してか、銀河鉄道の車窓風景もコロラド高原のような峡谷を進む。高原という表現は、鷲座を過ぎたあたりで天の川が一段と濃くなり、星の密度が増すことを例えているのかもしれないし、渓谷とは、射手座のあたりの暗黒帯が入り組んだ構造のことを言っているのかもしれない。そして、そこに「インデアン」の登場となる。星座名からの発想であろうか。しかし、賢治の時代、星座名称に「インデアン」はなかったのである。 それでは当時、どのように呼ばれていたのであろうか。1925年(大正14年)版理科年表では「印度人(インドじん)」、吉田源治郎「肉眼に見える星の研究」や山本一清「星座の親しみ」でも「印度人」であった。これは他の大多数の天文書においても同様である。 本来、星座名としてのIndusは、アメリカン・インディアンを指すものであり、「印度人」とするのは誤訳に他ならない。この星座名が改められるのは1950年代後半ごろのことで「インデアン座」と見なおされている。そして現在の「インディアン座」になるのは1974年(昭和49年)のことだ。 もし賢治が「インデアン」のヒントを星座から得ているとすれば、一戸直蔵「星」などに掲載された星座絵図、あるいは東京天文台内天文学会編「星座早見」の収録星座名一覧表(本器所載星座名称対訳)に「米蕃」(米国の未開民族)として訳されていたものなどからの発想であろうか。 そのころ海外では、国際的に共通となる星座の概念(星座名や境界線)を定めるべく、国際天文同盟(戦後「国際天文連合(IAU:International Astronomy Union)」と改称)が1992年(大正11年)に専門委員会を設置し、原案作成を開始。6年間の検討の結果、1928年(昭和3年)の総会において承認されることとなったのである。 1930年(昭和5年)には「星座の科学的境界線」が出版され、今日の「星座」が確定したのである。まさしく賢治の時代に現在の星座が成立したと言えよう。 【双子の星】 銀河鉄道列車は、天の川に沿って高い崖の上からどんどんと降りて進む。列車が急傾斜の斜面を下り、谷底の川幅が広くなる場面は、実際の星空とよく対応している。列車は空の工兵大隊が架橋演習をする場面に遭遇。続いて「双子の星」の話題に進んでゆく。 ………………………………………………………………………………………………………… 「あれきっと双子《ふたご》のお星さまのお宮だよ。」男の子がいきなり窓の外をさして叫《さけ》びました。 右手の低い丘《おか》の上に小さな水晶《すいしょう》ででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていました。 ………………………………………………………………………………………………………… 賢治はここで、自身が書いた童話「双子の星」のエピソードを挿入している。「双子の星」も天文童話の一つだ。宮沢清六氏の回想文「兄賢治の生涯」によれば、1918年(大正7年)の夏、「まっさきに私ども家族に読んで聞かせた」という記録が残されている。賢治の童話では初期の作品だ。 「双子の星」の主人公は天の川の西の岸、水晶のお宮に住むチュンセとポウセ。「星めぐりの歌」を笛で吹くのが役目である。ある時、大鳥や彗星にだまされるが、王様の助けでいつもの役目に戻ることが叶うというものだ。 草下英明氏は水晶のお宮のモデルを、さそり座の尾のところにある肉眼二重星(さそり座λ星とυ星)であろうと推測した。他にペルセウス座の二重星団であるとする考察もある。銀河鉄道のコースと照合すると、さそり座のこの肉眼二重星も十分モデルになり得ると思われる。 また、当時の天文書、横山又次郎「天文講語」(1914)などを読むと、二重星を「双子星」と呼んでいたこともわかる。(以下同書から引用)『星の中には肉眼で見ては、一星の如く見ゆれども、望遠鏡に照らせば二個の互に相接近した星であるものがある又三つ四つ乃至は多数であるものもある。前者は双子星と云い、後者は多子星と云ふのである。』 【蠍の火】 ………………………………………………………………………………………………………… 「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云《い》いました。 「蝎《さそり》の火だな。」カムパネルラが又《また》地図と首っ引きして答えました。 「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」 「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。 