何度か廊下ですれ違ったことがある。そのたびああ綺麗だな、とは思った。しかし、それが今の彼の怒りに油を注いでいる。
(何でっ! あいつとリティが一緒にいたんだよ!!)
気分が悪いくらい胸がむかむかする。リティに対しても、もちろん怒りは向く。
(俺と出かける約束だったんだろうが! 何であいつといたんだよ!?)
「あ……」
約束という言葉を思いついた途端、嘘のように憤懣はしぼんだ。そもそもの発端が、なんだったのかがいやでも頭の中を駆け巡った。
(俺が、言いすぎたかも)
リティは買い物が好きだ。店を冷やかしながら、彼と話をするのが好きだ。何度かそうやって出かけて気がついた。教室で、クラスの女子たちに遠巻きにされているのを泰然と受けとめているような彼女が、その実寂しがりやであることも、だんだんわかってきた。
(あいつと話するのって、もしかして俺だけだった?)
知らなかったのは、それだ。いや、知ろうとしなかった。自分の悩みだけにかまけていて、見て見ぬふりをしていた。何度も彼女に相談をもちかけたのに、彼女の心の痛みを理解しようとしなかった。
一緒に歩いている時の彼女は、いつも嬉しそうにはしゃいでいたのに。
「謝らねぇとな」
一度心を決めると、ジェスは潔い。引き続き、『王子様親衛隊』の進路へ向かうことにした。あれだけ目立つ集団だし、追われているほうも人目を引かずにはおかない容姿をしている。街の人々に聞き込みをすれば、探索は容易に進むと彼は考えた。
が、妨害はやってきた。それも思わぬところから。
「……あなた、あの女子生徒のお知り合いですか?」
「――――――っっっっっっ!?」
表記すると普通だが、耳で聞くと腹の底から恐怖を感じる、そんな声が背後から流れてきた。ゆっくりと――本当は振り向きたくなかったが、何か抗えない力に操られるように――振りかえった彼は、そこに怨念が服を着て佇んでいるのを見た。
「うわあぁぁぁぁぁぁっ!?」
「……? どうかしましたか?」
「ひどぅわわわっ!! お、俺は別に悪いことしてないしまだ死にたくないからすぐこのまま真っ直ぐに一人でエルネイス神の御許へ旅立ってくれぇぇぇぇぇっ!!」
「勝手に殺さないでくださいっ!」
怨念のようだった相手が、ようやく普通に元気よくしゃべってくれたので、ジェスも正気に返ることができた。しかしまだ心臓は全力運動を続けている。
「あ、あんたは……?」
「先にそれを訊いてくださいよ。僕はセディ・サシュフォード。あなたもよくご存じのレーヴィオン・セ……じゃない! ファルガード様の従者です」
「従者?」
ジェスは改めて、セディと名乗った青年を上から下まで観察した。赤味がかった金茶という不思議な色彩の髪は顎の下ですっきり切り揃えられており、いかにも正直そうな青い目が印象的な顔立ちは、整っている部類に入るだろう。背はジェスと同じくらいで、やはり彼と同様学院の制服を身につけている。上着の詰襟の右側に輝く学院紋は緑色で、これはジェスとは異なった。
「あんた、三年生か」
一学年上のセディに、敬意のかけらもない口調で尋ねると、セディは無言で頷いた。さっきからずっと仏頂面なので、今のジェスの言葉で不機嫌に上乗せされたかどうかはわからない。
「ではもう一度、同じ質問をします。あなたはレヴィン様といっしょに走っていた女子生徒の知り合いですか?」
「……うん、まあ」
『恋人』と答えるのは気恥ずかしくて、彼は曖昧に言葉を濁した。そんな彼の心情はちっとも理解するそぶりも見せず、セディは彼の腕をがっしりつかんだ。
「なっ、なんだよ!」
「ということは、関係者ですねっ。関係者ということで決定です」
「何がどう決定なんだよ! 離せ!」
「駄目です」
