剣士の資質
かつて、天使とその勇者が地上界インフォスを救った。インフォスに暮らす多くのものは、知ることのない事実である。
現に、今も救世の勇者はこの地上の住人である。勇者と力を合わせ、地上を平和に導いた天使と共に。
ヘブロン王国西端、ファンガム王国との国境近くに、地方警備隊の一隊が駐屯している。
へブロンとファンガムは、かつて何度も戦火を交えてきた間柄であり、また国境付近の深い森には獰猛な獣や、時にはモンスターが現れることもある。そういった意味で、この地方警備隊の役目は、重要なものであると言えた。
とはいえここ数年のうちは、ファンガムはヘブロンに攻め込むよりも、若き女王の指揮のもと、自国を豊かにするための政策に取り組んでいる。まして、人々に害を与えるような獣やモンスターが、いつもいつも現れるというわけでは、ない。
そういうわけで、警備隊を構成する若者たちは、まぶしい初夏の日差しの中、木陰に集まり近隣の村の娘たちを噂するなどして、ゆっくりと午後の休憩を取っていた。
「しかし、この近くで一番の女性と言えば、隊長の奥さんだと思わないか」
一人が言った言葉に、全員が一瞬沈黙した。
「…人妻だぞ?」
初めに言った者の向かい側に居たものが、半ば呆れたように呟く。他の者も、そうだそうだと首を大きく縦に振っている。
「何を言う。別に声を掛けようとか、手を出そうとか、不倫に誘おうとか言ってる訳ではないじゃないか。ただ、素敵な女性だと言ってるだけだぞ、俺は。大体、アイン」
そう言って向かいの者に顔を向ける。
「お前なんか、この前奥さんに挨拶された時、顔を赤く染めていただろうが」
名指しで思い当たる事実を告げられて、アインと呼ばれた若者は顔を背け、どう言えばいいかと困っている様子を見せた。
「それから、ツヴァイ、デュライ。お前たちも同じようなことがあったはずだぞ?」
横手にいた二人も、言葉を向けられ、目をそらす。
どうやら、この場に居る全員が、警備隊の守護隊長の奥方に心惹かれるものがあるらしい。それみたことか、とばかりに最初に奥方を口に出した若者は笑って見せた。
その笑いをあまり快くは感じなかった三人は、じっとその者を睨んが、気にする様子はないようだった。
「じゃあ、聞くがフィーア。お前はあの隊長にも、さっき言ったことを言えるのか?」
アインが、真向かいからじっとフィーアを睨んで尋ねると、フィーアはふふんと鼻をならすと、自信ありげに胸をそらし答えた。
「もちろんだ。別にやましい話ではないだろうが」
「そうか。やましくないか」
ぽそりと、深い意味がありそうに呟かれて、フィーアの笑いが消える。
「ならば、隊長に言ってみようか。フィーアは随分とレイヴ隊長の奥様を気に入っているようです、とな」
アインが言うと、何か反論しようとするフィーアを差し置いて、横からツヴァイが話を引き継いだ。
「おお、それならば、流石にあの隊長でも剣の一つも抜いてみせそうだな」
面白そうに言われた言葉に、フィーアの表情が険しくなる。
ツヴァイは、守護隊長の任についてこの地に来て以来、剣を抜いたこともなく、また隊の訓練時にも体力訓練ばかり行うという、隊長の剣の腕前に以前から興味を持っているのである。このままでは、うっかり本当に、自分の言った言葉が隊長に伝えられてしまいそうである。しかも誇張されて。
しかし、フィーアは売られた言葉を考えもなく買ってしまう、という性格の持ち主であった。しかも自分の剣の腕前に多少なりと自信を持ち、剣術訓練の行われない現状にいささか不満を持っている。
「それならば、隊長と俺の剣の腕前をはっきりさせてやろうじゃないか」
鼻息も荒く、そう声を上げる。
その横では、なにやら方向性のずれてきた話と、無謀なフィーアの発言に半ば呆れてため息をついていた。
「…フィーア。どうでもいいが、レイヴ隊長とやり合うようなことは、止めておけよ。」
ため息混じりにデュライに言われた言葉に、全員が注目する。
フィーアとツヴァイは不思議そうに。アインはうなずいて。
「どういうことだ?」
少し気が落ち着いた様子でフィーアが尋ねた。
「お前なんかじゃ、レイヴ隊長の相手は務まらないということだ」
自分の剣の腕前をけなされた気がして、フィーアが口を開きかけたところを、デュライが遮る。
「まあ、聞け。レイヴ隊長は、そもそもヴォ―ラス騎士団の団長だった人だということは、忘れてないだろう。それにこれは、村の者からも聞いた話なんだが…」
と、デュライは話し始めた。
ある初夏の、爽やかな風が吹く晴れの日に、レイヴは一人で近くの村に巡回に出かけていた。
巡回、といっても、主な仕事は公共物の修理や手の回らない屋根の修繕などで、要は地元住人との友好関係を保つためのものである。他の若い隊員たちは、目当ての娘でも居ない限りそうそう好む仕事でもないのだが、レイヴはこの仕事を率先して行っていた。
