桃花水

 

 

 どさどさどさぁぁぁっ!!!

 天界、アルスアカデミアの中庭。

 いきなり気配すらなく落ちてきた『それ』に、流石に彼女も驚いた。

 それ―――ヒヤシンスのような青紫、という、ものの見事に濃い色の翼の主に。

「ってぇ……」

「……大丈夫?」

 束ねた銀髪に、木の上で昼寝でもしていたその所為か、葉っぱをつけた青年に微苦笑を漏らし、女性は声をかけた。

 無造作に背に流した、緩く波打つ金の髪。細い柳眉と、長い睫毛に縁取られた、深い知性を宿す黄昏の空の色をした瞳。金糸に縁取られた白い輪郭の、線はどこまでも完璧に描かれ、ほころび始めた薔薇を思わせる唇から、凛と高い音が紡がれた。

 青年は、彼女を見上げ暫しその美貌に絶句し―――

「これはまた……すごい美人さんもいたもんだ」

 神の創ったものの姿に、半ば圧倒されかけつつ、表面だけは普段と変えずにぽつりと呟いた。

 

「それで、あなたは何故落ちてきたのかしら」

 琴の弦を弾いたように、高く、空すら貫くように澄んだ声音。かといって、キンとするような音ではなく、限りなく純化されている。

 青年の落ちてきた、巨木の下で彼女は問い出した。

「昼寝してた。講義フケて。そしたらまぁ……夢見悪くてなー」

 ひょいと肩を竦め、青年は答えたが、言葉の半ばから先は、やや乾いていたりする。

 こちらも確かに顔はかなり見れるのだが、彼女と違いやたらと人間じみ且つ粗雑な動作が目立つ。それはそれで親しみやすいのだろうが、天使としての神聖さというのが皆無に等そうだ。

 更に独特の、機能重視の服装も、彼を人間のように見せていた。天界ではなかなかお目にかかれないだろう。鞣革や丈夫な麻布や厚い木綿の、旅人か狩人に近い装束。直な銀の長い髪を麻紐でひとつに束ねている。かなり長身で、その女性と並ぶとどうしても見下ろす形になってしまっていた。そして、鍛え抜かれた体躯。雑だが動作に隙はまったくない。たとえ背後から斬りつけられても、完璧に見切って逆にカウンターで仕掛ける、くらいやってのけそうだ。

 ……やってのけそうだ。だがしかし、その表情はやはり乾いている。

 彼の言った悪い夢、というのが、溜まった提出課題の山に埋もれる夢、という、とことんフザけた学生との、差がない夢だったりするせいかもしれない。

「あのセン公の授業、催眠術混じってんだよ。

 思い出しても腹の立つっ!『講義中昼寝する奴に出席時数はやらない』だとっ!?眠くなるのは誰のせいだ!」

 ……責任転換である。それは。しかもそのへんの地上界にいくらでもいるような学生並の台詞。

 しかし無論、ンな事実は青年にとってはどうでもいい。要は愚痴りたいだけである。

「それは、責任転換でしかないと思うのだけれど?」

「わぁーってるよ。

 初対面の天使に聞かせる愚痴じゃねぇ、ってコトもな。

 ……っと。あれ、そいや自己紹介してねーな。あんた、名前は?」

 ふと実にぼけまくったセリフを吐く。

 普通、はじめて会ったら自己紹介は当然だが、いきなり上から落ちてくれば、流石に忘れる。そもそも彼は細かい事まで気にしない。

「私はリリトよ。よろしく」

 言って差し伸べられた、繊細な手を反射的に握り、ふと青年はその名が記憶に存在する事を思い出す。

 いくら通信科だと言っても、講義は普通科生と同じ教室。ついでに人当たりのいい性格と砕けすぎた性質なので、自然、ひとも集まってくる。ともすれば、有名な噂の百や二百、入ってきても不思議はまったくなかった。

 対してリリトは、骨張って無骨な青年の手に、僅かにだが驚いた。戦場で育ったわけでもなかろうに。

 そういえば、腰の後ろに長剣をとめている。

 しかしよっぽど長期間使っていなければ、こんなに無骨な手にはならない。手の皮も厚かった。

 ついでに教育機関で剣を下げている天使、というのも珍しいだろう。普通怒られる。

「リリト、ってまさかあんた……」

 蜂蜜色の、無造作に背に流しているだけの髪が陽光を弾き、豪奢に煌く。黄金の翼は、太陽の輝きと純粋な栄光で織り上げられているかのようで、このうえなく整った美貌に、どこかに非でもないかと探しても粗など絶対なさそうな、上品な物腰。

 まさかこんな天使が、そこいらじゅうにいる訳がない。彼は自分の知った噂の「リリト」と、目の前の佳人が同一人物だと判断する。

「アカデミア二大才媛殿の片方か……?

