アルフォート学院周辺は、学生を対象としたいわゆる<学生街>である。軒を並べるのは本屋、喫茶処、ちょっとした学用品の買える雑貨店、女子生徒の好きな小物屋など――。
この日、これらの店はすべて大迷惑をこうむっていた。アルフォート学院の制服を着た女子生徒の集団が、買い物をするわけでもなく店にたむろして、入り口に目を光らせているものだから、客の入りがすこぶる悪いのだ。しかし、誰も注意しない。つい一限(約一時間)ほど前、彼女らを追い出そうとした文具店の若い店員が、返り討ちにあったからである(どういう攻撃を受けたのかは定かではない)。
「あっ!!」
状況を打破したのは、本屋にいた一人の栗色の髪の女子生徒の、悲鳴じみた声だった。
「みなさん、あそこに!」
「えっ?」
「なに?」
「ああああっ!?」
ざわざわ――ぎゃあぎゃあのほうがふさわしいかもしれない――と、騒ぎは瞬く間にさして大きくない本屋の中に伝わっていき、女子生徒たちは一斉に外へ飛び出していった。他の店からも、女子生徒たちが出ていって、道はしばらく彼女たちだけが埋め尽くしていた。
<学生街>の店主たちは、どやどやと去っていく迷惑集団が、誰かの名前を呼ぶのを確かに聞いていた。その名前とは……。
「セディ様ああああああああっ!?」
複数の女の声で名前を呼ばれ、赤味がかった金茶の髪の青年は立ち止まった。連れ立って歩いていた砂色の髪の青年のほうは、仰天して道の端による。もちろん呼ばれたほうがセディ・サシュフォード、驚いたのがジェス・マルクトゥールである。
黄昏の夢幻を見事に打ち破り彼らの前に現れたのは、<王子様親衛隊>ご一行様だ。
「セディ様、いつもお世話になっております。二年生のレ・ドナ組所属のファーマ・レナスです」
先頭にいた、緑の髪に勝気そうな夕日の色の目をした少女が、一歩進み出て自己紹介する。彼女が<王子様親衛隊>で一番発言力があるのだろう。セディともやはり顔見知りのようで、彼も軽く会釈を返した。
「レヴィン様を、見つけたんですか?」
「それがまだ……セディ様にも協力していただきたいと思いまして。レーヴィオン様をお探しでしょう?」
「もちろんです。早くしないと、問題になりますからね」
「そうです。レーヴィオン様を早くお連れしなければ……。これから私達は散会して、捜索に戻りますわ。それでは、失礼します」
「では」
ファーマの合図で、集団はぱっと散っていった。何でそんなに統率が取れているんだ、とジェスは胸の中だけで突っ込んだ。
「さて。僕達も行きましょう。早く見つけるに越したことはありませんから」
「そ、そうだけどさ……。なあ、セディ」
さっさと歩き出していたセディを小走りに追いかけて、ジェスはその背に問いかけた。
「何で俺のこと、話さなかったんだ? さっきの女子、こっちをちらちら見てたぞ」
「話したらどうなるか、わかってるでしょう? リテュエルセーテさん……でしたっけ? 彼女の関係者なんだから、あなたもただじゃすみませんよ」
「それってもしかして……」
かばってくれた、と解釈してもいいのだろうか。
だがセディはあっという間に角を曲がっていってしまったので、答えは聞けずじまいだった。
不ぞろいな足音が、ばたばたと道を走り去っていく。リティは目だけを出して様子をうかがい、レヴィンにうなずいて見せた。
「なあ……リテュエルセーテ」
何か言いかけるレヴィンを視線で制し、彼女は彼を引っ張って向かいの辻に飛びこんだ。慎重に周囲の気配を読み、進んでいく。格闘技の訓練で、そういうことは学んでいた。
「どうしてここまで警戒するんだ?」
「しっ!」
鋭くレヴィンを黙らせてから、彼女だけでその次の辻を見に行く。――無人だ。
「ふう」
緊張を少し解いて壁に寄りかかる彼女に、附に落ちない表情でレヴィンが話しかけてきた。
「セディもそうなんだが、どうして街を歩くだけでそこまで緊張する必要があるんだ? エルはもともと治安もいいし、その中でも<学生街>は特に安全に力を注いでいるぞ」