ジェスをすごい力で引きずったまま、セディはこともなげに会話を続ける。そしてジェスが抵抗を止めないと見て取って、一旦足を止めて顔だけ彼に向き直った。
「――――――!?」
ジェスは、二度目の恐怖による金縛りを体験した。
「レヴィン様は、僕が命をかけて生涯お守りしお仕えすると誓った唯一のお方です」
とつとつと語るセディの声音は真剣そのもの、ジェスの腕を握る力は強くなる一方、さらに彼の瞳はジェスの知らない感情でらんらんと光っていた。
「そのレヴィン様をあんな危険にさらしたんですから、あの人にはそれ相応の目にあっていただかないと……」
聞き捨てならない一言に反応し、かろうじてジェスの唇が呪縛から解かれた。だが、干上がった喉と得体の知れない威圧感のせいで、上手く話すことができない。
「……あの……リティはいちおう女だし……だから……」
「そんなことは問題になりません」
あっさりとジェスの精一杯の抗議を無視したセディの眼光が、さらに鋭さと強さを増した。
「僕の主を害するものは、老若男女問わずに天誅が下ります。ええ、生まれたことを後悔するくらいの天誅が……」
それはきっぱりと人誅だ! しかも人災だ! などと今のセディに突っ込むことは、身体中が冷や汗にまみれているジェスにとうていできるはずもなく、できることといえばそのまま引きずられていくことのみであった。
レヴィンはとにかく目立った。リティは好奇と嫉妬の視線を向けられ続けるのに耐えきれず、屋台で適当に飲み物を買うと人気のない通りにレヴィンを誘った。
「この調子だと、あの人たちに見つかるんじゃないかしら」
「そうかもな。まだ街にいるだろうし」
さらに悪いことに、レヴィンは自分がどれだけ人目を引く容姿をしているかをまったく気にしていなかった。どうして自分がたくさんの女子生徒に追いかけられるのか、心当たりがないというのだ。
(無頓着にもほどがあるわよね。鼻にかけまくるよりはずっといいけど)
彼の笑顔は気さくで、言葉は優しい。育ちがいいのか、雰囲気も鷹揚で親しみやすい。初めて会ったのに、もうずっと前から友人であったようにも思える。
「だけど、セディ以外とこうして歩くのは、初めてだな」
「セディ?」
ふと足を止めて呟いたレヴィンに、彼女は訊き返した。何の含みもなかったのだが、レヴィンの表情がほんのわずか翳った。
(あ、あれ? 質問しちゃいけなかったかしら……?)
もしかしたらずっと前に会えなくなってしまった友人だろうかと考えたが、レヴィンは意外にもあっさり答えてくれた。リティの予想とはかけ離れたことを。
「セディは俺の……幼馴染みで、乳兄弟なんだ。一緒についてきてくれたんだが、まあちょっと、神経質なやつで」
レヴィンの言葉は歯切れが悪い。疎ましく思っているのだろうか。
「でも、神経質ってことは心配してくれてるってことじゃない。いい友達だと思うけどな」
リティはちょっとしたフォローのつもりで言ってみたが、レヴィンの様子は変わらなかった。
「それは俺も理解しているつもりだし、ありがたいと思っている。だが……あれはちょっと……」
「あれ?」
首を傾げたりティの疑問への答えは、別な方向から現れた。しかも具現化して。
「……見つけましたよ〜……」
怨念を感じた。粟立った首筋を押さえて恐る恐る振り向いた彼女の視線の先に、それはじっとりとしたものをまとって立っていた。
「僕のレヴィン様をこおぉんな危険な目に遭わせて……無事に戻れると思ってはいないでしょうねぇ……?」
何やら色々な意味で恐い台詞を淡々と漏らしながら、それはひたひたとリティに歩み寄る。顔らしいところにある目のようなものが、らんらんと輝いていることに、彼女は戦慄した。
(人間じゃない!?)
