月女神の怪盗



 ――夜。

 静寂と安らぎがかつては支配していたが、今では昼の喧騒をなお色濃く残す。いや、闇の中にいるという効用感にも似た感覚が、かえって光の中よりも人間を活発にさせているかもしれない。

 そこでも特にざわざわと騒がしいのは、ここフィルディング美術館だ。夜を切り裂く刃のような何本もの輝きは、サーチライト。喧騒は、コンクリートの上を駆ける警官たちの行動によるものだ。

(うーん、いいよなこの感じは!)

 この様子を、美術館に隣接する廃ビルから、双眼鏡でこっそり覗き見ているやんちゃ坊主そのものな少年は、時折カメラをいじくっている。姓は蒼崎、名は相馬。インターネット上ではそこそこ名前の知られている、写真マニアだ。と言ってもよく裏で流れている卑猥なものではなく、民間人がなかなかお目にかかれないものをもっぱらターゲットとしている。

(早く来ないかな! 今日こそはばっちり撮って、ネットに顔を出してやるぜ!)

 カメラはもちろんデジカメ。小遣いをはたいて購入したそれは、持ち主と同じように長年(と言っても、二年ほどだ)標的にしてきた被写体を待ち望んでいるかのように彼には思えた。

「早く来ないかな〜」

 相馬は、夜食がわりのハンバーガーをほおばりながら、今度は口に出して呟いた。




 フィルディング美術館は、比較的新しい。にもかかわらず納められている品々が高価で貴重なものばかりというのは、ひとえにある美術品コレクターの好意と功績によるものだった。

「……大丈夫なんですか、警部さん?」

 暑くもないのに、額の汗をしきりにハンカチで拭う男の問いは、もう何度目になるのか数えるのもわずらわしい。答える方も、同じ言葉をただ繰り返すだけだ。だが恐らく、相手はそれすらも覚えていないに違いない。

「もちろんですよ、館長。警備は万全ですから」

 今日の最高責任者である警部は、わざと慇懃にそう言った。

「ですが、相手はあの『怪盗』ですよ? 並の警備では……」

 ――『並』? 警部のこめかみがひきつった。

 もともと緊張感からいらいらしていたところに、小心者の館長が火に油――それもガソリン――を注ぐようなことをしたのだ。傍にいた部下の警官達はあわててその場から退避する。上司の爆発がどれ程恐ろしく、広範囲に及ぶかを最もよく知る彼らである。

 が、誰にとっても幸いなことに、引火は未然に防がれた。

「おっさん、いちいちうるせーよ」

 二階に続く螺旋階段から、そんな声が降ってきた。まだ若い、青年のものだ。

 階段からゆっくりと降りてくるのは、長い薄紫の髪をうなじでまとめた、ガーネットの双眸を持つ青年だった。ややきつめだがどちらかというと女性的な印象を抱かせる顔立ちで、その気性は面倒臭そうに言い放たれた言葉がよく現している。

「ルシード君、しかし……」

「警察だって、手抜きしてるわけじゃねぇんだぞ。最初っから信用できねぇんなら、自分で何とかしろよ」

 すさまじいほどに歯に衣着せない物言いだが、警部はすかっとした。ここまではっきりものを言える人間は、なかなかいるものではない。

「けど、警察ももう少ししっかりするべきだな。何度も何度も出し抜かれてて、まだ対策も練れてないから、このおっさんが余計におろおろするんだぜ」

 ……警部はすかさず、彼の評価を改めた。

「こんなふざけたモンまで送りつけてくるくせに、どうして尻尾がつかめねぇんだろうな」

 警部はむっとしかけたが、ルシードが一人ごちているだけだと気づくと、口を閉じた。ルシードの手には、「ふざけたもの」がある。

 一枚の紙だ。透かし模様が入った銀色のそれには、活字で短い文章が記されている。



 『今夜、<国王夫妻の肖像>並びに<アルテミスの像>を貰い受ける。 怪盗ディアナ』



 いわゆる<予告状>だ。現実にこんなものを警察当てに送って犯行に及んだりしたら、即逮捕だ。けれどこの送り主だけは別格で、警察もなかなか捕縛まで辿りつけずにいる。そしてよく小説にあるように、世間ではこの<怪盗>を英雄扱いしている。見事な美術品にしか興味を示さない<怪盗>が決して人を傷つけず、鮮やかな手腕で標的を手に入れてしまうから。そして理由はもう一つ――。

