5
.違う世界にいるということ
移動手段、馬車。
最初はかっこいいと思ったが、二日目になってそんな考えがいかに浅はかだったかということを、相馬は身にしみて理解していた。
「どうした、ソウマ?」
アーサーは、相馬が昨日の夕方から急に食欲がなくなったことを心配してくれているのだが、こればかりは彼に言ったところでどうにもならない。
(乗り物酔い……なんだからな)
自動車に酔うことはまったくなかった相馬だったが、馬車は道が悪いせいか縦に揺れるので、半日後にはひどい吐き気と眩暈に襲われて、相馬はそれからずっと幌馬車内で寝こんでいる。
(御者だったら、よわねぇのか……?)
単に慣れの問題のような気もするが、相馬はぐったりしたまま二頭の馬を操るアーサーの背中を見つめた。意外に広く、がっしりとしている。
「もう少し進むと、小さな村につく。そこで休憩しよう。俺もずっと馬のご機嫌取りで疲れた」
「う〜〜〜」
情けない返事に、アーサーが苦笑した気配が伝わってきた。
相馬とアーサーは、二日前に旅に必要なものを買い求めた。食料、それを入れる大きめの布袋。そしてアーサーは警備隊に休暇届を出し、相馬は旅の間の着替えをそろえた(アーサーの古着を、繕ったりして着られるようにしたのだ)。もちろん、それぞれの武器・防具も忘れていない。新しい革鎧のつけごこちに、初めのうちは相馬もはしゃいでいたのだが、着けたままだとむれてひどいので、今は脱いで馬車の隅に放ってある。
二人が(というかアーサーが)選んだ道は、レヴァント王国と隣のローダ国を繋ぐパルト街道。行き交う人が多く、宿場町も多いので比較的安全に旅ができる。もちろん、完全に気を抜くことは許されないが。
ローダ国からは、船で川を下っていく。トトハトという運河を利用して、ローダとレヴァ魔法国は長い間貿易をしてきたので、百年ほど前から旅人も川を使っての交通手段を安い賃金で利用できるようになった。川の解放には、なかなか興味深い歴史的背景があるのだが、相馬は知りたいとは思わなかった。もともとそういう話は好きではないし、この世界に深入りすることが怖かった。
――自分の世界が、遠ざかってしまいそうで。
「ソウマ。何か食べておいたほうがいいぞ。まだまだ道は遠いのだからな」
「……」
そう、怖いのだけれども。
「ありがとな、アーサーさん」
きっと温かいのだろう、太陽の光を浴びて微笑む青年を、相馬は好きになり始めていた。
薄暗い研究室。それが好きなのではもちろんなく、太陽の光を避けておかないと貴重な書物が焼けてしまうのだ。
「バーン様」
ようやく待っていた相手がやってきたので、ガルガドール・バーンは机から立ち上がり自ら扉を開けた。昼だというのにランプの弱い光を灯している石造りの廊下にいた相手は、その行為に恐縮して目を伏せ、軽く頭を下げた。そんな何気ない動作が、なぜかなまめかしい。
「とにかく中へ、メルド」
渋い顔をして、バーンは客人の青年を招き入れた。渋い顔になったのは、思わず青年に見惚れてしまった自分に気づいたからである。
薄暗いながらも、太陽の光を取り入れている室内で、青年の姿がくっきりと浮かび上がる。
彼の髪は銀、切れ長の瞳は濃紺だ。面差しは冷たく整っていて、どちらかというと女性的な印象を受ける。対してバーンは、赤茶けた短い髪と黒い瞳の持ち主で、がっしりとした体つきの偉丈夫だ。
「それで、今回の<星天流>の影響は?」
「はい。現時点では国内の影響を調べるだけで手一杯でしたが……」
涼しい顔で前置きするメルドを、またしてもバーンは苦みばしった顔で凝視した。
(現時点では……とな。例の『事件』から七日も経っていないというのに)
メルドは二十五歳、バーンと十歳離れている。にもかかわらず、彼は正式な魔道士となって二年足らずでバーンと同じ地位に上り詰めた。何か不正なことをしてのし上がってきたのではと最初は思ったが、すぐに彼の実力のほどを目の当たりにし、いまでは恐れすら感じている。
「……以上です」
一通り、小一時間ほどかけて報告を終えたメルドは、それらを書類としてまとめたものを改めてバーンに渡して退室した。
踵を返す一刹那、濃紺の瞳に嘲るような色を見たと思ったのは、バーンの思い過ごしだったのだろうか。
