3.状況把握、その後……

 

 

 ソウマ・ソウザキという不審な少年の取調べは、少年が捕らえられてから半日経過した今になってようやく終了した。

 アーサーは相馬を連れて、詰め所の休憩室に入った。茶を淹れてやると、意外にも相馬は素直に礼を言った。

「まる半日、何にも食べてないし飲んでもいなかったんだ」

「そういえば、両親から追い出されたって言ってたな。……たいした物はないが、今日は俺の家に来るか?」

 一人暮しだから、気がねはいらない。そう言うと、少年の瞳に微かな逡巡が浮かんだ。

「なんだ? ああ、食事の味を心配しているのか。その点については俺と同僚たちが保証する。安心しろ」

 相馬は、ようやくアーサーに笑顔を見せた。

 

 アーサーの仕事が終わるまで、相馬はおとなしく休憩室で待っていた。というか、待たざるをえなかった。暇つぶしのためにどこかをぶらぶらしたいと思っても、帰ってこれる保証がないからだ。それに、アーサーがわざわざ外で買い求めてきてくれた食べ物を胃の中につめこむのに夢中だった。

(けっこういい奴じゃん)

 変わった味の、温かい茶を飲んで一息つくと、相馬はアーサーのことを考えた。

(第一印象はめちゃくちゃ悪かったけどな。きっと徹夜あけだったんだぜ)

 最近まで徹夜が多かった相馬には、眠れない苦しみがどれほどのものかわかりすぎるくらいによくわかる。眠らせない拷問がもっとも恐ろしいという話をふと思い出して、しみじみと何度もうなずいていた。

(誰に聞いたんだっけか、この話? こんなマイナーな知識持ってる奴だから、やっぱあいつだったか?)

 あいつ。香村凱だ。

 ガイとの思い出は、連鎖的に昨日の記憶をも呼び覚ます。

(俺、あいつを……)

 確かにあんな言い方をされては許せなかった。今でも憤りを感じる。でも殴ったことは、少し後悔し始めていた。

(あいつはまだ、私立と公立の試験の最中だったんだ……)

 試験勉強は、先が遠くて恐ろしいものだ。そんな状態でただでさえ気がたっていたところに、愚痴を聞かされてはいらいらしてもしかたがない。

「ガイ……」

 謝りたいと、猛烈に思った。どことも知れないこの場所で、相馬は次に会うときには仲直りできるように、切に願っていた。

 

 

「………………………で?」

 相馬が何かに祈っていることは露知らず(無理もないが)、ガイは敦に冷ややかなまなざしを向けていた。

 相馬の自宅にガイが足を向けたのは、やはり彼も自分の言動を悔いていたからなのだが、たいして長くもない距離を歩く間散々引き返そうかと悩みながら、玄関前で一大決心を固めてインターフォンを押したのに、扉の向こうに相手がいない。あまつさえ長々とわけのわからない話を聞かされて、日ごろからストレスが蓄積されている受験生は爆発寸前のところまできていた。

 敦がガイを通したのはなぜか和室で、そこには正座しなれていないのが一目でわかる外国人の青年が一人、栗色の髪を神経質にかきあげながら座っていた。敦の紹介を受けて、彼は胸の前で何やら複雑な印を結んでからガイに左手を差し出した。そのときは、変わった挨拶の習慣だな、くらいにしかガイは思っていなかったのだが、敦から突拍子もないことを聞いてからは、二人でぐるになって自分をからかっているのではと警戒している。

 突拍子もない話とは、要約するとこういうことだ。

 ――相馬は今、異世界に飛ばされてしまっていて、かわりにこの茶色の髪の外国人がこっちにやってきている。

(おじさん、締め切りぶっ飛ばしたショックで神経の二、三本切れてるんじゃないか?)