「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」 ………………………………………………………………………………………………………… 「蠍の火」とは、さそり座のα星アンタレスがモデルだ。さそり座は、星座神話では悪役としてのイメージが定着しているが、賢治は好意的に描いている。 アンタレスを「火」として見るのは、その赤い色の持つイメージ(アンタレスの意味が「火星に対抗するもの」であることが示すとおり)や、中国での呼称「大火」や「火」に関連していることはほぼ間違いないであろう。 賢治の童話「土神ときつね」にこんな台詞がある。「蠍ぼしが向ふを這っていますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火(くわ)と云ったんですよ。」狐が自慢げに星の話をする場面だ。アンタレスが、中国では「火」と呼ばれていることを説明している。狐の説明は、賢治の星の知識の代弁だ。中国名については、吉田源治郎「肉眼に見える星の研究」においても同様の説明がされている。 賢治の書いた歌曲「星めぐりの歌」では、「あかいめだまの さそり」とアンタレスを目玉に例えている。 ………………………………………………………………………………………………………… 「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕《うで》のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。 ………………………………………………………………………………………………………… 星座を形作る星々の配列を、三角標の並び方で表現している。「大きな火」は「アンタレス」。そして「向こふに三つの三角標」としたのは、さそり座β星、γ星、π星。そしてこちら側の「五つの三角標」は、アンタレスから「S字状」に続き「かぎ」のように並ぶ部分だ。実際は、「五つの三角標(星)」だけで、「さそりの尾やかぎのようにならんでいる」のを表現するのは難しいとも思われるのだが……。 【南十字】 列車は「ケンタウルの村」を通過。そこでは、にぎやかなケンタウル祭が行われている。まもなく「南十字(サウザンクロス)」。車掌の説明では、第3時に到着の予定だ。 ………………………………………………………………………………………………………… 「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから。」 ああそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙《だいだい》やもうあらゆる光でちりばめられた十字架《じゅうじか》がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるい環《わ》になって後光のようにかかっているのでした。 ………………………………………………………………………………………………………… 再び十字架が車窓に見えている。もちろん「みなみじゅうじ座」がモデルである。人々は「ハレルヤハレルヤ」(注/原文にはハルレヤとある)と楽しげに歌う。列車は静かにシグナルや電燈の灯りの駅にすべりこむ。キリスト教的な色彩が濃い場面でもある。 みなみじゅうじ座は、賢治の住んでいた花巻からは見ることができない星座だ。もちろん星が十字型に並んでいるが、非常に小さな星座で、北斗七星のひしゃくにすっぽり収まってしまう位のサイズである。しかし、北天における北斗七星同様、北の極を指し示す重要な役割を果たす星座だ。 【石炭袋(コールサック)】 乗客が降りると、ガラスの鳴子が鳴り、列車は再び走り始める。ジョバンニとカムパネルラは、また二人きりになってしまった。そのとき、二人は車窓に真っ黒な何も無いように見える空間「石炭袋」を見つける。 「石炭袋」とはみなみじゅうじ座付近の暗黒星雲の通称だ。名前の由来は、英語の「コールサック」から来ている。みなみじゅうじ座付近は、ちょうど天の川の上にあり、星ぼしのにぎやかな場所である。そこに、黒く星が見えない部分があり、ちょうど孔でもあいているようにも見えるのだ。そこが石炭袋である。肉眼でもわかるが、写真で見るといっそうはっきりする。 ………………………………………………………………………………………………………… 「あ、あすこ石炭|袋《ぶくろ》だよ。そらの孔《あな》だよ。」