「……危険なのよ、いろんな意味で」
レヴィンがいるところに<親衛隊>の影あり。<親衛隊>はとにかく、レヴィンに必要以上に近づくものを排除しようとする。特に女性に対しては、恐ろしいまでに敵意を剥き出しにするのだ。
(早く学院に戻らないと。門限も近いし……)
時間までに門をくぐらないと、何かの教科から課題が出される。しかも、決まって苦手教科なのだ。恐らく教授側は、規則にかこつけて強制的に勉強させようとしているのだろう。いちおうアルフォート学院は名門なのだ。
「……もっと、自由なんだと思ってた」
唐突に、レヴィンのつぶやきがリティの耳を打った。
「レヴィン?」
「俺の事を誰も知らない場所だから、昔みたいに過ごせるんじゃないかって、どこかで期待していた。……叶わないに決まってるのにな。俺はずっと、定められた自分を演じるしかないんだから」
彼が何に悩み、何に苦しんでいるのか、もちろん会って間もないリティは知る由もない。それでも彼が寂しいのだということは、察せられた。薄闇を透かしてぼんやりと見える彼の顔は、自嘲の笑みを浮かべていた。
「見つけましたわっ!」
またもや突然、場の雰囲気が切り替わった。あわててリティが視線をめぐらせた前方の辻には、予想通りアルフォート学院の制服が。
「集合!」
名も知らぬ女子生徒は、胸の隠しから小さな笛を取り出した。甲高い音が空を突き、響き渡る。
「逃げなきゃ!」
リティはレヴィンの手を引いて、元来たほうへ走り出した。しかしすでに遅く、飛び出した道にはアルフォートの女子生徒たちが終結していた。どこにも逃げられないようリティ達を素早く取り囲んで、すさまじい形相でにらみつけていた。
「くっ……!」
「てこずらせてくれたわね。リテュエルセーテ・ボラーナル」
「何であんたなんかが、レーヴィオン様と!」
「離れろ!」
「どっか行け!」
普段、同じ教室の女子からの悪意にはびくともしないリティだが、さすがにこれだけたくさんの罵声にはたじろいだ。けれど怖気づいたと思わせたくなくて、彼女は地面を踏みしめて背筋を伸ばして立っていた。
彼女を罵る多くの顔の中に、見知ったものもあった。集団という根拠のない強みに助けられて、陰口として吐き出していたリティへの敵意を直接ぶつけてくる。無性に腹が立った。
(どうして、こんな)
悪く言われることには、去年一年で慣れた。無視されて、仲間はずれにされても今は平気だ。彼女が憤りを感じるのは、許せないと思うのは、大勢でたった一人を攻撃するという行為だ。
(こんな卑怯者になんか、負けない!)
ますます彼女は視線を鋭くする。意思の強い紫のまなざしは、近くにいた数名を一瞬黙らせたが、罵詈雑言はやむことなく続いた。それどころか、どんどん激しくなっていく。
「マルクトゥールも悪趣味! こんな女と付き合うなんてね!」
「――!?」
人は、自分が気にかける言葉にはどんな騒音の中でも反応してしまうという。このときも、リティはわずかに身体を震わせた。それは、女子生徒たちに隙を与えるには十分だった。
「どうやってたらしこんだのよ。『男には興味ありません』って顔して、お高くとまってたわりにはやるじゃない」
「あんな単純そうな男、落とすのは簡単だったでしょうね。実際頭悪いしね」
「知ってる? 教室内一番馬鹿男って呼ばれてるのよ。『鉄の女』とお似合いね」
他愛ない、陳腐極まりない言葉が飛んでくる。直接リティのこともジェスのことも知らない、学年の違う女子生徒までがはやしたててくる。リティはもう、まっすぐ顔を上げていることができない。悔しくて、不覚にも泣き出してしまいそうになる。ジェスを貶めるたくさんの口を封じることすらできない無力感が、彼女を苛んでいた。
「リテュエルセーテ」
かっ、と熱くなる頭に、レヴィンの声がしみこんできた。さっきまで心地よいと思っていたそれすらも、彼女を慰めることはできなかった。彼女が今最も求めるのは、レヴィンではないから。
(ジェス!)