「……読めぬ奴だ」
バーンは、乱暴に書類を机の上に放り投げた。
「おー、宿屋だ」
気分がよくなって寝室から降りてくるなり、至極あたりまえの感想を相馬は漏らした。テーブルの向かいで白身魚を食べていたアーサーが、妙な顔をして首を傾げる。
「何を言っている? まだ具合が悪いのか?」
「いや、具合はいいけど。おっ、それいいな。なんて料理?」
あれだけぐってりしていたくせに、もう食欲がわいたのか。アーサーはぽかんとし、続いて苦笑した。
「おもしろい奴だな、お前は。女将、こいつに俺と同じ物を」
「はいよ」
厨房から元気な声が返ってくる。相馬は、自然に頬が緩んでいくのを感じていた。
活気のある空間というのが、こんなに心地よいことを知らなかった。友達と騒ぐのは楽しかったけれど、教室のざわめきはきらいだった。耳障りでしかなかったのだ。
(こういううるささは、なんかいいよな)
何がそう思わせるのか、ここと教室の違いはなんなのか、相馬にはわからなかったけれど。
「お待ちどうさん。クレル、飲み物の注文がなかったから牛乳持って来たけど、酒のほうがよかったかい?」
目の前に、でんと料理を置かれてよだれをたらしそうになった相馬だが、聞き覚えのない単語に対する興味が一瞬だけ食欲に勝った。
「クレルって?」
「成人前の子供の呼び方だ。意味は『坊や』に近い。……いや、こいつは牛乳で充分だ、女将」
「坊やってか……」
懇切丁寧に説明してくれたアーサーに罪はないが、相馬は膨れた顔で彼を上目遣いににらむ。しばらくそうしていたが、食欲が復活したので両手を顔の前に合わせて「いただきます」と言ってから食器をとりあげた。この世界の食器はナイフとフォークに似たものを用いていて、生まれたときから箸を使ってきた相馬には少々馴染みがないが、我慢できないこともない。
アーサーの作ったものと同じくらいおいしい料理を綺麗に平らげて、相馬はきちんと食器を重ねると、もう一度両手を合わせて「ごちそうさまでした」と頭を下げた。
「それはなんのまじないだ?」
いつのまにか酒瓶を頼んでいたアーサーが、唐突に訊いてきた。
「え? 『いただきます』と『ごちそうさま』のことか?」
「異国の言葉だな。意味が理解できないし、聞いたこともない」
「異国っちゃ異国だけど……」
こんな些細なことで、文化の違いを説明することになるとは思わなかったが、文化・風俗は平たく言えばそこで暮らす人々の生活なのだから、あたりまえなのかもしれない。相馬は考え考え、『いただきます』と『ごちそうさま』の意味をアーサーに話し始めた。
「えーと、たぶん食事を作ってくれた人に対する感謝なんだと思う。俺の国って――日本って言うんだけど――キリスト教じゃないから、『神様ご飯をくれてありがとう』って言わねぇんだ。だからそういう感謝は作ってくれた人に言ってきたんじゃねぇかな」
「……」
相馬としてはなかなかうまく説明できたつもりだったのだが、アーサーは「???」という顔をして首をかしげている。
「やっぱ、わけわかんなかったか?」
「………ニホンって、東のどのあたりにある?」
「ああ、そのこと」
相馬はアーサーの表情に合点がいって、とりあえずカップの底に残っていた牛乳を飲み干した。それから、女将におかわりを頼む。
「ニホンなんていう国、俺は知らないぞ」
「だろうな。異世界だもん」
「……」
「……」
喧騒の中、二人のテーブルにだけかなり長い沈黙が降りていた。
図書館から借りてきた例の本は、文字は読めるが言いまわしがかなり古くて、マキシは解読にてこずっていた。本来は、文字も古代のものを使っていたのを、後代の者が書きなおした本らしい。
(ついでに文法も直してほしかったぜ)
機密書類・暗号はお手のものだが、古文書には今の今まで縁がなかったマキシである。それでも三分の一ほどを理解したのは、帰りたいという強い願望のなせるわざだ。
「マキシさん、いいかしら
?」こんこんと小さなノックがして、小夜の声がした。マキシは立ち上がって、扉を開けてやる。やはり、彼女は食べ物の乗った盆を手にしていて、マキシを見るとにっこりと微笑んだ。