 子供のころから蒼崎家とは親しかったので、ガイは事情をよく理解している。相馬とふざけあって、締め切り前の切羽詰った敦に怒鳴られたことは数十回あった。

(相馬……)

 受験に落ちて、ずっと恋していた相手にふられ、ひどく落ちこんでいた相馬に、冷静になった今ならどんなひどいことを言ってしまったのかがちゃんと判断できる。

(彼女のこと、いつもすごく嬉しそうに話してたもんな。うるさいって言っても、ぜんぜんやめないでさ。不合格だった上に失恋して……)

 そこまで考えて、ガイははっとした。身体を前に乗り出して敦に詰め寄る。

「ど、どうしたね?」

「相馬、家出しちゃったんですね!? 俺がショック受けないように、おじさんはそんな作り話してくれたんですね!?」

「いや、作り話ではなくて」

 敦は反論を試みるが、自分の説を頭から信じこんでしまったガイは聞く耳を持たない。頭を抱えこんで、何やらぶつぶつと呟き続けている。

「セリ……、信じさせてやろうぜ」

 おーいとか声をかけてガイを振り向かせようとする敦を制したのは、今までずっと無言だったマキシだ。

「今すぐに知らなくてもいい。それより、ソウマってあんたの息子がどうなってるか、どうやってこっちに戻すかを考えねぇとな」

「戻す方法を知っているのか!?」

 今度は敦が大声を出す番だった。

「あ、いや、俺が直接知ってるわけじゃねぇ。さっき言いそびれたけど、俺のすんでる世界にはレヴァ王国っていう魔法がやたらともてはやされる国があるんだ。そこには<クルオーネ>って最高の魔道士たちの集団がいて、そいつらはずっと前から違う世界への転移の術を研究してるって噂があったんだ」

 マキシの今回の任務こそ、<クルオーネ>の内部調査だった。失敗したことは変わりないが、マキシも長年諜報員を務めてきたのだ。ある程度の情報はつかんでいた。噂は事実だった。しかも、数年前から<クルオーネ>は異世界転移法を頻繁に使って、二つの世界を行き来していたのであった。

「だからさ、こっちに魔道士がいるはずなんだよ。そいつを見つけて向こうと連絡を取らせて、ソウマを送り帰させるんだ」

「なるほど。だが、どうやって魔道士を探すんだね?」

「そりゃこっちの魔道士に協力してもらえばいいさ。この近くに魔道士会かギルドは?」

 敦は、黄昏た表情でふっと息を吐いた。マキシはなんの疑問も持たない様子で、にこにこしている。

 しばし、新しい畳の香りに満ちた和室の中を、のどかな小鳥の声と風の音と、ぶつぶつと繰り返すガイの意味不明な独り言が支配した。

「……ないよ、そんなもの」

 ぼそっと敦の口からこぼれた一言を理解するのに、マキシは長い長い沈黙のときを必要とした。

 

 数時間後、ガイとマキシがどこにいたかというと、街の小さな図書館だった。ガイは勉強のためにそこへ行くことにし、退屈でじっとしていられなかったマキシは付き合うことにしたのだ。

「マキシさん、日本語読めるんですか?」

 並んで歩くガイは、これといってマキシに興味のなさそうな表情だった。無言でいるのが気詰まりだったから、しかたなく質問してきたのがマキシにもなんとなく感じられた。

「たぶん読めねぇな。まあ俺は、図書館が目的地ってわけじゃないから」

「そうですか」

 案の定、ガイはそれっきり口を開かなかった。マキシはすぐに、自分の考えに没頭し始める。

(こっちにゃ、魔道士がいねぇのかよ)

 魔道を使わないで暮らしていける世界など、想像したことすらなかった。マキシは魔道を学んだことはないが、魔道士たちが研究・考案したものは広く世間に出まわっており、それを使ってどんどん生活は便利になっていったのだ。今となっては、それらの品なしで生活していくことなど不可能ではないかと思うほどに、魔道具は人々の間に普及している。

(ここの人間は、どうやって暮らしてるんだ?)