カムパネルラが少しそっちを避《さ》けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥《おく》に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。 ………………………………………………………………………………………………………… ジョバンニが言うところの「そらの孔」という考え方は、今日の天文学では誤りである。まず、吉田源治郎「肉眼に見える星の研究」の「第七章第三節 十字架星座」の解説部分を引用してみよう。『南十字架座内に一つの奇観があります。(中略)我々はここに於いて、「見える宇宙」そのものを貫いて「星々の彼方の暗黒」を覗くわけであります。』 また、同書の「第六章第一説 秋夜の盛粧」の章においても「乳路の踏査」の解説部分で「石炭袋」についても記述されている。『有名な南天の十字架座まで流れを下れば、所謂『石炭袋』の異観に接することができませう。(中略)それは多分、その部分が、全然星を缺いているためではなくて、まったく光を放たない天體が輝く星の集団を蔽っているために作られるものであろうといわれています。』 「石炭袋」について、最初の解説では天の川に星の内部分があり、その先(星々の彼方の暗黒)が覗けるとされている。これは賢治が「銀河鉄道の夜」で描いたイメージそのものである。しかし後者では、暗黒物質が星々を覆い隠しているとかかれている。これでは説明が矛盾してしまうが、それは当時、銀河の構造に関する理論がまだ確立されていなかったからかもしれない。 賢治は「そらの孔」としての存在に恐れを抱いたのであろうか。「まっくらな孔」を見つけたジョバンニに一つの決心をさせている。それは「大きな暗(やみ)」にも立ち向かう勇気と「ほんたうのさいはい」を探しに行く決意だ。ジョバンニは、カムパネルラとどこまでも一緒に進む決意を確かめるが、突然カムパネルラは姿を消してしまう……… 【夢から覚めて】 ジョバンニは天気輪の柱のある丘で目覚める。夜空を見ると、星の動きからまだそれほど時間が経過していないことを知る。丘を下り、母の牛乳を受け取るが、途中カムパネルラの死を知ることになる。 ………………………………………………………………………………………………………… みんなもじっと河を見ていました。誰《たれ》も一言も物を云う人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。 下流の方は川はば一ぱい銀河が巨《おお》きく写ってまるで水のないそのままのそらのように見えました。 ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。 ………………………………………………………………………………………………………… 斎藤文一氏によれば、イギリス海岸で、8月中旬ごろ、宵の空を見上げると、北上川の下流方向と、北から南へと流れる天の川の流れが重なり、「銀河鉄道の夜」のこの風景を再現することができるという。 ジョバンニは、自分が夢で見た「銀河鉄道の旅」が、カムパネルラにとっては「死への旅」であったことに気付くのだ。カムパネルラの父から、自分の父親がまもなく帰宅する知らせを受け、家路へと急ぐ場面で物語は終わる。 ところで、「銀河鉄道の夜」を鑑賞する上で、特に留意しておきたい作品がある。詞「薤露青(かいろせい)」だ。まず次のページの詩文を読んでほしい。 驚くべきことに「銀河鉄道の夜」と共通するモチーフが多数埋めこまれている。「南十字」を始め「ブリオシンコースト」「マゼランの星雲」「蠍」「水は銀河の投影のように地平線まで流れ」など、列記すれば、そのまま「銀河鉄道の夜」の構想メモのようだ。(この作品は、当時鉛筆書きで記された後、賢治の手により消去されたが、研究者により、消し跡が解読されたことが知られている)賢治の原風景を探るために、その晩の花巻における夜空をシミュレーションし再現してみた。詞に付された作品日付は、「一九二四、七、十七」である。 賢治はイギリス海岸付近で夜空を見上げていたのであろうか。この日の日の入りは19時02分、天文薄明終了は20時55分だ。作品の記述にある通り、宵の南空、低い位置にはさそり座が見え(アンタレスのすぐ左上には木星が輝いていた)、昇ったばかりの月齢15・2の月も出ている。作品上の描写を裏付けるものだ。薄明の残る美しい空は、「銀河鉄道の夜」に描かれた「桔硬色の空」として吸収されていったのかもしれない。 |
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