「すみませんなぁ、レイヴ様。荷馬車変わりになんぞしちまって」
村はずれにある畑の脇で、老人は杭を何本も抱えているレイヴにそう言った。
「…かまわん」
短くそう答えて、レイヴが歩き出す。両手指を回すほどの太さの杭だというのに、何本も楽々と運んでいる。
「いや、本当にすまんですな。羊が増えたんで、少し囲いを増やそうと思いましてな。」
老人の言葉を聞いてはいても、レイヴは特に相槌を打つでもなく、黙々と歩く。しかし老人もそれを特に気にする様子はない。老人には、レイヴが話を聞いていることくらいは分かっているのである。
「いや、しかしいつもいつも、いい男じゃのう。…うちの孫娘を貰ってやってくれんかのぅ」
独り言のように、けれど人に話し掛けると変わらぬ声の大きさで言われて、レイヴの腕から何本かの杭が滑り落ちた。
「…妻がいるのだが…」
落ちた杭を拾いながら、明らかに対応に困った声で言うと、老人は声を立てて笑った。
「はははは。素直じゃのう、レイヴ様は。そんなことは分かっておるに。言うてみただけじゃ。」
からかわれたとも取れる言葉である。
さらに対応に困って歩き出したレイヴに、老人は追い討ちを掛け、再度杭を落とさせた。
「あんな美人でしっかり者の奥様と熱愛中じゃあ、うちの孫など勝ち目はあるまいて」
この言葉に対するレイヴの心の内は…明かさないでおこう。老人は、微かに染まったレイヴの頬を見逃しはしなかったが。
改めて杭を拾いなおそうとしたところに、突然地面に黒い影が落ちた。
大きな飛行物の影。
老人が、何が起こったか把握しきらないうちに、レイヴは素早くその飛行物の正体を確認していた。
ワイバーン。翼を持つモンスターである。また獰猛な部類のモンスターとしても知られている。
体長が五メートルほどあろうかというそのワイバーンは、ちょうどレイヴと老人が向かう先、つまり羊たちが囲われている場所目掛けて高度を下げていた。散歩途中の、ちょっとしたおやつ、ということであろう。口を大きく開き、足の爪を光らせている。
レイヴはその目的を察知するが早いか、突然のモンスターとの遭遇に意識が空白化している老人を残して、駆け出した。手には拾いかけた杭を、一本持ったままである。
気合を込めた叫びを上げると、ワイバーンは邪魔者の存在に気付いたのか、身体の陰から首を表しちらりとレイヴを振り返ると、微かに飛ぶ速度を緩める。
その瞬間。
レイヴの目にさらされたワイバーンの首には、杭が深々と突き刺さっていた。
突然の痛みと呼吸困難に、暴れ狂いながらもワイバーンが地に落ち、さらには動かなくなるまではしばらくの間があった。
「…って、ちょっと待て。」
ここまで話を聞いていたフィーアが口をはさんだ。
「ワイバーンって言ったら、その身体が固い鱗に覆われているんじゃなかったのか?どうやったら木の杭が刺さるんだ。それにそんな話なら、俺が知っててもいいだろう」
ちょっとした冷や汗を浮かべて、疑問を口にすると、話し手であるデュライの横手から、アインが言った。
「俺は知っていたぞ。」
フィーアは、虚を突かれたような顔でアインを見た。アインが続ける。
「お前とツヴァイは昨日まで休暇だったから知らないだろうが、そのワイヴァーンを片付けたのは俺たちだ。」
何故話してくれなかったのかという無言の叫びと、恐ろしい話だというこれまた無言の絶叫が、フィーアとツヴァイから響いているような、沈黙が落ちる。
「…し、しかし、それと剣士としての腕前はまた別の…」
「別の話だと、本当に思うのか?」
この期に及んで言い募ろうとしたフィーアに、アインは冷たく言い放った。
再び沈黙。
その日の午後、初夏の日差しの中で四人の若き剣士たちは、いつまでも沈黙していた。
その日の夕方、熟れたてのトマトを抱えて帰宅したレイヴを、天使のごとき女性と評判の妻は、初めて出会った頃から変わらぬ、柔らかな笑顔で出迎えた。
「おかえりなさい。レイヴ」
「ああ」
短く答えるレイヴの顔には、それでも笑顔が浮かんでいる。隊員たちでは決して拝めないような表情である。
彼の天使にしか見せない笑顔がそこにはある。
「ところで、レイヴ」
テーブルの上にトマトを置いたレイヴに、声を掛けると、レイヴは振り返ってこちらを見た。
「夕方フィーアさんがいらっしゃって、今度杭の持ち方を教えて欲しいって言われたんですけど…。何のことなんですか?」
レイヴ自身にも何のことか分からぬその問いは、後日、淡々とした口調でレイヴからフィーアに向けられたという。
おわり
222をふんで、SEPIA様からいただきました、レイヴのお話です。
平和でほのぼのとしていて、とってもいいです〜。
村の若者たち、かわいいです(^^)。純朴で。あ、でも
純朴さではレイヴも負けてませんね。
SEPIA様、素敵なお話をありがとうございました。
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