Act.6 海と風と

 

 

 

 ――魔法盗賊団ドラグニアが、盗品と交換に指定してきた品物を手に、<ブルーフェザー>の面々とフロリスは指定の場所へ向かった。ただし、実際に犯人と接触して品物を渡す相手として、盗賊団は二捜のファラ・ビノシュ室長を指名してきた。彼女が魔力を持たず、しかも女性であるからだろうが、ビノシュはかなりの使い手である。武器を携帯していなくとも、簡単に相手の思うようになるような女性ではなかった。

 とはいえ、相手は多数であり魔法能力者の集団である。ルシード達は警護を任され、一捜とともにビノシュを遠くから見張っている。

「あと五分だな」

 ゼファーの短い言葉で、否が応にも<ブルーフェザー>の緊張は高まった。指定場所の第三埠頭は、所々に灯された明かりがかろうじて闇を払っているだけで、薄暗い。

「……」

 フロリスが自分たちよりもずっと気を張り詰めているのを察し、バーシアが彼女の肩に触れた。彼女ははっとしてバーシアを見上げたが、人のぬくもりでいくらか強張りがなくなったようだった。

「いい? あんたの思いをぶつければいいんだからね。後のことは、悪いけどあたし達が何とかさせてもらうよ」

「はい……」

 やがて、時計が十二時をさす。ばらばらと、複数の人影が現れて、明かりのすぐ下にいた髪の長い美女を取り囲んだ。全員、黒い服を着て顔を隠していた。見積もりでは、十数人。

「ちゃんと来たんだな。なるほど、確かにすげぇ美人だ」

「あらありがとう。でもわたしはこう見えて忙しいの。せっかく会えて嬉しいけど、さっさと要件を済ませましょう」

 伊達に保安局づとめが長いわけではない。ビノシュは部下たちに運ばせてきていた品物を顎で示した。大きなトランクには絵画が、銀のアタッシュケースには宝石がまとめて詰められており、一番見栄えがしないのが古く小さな金庫だった。言うまでもなくアルフリートの金庫である。

「もう少し付き合ってもらう。検分したいんでね」

「お好きに」

 頭目と思われる一人が合図して、他の影が一斉に動く。三つのものに群り、中を確かめていたがしばらくしてかすかに頭目に頷いて見せた。本物であると納得したのだろう。

「さて、盗んだものを返してもらいましょうか」

 ビノシュが言うと、大方の予想通り頭目は傲慢に顎をそらした。

「へっ。それでよく保安局になんていられるな。盗賊が一度物にしたお宝を簡単に返すとでも?」

「あらそう。それならそのアルフリートの金庫の『鍵』もつけましょうか。それなら、あなた達の盗んだ宝石とつりあうでしょう?」

「何?」

 ビノシュが振り向き、目で促すままに、フロリスは隠れ場所から出た。

 

 

「……なんだ、この女は」

「だから『鍵』よ。知らないかもしれないけれど、その金庫はアルフリート家の直系の血筋にある者の声でしか開けることができないの。つまり、今となっては彼女だけよ」

 わたしはその事実を、打ち合わせのあった一昨日に初めて公開したのだった。ロイドの狸親父は苦虫を噛み潰したような顔をしていたから、たぶんわたしが啖呵切っていった日から何度か開けようと試してみたんじゃないだろうか。わたしが魔法能力者であることも含めて話し、この作戦のために協力を申し出た。と言っても、わたしの役目は単なる<時間稼ぎ>だ。

「アルフリート家はその中にあるものの守護者であり、支配者でもあるの。だから今は私以外の誰にも開けられない。それくらい、複雑な魔法がかかってる」

「はん。そう言えば聞いたことがある。十三年前、アルフリート家は長女を除いて皆殺しになったと。お前がその生き残りか」

「……お前達と同じ、魔法能力者の盗賊達にやられたんだ。わたしの毎日も、わたしの未来もみんな、変えられたんだ!」

 魔法が発動しそうになるが、耐える。そんなことになったら、全部作戦が無駄になる。まだまだわたしは、しゃべっていなければならない。

「それがなぜ、金庫を開けようと思った?」

「わたしの不幸の元凶を、この目で見ないと気がすまない。あんなものがあったからわたしは……わたしの家族はあんなことになったんだ。不幸を呼ぶような宝なんていらない。わたし達からすべて奪っておいて何が……何が<祝福の女神>だ!」

 金庫の中には、女神像がある。その美しさ、表情の優しさから<祝福の女神>といつからか誰かが名づけた。だけどその祝福は、誰のためのもの?