「まあ、仮に盗まれたとしても、だ」

 警備責任者の前で堂々とこんな可能性を口にし、ルシードは強化ガラスのケースに納められているものを眺めやる。純銀製の女神像で、その美しさ、繊細さから美術館で一番人気を集めているものだ。

「親父に頼まれた以上は、暗号勝負で必ず俺が取り戻してみせるさ」

 月の女神の名を持つ怪盗は、実に酔狂な性格らしい。何かを盗んだ直後、必ず全国に挑戦状を出す。彼(あるいは彼女)の出す暗号を解いたら、盗品は返却されるのだ。しかし今まで何度か挑戦状がばらまかれたにもかかわらず、暗号を解いて見事盗まれた品を奪還することに成功した者はいない。

 美術品のもとの持ち主たちが、明智小五郎や金田一耕助やシャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロや、とにかく名探偵の登場を祈って天を仰いだことは言うまでもない。

(奴がこの警備の中から、標的を持ち去るとして)

 ルシードは、冷静に頭を巡らせ始めた。

(まずすることは……やはり……)

 彼が一つの結論に辿りつくのとほぼ同時に。

「うわっ!」

「ひぃ!」

「落ちつけ、動くんじゃないぞ!」

 彼の予想したとおり、照明が突然落ちた。

 とにかく像を守ろうと、彼は手探りでケースに近づいていく。これは彼の父が長い間家宝としていたもので、もしも奪われたりしようものなら……。

「今回は、なかなか歯ごたえのありそうな奴が混じっているな?」

 いきなり耳元でささやかれ、さしもの彼も度肝を抜かれた。反射的にそちらを振り向くが、当然何も見えない。

「こうでなくては、楽しくない。警察のおっさんたちの相手には飽きてきたところだ」

 風が走った。やや間を置いて、照明が再びついた。

「ない!?」

 館長の絶叫。ルシードは自分の傍らを見やり、唖然とする。女神像はどこにもなかった。厳重に鍵をかけたはずのケースから、ものの見事に消え去っている。もちろん<国王夫妻の肖像>も言わずもがなだ。あの短い時間で、<怪盗>は二点の美術品を盗み出したのだ。

「外だ!」

 ルシードが真っ先に館内から飛び出し、警部に率いられた警官たちがそれに続く。

 サーチライトのわずかな明かりの中から、たった一人の人間を探すのは困難かと思われた。相手は闇を味方にしているのだから。

「警部!」

 警官の一人が、頭上を指して大声で叫ぶ。そちらに顔を向けた全員が――絶句した。

 銀色の翼の天使。そう表現するのがふさわしい光景がそこにはあった。月光を反射して輝くハーネスを広げ、黒衣の人物が美術館の屋上に佇んでいる。遠くて、顔や性別までは判然としない。

「<国王夫妻の肖像>並びに<アルテミスの像>は、確かにいただいた」

 朗々と、<怪盗>の言葉があたりに反響する。高くも低くもない、明瞭な声音だ。

「挑戦状は近日発表する。今回は楽しませてほしいものだな」

「待てっ!」

 警部率いる警官隊が、<怪盗>のいる建物に突進していく。ルシードもその後に続こうとしたが、すぐに思い直して美術館に駆け戻った。

 <怪盗>のいる建物に至る道は二つ。警官隊が入っていった下からの入り口と、ルシードが全力疾走している美術館からの渡り廊下。相手が空を飛ぶ準備をしている以上は挟みうちに効果があるとも思えなかったが、全員で一方から突進するよりはましと彼は考えた。

 廊下の果て、扉を乱暴に押し開けて、彼は瞠目した。彼に遅れて到着した警部たちも、同様の顔になる。他にどんな反応ができただろうか。

 ハーネスはあった。立っているものもあった。ただしそれは、マネキンだったのだ。



「ありゃ?」

 相馬は双眼鏡を一度目から離し、また戻した。何やら様子がおかしい。

 薄紫の髪の長い青年と、警官ご一行様が<怪盗>を包囲したように見えたのに、それからの動きが妙だった。何やら、青年と恰幅のいい中年男(恐らく警備責任者)が、言い争っているようだ。