「お夜食を作ってきたわ。どうぞ。お勉強、はかどってます?」
「あ、ありがとうございます。リラ・サヨ」
マキシはどぎまぎと盆を受け取り、日ごろの彼からは想像もつかないようなか細い声で礼を述べた。
「何か必要なものがあったら、言ってくださいね。では」
初対面時の彼女は、息子がいなくなったせいでばたばたしていて、敦とマキシで懸命に落ちつかせた。その後、彼女は平生のおっとりした気性を取り戻し、入れ替わりにここに居候することになったマキシの世話をこまごまと焼いてくれる。
「……」
夜食というのは、茶色っぽいスープの中に黄色い長いものや緑の草などがたくさん入ったものだった。この食べ物の名前を、マキシは知らなかったが、おいしそうな匂いがするのでずるずるとすする。
「うまい」
小夜が作ってくれたと思うと、もっとおいしく感じられる。そんな考えが頭に浮かんで、彼は真っ赤になってめんを口に入れたまま硬直した。
彼には、母親がいない。いたのだろうが、彼を生んですぐに亡くなった。父は、彼が成人して職を持つようになるまで再婚しようとはしなかった。彼の性格に照らしてみるに、それは賢明な判断だったろう。亡き母の面影を慕っていた精神的にも肉体的にも幼い彼の傍に、突然父の新しい妻などという存在が現れたら、彼は半狂乱になって何をしでかすかわからなかった。
今、父は再婚していて後妻との間に二人子供がいる。マキシはあまり実家に寄りつかなかったが、規制するときはいつも義母や異母弟たちに優しく接するように心がけてきた。けれど、やはり寂しかった。
ふんわりした空気を纏う小夜は、マキシが長い間憧れてきた母親像そのものだ。いつかは別れが来るだろうが、それまでは彼女の空気に触れていたいと彼は思うようになっていた。
「ソウマって、羨ましいやつだな……」
彼女の息子である少年に、会ってみたかった。きっと、屈託なく笑う優しい子供なのだろう。
温かい気持ちになった彼はふっと笑顔になり、放り出していた本ににもう一度挑む。
この見知らぬ場所に来て以来、彼が初めて浮かべた優しい微笑だった。
「……………嘘だ」
食堂が酒場に完全に変わってしまう時間になってから、アーサーはやっとそれだけの言葉を搾り出した。場所は、二階の彼らの部屋に移動している。
「だって、現に俺はここにいるだろ? それにさー、ただ外国に来ただけだったらこんなにすらすら会話できないぜ」
言葉を理解できることで、相馬はここが異世界だということを実感するに至ったのだが、アーサーは頭が硬い質のようで、なかなか納得しようとしない。
「いや、だが、ちょっと待て、あのな……」
意味をなさない単語を、だらだらと並べているアーサーに、相馬はわざと大仰にため息をついてみせた。
「現実は現実だぜ。素直に受け入れろよアーサーさん」
とうに開き直った相馬は、彼の肩をぽんぽん叩いてやる。
「なあ、今日旅芸人の一座がこのあたりに来てるんだって女将さんが言ってたぞ。見に行こう、アーサーさん」
「――、――」
なおもぶつぶつ言う年上の相棒を、相馬は半ば引きずるようにして意気揚揚とでかけていったのだった。
星空は、美しかった。けれど、この美しさはまやかしゆえのものだということを、その下に佇む銀髪の佳人は熟知していた。
「<星天流>……」
ひっそりとつぶやく声はまだいくぶん幼さを残しており、藍色の闇の中にたった一人上を見上げる佳人の雰囲気を、さらに儚く危ういものにする。
闇に映える肌は白皙。細く長い銀の髪は、佳人を守るかのようにその肢体を包む。
「星が、動く」
佳人はゆっくりと瞬きした。
その瞳の片方には夕暮れの紫が、いま一方には夏の早朝の青が封じられている。
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ようやく、重要人物たちを出すことができました。
相馬に敵対するかもしれない人々です。最初の設定と変わってるけど、
それはまあ、しかたないとも言えることなので(こら)。
この変化が楽しかったりもしますし。
振り返ると男ばっかりでむさくるしいことこの上ない
話ですね……。女性は今のところお母さんだけだしな。
次回、ヒロインが登場する(させたい)予定です。