「どうにでも……好きなようにするがいい」

 言葉を搾り出すように、わたしはゆっくりと話す。

 そろそろだ。

「そして今度は、お前たちが呪われてしまえばいい。さあ、金庫を渡して! 喜んで開けてやる!」

 叫ぶと同時に、わたしは身体を低くしていた。

「な……!?

 ビセットの蹴りをまともにくらって、盗賊の一人が倒れた。

「お前達、どこから……!?

 言いかけた別の盗賊は、フローネの水の魔法でやられる。続いてバーシアさんとルーティが、それぞれの武器を構え敵に向かっていった。

 一昨日、作戦会議終了後すぐにこの場所の近くに即席の地下室を作っておいたのだ。見つからないように入り口の上には空の木箱を重ねておいて、<ブルーフェザー>は指定時刻の二時間前に地下室に潜ったのだ。私は出入り口の一番近くにいて、そのときはどかしておいた木箱の陰にずっといたようなふりで盗賊達の前に出ていったのだった。やっぱり、すぐ近くに頼りになる人たちがいないように振舞うのが難しかった。

 わたしがいろいろしゃべっている間に、ルシード達がこっそり地下室から出て、盗賊達に不意打ちをしかけるという手はずになっていた。

「フロリス」

 小声でささやかれ、わたしはゼファーさんと一緒にさっきの木箱の裏に隠れた。戦闘は始まっている。ビノシュ室長は持ってきたものを安全なところに移すため、やっぱり近くに隠れていた一捜のみなさんに手伝ってもらって、素早く撤退していった。

 わたしは、見届けなければならない。すべての決着なんだ。

「ブレイズ!」

 ビセットが炎を呼び、二人の盗賊に命中させる。が、相手も不意打ちのショックから立ち直り、魔法を使って応戦してくる。

「スプラッシュ!」

「フレイム!」

 フローネが水の魔法を放つが、敵の一人の炎の魔法とぶつかり、威力は相殺する。属性同士の反発だ。

 ルシードとバーシアさんは、武器で攻撃する。

「だぁっ!」

 水と炎の魔法がぶつかり合って打ち消し合った結果生まれた煙を抜けて、ルシードが剣を振りかぶり、さっき炎を使った盗賊に斬りつける。盗賊はそれをかろうじて受けとめたが、横からのバーシアさんの一撃であっけなく倒れる。見事な連携だった。

 そして。

「結界よ!」

 フローネが味方に水の結界を張った。これで相手からの火の魔法はほとんど役に立たない。他の属性でもそれほどダメージは当たらなくなる――はずだった。

「甘いな」

 頭目が嘲りも露に言い、魔力を解き放った。

「ああっ!!

「これってまさか!」

「そんな……!」

 赤い光が、敵味方療法を包みこむ。『火の戦陣結界』という奴だ。これでフローネの張った結界は無力化されてしまう。

 さらに、追い討ちをかける敵からの攻撃が始まる。

「トリディティ!」

 炎が<ブルーフェザー>のみんなを……包みこんだ! その炎がおさまるのを待って、さらにもう一人が魔法を唱える。

「エアバースト!」

 さっきと同じ現象が、今度は風の力を借りて起こる。炎の中では、風は威力を増すのだ。緑色の力が消えていったあとには、倒れて動かない五人の姿があった。

「みんなっ!」

「駄目だ、フロリス」

 すごい力で、ゼファーさんが飛び出そうとしたわたしを抑える。

「だって、だってみんなが! わたしも魔法使える!」

「だが戦力にはならない」

「――っ!」

 事実をつきつけられて、わたしは何もできなくなる。わたしはずっと自分の魔力を否定してきて、ほとんどないも同然の弱い魔法しか使えない。それが悔しい。このとき初めて、わたしは強い魔法を求めた。

「メルフィに連絡しておいた。ヴァレス室長、ビノシュ室長もまもなく態勢を整えて駆けつけてきてくれる。お前はここにいろ」

「ゼファーさん……」

「それまで奴らを食い止めることくらいはできる」

 そう言えば、メルフィさんからちょっとだけ聞いた。ルシードが来る前はゼファーさんが<ブルーフェザー>のリーダーだったと。足の怪我で引退したらしい。

 彼はゆっくりと――怪我の後遺症か、はたまた作戦か――残り五人の盗賊達に近づいていった。

「ん? なんだてめぇ?」

 五人が素早くゼファーさんを取り囲む。

(……っ!?