「仲間割れか?」

「まあそんなところだな。しかし、どうして真っ先に囮の可能性に気づかないのか」

 いきなり近くでそんな声がして、相馬は文字どおり飛びあがった。デジカメを取り落としそうになってあたふたする少年を前に、声は小さく笑った。

「だ、だ、誰だ!?」

 相馬の誰何は裏返ってしまっていて、彼自身情けなくなったがあえてそんな気持ちは無視していきなり現れた人物を精一杯睨みつけた。

「そう警戒するなよ。俺は誰かに危害を加えるようなことはしない」

 窓からわずかに入ってくるライトの光を受けて、相手の姿が照らし出される。

 声から察するに、若い男のようだった。身体にぴったりとした黒い服を着て、平たい大きなものとでこぼこしたものを、それぞれ布に包んで抱えている。そして、顔の上半分を、白い仮面で覆っていた。無機質な額にこぼれる髪も、やはり漆黒。

 それだけで、相馬には目の前の青年の名前を連想することができた。

「<怪盗ディアナ>……!」

「ご名答」

 柔らかそうな黒髪をかきあげて、青年の唇が笑みの形を作った。なぜか、相馬の緊張が解ける。

「お前、いつも俺の仕事場でちょろちょろしてる奴か?」

「……知って……?」

「ネットのほうも調べてるしな。俺の写真でも流すか?」

 うなずくことすら、少年はできずにいた。強張りではなく、別なものが彼の身体を拘束していた。そんな彼に、仮面の青年は一枚の紙を差し出す。

「今回の暗号だ。ただしこれはその半分。残りはあそこにいる、気の強い坊やが持っている」

 青年は、言いながらリモコンを操作した。ほどなくして、窓の向こうに黒い風船が現れる。

「うわ!?」

「今回は楽しませてほしいな。もしもこの暗号がお前たちに解けたら――」

 夜闇に飲まれていきながら、<怪盗>はまた笑った。

「俺もおとなしく捕まることを考えようか」



 沈黙。

 重い沈黙。

 少年は縮こまって、誰かが次の反応を示してくれるのを待ちうけているようだった。警部は苦虫を噛み潰したような顔でさっきから室内を徘徊している。いいかげんどちらもうっとうしくなって、ルシードが口を開いた。

「で、そいつはお前にこの紙を渡したんだな?」

「は、はい」

「顔は見えなかった、と」

「はい。仮面をしてましたから……」

「そんなに近くにいたならまず美術品を取り戻さんか――――――!!」

 警部ががなる。蒼崎相馬と名乗った少年は首をすくめたが、ルシードは眉根を寄せただけだった。

「んなこといったって、こいつはただのカメラマニアだ。あんたらみたいな訓練は受けてない。それにあいつの腕っ節はあんたらが一番よく知ってるだろ。下手にとびかかって怪我でもしてたら、それこそ警察の名折れだぜ」

 一気に言って警部を黙らせてから、ルシードは相馬に向き直る。

「俺の暗号とこれは、二つで一つなんだな。だったら合わせて解かないと意味をなさないわけだ」

「お、俺にも手伝わせてください!」

 相馬は身を乗り出した。ルシードと額をぶつけ合わせそうになって、あわてて少しだけ後退した。その目はらんらんと光っている。

「俺はずっと、あいつの正体をネットで流してやろうって思ってました。俺の意地だけの問題なのはわかってますけど、でもこのままじゃ俺の気が収まらないんです! あんなに近くにいたのにシャッターチャンスを逃した……!」

 彼にとっては、貴重な絵画も彫像もどうでもいいらしい。ルシードは鼻から息を吐き出し、ぽんとわななく相馬の肩を叩いた。

「もちろん、協力はしてもらうさ。暗号を託されたんだからな」

「本当ですか! ありがとうございます!」

「それに……」

 ルシードの手に、ぎりぎりと力がこもった。痛さに相馬は文句を言おうとしたが、ルシードの表情を目にして硬直した。なまじ整っているだけに、怒りを露にした彼には妙な迫力があった。いらいらしていた警部ですら、あとずさってしまっている。

「あいつを逃がした責任は、きっちり取ってもらうからな?」

「は…………はい」

 何がこの綺麗な青年を駆り立てるのか、誰もその答えを持たなかった。




 <怪盗ディアナ>の暗号は、翌日様々なメディアを通じて公開された。若者たちは突如携帯に流れ込んできた<怪盗>の挑戦状に驚きながらも、楽しげにそれに取り組み始めた。彼らだけでなく、通勤途中のサラリーマンやOL、学校においてまで暗号は広まり、人々は熱中した。上手くすれば、謎に包まれた<怪盗>の素顔を暴き、美術品を取り戻せるかもしれないのだ。それに、絶好の暇つぶしでもある。