心細くて、痛む胸の中で大切なその名を呼んだ。
「リティ!」
奇跡のように、彼女を何かが抱きしめたような気がした。
嘘のような、物語のようなその奇跡は、その重大さをまったく自覚していない一人の青年が起こしたものだ。
「リティ!」
罵声はやんでいた。リティ達を取り巻いていたたくさんの顔が、すべて同じ方向を向いている様は異様ですらあった。人間の壁にわずかにできていた隙間から外を垣間見たリティの目が、大きく見開かれる。
制服は乱れ、砂色の髪はぼさぼさ、明るいところで見ると生き生きと輝く翠の目の持ち主が、息も荒くそこにいた。
「ジェス……ジェス!?」
彼女の叫びと重なるように、第二の奇跡が起こる。
「<薙ぎ払いし黄の鞭よ>!」
ごう、という音なき音。音は波動を伴って、リティとジェスのあいだに道を作った。風がそこにいた女子生徒を数名吹き飛ばしたのだと、理解できた者はどれだけいたことだろうか。もちろんリティは最初から理解しようともせずに、一目散にジェスを目指していた。距離にしてはそれほど長くはない彼までの道だが、彼女は走り抜けた。
「リティ、大丈夫か!? 俺……その……」
つっかえつっかえ話すジェスを見つめていると、リティの胸はいっぱいになった。痛みを感じていた部分も、たちどころに癒された。彼女は、彼の声が好きなのだ。
「ごめんなさい、ジェス」
何に対しての謝罪なのか、わからなかったけれども自然に唇からこぼれていた。ジェスは面食らったが、すぐに笑ってくれた。
「ちょっと! まだ話しは終わってないよ!」
緑の髪の少女が怒鳴る。リティは知らないが、ファーマ・レナスである。
「あんたはあたし達の王子様を横取りしたんだ。きっちり落とし前つけてもらおうじゃない」
セディと話していたときとは、口調がまったく違う。ジェスはあきれていたが、ファーマの視界にもともと彼は存在していないようだった。
「何よ、魔術なんか使って。この卑怯者! みんな、いい!?」
自分たちの卑怯さを棚に上げ、<親衛隊>は臨戦体制(恐らく)をとった。しかしリティも、やる気は十分だ。隣にジェスがいるのだから、何にも負けるという気はしない。
「おい、リティ」
「ジェス、危ないから隠れてて」
「……」
「<戒める紅き鎖よ>!」
<親衛隊>VSリティの戦いは、結局開始されることはなかった。力ある言葉により解放された紅蓮の炎が、<親衛隊>をすべて捕らえてしまったのだ。<鎖>というよりも<網>に近い形で具現化したそれを、自由の身であるジェスとリティは唖然と凝視していた。
「とりあえず、しばらくこうしておくか」
炎の<網>の中から、人影が現れる。すっかり忘れられていたレヴィンである。
「すまなかったな。俺のせいでいやな思いをさせた」
「ううん。気にしてないわ」
真摯に謝るレヴィンに、リティは首を振った。どうでもいいのだ、今ここにジェスがいるのだから。ジェスが自分にとってどれだけ大切か、わかったのだから。
「それにしても、すごいわね。こんなすごい魔術、初めて見たわ」
――アルフォート学院は、このマジェス大陸で唯一、『魔術』を学問として取り入れている。『魔術』は近年になって技術が発達してきたために忘れかけられている古代の知識だ。その利用性を研究し、更なる発展につなげようと先代皇帝がアルフォート学院を創立したのである。先帝の手腕が優れていたためか、歴史の浅いアルフォート学院は名門と呼ばれるまでになり、危険視されていた『魔術』もひとつの学問としてここ七十年で見直されるようになった。ただし、『魔術』を邪神の力とする国教のエルネイス教会からは、まだまだ非難されているが。
特に信心深くもないリティは、ただ見事に<親衛隊>をからめとってしまった炎に感嘆するばかりだった。
「……ところで、どうしてこんなことになったのか、説明してもらえるんだろうな」
リティを尻目に、ジェスはレヴィンに詰め寄った。彼女がこんなとんでもない騒動に巻き込まれてしまったのは、目の前にいるやたら美人の青年が原因なのだ。
「ジェス、あのね――」
「俺はこいつに訊いてるんだ」
あわてて何かを言いかけるリティを止めて、ジェスはさらに目つきを鋭くした。
「あんたのせいで、リティはあんなこと言われたんだ。きっちり納得のいく説明してもらわねぇと、気がすまねぇな」
「……そうだな」
レヴィンは一度目を伏せて、ジェスの視線を正面から受け止めた。深い蒼い色に呑まれそうになって、ジェスはめまいを覚えた。
「俺の不注意だ。すぐに彼女を返していれば、ここまでひどいことにはならなかった。君達二人に、迷惑をかけてすまないと思っている」
「違うのよ!」