 あのときの兄様が、瀕死の兄様が、盗賊達に取り囲まれている光景が……フラッシュバックして浮かんできた。

「にい……さま……!」

 兄様は、まだ十七歳だった。今わたしの目の前で、倒れてもなお起き上がろうとしているビセットと同じくらい。そう……あんなふうに、兄様は倒れて動かなくなったんだ。

 記憶はどんどん私を押し流す。二つ年下の弟は、生意気でいつもわたしと喧嘩して、でも目をくりくりさせてわたしを追いかけてきていた。間違いなく、あの子はわたしを慕っていた。あの子の明るさは、ルーティに似ている。だからわたしは、初対面で子の二人を気に入ったのかもしれない。

(同じだ……あの時と)

 優しいフローネ。さりげなく励ましてくれるバーシアさん、そして一生懸命街を走り回ってくれたルシード。彼が寝る時間を削ってがんばってくれていたこと、わたしは知っている。

(同じ……)

 メルフィさんもティセちゃんもゼファーさんも、わたしにとてもよくしてくれた。

(同じ……? いいえ)

 短い間だったけど、家族みたいに接してくれた人たち。あのころの懐かしい温かさを、もう一度わたしにくれた人たち。

(あのときと同じで……たまるか!)

 盗賊達が動く。ゼファーさんは魔法を発動させようとしているらしいが、複数の相手に一人で向かうには魔法は不利だと前にメルフィさんから聞いた。効果が出るまで時間があるからだ。

 ――同じことにして、たまるものか!

「そんなのはいやだ!」

 強い思いが、一気にはじけた。

「やめろ!」

 叫んで飛び出し、一瞬動きを止めた盗賊達とゼファーさんの間に立つようにして、わたしは五人の黒ずくめをにらみつけた。そして、十三年ぶりに触れた金庫を両手で前に突き出す。中に入っているものは軽いし、金庫自体も小さくて持ち運びが楽なように設計されていたから、わたしでもそれを掲げることができた。

「フロリス……」

「目の玉ひん剥いてよく拝んどきな! これがアルフリートの女神だ! 今ここで開けて見せてやる!」

 ゼファーさんを振り払い、金庫を地面において、扉を奴らに向ける。『鍵』となる<呪文>は、未だにしっかり頭にこびりついて離れていなかった。父様がわたしに、何度も何度も子守唄代わりに聞かせてくれた<呪文>。

「<我らが女神 我らが母 我らが願い ここに舞い降りて。我らが祈り 我らが罪 我らの祝福となりて 天に帰りぬ>」

 おじい様の作った、女神のための詩。祈るための言葉。これを独特のリズムと、微細な高低をつけて唱える。本当に微妙な調子だから、何度も何度も耳で聞いて覚えないと絶対に『鍵』は開かない。

「<我ら罪深き永遠の子ら 求むるは空へのはしご 故郷への階(きざはし) 母の許しよ 女神の涙よ 我らの声を天空へ運びたまえ>」

 間違いなく、おじい様は魔法技術の天才だった。こんな複雑な条件を完璧に<鍵>にしたんだから。

 誰も動かない。わたしの口から紡がれていく言葉に魅入られてしまったかのように。確かにとても不思議な韻律だ。わたし自身、自分が今何をしているのか忘れてしまいそうになる。

 どうか、<女神の祝福>を。もしもなければ、わたしは<女神>を許さない。

 ――次が、最後の呪文だ。

 息を吸いこんで、心を静めて、わたしは賭けに出た。

「ブルーライト!」

 

 

 がんがんする耳の奥で、厳かな音の流れが響いているような気がしていた。そしてその流れの果てに、優しい水の力が全身に降り注いできたのだ。

(なんだ……? 回復魔法?)