 ったく、噂はアテにするもんじゃねぇな」

 溜息つきつつ青年は、がじがじ銀の頭を掻いた。

「噂というのは誇大誇張されて広がるものだわ」

「いや、違うさ。そういう意味じゃない」

 彼は深い、冥界の果てほどに深い溜息をついて、

「こんだけ心臓に悪い程の美女だって、噂じゃわっかんねぇかんな……」

 なにやらしみじみ呟いた。

 リリトがおもわず笑みを零す。

「そういうあなたの名前はなんというのかしら。自己紹介したのは私だけだけれど?」

 ほうっておくと、自分の自己紹介を忘れてしまいそうな青年を、リリトはやんわり促した。

 彼はやはりきっちり忘れていたらしく、ああそうだったとかボケまくって頷き、

「オレはヴァリス。アカデミアの通信科を、無理につくってもらって受講してるまっ最中だから、もしかすると噂になってるかもな」

 言ってけらけら笑った青年の、その名を実はリリトも知っていた。――名前だけは。

 そりゃそうだ。天使の教育機関、アルスアカデミアに通信科はない。しかしなぜかそれを上に提案し、無理矢理採用させた天使がひとり、いたりしたのだ。

 青紫のやたらと濃い翼の青年で、天使らしさが堕天使の慈悲ほどもない、ともっぱらの噂である。銀髪に紫紺の瞳だとは知らなかったが、ともかくその天使の名をヴァリスといったのだ。

「ええ。一応、その話は聞いたことがあるわ」

「やっぱかぁ……。好きじゃねぇんだけどな。噂にされンのは。余計な尾ひれ背鰭がついてまわるわ誇大誇張されて伝わるわ、果てはていのいい話題にされるわ。ロクなことねぇよ」

 だったら大人しく、普通に地味な意見と態度でいればいいのだが、むろん天使にしては無意味に奇抜なヴァリスに、普通にしていろというのは無理な注文である。否、無駄な注文である。

 しかし噂では、ここまで徹底的に人間じみた性格の天使だとは解らない。

 噂などそんなものである。

 やたらと世俗的ではあるが、それが人擦れしてきたせいではなく、地であるためか、嫌にならないのも不思議だった。

「まぁでも、アカデミア二大才嬢殿の片方に名を識っていてもらえた、ってのは、光栄に思うべきか?」

 はははと半分乾いた引きつり笑いの、皮肉にも聞こえてしまいそうなその台詞は、しかし口にしたのがヴァリスだったためか、笑って聞き流せる程度のものだった。

「そう思ってくれるのなら、こちらも光栄だわ。

 ……あら?」

 綺麗に微笑んでいたリリトは、ヴァリスの背後に煌く銀の軌跡を捉えた。

 彼女の視線を追い、ヴァリスも振りかえる。

「リリト!

 ……っと……」

 射抜くような金の眼差し。

 それと相反するかのように銀の翼が煌いていた。リリトと並ぶと実に映える。

 乱雑に切られた黒髪が、何故かさまになって不思議だと、おもわず妙なところを疑問に思うヴァリスだったが。

「アレクス?