「……なんでこれだけいて、いつも暗号が解けねぇんだ?」

 昼時のファーストフード店にて、周囲の人間の口から絶え間なく紡がれる<怪盗>の暗号の噂話を、ルシードはうんざりして聞き流していた。最初は何かヒントが得られるかもしれないと思っていたが、儚い期待に終わっていた。

「結局、自分に被害がないと人間って冷たいってことかな」

 向かいでハンバーガーをほおばる相馬は、最初からそんな期待は抱いていなかったようで、至って気楽なものである。

「暗号マニアもけっこういるだろうにな」

「だよね。それに、けっこう簡単だったよね」

「ああ……」

 そうなのだ。実を言うと二人は昨夜のうちに暗号を解いていた。探偵小説が三度の飯よりも好きという警官の一人がヒントをくれていた。

 暗号というのは、先述のとおり二枚の紙にわかれていて、ルシードのほうには、



『をにもゆ

 むかつみ

 けおてを』


 相馬の渡されたほうには、


『なとあた

 かうかか

 ののいく』


 と記されていた。その警官はこの二枚をつなげて、縦に読んだのだ。するとこの一見意味をなさない文字は、一つの文章に変化した。


『たかく

 あかい

 とうの

 なかの

 ゆみを

 もつて

 にかお

 をむけ』


 因みに参考文献は江戸川乱歩と言っていたが、今の二人にそれは関係ない。問題なのは、この暗号の示す盗品の隠し場所なのだ。

「高く赤い塔……。昨日ネットで検索してみましたけど、赤い塔なんてなかったですよ」

「どこの塔なのかわかれば、あとは解決するんだがな」

 暗号を解いても、答えに直結しない。この曖昧さが、今まで誰も<怪盗>を追い詰めることのできなかった所以だ。

「とにかく、俺もう一度ネットで探してみます。ネット仲間の誰かがそれらしいものを知ってるかもしれないし、もしかしたらあんまり人の寄りつかない山奥とか海のど真ん中とか、外国にあるのかもしれないですしね」

「そうだな……」

 あきらめるわけにはいかない理由が、ルシードにはある。父親から厳しく言い渡されているのだ。もしも、奪還にまで失敗したら……。

「ルシードさん?」

 相馬に訝しげに呼ばれて、ルシードは意識を現実に戻した。

「あ、ああ。俺は図書館で当たってみる。何かわかったらここにかけろ」

 携帯の番号を交換し、二人は店を出た。そのままルシードは市立図書館に、相馬は自宅に足を向ける。

(ルシードさんって、最初は恐かったけど)

 絶えず送られてくるメル友からのメールを整理しながら、相馬は別れたばかりの青年を思った。

(悪い人じゃないよな。俺のことあのおっさんからかばってくれたし)

 彼が公正な人柄であることは、数時間の短い付き合いでもわかってくる。言葉を飾らないせいと目つきが少しばかり鋭いことから、第一印象ではかなり損をしているのではないかと相馬は考える。

(でも、ルシードさんなんであんなに殺気立ってるんだろ)

 メールは、相馬が昨日のうちに求めておいた『赤い塔』についての情報と、その他たわいもない世間話だ。世間話メールは後回しにして、相馬は次々と情報メールを読んでいく。

(<怪盗>に恨みでもあるとか?)

 気になりはしたが、すぐに彼はその疑問を忘れた。今は情報の整理が最優先だ。

 また一通のメールが受信される。相手は、顔も知らない大学生だ。ネット界の付き合いは下手をするとそれだけで終わってしまう。

「ん!?」

 そのメールが、相馬を立ち止まらせた。後続の通行人が迷惑そうに彼をどけて流れていくが、そんなことは今の彼にはどうでもいいことだった。

「ルシードさん!」

 少年はその場で回れ右をして、人の波を吹き飛ばしながら走っていった。



 ルシードは大きく溜息をついて、あわてて周囲を見まわした。図書館では、音を立てること自体が禁忌なのである。

 しかし、溜息もつきたくなる。未だに何の手がかりもないまま、時計はどんどん進んでいくのだから。

(くそ)

 ルシードは苛立ちを本にぶつけ、乱暴に閉じてもとの棚に戻した。幸い、司書の姿はなかった。

(取り戻せなかったら……)