 痛みがひくにつれそれが癒しの魔力だと理解できたが、誰がそれを自分たちにかけてくれたのかがわからない。この場にいる味方の魔法能力者は、全員自分同様身動き一つできない状態のはずなのだから。

(じゃあ……)

 可能性は二つ。現在はサポートに徹しているが最近まで現役の保安局員で<ブルーフェザー>のリーダーだったゼファーか、魔法は使えるがずっと鍛えずにそのまま封じてきたあの少女か、だ。

(フロリスだったら……やばいじゃねぇか)

 彼女は民間人で、戦闘訓練を受けていないのだから――。

「センパイ!」

「ちょっとルシード、さっさと起きなよ!」

 緊迫した二人の女性の声で、一気にルシードの意識は覚醒した。

「あ……」

「動ける、ルシード?」

 ルーティが尋ねてくる。その間にもフローネは「ブルーライズ」の魔法でメンバー全員の傷を治していく。それが終わるとすぐ、バーシアがいったん地の自陣結界を張った。

「さっきの魔法は!? ゼファーか?」

「いいや、違う」

 武器をもちなおし、立ちあがったルシードへの答えは、後方から聞こえてきた。前面の敵を警戒しつつ、ちらりと後ろをうかがったルシードは、幼馴染みがかばうようにして支えている、ぐったりとした少女の姿を認めた。

「ちっ」

 いくら自ら名乗り出たとはいえ、結果的にフロリスを消耗させてしまったことが口惜しい。

「おっし、もっかいいけるぜ!」

 さっきまで倒れていたのが信じられないほど、元気のいいビセットの声が、合図となった。

「行くぜ!」

 ルシードが吠えた。ビセットとルーティが抜群の連携で敵に突っ込み、結界の役をフローネに譲ったバーシアが、二人を魔法と槍の攻撃で援護する。ルシードはフローネに致命傷を与えないように彼女を守りつつ、果敢に剣戟を繰り出していく。

「でやぁっ!」

 ビセットの拳打は、素早い上に重い。連続でそれを腹部に受けて、よろめいた盗賊にルーティのハンマー攻撃が続いてお見舞いされる。すでにそのときには、ビセットは次のターゲットに攻撃をしかけていた。

「くっ、サンドラ……」

「させるか!」

 「サンドライト」で回復を試みようとした別の盗賊に、バーシアが槍を突き出した。彼女は魔法も物理攻撃もバランスよく使いこなせる凄腕で、動きも機敏だ。何度も繰り出される鋭い突きを、相手はかわすので精一杯だ。

 ルシードは後方で戦いの様子をくまなくチェックしていた。今回の敵はそこそこ名の知れた魔法能力者ばかりの盗賊達だ。単調な攻撃では体力の万全でない分こちらが不利になる。水の戦陣結界を張るフローネの援護を受け持ったのは、彼の作戦だった。

(隙のない連中だ。一瞬の勝負だな)

 その<隙>を、彼はずっとうかがっている。フローネの魔力も長くは持たないのだから、決着はなるべく急がなければならない。

 ビセットとルーティが、三人目の盗賊を倒した。バーシアも戦っていた相手を片づけ、残りが二人になる。

「ルーティ!」

 ルシードは跳んだ。前列との距離を一気に縮め、そろそろ息のあがってきていた小柄な赤い帽子の少女を後ろに引っ張る。

「交代だ!」

 ルーティのほうもそれを察していたので、入れ替えはスムーズに行われた。ルシードは長い薄紫の髪をしなやかになびかせ、頭目に向かっていく。今まで戦闘に参加しておらず、体力も完全に近いほどに戻っている。加えて、新手である彼の動きを頭目は読めずにいた。

 何度か攻撃し、ルシードは体勢を低くして頭目の足を狙った一撃を放つ。が、そろそろ目の慣れてきていた頭目に剣の軌道は紙一重で読まれていて、ジャンプしてそれをかわされる。

