6
.踊り子
大きなかがり火、自分を見つめるたくさんの陶酔した視線が好きだった。何より、静かな中に情熱を隠す夜が、彼女は大好きだった。
「リリアン。出番だよ」
「はーい」
がんばるんだよ、という仲間の応援に笑顔を返し、彼女は波打つ茶色の髪を束ねていた赤いリボンを解く。今日の衣装に皺がないかもう一度確認してから、舞台に走り出た。
「リリアン!」
「リリアン!」
「リリアンー!」
たちまち、彼女を包む熱い声援。軽く手を振ると、さらにそれは大きくなる。
「いくよ、リリアン」
舞台の隅にいた楽士のカイトの合図を受け取り、リリアンは大きく深呼吸した。そうすると、精神が引き締まっていく気がする。彼女の中に、何か特別な力が根付くように思えるのだ。
カイトのグイタラが、情熱的な旋律を次々と紡ぎ出していく。意識しないうちに、リリアンの腕は、足は、身体は動き出す。そのすべてで、世界を生み出そうとする。
踊っているうち、彼女は夜空の中に溶け込んでいくような錯覚を覚える。夜の空気と、ひとつになっていく感覚。夢中で踊っている間は、彼女は彼女ではなくなるのだ。
ばらん……。
グイタラが、最後の音の余韻を引くのと同時に、彼女の動きも止まる。一瞬遅れて、観客たちから拍手が洪水のように彼女たちに贈られる。
けれど、舞い終えてしまったことを知るこのときが、彼女は好きではなかった。
「すっげー! アーサーさん、あの子なんてんだ?」
「名前か? 確かリリアン・ドータという紹介があったように思うが。すばらしい舞だった。情熱そのものを舞っているというか、常人離れした表現力を持っているのだな」
「んなことどうでもいいよ! 楽屋行こうぜ楽屋!」
相馬はすっかり興奮していた。もとの世界で失恋して依頼、もう二度と恋愛はごめんだと思っていたことなど、すっかり記憶の中から抹消されていた。つまりそれほど、リリアンという踊り子は魅力的で、彼女の踊りは見事だったのだ。
対してアーサーは、いたって冷静で自分のペースを崩さない。
「楽屋へ行くといっても、手ぶらでは駄目だろう。花束なり贈り物なりを準備するのが礼儀というものだ」
「じゃあ、なんか買ってこようぜ。花屋どこ
!?」「もう閉店している。今夜はあきらめるんだな」
「ちぇー」
相馬はがっかりして肩を落としたが、せめて美しい舞姫の姿を一瞬でも長く見つめていようと、舞台で手を振るリリアンに視線を戻す。
(あれ?)
違和感。
微笑んでいるリリアンが、一瞬悲しい顔をしたように見えたのだ。
(そんなわけないよな。今無事に舞台が終わったばっかりなんだし)
自分の疑念を自分で打ち消し、相馬はすぐに明日彼女に送るプレゼントのことを考え始めた。
夜遅くまで興行していても、朝は早くに起きて仕事をしなければならない。舞台の掃除や、昨夜の反省をして、よりいっそうよい仕事ができるように励まなければいけない。リリアンは亡き父からいつもそう言われて育った。
衣装にほころびや汚れがないか念入りに点検し、リリアンは普段着で早朝の街の散歩に出かけた。ただの気晴らしではなく練習もするつもりだったので、他の仲間からは特に何も言われなかった。誰もが彼女の舞の見事さを認めている。彼女の天賦の才能も。けれど、仲間の誰一人として彼女のことを理解してくれている者はいなかった。
(いまさら寂しいなんて、お笑いだけどね)
自嘲の笑みなんて表情を、彼女はもっと幼いころからすでにするようになっていた。それがさらに彼女の気分を暗くした。
(踊りたい)
無性にそう思った。彼女たちの馬車は街のはずれに止めてあり、今は誰も目を覚ましていない。こっそり踊るにはうってつけと言えた。
彼女は少し開けた場所まで駆けていき、念のため周囲に人影がないかを改めて確認してから、高々と右腕を靄ががる青空に向けて掲げた。
音楽はないが、彼女の五体は軽やかに舞う。いや、彼女自身が舞であり音楽であると言ってもよかった。彼女は踊りで音楽を現し、音楽から舞を生み出すことができる力を生まれつき授かっているのだから。
腕が虚空を切り裂くとそれは刃となり、しなやかで長い足は荒れ狂う嵐を思わせる。波打つ茶色の髪、情熱を秘める緑の瞳、すべてが彼女を際だたせ輝かせる。
彼女は知らない。彼女の舞を一度でも目にした人々が彼女に送った二つ名を。敬意を込めて、彼らがその名を呼ぶことを。
「ああああああっっっ
!?」あまりにも唐突に、頭上から大きな声が降ってきた。リリアンは前につんのめり、驚いてそちらを見上げる。
「りりりりりりりりリリアンさんだっ! アーサーさんっ! 大変だっ!」
真っ赤な顔で叫び続けているのは、十五、六の少年だ。黒髪で、このあたりではめずらしい独特の顔立ちをしている。
あわててリリアンは体勢を立て直し、踵を返して走り出した。
「ああっ! 待ってリリアンさん!」
少年の声が追いかけてくる。
(見つかっちゃった!)