 どうしたのかしら」

「いや、見かけたから。

 ……あんたは?」

 翼の色が物珍しい、と思ったのはお互い様だと、ふたりは気付いていないが、とにかく尋ねられ、ヴァリスは名乗った。

「ヴァリス?ああ、あの通信科の……。

 俺はアレクス。よろしくな」

 差し出されたアレクスの手を握り返し、ヴァリスの頬が一瞬引きつった。

「アレクス……って、『あの』超秀才の……」

 余談だがヴァリスは試験などはいつも赤点ぎりぎりである。

 理由は至って単純明快。

 必要最低限の勉強しかしないからだ。否。ほとんど講義を聴いてるだけである。居眠りしながら。

 彼の努力は、『いかにぎりぎりの勉強量のみで試験とレポートをパスするか』に尽きていたりするのだから。

 勉強する間があったら昼寝でもしていたい、というのが本音である。

 だからヴァリスにとって、リリトやアレクスはやや苦手、の部類に入っていたりする。因みに最も苦手なのは、風の大天使だったりした。余談だが。

「ああ、それは周りが勝手にはやし立ててるだけだ」

 ヴァリスにとっては以外にも、アレクスは人好きのする笑みを浮かべてかるく流した。

 やっぱり噂は信用する価値はないか、と、すこしほっとする。

 頭の良し悪しはさておいて、なんとなく近寄りがたいイメージがあるのだ。頭がいいといわれる天使には。ヴァリスの勉強嫌いが原因だろうが。

 リリトは一瞬、アレクスのその言葉を否定しかけるが――彼の努力を識っているからなのだが――やめた。

 アレクスはそういうことを言われるのを好まないだろうし、アレクスの名前やリリトの名前で引きつるような青年の手前である。控えたほうが無難だろう。事実無難である。

「そっか……まぁ、噂はアテにできるシロモノでもねーしなぁ……っと。

 それじゃあ、またな、リリトにアレクス」

 くるりと学び舎とは逆の方向に向かうヴァリスに、当然だがふたりは疑問を持った。

「次の講義は出ないのかしら?」

「あー……。や、ちょっとな……。

 詮索しても多分、面白くねーぜ。ま、そーいうワケだからお二人さん、さいなら」

 曖昧に言葉を濁し、ひらひら片手を振って、彼は虚空へ掻き消えた。

 行き先はむろん――『任地』である、『地上界』だったりしたが、当然の如くそんなことを、リリトやアレクスには告げられなかった。

 

 

 

「よぉ」

 背後から声をかけられて、振り向くリリトの、黄昏時の空を閉じ込めた双眸に映ったのは、本やら提出課題やら出題論文やら教科書やらを小脇に抱えた青紫の翼の主。

 アカデミアの廊下である。

「ヴァリス。久しぶりね」

「ああ。そんなにここには来ないしな」

 当然である。

 しょっちゅう来られるのなら、通信科の意味がない。

「次は貴方も昼休みでしょう?良ければ一緒にいかがかしら」

「あー……。いや、いい。悪ぃな。美人さんの誘いを断るのは、気が引けるんだけどよ。

 そのへんで昼寝でもしてる」

「そんなに眠いの?」

 眠たそうには……見えない。カケラも。

 だがしかし、ヴァリスを標準に照らし合わせて観察する、というのは、自然界の理で無駄だとなにかの文献に……書いてはいなかっただろうが、無駄なのは確かだろう。

「眠れる時に眠っておく。でないとあとで後悔すっかんな」

 何故だか胸を張って威張るヴァリス。やっぱし普通でもまともでもないようだ。

「そう。残念だけど、しかたないわ。それじゃあヴァリス、また」

「ああ、またな。そのうち会おう」

 挨拶を交し、ヴァリスとリリトは逆方向へと向かった。

 

 

 

 それから――数ヶ月。

「ヴァリスが、来ていない?」

 アレクスは、鸚鵡返しに問い返す。

 いつものメンバーで、中庭で昼食をとっていたときだった。

 まぁ別に、天使なので昼休みはあまり必要ないのだが、食事という楽しみがないのも味気ない。なのでアルスアカデミアの時間割にも、きっちり昼休みが入っていたりした。

 ヴァリスに言わせれば、正々堂々眠れる時間、らしいが。

「ええ、あれだけ目立つのだし、いくら広いといってもいくつかの講義は教室が隣なの。なのに全然姿が見えなくて……」

 勉強嫌いのようだったし、もしかして途中挫折したのかもしれないとふと一瞬思ったりしたのだが、ひと教科挫折しても、通信科なら他の教科は単元が取れるはずだ。全く見当たらない、というのも妙な話である。

 通信科生は、レポートと出席時数をパスして全ての試験をクリアすれば、それで科目ごとに単元が取れる。その単元を、指定された分だけ取れば卒業できたはずだ。

「ヴァリス?もしかしてあの、通信科のですか?」

 一緒に輪をつくっていたエイランが、小首をかしげて口を挟んだ。

 柔らかな桜色の翼が、青空と緑の中に優しく映える。

「知っていたの?」

「はい。講義、ひとつ同じのがあるんです。いっつも途中で眠っちゃって、そのたんびに怒られていたので……」

「でも、実習になると張りきるひとですよ」

 リリトの問いに、まずエイランが答え、そのエイランの隣に座っていたフォスカリールが付け加える。

 どーやらとことんまで昼寝が好きな人種のようだ。いや、天使だから天種か?