 に、とルシードは笑った。狙い通りだ。

「うりゃぁぁっ!」

 中空の頭目に、ビセットの渾身の蹴撃が決まる。どこにも逃げることのできない中空に頭目をおくことが、最初からルシードの狙いだったのだ。

 胸に強烈な蹴りを受けて、頭目は落ちた。肺に衝撃がいったらしく、細かく痙攣して起き上がろうともしない。

「リーダー! おのれ、ヴォルケイノ!」

 バーシアと切り結んでいた最後の一人が、炎の魔法を解き放った。

「やばいっ!」

 炎が地表を割り、天に向かって噴出す強力な魔法である。とっさに前列の三人は術者から飛びのくが、足元には亀裂ができ始めている。いくらかは結界の力で相殺されるだろうが、ダメージは覚悟しなければならないだろう。

「くそっ!」

 瞬時にそこまで考えたルシードは、次の刹那剣を構えて飛び出した。

「ちょっ、ルシード!?

 誰かが驚いて大声をあげていたが、振り向かない。自分の魔力をすべて剣に込める。

 大きく足元が揺れる。赤い悪意を持った指を逃れて、ルシードは剣を振り上げた。

「スラッシュ!」

 地の力を借りた攻撃が確かに決まったのを、彼は自分の身体で感じ取った。

 

 

 戦いの後、戦ったメンバーは全員まる一日へばっていた。けれど、ルシード達を待っていたのはねぎらいの言葉でもご褒美の休暇でもなく……始末書だった。

 ……ちなみに、原因はわたし。ティセといっしょに魔法陣の掃除をしていて、うっかりわたしの魔力を高めることになってしまったのだった。わたしが暗くなってたのって、実はこれが原因なんだよね。ま、おかげで成功するかわからなかった「ブルーライト」はちゃんと発動したんだし、と言ったら……それはもう、めちゃくちゃ怒られた。ルシードだけでなく、事務所のみんなに。けど、なんか嬉しかった。怒られたの、久しぶりで。

