8.雨が降る

 

 

 無機質な街が、重さを増す。灰色の雨雲が垂れ込めてきて、人々はいとわしげに渋面を作りそそくさと家の中に逃げこんでいく。

(何で、雨くらいでそんな顔するんだ?)

 何かの建物の、冷たい階段に腰をおろして、マキシはその様をぼんやりと眺めていた。彼の横を通る人がどんな表情をしているのか容易に想像できたが、それを気にするほどの心の余裕が彼にはなかった。

 早く雨が降ればいいと、彼は思う。雨が降って、何もかもをなかったことにして流してくれればいいと思う。

 あのあとすぐ、マキシは小夜の手を振り切って家を出ていた。持ってきたのはあの本だけ。外は肌寒かったが、我慢できないほどではないのでマキシはしばらく林立した金属の塔の間をさまよった。

 自分は異分子なのだと、空気までが教えてくれていた。身体に纏いつくような、ねっとりした何かが歩くたびに感じられる。すれ違う視線が、奇妙だという感情を含んでいる。

(俺は、世界を越えていたんだ……)

 本の解読はこの数時間でかなり進んでいた。他にすることもないから、マキシは必死で文字の意味を頭に叩き込んだ。忘れるためだったかもしれない。

 

  我、古よりの力の源流に身を任せるものなり。流れの先に待つ、岸辺を異にした者達

 の救い手とならんがため、この書を残す。書を紐解きし者、ただこの言葉を覚え置き、

 星の交差を運命と心得よ。

 

 これが始まりの文句である。本はそれほど厚くはないが、この調子でそのあとも延々と続いていく上、マキシには理解し得ない専門的な単語がびっしり詰まっているので、なかなか先へ進めないのだ。

(『星の交差』ってのが、気にかかるよな)

 なにかの比喩なのか、それとも――。

 そこまで考えていた時に、小夜との事件があったので、マキシの思考は乱雑になってしまっている。

 雨はまだ降らない。いいかげんぼんやり状態から逸脱しようと、マキシはぱらぱらと本をめくった。うっかりめくりすぎて最後のページを通りすぎ、裏表紙が出てしまう。

「いけねぇ。……あれ?」

 偶然開いたその場所が、マキシの目を釘づけにする。

「これって……魔法陣ってやつか?」

 レヴァ王国の魔道士達が用いる、空間に特別な力を持たせるためのものだと聞いた。実際に目にしたのはこれが初めてだ。

「何でこんなところに描いてあるんだ? 魔除けか?」

 首をひねっているところに、とうとう雨がぱらぱらと落ちてきた。本を濡らしたくなかったので、屋根の奥に移動してから改めてまじまじと魔法陣を凝視する。円の中に何本もの線がごちゃごちゃと描かれているのだが、どこか洗練されて見えるその模様は、恐らく何かの法則に従っているに違いない。そして、円の下には、流星が交差する印があった。

「『星の交差』?」

 つぶやいた声は、低かったはずなのだが。

「この大馬鹿者が」

 

 きしぇん!

 

 面妖な音が景気よく雨の中を切り裂いて、続いて大きなものが階段から落ちる鈍い音が起こる。傘をさして歩く人々は何事かと一瞬そちらに目を走らせかけるが、何事も表面だけしか見たくない現代人の常として、すぐに立ち去って行ってしまう。

「ふん。まったくそろいもそろってこそこそしてからに。そう言うことだからこの世界は腐敗していく一方ということになせ気づかぬのか」

 重々しくも古めかしいこの言いまわしは、甘やかな響きを持ってマキシの耳に入ってきた。

「う……」

「とっとと起きぬか。まったく、なぜ移動するか。おかげで今の今まで接触が遅れてしまったであろう。これでは我が主様に申し訳が立たぬ」

 うめきながら、びしょぬれのマキシが起きあがってまず見たものは、

 ――すらりとした、女性の足だった。

「何を見ておるか。顔はこっちだ」

 あからさまな軽蔑のこもった声で言い放たれ、彼は視線を上に向ける。

「話を聞こう。なるべく完結に話せよ。聡明なる我が主様が理解に苦しまれるようなことはないであろうが、私の拙い説明でもなるべく早く伝わるに越したことはない」

 髪をくすんだ艶のない金に染め、爪にも顔にも至るところにじゃらじゃらと何かをつけ、足の太さが五割増くらいで見られそうなずるずるした靴下を履いた少女――マキシは知らないが、いわゆる『女子高生』――が、井出達とまるで似合わない口調でさっきから彼に話しかけていたのであった。

 

 