彼女自身、自分の人気はある程度把握している。少年の大声で目を覚ました他の住民たちに見つかったら厄介だ。街は朝から大騒ぎになってしまう。
どうにか街外れまでたどり着き、彼女は足を止めた。切れてしまった息を整える間、あの少年のことを考える。
(あの子、黒い髪をしていたわ。それに、あの顔)
大陸すべてをまわって芸を疲労するたび一座にいるのだ、少年がこのあたりの民の特徴を持っていないことくらい遠目でもわかった。
(海を越えてきたんだわ。遠いところから、私の知らないところから)
大きなため息が漏れた。海という響きは、彼女に高揚感をもたらした。同時に、言いようのない寂寥も彼女を包みこんだ。
昔から彼女は海を見れば渡りたくなり、山があれば越えたくなった。川の終わりと始まりを知りたくて、草原の果てが見たかった。リリアンは、一つの場所にじっとしていられる性分ではないのだ。長ずるにつれその思いは強くなり、あるとき父に休暇が欲しいと願い出た。父は旅芸人一座の座長であった。
何度も何度も頭を下げて、ようやく父が折れた。次の月にウィルハルト公国で落ち合う約束をして、彼女は弾んだ気分で旅に出た。
初めて自分自身で選び、自分の足で歩く道はとても快適だった。リリアンは好きなだけ一つの街を楽しみ、また発つことができた。全部自分の意志で決められるのが嬉しかった。毎日きちんと食事をとり、温かいベッドで休むことができる。自分で稼いでそういうふうに日々を過ごせて、もう自分は一人前だと思った。
楽しい思い出を胸に彼女はウィルハルト公国に入った。待ち合わせの日は翌日だったので、その間はこの国を観光するつもりだった。
けれど、翌日になっても、翌々日になっても家族は来なかった。五日経って彼女のところにやってきたのは、彼女の一座が盗賊に襲われて全滅したという知らせだった。
(……私は、私のわがままのせいで生き残った)
生きていることを喜ぶべきか、大好きな人たちと共に死ねなかったのを悲しむべきか。二年が過ぎた今でも、彼女は悩み続けている。
「……もう、戻ろう」
つぶやいて、彼女は歩き始めた。今夜の舞台のために、しなければならないことはまだまだ山のように残っているのだ。少年のことも海の向こうのことも忘れようと思った。
両手にいっぱいの赤い花束を持って、相馬は緊張した面持ちで旅一座の馬車の前に立っていた。
「あと一リューン(約一時間)あるのだが……」
「なに言ってんだよアーサーさん。始まる前にプレゼントしに行くんじゃないか」
「終わった後でもいいだろう?」
「駄目だって。だって混むに決まってるじゃん」
相馬は久しぶりにどきどきしていた。プレゼントをアーサーに買ってもらったという事実はちょっと(いやかなり)気に食わないが、ここは五十万歩譲ることにする。とにかく、リリアンを間近で拝むことのほうが重要なのだ。
「二階からちらっと見ただけなんだけど、すっげーかわいかったんだ。昨日舞台で見たときは大人っぽい化粧してたけど、すっぴんでも充分イケるぜ」
「すっぴん
??」訝しげに反芻するアーサーは無視して、相馬は目的のリリアンのいる馬車はどれかときょろきょろ首を動かした。
「あなたたち」
「うん?」
横合いから声をかけられたと思った瞬間、相馬は腕をつかまれていた。
「何すんだよ!」
「それはこっちの台詞です。誰ですかあなたがたは? お客様でしたら、舞台はあちらですのでどうぞお戻りください」
口調こそ丁寧だが、その茶色の髪の青年はぐいぐいと力いっぱい相馬を押し戻そうとする。相馬は相馬で、ここまで来て追い返されてたまるかと足を踏ん張る。もともと空手で鍛えていた足腰は、そう簡単に動かすことはできない。
「お戻りください……!」
「いやだね……
!!」両者の間に火花が散る。ぶるぶる震える二人の手から、どれほどの力が作用しているのかが見て取れた。アーサーも割り込んでいく隙を見つけられず、戸惑い顔で成り行きをうかがっていた。
「どうしたの、カイト?」
アーサーの後ろから、少女の声が聞こえてきた。騒がしいので馬車から出てきたらしい。
名前を呼ばれた青年は首だけ、アーサーは身体をそちらに向けた。
扉がわりの布を腕でかきあげ、真っ直ぐこちらを見ていたのは、美しい少女だった。顔の造りがどうこうというのではなく、内部からの輝きとでも表現すべきものが彼女に美を与えていた。
君は、と問いかけようとしたアーサーの声は、相馬の素っ頓狂な絶叫に遮られた。
「りりりりりりりりりリリアンさんっっっっっ
!?」
お待たせしました(待ってる人いるのか?)、第六章です。
今回、視点がリリアンになっているのが多いです。
そしてアーサーとかマキシとか父さんとか
ガイとかが目立ってないです。というか、あっちの
人々はまったく出てませんね。そして一応、
彼女がヒロインにして数少ない女性キャラの
一人ということになります。もっと出せよおい。
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