「天誅!」
「っきゃあぁぁぁぁ!!」
無意識だった。人間外生物にどう対処すべきか、彼女はもちろん知らなかった。だからそれが自分の間合いに入った瞬間に勢いよく回し蹴りを放ったのも、攻撃された魔物の落とし胤(前生物と同義)が「ぐえぇっ」とかうめいたのも、まったく彼女の記憶には残っていなかった。
とにかく彼女はレヴィンの手を引いて、一目散にその場をあとにしたのだった。引きずられたレヴィンが何事かを叫んでいたが、無視してとにかく走ることに全力を傾けた。
ややしばらくして、ジェスは伸びているセディを見下ろして溜息をついた。
「だから言ったじゃねぇか。あいつは細いけどすげぇ強いんだ」
意識のない間は、セディは不気味ではない。ぐんにゃりした青年を担いで、ジェスはともかく表通りに出ることにした。
まだ『王子様親衛隊』がそこらをうろついている可能性が高い。彼女達はそれはそれは綺麗な王子様にご執心で、ある女子生徒は廊下で彼とすれ違ったというだけで、三日間学校にこられなかったという伝説まである。それを笑い飛ばしていたジェスだが、あの勢いを目の当たりにしたいまでは、事実かもしれないと思い始めている。
「リティは、無関係なんだぞ。なんだって俺の――」
彼女なんだ、と口に出して言いそうになって彼は真っ赤になった。別に誰が聞き耳を立てているわけではないが。
(あー、だけど俺)
ずるずるとセディの足を引きずって、彼は今までの自分とリティのことを回想してみた。柄になく切ないのは、もうすぐ夜になるからだろうか。
彼女とは、今年になって同じクラスになった。美人だから男子生徒は一時騒いでいたが、彼女が一筋縄ではいかないとわかると途端に敬遠し始めた。彼女は他のどんな女子生徒とも違って、街で話題になっている新しい服や食べ物、他愛ない学院での噂話にまるで興味を示さなかった。そして彼女は入学当初からつけられた『鉄の女』のあだ名をそのまま卒業まで引きずるかと誰もが考えていたはずだ。
きっかけは、本当にどうでもいいような、よくある出来事。晴れた日であったことはよく覚えている。ジェスは校舎に四つある中庭の一つで、ぼんやりしていた。数本の木々のはずれの音が、故郷の波の音に似ていたから、よく彼はここで時間をつぶしていた。
リティがやってきたのは、レポートのためだったという。教室は騒がしいし寮の部屋も同じようなものなので、中庭の方が集中出来るのだそうだ。けれどその日はたまたまジェスという先客がいたので、彼女は声をかけてきた。
『わたし、これからレポート書くの。友達と待ち合わせしてるならなるべく早く他へ行ってね』

きびきびした口調だった。常々女子はなんだかまったりしゃべっていやだと公言して憚らなかったジェスは、このときあからさまに驚いた顔をした。するとリティが面食らう。
『何? わたしが男子に声をかけたらおかしい?』
『そういうわけじゃねぇよ』
一泊遅れて、こいつがよく友達の話に出る難攻不落の『鉄の女』リテュエルセーテ・ボラーナルだと気づいたジェスは、しかし気安く言葉を返した。
『俺、そこらの女子よりあんたのほうがずっといいと思うけど』
『……どうして』
『はきはき話してくれるほうが、俺は好きだな』
するとリティは歯っきりと狼狽して、赤い顔を伏せてしまった。ジェスは訝しげに眉を寄せていたが、数瞬経過してから自分の言葉の重大さを理解して、二人してしばらく赤面したまま硬直していたのだった。
(俺って馬鹿)
出会い頭に口説き文句のようなことを言って、そのまま仲良くなって付き合うようになって、それなのに肝心なことを知らないままだった。
(俺、あいつのこと好きなのかな……)
好きではあるけれど、どこに分類される『好き』なのかがわからない。とてもとても大切なことなのに。
「リティ……」
「くっ、不覚を取った……」
「どぅわっ!?」
背中のセディが突然覚醒した。仰天して彼を放りだし、ジェスは三メール(三メートル)先の屋台まで逃げる。
「ジェスさん、痛いです……」
「おおおおおおおお前がいきなり復活しやがるからっ! ううう、封印が不完全だったか!」
「人を古代の魔王みたいに言わないでください!」
違うのか、とはさすがに口にしないでおいた。
「それよりも! レヴィン様がまたしてもかどわかされてしまいましたっ! 急いで探索に戻りますよジェスさん!」
「お、おう」
どちらかというといざとなったら身体を張ってセディを止めるために、ジェスは<王子様探しの旅>を再会したのだった。
なぜか中編です。前後編の予定だったのに……。
今回書いてて楽しかったのは、ずばりセディ君です。いき
過ぎてくれるキャラは貴重です。ありがとう
セディ君。それにしてもタイトルロールの
レヴィン君は影が薄いなぁ。お飾り
になってしまふ。あうう……。