 らしくないのはわかっているが、どうしても思考が悪いほうへ傾いていってしまう。かかっているものが大きすぎるのだ。盗まれた二点のうち、<アルテミスの像>はもともとルシードの父のもので、寄贈する前は父の誕生日にしか公開されないほどの宝だった。それを手放したのは、<アルテミスの像>を急に見せびらかしたくなった、父の気まぐれに過ぎない。

 けれどやはり愛着はあるので、父は像が狙われていると知るとすぐにルシードを派遣した。彼は当然一度は断ったが、結局父の脅迫まがいのやり方に負けてここにいるというわけだ。

(くそ親父が……)

 心の中で悪態をつくのを咎めるかのようなタイミングで、胸ポケットに入れておいた携帯が震え出した。少なからず驚き、彼は急いで閲覧室を出てロビーで電話を取った。

『あ、俺です』

 相馬からだった。

『あの、今どこにいるんですか?』

「どこって、図書館に決まってるだろ」

 見えない相手が興奮しているらしいことに気づいて、ルシードは訝しげに顔をしかめた。

「なんかわかったのか?」

『そうなんですよ!』

 相馬の声は大きくなり、思わず彼は電話を遠ざけた。それでも、相馬の話は聞こえてくる。

『メル友にやたらいろいろ詳しい奴がいて、そいつに聞いたんですけど……ああ、口じゃめんどくさいから、俺の家に来て下さい! 場所は――』

 ルシードの返事も聞こうとはせず、相馬は一方的に通話を終了した。

「……なんだ?」

 唖然としたが、ルシードは図書館を出てバス停に向かった。とりあえず、こちらはまだ何の手がかりもつかんでいないのだから。




「これか?」

 後ろからディスプレイをのぞきこむルシードに、相馬は得意げに頷いた。画面の中には、一枚の絵がある。

「可能性はあると思いますよ。あいつ美術品マニアですし」

 カメラ小僧に言われたくはないだろうと思いながら、ルシードはその絵をじっと観察した。

 夕焼けか朝焼けかはわからないが、真っ赤な空を背景にしてどこかの街が描かれている。それだけなら別にありきたりだろうが、絵の中心となっているのは、逆光を浴びて黒くそびえる塔だった。

「タイトルが『赤い塔』っていうんですよ。ねえ、調べてみましょうよルシードさん」

「そうだな。作者の住んでる場所が特定できれば、何とかなるな」

 作者名もはっきりしており、そう古い絵ではなかったので、それほど手間取ることはないと思われた。こうして再び、ルシードは図書館、相馬はインターネットでそれぞれ捜索を開始した。




 <彼>は今どうしているだろうか。きちんと世話を頼んでいるからめったなことはないだろうが、久しぶりに顔が見たかった。

 <彼>は知っているだろうか。巷では暗号で人々に挑戦する泥棒が活躍していることを。そしてその暗号が指し示しているものが何かを。

 同じ星空で繋がっていることを信じて、アレクスは風を全身で受けとめた。

「これが終わったら……必ず」

 それ以上は、言葉にできなかった。



 『赤い塔』の風景は、ルシード達の住む街から電車一本で行くことができた。意外に近かったその場所に戸惑ったものの、彼らは<塔>を目指した。

「なんか……おどろおどろしいですね」

 聞き込みをするまでもなく、<塔>は見つかった。あれだけ大きいのだから、街のどこからでも見えるだろう。難なくたどり着いたものの、入り口の前で二人は思わずたち尽くしてしまった。

 相馬の言葉は、非常に的確だった。<塔>は時計塔で、一般の見学も許可されているらしいのだが、なぜか不気味な雰囲気が漂っていた。その原因は何かとめぐらせたルシードの視線の先に、『危険! 窓から身を乗り出さないでください!』『飛び降り禁止』と黄色と黒で書かれている看板がたっていた。さらに、からすがたくさん集まってきている。

「……入ろうぜ」

 いいかげん耐えられなくなって、ルシードは入り口をくぐったが、その選択が間違いだったことはすぐに身を持って実感することとなった。

「……ルシードさぁん……」

 相馬が泣きそうな声を出した。ルシードは荷物の中から、一応用意してきた懐中電灯を出して点灯した。まさか本当に使うとは予想しなかった。

 真っ暗な廊下がひたすら真っ直ぐに続いている。どこで終わるのかもわからない、終わりがあるかすら定かではない。彼とて背筋が寒くなって振り返りたくなったが、そこをこらえて暗号文を取り出した。