 雨は降る。場所は喫茶店。黒くていい匂いのする飲み物を前に、マキシは向かいに座る少女をただただ凝視するばかり。

「そうそう。ちょーうざいよねぇ。あとねぇ、この前のCDのことなんだけどぉ――」

 やたらと高い声で話す少女は、店に入ってから突然音を発した小さな物体を耳に当てて、かれこれ二十分が経過している。マキシも、小さな遠話装置を見るのは初めてではない(いちおう元諜報員である)。彼の頬が引きつっているのは、少女の使う言葉が以上に少ないことに驚いていたからである。例えば、接続詞は「てゆーか」以外をまだ聞いていない。

「うん、じゃーねぇ」

 装置を解除して、彼女はようやくマキシのほうを見る。その眼差しは思いの他鋭く、表情も凛然としていた。

「……このような話し方ばかりしていると、癖になって直らないのではないかとときどき心配になる」

「……」

「だが、今のようにしているとここの世界では奇異に思われるらしくてな。やむをえんのだ。まあそれはいいだろう。お前の名を聞こうか、同邦人」

「あ、マキシだ。マキシ・スターゼン」

 聞いておきながら、さして興味もなさそうに彼女は彼の名を繰り返しつぶやいた。

「私はメーマ・ラトゥ。レヴァ魔法王国<クルオーネ>所属の魔道士。階級はト・ルマ――まあ、軍で言うところの少将といえばわかるだろう」

「<クルオーネ>の人間なのか。じゃあ、やっぱり魔道士はこっちにもいるんじゃねぇか」

「ギルドという形ではないがね。そもそもこの世界では、魔道士どころか魔法の存在すらないのだ。ゆえに私達は、こちらで別の姿をとらねばならない」

 メーマは、ここでは学生をしていると語った。なるべく目立たないようにしなければならないので、もちろん魔法は控えているし、自分と同い年の文化に合わせているのだという。

「あんたと同い年って、そんな感じなのか?」

「大方はな。非常にストレスがたまる」

「……わかるな、それ」

 メーマはきびきびとしていて、人の上に立つ立場にあるせいか、命じることになれている印象があった。マキシの見る限りこの世界――このあたりの人々はみな同じであることを美徳としているようなので、彼女があるがままに振る舞えば周囲との間に溝ができるのは容易に想像がついた。

「任期は一年。そろそろ帰れるだったのだが、最後に一仕事するのも悪くはない。主様にも胸を張って報告ができるというもの。マキシとやら、こちらにきた事情を詳しく話せ。私が責任を持って送り届けよう」

 けばけばしい外見と話し方が面白いほどにちぐはぐな少女は、覚めてしまった紅い茶を一口飲んだ。

 マキシは、なるべく覚えていることを詳しく説明した。といっても、彼の場合は寄って熟睡していたところでこちらへ来てしまったので、曖昧なことの方が多い。ただ、自分と入れ替わりにこちらの世界の少年が一人、あちらへ行ってしまっているらしいことを話すのは忘れなかった。

「何と……」

 メーマの表情が険しくなった。何がまずいのか興味が沸いたが、とても質問ができる雰囲気ではないので、マキシも黙りこんだ。

「<星天流>の影響だな。早急に対策を練らなければ」

「あのー……」

「マキシ」

 さっきマキシの頭を張り飛ばした鞄を取り上げ、メーマが立ちあがる。ついでにテーブルに置かれていた紙を取るのも忘れず、金勘定をしている彼女にマキシはしどろもどろで首を傾げるばかり。

「その少年の名前はわかるのか?」

「あ、ああ。ソウマだ。ソウマ・ソウザキが本名だが」

「ソウマだな」

 言うか早いか、メーマは支払いを済ませてマキシを引きずって店を出る。まだ雨が降っていて、二人はどんどん濡れていく。

「な、なんだよ。どうしたって言うんだ?」

「とにかく私の家に来い。急がねば主様に危険が及ぶ」

「その主様って誰だよ?」

 歩くのをやめないままに顔だけで自分を振りかえったメーマの瞳が、とても誇らしげだとマキシは感じた。

「誰よりも聡明であり、誰よりも美しく、誰よりも孤独な方だ。セイリオス・ラトナが我が唯一の主様の御名」

 

 

 


女の子が増えました! この子はけっこう

好きです。ひたすらに誰かに忠誠を誓う

人を出したかったんですよね〜。

今回は素顔が判らないメイクでしたが、

多分向こうの世界に帰ることができたら

すっぴんで登場するでしょう。

楽しみ〜(^^)。

 

 

 

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