 ま、どうでもいいことは置いといて。

「そういえば、最近見ないなぁ……」

 フォスカリールも首をかしげた。

「変ですよね。みんなも、最近騒音がない、って言ってましたし……」

 何気にヒドい呼び方ではあるが、確かにどちらかといえばにぎやかな人……天種だろう。天界には少々合わない気もするが。

「なにか心当たりはないの?」

 問われても、少年と少女はすまなそうに否と答えるしかなかった。

 

 

 

「よぉ……なんかいっぱいいるな……」

 やはり昼休みの時間。

 いきなしリリトの背後から現れた青年は、彼女の膝の上に広げられた、綺麗な柄の入った紙ナプキンの上のクッキーを、ひとつつまんで頬張った。

「ヴァリスさん?」

 いつものメンバーは、ちょうどアレクスがまだ来ていないだけで、他はそろっている。リリトの右隣から今声をかけたフォスカリール、エイラン、クラディス、レムオール、リリトの左隣がマイア。

「おー。エイランにリール。知り合いだったのか」

「はい。

 でも、どうしたんですか?ここしばらく全然講義も受けないで」

「ははは……気にすんな。ちょっと……な」

 やはり乾いた笑み湛え、ヴァリスは初対面のマイアにレムオール、クラディスと順に挨拶する。

「アレクスは来てねーのか?」

 ちゃっかりリリトとフォスカリールの間に座りつつ、ヴァリスは尋ねた。これだけ見事な顔ぶれなのに、アレクスが欠けている、というのが、実に妙に思えたのだ。

「来ているはずよ。朝、会ったし……」

「それよりヴァリスさん、次の試験、大丈夫なんですか?」

 リールに横から問われ、ぴきぺきに固まるヴァリス。

 そしてやおら、教科書と書きかけのレポート広げ、

「頼むリール、教えてくれ」

 言ったヴァリスに、その場が笑いに包まれた。

 

 

「そこは違うと思うわ」

「この方程式、間違っている気がするのだが」

「この論文のここ、矛盾している気がするんですけど……」

「初歩的なミスばかりではないか」

 居合わせた全員が、既に完成済みの提出課題の間違いを指摘したり、今までの講義を要約して教えたりと、昼休みはヴァリスの出現で、完全に勉強会と化した。

「……で、要素アルファが……」

 魔法の論理に倫理や数学は基本。その他ヴァリスにとってはなんだかよくわからん、でひとくくりしてもノープログレムな講義の内容。

 しかしやはりというかなんというか、あまりレベルの高いものは取っていないようである。

「……昼寝日和なんだけどなぁ……」

「寝てばっかりじゃないですか……ヴァリスさん……」

 つい空を、見上げて呟くヴァリスに、的確に突っ込むフォスカリール。どーやらこの中で、一番ヴァリスを知っているようである。まぁ、講義が一緒だったし、確かに常日頃から昼寝ばかりしている。

「昼寝の時間に勉強しよう、とは思わないのか?」

 そこに厳しく突っ込むマイア。美貌にどこか呆れが浮かんでいる。

 ヴァリスははははとわざとらしく笑い、

「睡眠こそが俺の生きがいだ」

 こいつになに言っても無駄だな、と、マイアは即座に判断する。専門用語で見放した、とも言うかもしれない。

「でも、眠ってばかりもいられないと思うけれど?」

「ああ。

 だからこそ睡眠時間、ってーのは貴重で、男のロマンなんだよ」

 ワケのわからん理屈を平気で展開するヴァリス。彼は続けて、

「ま、永遠に眠る方法も、なくはねーけどな。

 剣で喉でも胸でも一突きすれば、簡単にオヤスミナサイ、だ。だぁーれも二度と睡眠妨害なんてできねーよ」

 笑った彼に、永遠すぎる、と、何人かの突っ込みがキマった。

 

 

 

 


ファロウ(イーラ)様との合作、前半はファロウ様に

書いていただきました。ヴァリス様は、

天界で「スティクス」という組織の

リーダーを勤めていて、その仕事で

地上界に降りたりもするそうです。

もちろん、組織の存在は極秘事項。

一般の天使、エリート達には葛藤と

こだわりがあるそうです。……拙い

説明ですみません……。どこまで書いていいか

自分でも微妙なので……。

「アカデミアの二大才媛」とかアカデミア関係の

設定は、前にこちらからお送りした

私の話で使ったものです。ワイルドでクールな

ヴァリス様をどこまで書き切れたかわかりませんが、

後半は私担当です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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