 まあとにかく、お詫びもかねてわたしはみんなの大好きなクーロンヌのケーキを買いに街へ出たのだった。

「いらっしゃいませ……あ、あなた新聞記者さん!」

 そう声をかけてきたのは、前にケーキを配達に来た女の子だった。服が違ったから、一瞬わからなかった。

「こんにちは。あの、<ブルーフェザー>のみんなって、どんなケーキが好きかな?」

「えー? 何食べてもおいしいって言うけど」

 うーむ。確かに。

「じゃあ、お姉ちゃんの新作にしたら? まだ正式に売り出してないから、個数限定なんだけど」

「モニターみたいね」

 でも、本当にここのケーキはおいしかったから、それでもいいかもと思って、私はそれを一ホール注文した。

「いらっしゃいませ。ありがとうございます」

 奥の厨房から、優しそうな美人が現れて、にっこり微笑んだ。シェールちゃんとどことなく似ているから、この人が彼女のお姉さんだろう。

「これって、どんなケーキなんですか?」

「生クリームとフルーツを使ってるんですけど、シナモンなどのスパイスを隠し味に入れてみたんです」

 料理はするけどお菓子のことはよくわからない。けど、なんだかおいしそうだな。

「リボンはお付けしましょうか?」

「はい、お願いします」

「でも、ルシード君たちにあげるんでしょ? もうすぐおやつの時間だから、すぐ食べちゃうんじゃない?」

「こら、シェール」

 言われてみれば、それもそうだなぁ。でも、ケーキの箱にリボンがかかってたら、なんだかどきどきするから、たとえ一瞬でもそれがあったらいいな。

「やっぱりつけてください。リボンがあったら、嬉しくなりますよね」

「ええ、そうですね。特別な気持ちになって、ね」

 そしてまた、彼女は笑う。ふんわりと甘い感じの笑顔。お母さんみたいな。

「シェールさんのお姉さんの、リーゼさんですね?」

「はい、そうです。さっき聞こえてたんですけど、あなたも<ブルーフェザー>のみなさんのお知り合い?」

「ええ。ちょっと今回、いろいろとお世話になって」

 ケーキを包装してもらっている間、何気なくシェールを見ると、彼女はむくれていた。

「どうしたの?」

「え?」

「わたし何か、悪いこと言った?」

 自分の不機嫌を見破られたのだと悟った彼女は、あわててわたしの言葉を否定した。

「違う違う。んー、またお姉ちゃんのファンが増えたかなぁっておもうと、ちょっとね」

「……お姉さんを好きな人が増えたら、嬉しくないの?」

「そりゃ……お姉ちゃんは何でもできて、すごいとは思うけど……すごい人がきょうだいにいると、下は苦労するのよ」

「ああ、そっか」

 兄様は勉強がよくできたから、両親や親戚の人にかわいがられてた。そういうときわたしもちょっと悔しいような、嬉しいような気持ちになったっけ。

「だけどさ」

 かなわない存在がいつも目の前にいるのは、ときどきどうしようもない焦りや悔しさを呼ぶけれど、それも事実だけど。

「その人が自分をとても大切に想っていてくれるって実感できたら、そんなことはどうでもよくなるよ。少なくとも、わたしはそうだな」

 もうどこにもいないけど、兄様はわたしを愛してくれていた。両親も、弟も、みんなわたしの最愛の家族だ。

 

 ケーキはおいしかった。どういうふうにおいしかったのか事細かに説明したいけど、うまく表現できる自信がないので残念だけど割愛する。とにかくみんなケーキとお茶と他愛ない会話にすっかり満足していたのだ。

 楽しい時間を中断したのは、わたし。紅茶の最後の一口を飲み干して、私はみんなに言ったのだった。

「見てほしいものがあるの」

 返事を待たず、私はリビングの隅っこに放置してあった、金庫を手に取った。

「フロリスさん……!」

「この中にあるものを、みんなに見てほしいの」

 でないと、本当の『最後』じゃない。

 わたしは、金庫をみんなに見える位置に置き、その前に座って<呪文>を唱え始めた。

 

我らが女神

我らが母 

我らが願い

ここに舞い降りて

我らが祈り

我らが罪

我らの祝福となりて

天に帰りぬ我ら罪深き永遠の子ら

求むるは空へのはしご

故郷への階(きざはし)

母の許しよ

女神の涙よ

我らの声を天空へ運びたまえ

我らは女神の愛し子(めぐしご)なり

 

 あのときは、本当に発動させたかった「ブルーライト」に集中するために口にしたんだけど、今日はちゃんと、開けるために全部を胸から吐き出した。最後まで一息に唱えると、かちりと小さな音がした。ここまでが第一段階、あとは普通の金庫同様、番号を合わせるだけだ。兄様、すなわちアルフリート家の次期当主の誕生日通りにダイヤルを合わせていく。

「これが?」

「そう。<祝福の女神>の像だよ」

 前にわたしがこれを見たのは、父の誕生日の宴の席でだった。美しい女神はあのころとまったく変わっていなかった。人とは違う、超越した存在<女神>だからだろうか。

「身に纏う衣装は……真珠だな」

「顔の部分って、まさか象牙とか言わないでしょうね」

「うーんと、じゃあこの頭に巻いてるアクセサリーも何かの宝石?」

「目も?」

 像はわたしが両手で持って、すっぽり納まってしまうくらい小さな物だ。けれどこの像には、宝石商らしい贅沢さが輝いている。

「ゼファーさんの言うとおり、衣装の部分は真珠を一度粉にして加工してる。この技術ってもうないんだって。んで、肌が象牙なのも正解。ちなみに髪も純金なの。両手には白金のブレスレットをあしらってて、額のティアラも鎖は白金で石はサファイア。目にはブラックオニキスがはまってます」

 みなさん、開いた口がふさがっていなかった。

「これ、使われてるのもすごく豪華な材料だけど、何よりも細工と技術がすばらしいって評価されてるらしいよ。わたしもあとで知ってびっくりしたんだけど」

 まるで生きているような、精緻な像。今改めて見てもそう思う。芸術的価値も計り知れないし、好事家にとっては喉から手が出るほどほしい品だろう。自分の<女神>として守られたいと思うだろう。

「これ、あげる」

 わたしは無造作に、女神像をダイニングテーブルの上に置いた。

「……え?」

「え!」

「どえぇぇぇぇっ!?

