2.

 

 

 

 かなりの葛藤はあったが、マリスニールは決断した。りーんふぁの提案した作戦を成功させれば、戦いは終わる。

「でも、実行するのは私と、私の友人だけよ」

 緊急に召集されたドルゴール軍の将校たちは、誰もがしばらく声を上げることすらできずにいた。ややあって、最も年長の髭の男がおずおずと立ちあがる。

「マリスニール、これは我々の戦いだ。精霊のあなたに今までずっと頼りきりであった我らの言葉なれば、信じられぬやも知れぬが、我々は死力を尽くし、最後の一人となるまで戦いぬく。ここにおらぬ者も含め、みなが同じ気持ちだ」

「そういうことではないわ。私はこれ以上、戦を長引かせたくはないの」

 ただ一人の若い乙女の言葉だが、髭の将校は気圧されたように口をつぐむ。乙女は目を閉じ、再びゆっくりと開けるとその場の全員の顔をゆっくりと見回した。

「これ以上命が失われるのは、望まないわ。大丈夫、ここでこの作戦を成功させれば、あとはジョシュアが解決してくれる」

 ジョシュア――領主の名前を出され、とうとう将校たちは完全に反論を抑えられてしまった。

「私を信じて」

 長い髪を翻し、彼女が部屋を出て向かったのは、リーンファに頼んで集めてもらった、それぞれの船の責任者達のところだった。

 そうして時間をかけて彼らを説得し終わったのは、夕刻のことだった。霧はまだ晴れていないので、敵側の動きはない。夜の合戦が危険なことを、当然向こうも承知しているのだ。

「リーンファ」

「うん」

 暗くなってから、マリスニールとリーンファはうなずきあい、忙しく船という船をかけまわった。すでに全軍に通達が行き渡っており、作業は迅速に進んだ。月は細く、敵に悟られる心配も少ない。

「だけど、ほんとに一人で平気? 私もつきあったっていいのよ」

「だめよ。リーンファには別のことを任せたでしょう。それに一人ではないわ」

「まあ、ね。んじゃ、頼むわよ。気をつけて」

 このリーンファの言葉は、マリスニールだけに向けられたものではなかった。彼女はちょうどマリスニールの後ろに軽く手を振り、残りの仕事を片づけるために踵を返す。

「ごめんなさいね。もう、私一人で戦うと決めたはずなのに」

 彼女がいなくなってから、ぽつりとマリスニールがこぼした。振り返らないままで。

「いいんだってば。それに、マリスニールだけの責任じゃないってリーンファも言ってたでしょ? もうその話はしないの。いい?」

 明るい少女の声が、マリスニールの周りをぐるぐると回った。

「だけど、あたし達に手伝えるのはここまでよね。これ以上のことは人間たちを信じるしかないわ」

「ええ。きっと大丈夫よ」

 マリスニールも、明るく断言することができた。

「私は、信じているわ」

 ――そうして、静寂の中で夜が明けた。

 霧の晴れた張り詰めた清浄な空気を、ドルゴールの船が切り裂いていく。

 

 

「何だ?」

 見張り台の上で、南の方角に目を凝らしていた若い兵士は、全軍で突撃してくるドルゴールの船団を発見して思わず叫んだ。

「おい、敵襲だ!」

 彼はするすると甲板に降り、ばたばたと走っている仲間に混ざった。

 敵船団は、三千前後。マジェス軍の半分にも満たない数だが、何か様子がおかしかった。

 まずそれを悟ったのは、左翼を率いていた将軍だった。どこがおかしいのかを探り、彼は考えこむ。そうしている間にも船はどんどん近づいてきて、はっきりと甲板の様子までが見えるようになった。