 敦の家には、見たこともないものがたくさんあった。見たことはなかったが用途はマキシの家にある生活用具とほぼ同じだったので、この世界の魔道の存在を疑わなかったのである。

 これらの情報を総合すると、結論はひとつだ。すなわち、

(魔道に代わる何かがあるってことだ)

 魔道と同じ役割を担っている技術とは、いったいどんなものなのか。それが判明すれば、マキシもソウマも自分の世界へ帰還を果たせるのではないだろうか。

(やなことが続いたけど、帰ってやらなきゃならないことだってあるからな)

 小さなことだと、まず飲んだくれて散らかった部屋の掃除。仕事を探さなければ、食べていけない。たくさんいる友人たちに頭を下げてまわって、どこかに紹介してもらおう。その仕事をする傍らで本当に自分にあった職業を見つけて、しばらくしてから転職するのだ。この先長いだろう人生の仕事であれば、向いているもののほうがいいに決まっている。

(諜報員が転職だって、最近まで思ってたけどな……)

 常に緊張していなければならなくて、時にはそれが我慢できなかったけれど、やはりその緊張感が好きだった。政治の水面下で、国家間の情報を把握していることに、優越感を覚えた。たとえ細い張りつめた糸の上に乗っている平和でも、自分の仕事がその維持に役立っているのだと思うと、素直に嬉しかった。

「マキシさん」

 ガイの声で、彼は足を止めた。いつのまにか、二人は比較的賑やかなところに出ていた。

「図書館はこっちですけど、どうします?」

「あー、そうだな……」

 字が読めないのは確実なのだから、行っても意味がないのだが、彼には他に行くあてもないのだ。

「俺も行くよ。なあ、着くまでの間にソウマって奴のこと話してくれないか?」

 ガイは答えない。表情も硬い。

 逡巡して、彼はこう付け足した。

「俺も、ソウマを見つけたいんだ」

 少しだけ、ガイの頬が緩んだ。

 

 

 やっぱり、読めなかった。

 閲覧机で黙々と勉強に励んでいるガイから離れて、マキシは大きな本棚の間をぶらぶらとほっつき歩いていた。

(あとでセリ・アツシに教えてもらうか。本が読めないと暇つぶしできねぇし)

 職業柄、マキシは読書量が多かった。人に話すと意外だと言われるが、そう言う者はほとんどマキシの職業を知らない。

(それにしても、ガイはけっこう、友達思いだな)

 図書館の入り口に足を踏み入れるぎりぎりまで、ガイは友人の相馬について話しつづけたのだ。どういう性格で、何が好きで、何が嫌いなのか。小さいころの思い出、楽しかったこと、一緒に失敗した少し恥ずかしい出来事、そして、つい最近の事件。

『俺、あいつに会って謝りたいです。絶対に見つけるんだ』

(いいよな。ガキのころからの友達ってな)

 マキシにもそういう存在はもちろんいるが、彼らが住んでいるのは遠い故郷の空の下だ。そういえば、もう何年も顔を見ていない。

(いい機会だから、里帰りでもしてみるか)

 そのためには、何としてでも元の世界に返らなければならない。マキシは一人、うんうんとうなずいた。

「きゃっ!」

 本棚の角を曲がろうとしたところで、反対側からやってきた誰かと接触してしまった。マキシは軽くよろめいただけだったが、相手は両手にいっぱい本を抱えていて、ぶつかった拍子に勢いよく床に落としてしまった。

「悪い。大丈夫か?」

「あ、はい。こちらこそ、すみませんでした」

 エプロンをつけ、髪をきっちり結んだ生真面目そうな係の娘が、早口の小声で謝ってきた。彼女が身をかがめて本を拾うのを、マキシも手伝う。

「ここにもあった」

 自分の足元にあった革表紙の本を手に取ったマキシは、何気なくその表紙に視線を走らせて、仰天してしまった。

 見覚えのある文字。

「あの……?」

 訝しげな彼女に、努めて平静を装ってマキシは微笑みかけた。

「すまないが、この本を読んでもいいかな?」

「ええ。どうぞ」

 礼を言うのももどかしく、彼はすぐ近くの机に座って震える手で表紙をめくった。

 帰還のための手がかりが、こんなにも早く彼の目の前に振ってきたのだ。

 

 


今度は相馬が目立ってない、第三章でした。アーサーも主要人物のくせに

出番少ないし……。

次は、相馬サイドの冒険が始まる予定です。早くヒロインを出したいなぁ……。

それからシリーズ中一番の美形も。

 

 

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