「『弓を持つ手に顔を向け』……。って言っても、なんにもねぇな」

 弓を持つ手、すなわち左手の方向は壁である。顔を向けてもやはり壁である。こう言う時の定石と壁をこんこんやってみたが、やはりただの壁であった。

「普通抜け道があるのにな。もっと先に行こう」

「こら、あんまり離れるな」

 注意深く左の壁を触りながら、二人は廊下を進んでいった。一本道なので迷う心配はない。ほどなく、階段に突き当たった。

「昇るんだよね、やっぱり」

 相馬がげんなりして、上に顔を向ける。やはり時計塔だけあって、階段は急で高そうだった。

「だが、こっちで間違いないようだぜ。見ろよ相馬」

 ルシードは段を注意深く照らし出した。相馬もそれを発見して、みるみる表情を明るくした。

「足跡だ! じゃあやっぱり!」

「この上だな」

 足跡は何度かここを往復したらしかった。積もった埃の上にその痕跡を見出して、二人の足取りも自然軽くなる。もう暗いのも不気味なのもたいして気にならなかった。

 階段の上はまた廊下だった。その突き当りにはやはり階段があり、その繰り返しが何度かあったあとに、ようやく終着点が現れた。既に二人とも息切れがしていたが、この扉の向こうに<怪盗>がいるかもしれないと思えば、胸は高鳴った。

「俺が合図したら、扉を開けろ。カメラ持ってるな?」

「当然!」

 万が一また逃げられた時を考えて、相馬はカメラを携帯していた。今度こそ、ちゃんと顔を写す気満々の彼である。

「いいか? 一、二の……」

「さんっ!」



 ばたんっ!



 内開きの扉が勢いよく叩きつけられるのと同時に、ルシードは中に飛び込んでいた。室内は思いの他明るく、清潔だった。赤い空に、やや冷たい風にはためくクリーム色のカーテン。小さなテーブルと椅子、そしてそこには……。

「追い詰めたぜ!」

「……よく来たな」

 黒い髪の、細身の青年は窓から視線を外し、ルシードに向き直った。造作の整った顔に浮かぶ穏やかな笑みと、強烈な金の瞳に彼は一瞬ひるんだが、すぐに持ち前の強気が表面に出る。

「相馬! こいつがそうだな!?」

「う、うん! 顔は見てないけど声は同じだよ!」

 続いてカメラを構えた相馬が転がりこんできて、シャッターを切った。フラッシュがたかれ、青年はわずかに目を細めたが、その光を避けるそぶりは見せなかった。

「そんなに殺気立つことないだろう。最初に宣言したはずだ。暗号を解き、俺の前に現れる者には、敬意を表して大人しく美術品を返してやると」

 青年は言いながら部屋の中を移動し、クローゼットから布に包まれたものを取り出した。形からして<アルテミスの像>だ。

「確認するか?」

 手渡されるなり、ルシードはあわただしく布を取り払って、象を様々な角度から眺めた。彼は目利きではなかったが、何度か見てきた像の特徴を覚えてはいた。一方絵画のほうを渡された相馬は、この貴重な品を地べたにおいて撮影を続けるか否かに悩まされていた。

「……本物だな」

「もちろんだ。それにしても、八回目にしてようやく暗号を解くものが現れたな」

 やや楽しげに、青年は微笑んだ。ルシードと相馬に、二つしかない椅子を勧める。

「あの絵を見たんだろう?」

 窓辺に戻って、青年は唐突に問いかけてきた。一瞬何のことかと二人は顔を見合わせたが、この<塔>を描いた絵のことだと悟って、ルシードが答えた。

「見てなきゃここに来られない。しかしずいぶんと面倒な暗号だな」

「それくらいしないと、面白くないだろう。こっちも追われる立場なわけだしな」

「もしかして、前に盗まれたものも、おんなじような隠し方してるの?」

 相馬の質問に、青年は頷いた。

「まったく同じ。さらに言うなら、暗号に使っている絵の作者は同一人物だ」

 この状況は、非常に奇妙なものだった。世間にその名を轟かせる<怪盗>と、それを追ってきた追跡者が静かに言葉を交わしているのだ。けれど、誰もそれを追求しようとはしなかった。この場の空気を汚したくなかった。