 すべてを決する瞬間は、迅速に訪れた。

「フィーニア!」

 鋭い乙女の声が、どこからともなく響いた。同時に、将軍は自分の感じていた違和感の原因を知った。

「風だ!」

 彼の背中に、見えない腕を感じられる。船のあらゆる物が眼前の敵軍に向かってなびいているのに、迫ってくる船団の帆は追い風を受けてぴんと張っているのだ。

「だがしかし……もしや潮流か……? いや、違うな」

 第二の可能性は、彼自ら否定した。この時間帯、潮の流れは両軍どちらにとっても有利ではなく、つまりそれを利用しての進軍は敵にもできるはずがなかった。

「では、何が……」

 考える時間がすでにないことに、彼はとうとう気づけなかった。

 彼も含め、マジェス軍がその海で最後に見たものは、業火であった。

 海を紅に染め、炎は次々と敵軍を巻き込んだドルゴールの船に移っていく。それどころか、爆発さえ起きていた。

 マリスニールは、黄色の髪の少女に手を引かれて、上空から海上の煉獄を眺めていた。

「……リーンファの言っていた以上ね」

 彼女の行った作戦は、自軍の船団すべてを犠牲にする大規模なものであった。乗っていた兵士たちは全員、避難用の小船で脱出し、昨夜のうちにここから遠く離れていた。その指揮は、リーンファが取った。

 夜陰に乗じて、ドルゴール軍は船同士を鎖で繋いだ。船の中には火薬積み込まれていて、炎を導くようになっている。

 朝になると、マリスニールは船の一隻に身を隠し、風の精霊フィーニアの力で船団を前進させた。そして、あとは炎を使い、船を爆発させて敵軍にぶつけたのである。これは、言うまでもなく準備が済むまで霧が敵船団を足止めすることも重要だった。風の精霊フィーニアの助力があって、この作戦は成り立ったのだ。フィーニアはこの海域一帯の風を、しばらく留めていたのである。

「あたし達、勝ったわよ」

 その風の娘はマリスニールに気を遣ってか、あっけらかんとした調子で言う。対照的に、彼女の表情は暗くなった。

「そうだけど、あれでいったいあちらにどれだけの被害が出ることか」

「だってしかたないわ。北の奴らはまたあたし達の仲間にひどいことをしているもの。それに、せっかく見つけたアルヴァンテスも取り上げようだなんて」

 少女は、飛び続けながら勢いよく鼻を鳴らした。

「気にしないでよ、マリスニール。あなたはあなたが好きになったって言う人の子供たちと、あたし達を守ってくれたんだから」

「フィーニア……」

 少しだけ、炎の精霊の頬が緩んだ。

 フィーニアは、とても若い精霊だ。彼女はかつて、北の大地でマリスニールが生きていたことを知らない。彼女が愛した人間が、その血に生を受けた者であることも、また。だからこそ、彼女はこんな風に言えるのだ。だからこそ――知らないからこそ、強く断言することができるのだ。

 それは、マリスニールの心にあったわだかまりを、ほんの僅かに軽くしてくれた。

 

 

 この戦いののち、マリスニールは首都へ帰還した。マジェス側から、和平の申し入れがあったからだ。ここまで持ちこめば、あとは彼女の役目ではなかった。

 

 

 

 領主の館は、賑わっていた。

 派手な出迎えなどないし、長い戦の影が確かにここをも深く覆っていたことを感じさせる、なんともいえない重い空気はまだ完全に消えてはいなかったが、それでも行き交う人々は美しい守護精霊の帰還を心から喜んでいた。彼女とすれ違う者はすべて、微笑んで挨拶をした。彼女もやはり笑顔を向けるものの、気持ちの奧には鬱を抱いたままであった。

 これで、完全に戦を終結に持ち込むことができると、将軍の一人は語った。目に涙すら浮かべ、彼女の手をとって何度も礼を言う彼は、すでに故郷の家族を想っているようだった。他にも、同じような歓喜に沸き返っていた兵たちを見るのは嬉しかったけれど、彼女は自分の身が重さを増したように感じていた。この手で奪った命の重みなのだろうか。