 部屋の中はちょっとした恐慌状態に陥ったが、何とかそれをゼファーさんが収集してくれた。

「フロリス。これはお前のものだ。それに今お前が言ったように、大変高価な芸術品でもある。好意は嬉しいが、俺たちがもらうわけにはいかない」

「そう言うと思った。じゃあ、あなたたち名義で美術館にでも寄付して」

「って、お前何考えて……」

「いらないんだもん」

 ルシードを遮って、わたしは断言した。金庫が戻ってきてから考えたけど、やっぱり答えはこれしか出そうになかった。

「わたしは<女神>の加護なんていらない。もう<女神>を守ったりも支配したりもしない」

「で、でもでもでも! これってフロリスさんのお父さんたちが大切にしてたんじゃ……」

「……うん。だけど、正直言ってわたしはもう、こいつに縛られるのはまっぴらなんだ」

 今のわたしがいること、わたしが辿ってきた道、その責任を全部この像に押し付けるのは、卑怯だとわかってはいる。そんなことしたって取り返しがつかないって、理屈ではちゃんと理解している。それでも、やっぱりずっと抱いてきた怒りや悔恨は、こうしないとおさまりそうになかった。

「わたしたちの誰も守ってくれなかった<女神>なんて、必要ない」

 これがわたしの決着でありけじめであり、『復讐』なんだ。

 

 

「お、みんなー! 俺たちのこと載ってるぞ!」

 昼下がりのリビングで、ビセットがめずらしく新聞をめくっていたのは、懐かしい人からの便りが昨日届いたからだった。

「どれどれ? 『<ブルーフェザー>、街を救う』? 派手な見出しねぇ」

 パイナップル頭の後ろからのぞきこんだバーシアが苦笑する。記事の内容を、フローネが読み上げた。

「『先日、皆既日食で引き起こされる魔力の高まりを利用した、凶悪な魔法犯罪がシープクレストを襲った。現場は街の地下を走る下水道で、一時は住民も避難し街の最悪の場合街の全壊も覚悟されたが、保安局刑事捜査部第四捜査室、通称<ブルーフェザー>が鮮やかに事件を解決に導いた。この事件を機に近年の魔法犯罪減少を理由に第四捜査室を縮小していた当局も、方針の見直しを検討する模様である』」

「ふふっ、がんばってるわね、フロリスさん」

 碧の瞳の好奇心旺盛な少女が町を去ってから約半年、久しぶりの彼女からの手紙には、自分の記事が初めて大きく取り上げられることが弾むような文章で記されていた。もっともそれは彼女の住む、シープクレストの隣にある街の地方新聞なので、わざわざビセットがそこまで足を伸ばして買い求めてきたのだった。彼女は律儀に一枚一緒に送ってくれたのだが、元気な少年はどうしても買ってくると言ってきかなかったのだ。

「今度またシープクレストに来るかなぁ?」

「来るといいな。でもそのときは、事件があるってことじゃん?」

「そうだな。何しろ彼女は、出張取材専門だからな」

 フロリスこと梓・フロンティアが取材するのは、他の街での事件や心温まる話だ。もともとそういう役職だったのが、今は彼女の魔力を生かして魔法に関するニュースも精力的に集めているのだと、手紙にはあった。そのためほとんど下宿先に帰ることができず、戻ったときが恐ろしいと彼女は楽しげにつづっていた。

「今度はどんな風に話せるんでしょうね?」

「まあ、前より明るくなってるんじゃねぇか? けどそのときは、じっくり話つけねぇとな」

「女神像、結局保安局に預けてますもんね」

 時間が経った今なら、彼女も違う答えを出したかもしれない。誰ともなくそんなふうに考えたときだった。

 

 ピンポーン。

 

「……もしかして!」

 真っ先に、ルーティが玄関に向かっていった。すぐ後をビセットが追いかけ、ティセも続こうとして転んでメルフィが彼女を慰める。ゼファーとフローネは、柔らかい表情で期待とともに客人を待っている。

「まだあいつだって決まったわけじゃねぇぞ。ったく……」

 ぶっきらぼうに呟きつつも、ルシードもそわそわと玄関に続く扉に目を凝らした。

 

 

 

 

 


『悠久幻想曲3』の長編、完結です。

このサイトで二番目の完結……。時間が

かかりましたが、やっとここまでこられました。

お付き合いくださった方々、

本当にありがとうございました。

読んでくださった皆さんが

いたからこそ、書いてこれました。

自分ではこの終わり方に

納得していますが、みな様からの反対意見も

お待ちしております。読者の方からの

反響が、何よりも励みになります。

 

 

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