「さて、魔王に奪われた宝を取り戻した勇者たちの名前を聞きたいな。いつまでも互いに名前を知らないと話しにくい」

「あ……うんと……。俺、蒼崎相馬」

 気軽に名乗ってしまった相馬を横目で睨んだルシードだが、逡巡したあげく彼も名前だけを口にした。<怪盗>は犯罪者だが、目の前の青年が悪者であるようには思えなかった。

「ルシード? ああ、もしかして<アルテミスの像>の寄進者の息子か?」

 だが彼の用心も空しく、青年は彼の素性をあっさり暴いてしまった。相馬が目を見開いているのが彼の視界の端に映った。

「あの狸親父のことだから――おっと、失礼――強引に<像>を守れとか言われたんだろう? 例えば……大学の授業料を餌にしたとか」

「ほっとけ!」

 怒鳴り返した時点で肯定しているのと同じだが、もう彼にはそんなことはどうでもよかった。もともと、どうしても秘密にしたかったわけでもない。利用されてしまったのが悔しくて、考えたくなかっただけだった。

「怒るなよ。――では『魔王』の名前も明かすことにしようか。俺はアレクス。趣味は警察をからかうこと、特技は窃盗」

「……ひっどい趣味と特技だよなー」

 相馬の正直な感想に、アレクスは肩をすくめただけだった。

「ついでに、動機とかは話さねぇのか? 本とかテレビではそういうふうに終わるもんだぜ?」

「これは本でもテレビでもない。まあ……聞きたいなら話すが」

「俺、聞きたい」

 相馬は相当好奇心に素直な性格らしく、ルシードが口を開く前にそう言っていた。

 空は、夜に呑まれようとしている。アレクスの金の双眸が、静かに伏せられた。反論してとっととここから出ていこうとしたルシードも、浮かせた腰を元に戻した。

「……この<塔>を描いた男は、俺の親友だ。俺は彼の描く絵も彼自身も好きだ。だから<怪盗>になった」

「つまり、どういうことだ?」

「彼は今、遠いところで暮らしている。二年前に事故にあって、ショックで絵が描けなくなった。あんなに、絵が好きな奴だったのに」

 闇が迫ってくる。アレクスは目を閉じたままだ。

「<塔>のこの部屋は、管理室のようなもので一般には知られていない。このとおり中は暗くて、左側に注意していなければ辿りつけない。最初にそれを見つけたのはあいつで、それからよく二人で入り浸った。管理者も、あまりこの部屋は利用していないから」

 アレクスの友人は、ここから街を描いた。この<塔>を描いた。もっと遠い場所も白いキャンバスに残した。そのうち、彼は小さな画廊に絵を飾ってもらえることになった。しかしある日突然、彼の絵筆は動かなくなった。

「スランプってやつだな。あいつがそれまで好きなようにいつでも絵が描けたのが不幸だった。描けなくて苦しんで、焦るせいで余計に何もできなくて、そんなあいつを見ているほうがつらかった」

 そんな日々がしばらく続き、アレクスは気晴らしにと彼をこの<塔>に誘った。二人友に好きな場所の一つだし、ここから眺める風景は掛け値なしに美しかったから。

 <塔>はその時工事中で、上まであがれなかった。それで二人は、正規のルートの途中にある空間で時間を過ごすことにしたのだった。当時はそこそこ見学者もいて、自動販売機もそこにおいてあった。一つの窓の前に彼を待たせ、アレクスが飲み物を買いにちょっと離れていた瞬間のことだった。

「あいつは……窓から飛び降りようとした」

「え!?」

 相馬は驚きのあまり立ち上がったが、他の二人の様子にあわてて座りなおした。ルシードのほうは、あらかたこの展開を予想していた。

「窓は当たり前だが強化ガラスで、開かないようになっている。それがわかるとあいつは、階段から身を投げたんだ……」

 幸い命に別状はなかったが、それ以来彼はアレクスすらも遠ざけるようになった。アレクスは、彼のためにできることを必死で模索し、彼の絵を世間的に有名にすることを思いついた。彼は、自分の作品を誰かが好きになってくれることをいつも願っていることを思い出したのだった。

「それで美術品を盗んで、隠し場所を暗号をそいつの描いた絵に見立てた、か。最悪だな」

「そんな言い方ないだろ!」

 食って掛かる相馬を、ルシードは対照的に静かに見つめ返した。

「じゃあお前ならどう思う? 親友が、自分のために犯罪者になったら、嬉しいと思うか?」

「それは……でも……」

「いいんだ、相馬」

 あやすように、アレクスは相馬の髪をかき混ぜた。そしてルシードに視線をすえる。

「俺は方法を間違えた。それは認める。だが後悔はしていないぞ。あいつと俺はまだ確かに繋がっていると、いつも実感できるからな」

 最後に見たアレクスの微笑は、切なげだった。が。



 ばほんっ!



