2.それぞれの出会い

 

 どうやら、謎の青年はこの家を宿屋だと思っていたらしい。

 敦は、青年マキシ・スターゼンがしっかりと握りしめていた、聞いたこともない銘柄の酒を一口喉に流しこみながら(仕事は一段落ついたから、朝から飲んでもかまわないだろうと敦は考えていた)、丼一杯の白いご飯をかっこんでいる、目の前の相手の話を聞いてそう判断した。

「セリ・アツシ、おかわり!」

「セリ?」

 ついでに自分の茶碗にもご飯をよそい、敦は聞き返した。ここが宿屋ではなく、自分がここの主なのだと説明してから、マキシは彼をこう呼ぶようになっていた。

「『セリ』とはなんだね、青年?」

「あっと……結婚してる男につける敬称なんだけど……。いいかげん、俺のこと名前で呼んでくれないか、セリ・アツシ」

 ミスターとほぼ同意語らしい。とりあえず納得して、敦は引き続き自分のぶんの食事を黙々と片づけていく。

「ところでだね、ええと、マキシ君」

「なんだ?」

 緑茶をくいっと飲み干したマキシは、話しかけられると気さくに返事をした。

「察するに、君はこことは違う世界からきたようだね?」

 だからついつい、敦のほうもさらりとこんなことを言ってしまえたのだ。もう少し、婉曲に話を切り出すつもりだったのだが。

「違う世界ぃ?」

 やはり、もう少し違う言い方をすればよかったと、敦は少し後悔した。いきなりこんな言葉をつきつけられ、受け入れるような者はいない。敦自身のように、ファンタジー小説に普段から慣れ親しんでいて、異世界を身近に感じているのなら別だが、どう見てもマキシはそういうタイプではない。

「ああ……つまりだね」

 敦は慎重に、なるべくマキシが理解できるように、言葉を選びながら少しずつ話をしていった。伊達に、日ごろ文章の仕事をしているわけではない。つかえることなく説明することができた。異世界転移についての、こちらの――といっても、敦の概念だが――認識、パラレルワールドの考え方について。マキシは、いちいちふんふんとうなずきながら聞き入っていた。

「……と、いうことなんだが。わかってもらえただろうか?」

「まあ、セリの言わんとしてるところは理解できたつもりだぜ」

 マキシは、きれいに空になった丼と箸を置いて、腕組みして椅子の背にもたれる。長身で、体重もそれに見合うだけある彼によりかかられて、古い椅子はぎしぎしと鳴った。

「つまりさ、ここはレヴァのクルオーネの連中が言うところの――」

「あなたぁぁぁぁっ!?」

 突如、女の金切り声が二階から降ってきた。声はどすどすという地響きとともに二人のいる台所兼食堂を通りすぎ、ドップラー効果の余韻を残してどこかに吸いこまれた。

「小夜、ここだ。いい年をしてなんという声を出しているんだはしたない。お客もいるんだぞ」

 敦が座ったまま呼びかけると、あわてた足音はだだだだっと戻ってきた。

「だってだってあなたぁ!?」

 櫛も通していない寝起きの髪で、涙でぐちゃぐちゃの顔をした女は、入ってくるなり敦に抱きついた。

「こ、こら! お客人の前で!」

 たしなめる敦の声は、言葉とは裏腹にちょっと嬉しそうだ。妻にこんなふうに抱きつかれるなど、何十年ぶりのことなのだ。マキシは、こっそりと後ろを向いていたりする。

「とにかく! どうしたのか言ってみなさい」

「ええ……」

 小夜は、パジャマの袖で涙をふき、しゃくりあげながら自分の見たことを説明した。

「相馬の部屋の机が……消えてたのよ。相馬もいないし、部屋の中には梯子もあったし。きっと……何か大変なことが起きたんだわ!」

 時刻は七時五分。ここに来てようやく敦は、相馬のことと息子を取り巻く状況を思い出したのであった。

 

 

 朝起きたら、そこは見知らぬ場所だった。

 相馬は、自分の部屋よりも広い一室で目を覚ました。身体があちこち痛い。

(あー昨日不良にフクロにされて……って、ここ俺の部屋じゃねぇ!?)

 がばっと起き上がって、自分が床の上に寝ていたことを知る。次に周りを見まわしてみて、散乱するたくさんの瓶と自分の机を発見した。

「俺の机……だよな? でもここは、俺の部屋じゃねぇぞ」

 転がっているのは、酒瓶らしかった。それに部屋の空気もそこはかとなく酒くさい。相馬は酒がきらいである。

「……換気しよう」

 状況はよくわからないが、今彼にできることといえばそれくらいしか思いつかなかった。外国映画などでよく出てくる、両開きの大きな窓をがばっと開け放つ。

「――!!」

 朝靄の中、静かにのどやかに動き始めようとしている眼下の街は、相馬の知るどこの場所でもなかった。

「なんなんだよ、ここは……?」

 へなへなと座りこんだ相馬の耳を、朝一番の小鳥のさえずりが通りすぎていった。

 

 とにかくまずは、腹ごしらえだ。

 相馬は誰かさんの家を出て、活気づき出した朝の街をふらふらとさまよっていた。しかし先立つものがなければ、どうにもならない。

「金……昨日ぶんどられたからなぁ。それに、ここで日本の金がそのまま使えるのかどうかもわかんねぇしな」

 つい足が向いたのは、市場のような通りだ。道ゆく人々は、西洋人の顔立ちをしている。と、いうことはここは外国だ。どこの国かはわからないが、日本ではないことは確かだ。

 あてどなく道を歩いていく相馬は、おいしそうな匂いのする店先をしょぼくれた顔で通り過ぎていくしかなかった。腹はぐうぐうと食べ物を催促し、ますます彼を滅入らせる。

「おう、シャレイル! 今日はいつもより遅いな?」

「おはようさん。いや昨日の女がなかなか離してくれなくってよ」

 ざわざわしているこの通りの中でも、ひたすら大声のこんな会話が、すぐ横から聞こえてきたとき、相馬はとうとうとどめをさされた。

(ふられたばっかりの俺の前で、堂々とそんな話すんじゃねぇ!)