「マリスニール」

 案内をしていた背の高い青年が、ぼんやりと歩を進める彼女を呼び止めた。いつのまにか、彼女は目指す扉の前を素通りしてしまっていた。

「大丈夫ですか? お疲れならば、まずお休みになられたほうがよろしいのでは……。ジョシュア様からも、そのように承っておりますが」

「いいえ、平気よ。それより、ひとつだけあなたに言っておくわ」

「何でしょうか?」

 マリスニールは、片目をつぶって人差し指を立てて見せた。

「ジョシュアは、もう領主ではなくてよ。あなた方と、この大地の王だわ」

 瞠目する青年を置いて、彼女は大きな扉に手をかけた。

「――!」

 両開きの扉を開いた途端に、彼女の細い肢体に襲いかかる、声にならない感情。それは、感動だ。

 部屋の中にいた人々は、精一杯に美しく飾っていた。勝利をもたらした不思議の乙女を出迎えるために、幾年も身に着けたことのなかったドレスをまとい、宝石をちりばめた貴婦人たちと、衣装箱の奥にあった礼服に大急ぎで焼き鏝を当て、ほこりをはらってきたと思しき紳士たちが、いっせいに扉のほうを振り向いていた。人々はだが、自分たちの努力が初めから要らぬものであったことをこの瞬間に悟っていた。

 静かに部屋に入ってきた、質素な青の衣と同じ色の膝裏までの長い髪のみでその身を覆う黒曜石の双眸持つ乙女は、この場の誰よりも美しく輝き、わずかな動作で周囲を圧倒してしまう存在感の持ち主であった。

「よくぞ戻られた、マリスニール」

 一段高い場所にしつらえた、豪奢な椅子に座っていた人物が、彼女にまず声をかけた。白いものが散り始めた褐色の髪と意志の強い緑の瞳、恵まれた体躯の持ち主だが、その声音がかつての強さを幾分失ったことにこの場の誰もが気づいていた。

「ただいま、ジョシュア」

「長きに渡る戦にて、死力を尽くして我らの盾となってくださったこと、そしてわれらに勝利と独立のための機会をもたらしてくださったこと、私の足らぬ言葉ではとても表すことができないが、心より感謝しておる。今宵はあなたのために、凱旋した勇士たちのために宴を用意している。われらドルゴールのすべての民の心を、喜びを、どうぞ受け取っていただきたい」

「ありがとう。けれど、これからがとても大変なことになるでしょうね」

「もちろん、忘れてはおらぬ。この先は私たちの戦いとなる。必ずや、この地に完全なる自由を勝ち取ろうぞ」

 部屋にいる数名の男たちが、力強くうなずいた。彼らは、ジョシュアの腹心の部下達である。

「ああ、そうだわ」

 優雅に礼をして(その所作は貴婦人たちの賞賛のまなざしを集めずにおかなかった)立ち去ろうとしたマリスニールは、顔だけをジョシュアに向けて少しすねたように彼を軽くにらんだ。

「あなた、忘れてしまったようね? 私たち精霊は、人間のように『上下の関係』に組み込まれることを好まないわ。特に好意を持った相手からのものはね。いい? これからは以前のように話してちょうだいね」

 精霊族は、自然に生まれそこで生きる者。彼女たちの中ではすべて平等で、協力しなければならない存在なのだ。人間たちの社会に根付く身分の差、貧富の差などは、彼女たちには理解できないことである。ジョシュアの臣下である数多くの者達は、彼女の頼みに必要以上に恐縮するために好きなようにさせているが、直接の契約者や彼女の祝福をその血の中に連綿と受け継いでいる一族からは、そのような扱いをされたくはない。

「そうであったな。許せ、マリスニール。あなたはずっと、私の友人だ」

 ジョシュアは快活に笑い、人々は彼を驚きつつも楽しげに見つめた。この十年来、彼がこのように声をあげて笑うことなどほとんどなかったのを、紳士たちも貴婦人たちも見てきたから。

 この日は、アルヴァンテス大陸暦百三十一年(アルバート暦二百二十七年)。繚乱(りょうらん)の月三日のことであった。

 これ以降アルヴァンテスの地は統一まで真の安息を得ることはないのだが、この国に暮らす人々は陽光を身に浴びる喜びと平穏の時間を、久方ぶりに味わうことができるようになったのだった。

 

 

 

 


船に火をつけてぶつける

っていうのは、エリザベス女王の

時代にそんな戦いがあったな〜という

いい加減な知識です。『世界ふしぎ発見』

で観ただけなのです……。

話変わりますがマリスニールは

結構好きです。書くの難しいですけどね。

 

 

 

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