 こもった音と、白煙が発生するのはほぼ同時だった。

「うわっ!」

「発煙筒か!?」

 窓は開いているが、すぐに煙は消えない。手探りで窓に辿りつき、二人は深呼吸した。

「くそっ! 逃げられたか!?」

「ルシードさん!」

 もはやすっかり外は暗くなっていたが、地上からの光を照り返す紫の空に、くっきりと浮かび上がるものがあった。

「あの時に使った風船だよ!」

「なんだと! お前そういうことは早く言え!」

 いくら叫んでもわめいても黒い風船は遠ざかるばかりだ。しかたなく、ルシードは舌打ちして警察に電話し、ことの一部始終を説明したのだった。

 三十分もするころには、<怪盗ディアナ>対策本部の警官たちが現場に集合していた。ルシードと相馬は警察に知らせずに行動したことで例の警部からこってり絞られ、その後も事情聴取などで終電までひきとめられたのであった。

「……ルシードさん」

 人のまばらな電車の中、それでも小声でぽつりと隣の相馬がささやいた。

「あの人さ、友達の話を誰かにしたかったのかな」

「さあな。あんなやつの考えることなんで理解できねぇよ」

 にべもなくルシードは答え、窓に寄りかかった。相馬もそれ以上は言葉を重ねず、電車のごとごとという音だけが車内を満たした。

「もしかしたら、お前の言うとおりかも知れねぇけど」

 二つの駅を過ぎたあたりで、今度はルシードから切り出した。

「だとしても、べらべら言いふらされたくはないと思うぜ。あいつの話が本当だとしたら、目的はあくまで<友人の絵の信奉者を増やすこと>だ」

「嘘だと思ってるの?」

「<怪盗>だからな」

 完全に信じてはいないが、アレクスの語る中に真実も存在していたことをルシードは知っていた。だから、どこからどこまでが本当なのかを確かめるために、今度は純粋に彼を追いかけてみたかった。

 何も言わなかったが相馬も同じような気持ちなのだろうと考えながら、ルシードはうつらうつらと電車の揺れに意識をまかせた。




 <怪盗ディアナ>からはじめて盗品を奪還したニュースは、全国を駆け巡った。ルシードと相馬の名前は本人たちの希望により公表されなかったが、暗号に使われた絵とその作者は一躍有名になった。このあたりは<怪盗>自身も予想していただろうから、どちらもそれに口を挟むことはなかった。

 同じく以前に盗まれたものも、ルシード達の推測どおり<塔>の作者の描いた風景を辿っていくと発見された。だが、他にも使われていない絵がある以上油断はできないと判断した警察と美術館関係者、及びコレクター達は血眼で絵を探し出した。見つけ出された作品はすべて全国各地で展示され、場所の特定もなされた。

 しかし、金の目の怪盗はそれ以降決して友人の絵を暗号の見立てにはしなかった。暗号の形も変わり、捜査は降り出しに戻った。とりあえず予測はしていたとはいえ、誰もがこの事実に落胆したのはいうまでもない。

 そして――。

 ルシードは学校に通う傍ら暗号の研究をし、相馬はインターネットを駆使してたくさんの情報や知識を蓄えている。












一周年記念企画、上位三人による

パラレル小説でした。記念ということで、今まで

やったことのなかった推理ものをやってみたんですが、

いかがでしたでしょうか? きっと好きな人からは

石を投げられるんだろうなと思いますが、

書いてて楽しかったです。

ミステリーはけっこう好きです。特に<怪盗>とか

かっこいいので、二十面相シリーズや

アルセーヌ・ルパンに憧れますね。

影響がもろに出てるしね(^^;)。

ここまで来られたのは、カウンターを毎日回してくださった

お客様がたのおかげです。

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おかげで生まれました。皆様、本当にありがとうございました。

これからもがんばっていけるように、努力

していきます。






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