リティがジェスとレヴィンの間に割って入った。彼女が必死なのが見て取れて、ジェスはむっとする。
「何でこいつをかばうんだよ」
「だって、もとはといえば私がレヴィンといるところを見られたからだもの。それに、ジェスと喧嘩してなかったらこうならなかったでしょ? それに――」
「はいはい。仮定の話はその辺にしてください」
強引に話を遮った、新たなる人物の登場にリティが口をつぐむと、今までどこにいたのやらセディがレヴィンの少し後ろに立っていた。まったく神出鬼没である。
「『たら』とか『れば』なんて不毛ですよ。もう変えられないんですから」
「……いつの間に」
「ご無事で何よりです、レヴィン様」
リティのつぶやきを無視して、レヴィンに笑顔を向けるセディは、ジェスに対していたのとはまったくの別人だった。あきれているジェスと、きょとんとしているリティにはまったく無頓着で、セディはまだ動けずにいる<親衛隊>のほうにどんどん近寄っていく。
「せ、セディ様……助けて」
ファーマが彼を認めて、言った。
セディは黙って、右手を<網>にかざす。
「<荒ぶる黄の舞人よ>」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
<網>の中で、風が暴れ始めた。<親衛隊>達はその風に縦横無尽に振り回されている。それでも<網>から飛び出さないのは、<網>の中が一種の結界のようにもなっているからだ。
「おい、セディ……」
背後の阿鼻叫喚をものともせず、涼しい顔で戻ってきたセディに、ジェスはかける言葉を持たずにいた。セディはそんな彼に、初めていたずらっぽい笑みを見せる。

「言ったでしょう? 僕の主レーヴィオン・セイ・ドルゴール様に危害を加える者には、等しく天罰が下るんです。彼女達は、レヴィン様を精神的に害した最大の要因と判断しました」
結局、<親衛隊>はレヴィンがすぐに救出した。セディはまだ気持ちがすまないようだったが、レヴィンが言うのであればとしぶしぶ魔術の風をおさめた。門限時間ぎりぎりで寮へ戻れたジェスとリティは、食堂で遅い夕食をとりながらひとしきり<金の王子様>の人の好さについて話していた。
「そっか。そういえば転びそうになった女子を助けたってだけで、その女子にとばっちりがいくんだもんな。ちょっと言いすぎたかな、俺」
事の発端をすっかりリティから教えられたジェスは、好物のにんじん炒めをもそもそと口へ運びつつ、うなった。
「レヴィンだから、あんまり根に持たないと思うわよ。ほんとに人が好いんだから。<親衛隊>も全員何も言わずに帰しちゃうんだし」
「まあ、あいつらも少しくらいは懲りたんじゃねぇか。今度同じようなことがあったらセディの<天罰>が下るんだ」
二人は顔を見合わせて、くすくす笑った。本当は爆笑したいのだが、ここでは他人の目もある。
レヴィンはセディを神経質と言っていたが、彼はおっとりしすぎているからセディもぴりぴりとしてしまうのだろう。けれどセディも、そんなレヴィンだからこそ好きなのだ。
そういう二人の様子が好もしかったから、ジェスもリティも何も言わない。セディがもらした「レーヴィオン・セイ・ドルゴール」のことについては、意識的に避けている。「ドルゴール」はマジェス大陸の南、アルヴァンテス大陸を統べる王国の名前。国の名を負うのがどういうことなのか、二人にもうっすらわかる。レヴィンが「レーヴィオン・ファルガード」と名乗るのであれば、このことは黙秘しつづけようと二人は暗黙のうちに決めていた。
「……あのさ、リティ」
しばらく笑った後、ジェスはまた食事のほうに目を戻した。だが、手をつけようとはしない。
「その……今日はちょっと忙しかったからさ……明日でいいか?」
シチューを口に運ぼうとしたままで、リティは首を傾げた。褐色のジェスの頬に、なぜか赤味が差しているように見える。
「ジェス?」
「だからさ、買い物だよ! 明日は朝から休みだし……」
ぶっきらぼうな口調。
言葉を吐き出したジェスは、再び手を動かした。さっきよりも速いペースで食べているジェスの皿に、彼女は自分のにんじん炒めをそっと置いた。
完結です。街の人たちむちゃくちゃ
迷惑でしょうねぇ(笑)。でも若いうちは
ちょっとくらい暴走しても大丈夫です。
セディとか<親衛隊>クラスになると
人災です。いやでも、なんかレヴィンについては
わけがわからなくなりました。お人よしで
すごいおっとり君なんです。坊ちゃんです。
何にせよ、このサイトで初めての完結
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