4.東へ
「マキシ君、できすぎているとは思わないかね?」
図書館から帰ってくるなり、興奮して件の本を見せびらかす(ガイに借りてもらったのだ)マキシに、敦は不機嫌にそう言った。
「そりゃ、できすぎとは俺も思うさ。だけどこうしてここに本があるんだ。事実はちゃんと受け止めないとな」
「確かに、一理ある。私が言いたいのはだな、こんな簡単に話が進んでいいはずがない、ということなのだ。小説家として断固抗議する」
敦の怒りは少し(かなり?)ずれたところへ向いていたが、マキシもガイも気にしなかった。ガイはマキシにもう少し相馬の話をしてほしいと頼まれて、再び蒼崎家にやってきたのだった。
「おじさん、相馬の部屋に入ってもいいですか?」
「いいとも。まったく、最近の小説の傾向は……」
さらにわけのわからない方向へ思考を走らせている敦を尻目に、二人はぞろぞろと二階に上がった。
「さて。何が聞きたいの、マキシさん?」
ガイの口調は、大分砕けたものになっている。
「まず、詳しい特徴だな。顔の造作とか、髪の色、瞳の色。身体に傷とかがあるともっとやりやすいんだが」
今ここで聞いて、役に立つかどうかはマキシにもわからなかったが、あの本を最後まで読めば、元の世界に帰れるかもしれない。希望と目標を持って行動していたほうがマキシの気持ちも楽だった。
「髪の色っていっても、俺と同じだよ。日本人はみんな黒い髪と黒い目をしてる。やっぱり外国の人から見ると、みんな同じ色っていうのは変な感じ?」
「みんな、同じ?」
外を歩いていて、マキシもそのことには気づいていた。ただ、この地域には黒髪黒目の人間が集中しているんだな、くらいにしか思っていなかった。全国規模で同じ髪と目を持っているなんて。
(この国の民は血の純潔を重んじてるのか? ま、それはあとで調べてみるとして)
むくむくパン生地のように膨らんでいく好奇心を鎮め、マキシはさらに質問していく。
「似顔絵とか、そういうものはないか?」
顔がはっきりとわかれば、さらに助かる。ガイはちょっと首をかしげて、あるとうなずいた。
「最近は撮ってないけど、写真があるよ。おじさんにいって探してもらうよ。ちょっと待ってて」
「ああ」
だだっと部屋を出て階段を降り、敦に大声で話しかけているガイの声をマキシは微笑みながら聞いていたが、ふと、己の心を占める疑問に思考を傾けた。
マキシだって、不思議に思わないわけではないのだ。なぜ異世界であるここに、マキシの読める本があったのか。それにこれは最初に敦と話をしてから考えていたことなのだが、なぜお互いに意思の疎通が可能なのか。同じ世界の住人でも、生まれた国が異なれば日常会話をするにも一苦労するというのに。
「この本、もう少し読みこんでみないとならないな」
図書館でざっと流し読みしただけでも、謎の本にはとんでもないことが書かれているのがすぐにわかった。
表紙に描かれている、双頭の白鳥の目は、肉食獣の強暴さを秘めているように、彼には思えてならない。
一人暮らしというから社員寮のようなところかと思っていたら、アーサーの家は立派な一戸建てであった。相馬の家もそうだが、築三十年ローンの狭い自宅に比べて、こちらはさながら父の描くファンタジー世界の貴族の屋敷だ。
「どうした、ソウマ?」
「……独身のくせに、なんでこんなに立派な家に住んでんだ?」
「ああ、そのことか」
途端にアーサーの機嫌が急変したのを、相馬は見逃さない。逆鱗に触れたとみて、相馬は素早く話題をすりかえた。
「腹減ったよ、アーサーさん。今日のメニューは何さ?」
「そうだな。客人が来たから、鶏肉をメインにしよう。デザートも作ってみようか。オレンジがまだあったはずだ」
「すげー。楽しみだ」
アーサーの調子が戻ったことにほっとして、ソウマはにこにこしながら彼の後についていった。久しぶりに豪勢な食事にありつけそうだという期待もあったが。
「なんか俺、手伝おうか?」
プライベート用居間らしい、十二畳ほどの広さの一室にはいって、きょろきょろしながら相馬は尋ねた。いちおう、遠慮はある。
「けっこうだ。ソウマは客なのだから、そこに座っていろ。メマ茶は好きか?」
「めまちゃ?」
聞きなれない言葉だった。きょとんと聞き返した相馬を、アーサーは怪訝な顔で見返した。
「メマ茶だ。まさか、知らないとでも言うのか?」
「うん、知らないぞ」
アーサーは冗談めかしていったのだろうが、相馬のほうは本当に知らないのだからあっさりと返す。アーサーの眉間に、ますます皺が寄った。大陸中、最も一般的な茶の名前を知らないなど……。
「お前……どこの者だ? 取調べのときも思ったのだが、もしや東から来たのではないか?」
「はえ?」
日本から来ました、と相馬は正直に答えたのだが、それに対しアーサーはそれはどこの国かと不審な顔で聞き返してきた。いまどき日本を知らない国など想像できなかった相馬は、何度も何度も同じことを繰り返し言い、ついにはアーサーの追及を強引に封じてしまったのだが、そのとき胸の中でちょっとした可能性を考えていた。