 前かがみの体勢で、よろよろとそこから離れようとした相馬は、次の瞬間ばっと後ろを振り返る。

(俺、今……)

 忙しそうに行き来する人々が、通りの真中で立ちすくんだまま動かない少年を、迷惑そうににらみつけている。だが相馬は周囲の他愛ない世間話に全神経を集中していたので、白い視線には気づいていない。

 しばらくそうしていて、彼はひとつの結論に達した。

(ここの人たちの言葉、ちゃんとわかる)

 信じ難いことではあったが、交わされている言葉はすべて日本語であった。そして、言葉が理解できるという事実は、彼に希望をもたらした。

(よかった! ここがどこなのかはともかく、話ができるんなら帰れるぞ!)

 そう思って安堵のため息をついたところで、彼はここ最近の出来事を思い出した。失恋したこと、親友と喧嘩したこと、受験に失敗したこと……。

「帰ったって……別にいいことないよな……」

 それでも、この見知らぬ土地で無一文で路頭に迷っているよりはいいはずだ。いいはずなのだ。たとえ、いやなことばかりが待ち構えているとしても。

(だけど……やっぱり、俺……)

「どきやがれっ、小僧!」

 強い衝撃を後ろから受けて、相馬は地面に激突した。

「っつ――!」

 長年の訓練のおかげで、受身を取ることはできたが、彼は怒りを込めたまなざしで自分を突き飛ばした相手を探した。

「道のど真ん中で、ぼけっとしてるんじゃねぇ! 邪魔なんだよ!」

 相手はすぐにわかった。相馬が立っていた当たりで、仁王立ちしている中年の男だ。男はつるりと禿げ上がった頭にくっきりと青筋をたてて、がらの悪い声で怒鳴っている。

「なんだぁ、その目は? てめぇが悪いんだろうがよ」

 相馬の目を見て、男はなんと彼を蹴ろうと勢いよく足を振り上げてきた。相馬は反射的にそれをかわし、男の足を素早く払う。

「うおっ!」

 禿の男は無様に道に転がり、相馬はその隙に体勢を立て直して構えを取った。

(なんだよ、こいつは!)

 どうしようもなく、怒りがこみあげてきていた。今までさまざまなものに対して抱いていた怒りが、このときになって一気に噴出しているのだ。

 どういうわけだか、こんなところに来てしまったせいで、相馬をいらだたせていたものたちから遠く離れてしまったせいで、ようやく抑えてきた感情を爆発させることができたのかもしれない。

「こんのガキゃぁ!!」

 わなわなと震えながら起きあがった男が、猛牛のような勢いで相馬に向かってくる。相馬は冷静に間合いを計りつつ、必殺の一撃を繰り出す準備をした。

「お前ら、何をしているか!」

 そんな一触即発の空気の中、どちらの攻撃も中断させる者が、野次馬をかきわけてやってきた。白地に緑色の、動きやすさを重視した服をまとい、手には長い棍棒を持った男たちが数人、ばらばらと相馬と男を取り囲む。

「市の中で騒ぎを起こすなど言語道断! 捕らえよ!」

 そろいの服の男たちは、治安維持を役職とする者たちのようだ。あれよあれよという間に、相馬は腕を縛り上げられて連行されてしまったのだった。

 

 

 夜勤明けの上、休憩もとることができずに取調べを押し付けられた彼は、かなり不機嫌だった。取調室に入っても、すぐには仕事を始められないほどに。

(喧嘩なんぞする奴は、問答無用で牢に入れてしまえ)

 無茶なことを考えつつ、彼は机を挟んだ向かいに座る少年をちらりと見やった。

 黒髪黒目で、異国風の顔立ちをしている。着ているものも見たこともないつくりだ。年は、十五、六といったところか。茫然とした表情で、彼を凝視していた。

「……お前の名前は?」

「人の名前聞くんなら、まずそっちから名乗れよ」

 生意気な切り返しをされて、思わず拳が出そうになったが、鋼鉄の自制心でなんとかそれをおさめ、彼はゆっくりと深呼吸を繰り返した。

(ったく、だからこのくらいの年のガキはいやなんだ)

 恐らく、他の同僚たちもそう思ったからこそ、彼にお鉢が回ってきたのだろう。

 うんざりした彼は、とっととこの仕事を終わらせようと、とりあえず相手の質問に答えてやることにした。

「俺はアーサー・フェイルド。お前は?」

 あいかわらずの仏頂面で(アーサーも人のことは言えない顔だ)、少年は短く名乗った。

「相馬。蒼崎相馬」

 

 ――のちに深いつながりを持つことになるこの二人の出会いは、お世辞にも劇的とは呼べないものであった。

 

 

 


 

中途半端な第二章です。ガイとマキシを対面させるところまで書きたかった

んですが、それを書くとさらに半端になるのでやめました。

父ちゃん母ちゃん、のどかですねぇ。新キャラのアーサーは、いったいどこまで

初期設定に忠実でいてくれるのか(しゃれにならん)。

以下、次号。

 

 

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