すぐに自身で打ち消したのだが、今になって再びそれがむくむくと頭をもたげてきていた。
「東って……なにがあるところだ?」
ゆっくり、確かめるように訊く。ここがヨーロッパのどこかだとしたら、東にはロシアや中国や日本がある。もし、相馬の知る国名以外の答えがアーサーの口から出てきたら、相馬が畏れている非常にばかばかしいことが、現実に起こったことになる。
アーサーの答えが返ってくるまでの間が、相馬には地球が太陽の周りを百周もしたのではないかと思えるほど長かった。
「東には、陸続きだとレヴァ魔道国やトリーティア皇国、ハイリァンド海を越えた向こうには、何があるのかはまだ謎だ。お前は海の向こうから来たのでは……って、ソウマ!?」
いきなりふにふにと沈んでいった相馬に驚いて、アーサーは厨房に飛んでいって水を一杯持ってきた。
「大丈夫か? どこか具合でも悪いのか?」
「いや……そうじゃなくて……」
原因はショックである。どこからどう見ても白人系の人々が、自分の国で流暢に日本語を話しているのに気づいたあたりから、ちょっとは覚悟をしていたのだ。こういう展開と状況が、だいたいにおいてどういう意味であるのか。相馬もいちおう、現役ファンタジー作家の一人息子なのだ。
(異世界――!?)
そんな場所は、父の本の中だけで充分だったのに。
電気のスイッチを切ったようにぷつんと目の前が暗くなって、相馬は顔面から真っ直ぐに床に倒れこんだ。
「ソウマっ!?」
アーサーはかろうじて、気絶してしまった少年の体を支え、隣の応接間まで運んだ。ほとんど本来の目的に即して使われたことのない部屋は少々ほこりっぽかったが、寝室は二階にあって相馬を抱えて昇っていくには危険だった。
「よっ、と」
できるだけそっと相馬をソファに横たえてやり、思いついて二階からブランケットを取ってくる。
(それにしても、どうしたってんだ?)
胸の中で独白するときの常で、口にしない台詞は話し言葉とはがらりと雰囲気が変わる。唇に人差し指を当てて、アーサーは相馬の寝顔を凝視した。まだあどけない、少年そのものの。
(このガキ、どう考えたって東の民に違いない。おそらく――いや、確実に流民だ)
さっき相馬にざっと説明した、西と東を隔てる広大なハイリァンド海を、はるばる渡って西に渡ってくる人々が、近年になって激増した。黒髪と黒い瞳事態は大陸の東によく見られるが、明らかにこちらの者とは顔立ちが異なる。大陸にある国々で彼らは発見され次第強制送還することを決めているのだが、法と監視者の目をかいくぐって陸路を旅し、ここまでたどり着く者もいる。ここ――レヴァント王国は西の最果てだ。入国してしまえば、意外と彼らをかくまう場所はある。髪の色を変えるための裏の業者すら多数存在する。
(こいつもその口だろうな。家族は……)
アーサーの、翡翠の双眸が一瞬苦しげに歪む。彼とて王立治安維持部隊に所属する身、家族も住んでいた場所も、すべてを失ってこの国へたどり着く幼い流民の子供たちを、今まで幾人も見たことがある。そういう子供たちの生活を守るのは、必要なことだと彼自身信じているから、裏通りで暮らす彼らの様子をよく見にいっていたし、交流もあった。
(ま、それはそれとしてだ。こいつはどうするかね)
困ったことに、相馬は人が多く集まる市のど真ん中で、喧嘩の挙句にとっつかまるという派手なことをしでかしてくれたのだ。いまさら子供たちの中にこっそりくわえる、などということは不可能である。
(なんとかしてやれないことも、ないんだが、な……)
流れてきた者――不法入国者は逮捕した後で強制送還。それは決して、『無事に』という条件がついていない。聞きかじりの知識として、再び彼らが海の上に戻るまでにどんな扱いを受けているか、アーサーは知っていた。この少年を、そんな目に遭わせるとわかっていて知らないふりができるほど、アーサーは冷酷ではない。
(……できれば、この方法は避けたかったんだがな)
憂鬱なため息をつき、アーサーはとにかく夕食の準備をしてしまうことにした。
こうばしい匂いで目が覚めた。相馬はむくりと起きあがり、鼻をひくつかせる。
部屋の中は真っ暗だったが、自分がソファに寝かされていることはわかった。かけられていたブランケットを二つにたたんで、相馬はなぜ自分が眠っていたのかをゆっくり回想した。
(あ、そうか……気絶しちまったんだ)
ここが異世界なのだと聞かされて、予想はしていてもかなりのショックを受けた。居間まで自分がいた世界の、気配の片鱗すら感じられない場所に、相馬はたった一人なのだ。
(俺、これからどうするんだろう)
「起きたのか、ソウマ?」
扉が開いて、柔らかい橙色の光りとアーサーの声、そして温かい肉料理らしき香りが部屋の中にさあっと入りこんでくる。相馬の腹がすさまじい音で鳴った。
「アーサーさん……」
我ながら情けない声音だと相馬は思ったが、アーサーのほうはただ微笑んで手招きをしただけだった。気遣いがありがたくて、相馬は促されるまま明るい食堂の中に足を踏み入れた。
本当に、明るかった。照明はランプがいくつか天井に下がっているだけだが、その光りの中の部屋の雰囲気が、簡単なものだが湯気を立てている料理が、何か特別なもので輝いているように相馬には見えた。
「俺はもうすませたから、居間にいる。何かほしいものがあったら呼んでくれ」
アーサーが行ってしまってから相馬は食事を始めたが、ほどなくしてその手は止まってしまった。料理がまずかったとか、そういうわけではない。むしろ母の手料理よりもおいしいと感じた。食べられなくなったのは、胸が優しいもので一杯になってしまったからだった。
今まで、こんなに嬉しい気持ちで食事をしたことなどなかった。物心ついたころには、母は食事中に幾度も相馬をせかした。早く食べないと、勉強する時間がなくなると言って。味など二の次で、栄養バランスと腹持ちのよさが優先された。急いで皿の上のものを片づけなければならない時間は、幼い彼にとって苦痛でしかなかったのだ。
ゆっくり、味わって最後の一口を咀嚼し、食器をきちんと置いて彼は両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
相馬はこのとき初めて、食事を作ってくれた人と食べ物に、感謝できたのであった。
食器を洗ってテーブルの上に重ねておいて(どこに片づければいいのかわからなかったのだ)、相馬は居間でくつろいでいたアーサーに改めて頭を下げた。
「なんだ、そんなに重々しく礼を言われるようなことをしたか?」
そういって笑い、アーサーは相馬に向かいの小さなソファを勧めた。二つのソファの間の小さなテーブルにはカップとポットが置かれていて、アーサーはもう一つ用意されていたカップに、琥珀色の液体をなみなみと注いで相馬に渡した。
「これが、メマ茶?」
「そうだ。食後に飲むと口の中がさっぱりする」
一口飲んでみて、相馬はまた感心した。家で毎日の食事のときに口にしていたのは緑茶だったが、母の実家長崎から送られてくる葉で淹れられるそれより、この異世界の茶はずっと美味だった。何とはっきり言えないが、舌で感じるまろやかさが違うように思えた。
(農薬とか使ってないからか? あ、水かも)
何もかもが汚染されているあの世界のものが、どれほど恐ろしいのかということを、図らずも相馬は実感した。
「ソウマ、少しばかり訊きたいことがあるのだが」
神妙な表情と口調でアーサーがこう切り出してきたのは、相馬ががぶがぶとポットの中のメマ茶をすべて飲みほしてしまってからだった。
「これから、お前はどうする気だ?」
「……」
相馬にとって、この質問はさらに現実を冷たくつきつけるものだった。自分はこれから、生きなければならないのだ。選ばれた勇者として望まれてここに来たのではない自分は、自力で生きる方法を探さなければならない。だが、指一本で食事を作ることができ、少し歩けばたいていのものが手に入るところでこれまでを過ごしてきた相馬には、そんな力はない。
「やはり、あてはないようだな」
「はい……でも、なんか仕事見つけるから、それまでは」
ここにおいてほしいと、頼むつもりだったのだが。
「では、俺と一緒に東へ旅をしないか?」
意外な誘いの言葉に、相馬はぽっかり口をあいて、危うく繊細なデザインのティーカップを落としてしまうところだった。
アーサーは簡単に、黒髪黒目の異国からの人々に対する法律を相馬に説明してくれた。当然、聞いた相馬は青くなる。
「やばいじゃねぇか!」
「そう。だから東へ行く。レヴァ魔道国ならばハイリァンド海に面しているから、海をわたって東の大陸に行くことも可能だ。あちらのほうが、お前も暮らしやすいと思うが」
相馬に東へ向かうこと以外の選択肢は、ないように思えた。この大陸にいる限り、筆舌につくしがたい体験をした挙句、強制送還という図式はいつもついて回ることになる。それならまだ、こっちから未知なる東の大陸に行ってやるほうが、何倍もましだ。
「わかった。俺、東に行く」
「そうか。では、俺がレヴァまで連れていこう」
「え?」
再び、青天の霹靂。
「お前はこちらの地理に疎いだろうが。案内なしでどうやって行くつもりだ?」
それは至極当然の論理だったので、相馬はよろしくお願いしますと深く頭を下げた。相馬の視線が外れた瞬間、アーサーの双眸が曇ったのだが、彼はその気配にすらまったく気づかなかった。
ようやく本題だよ。
マキシはこれから文献探索、相馬は足で旅に出ます。異世界の旅って、
徒歩とか馬とか馬車ですよね。こっちだと
いろいろと移動の早いものがあるので、
マキシはそれを利用してガイと一緒に東京を
見物するのでしょうか?
次回、相馬たちは出国します。