彼女は蛇の鱗を思う





 ある日突然、あるものに対する認識がまったく変わってしまうことは、かなりたちが悪い。




 国際魔法擁護団体は、通称<会社>と呼ばれる。国連の条約に基づき、日本では各都道府県に十から二十の<会社>が設置されている。魔法を使うことのできる者達――魔法士達は、生まれたときにどの<会社>所属かを決められ、魔法を使いこなすための訓練をここで受けることになっている。その訓練期間が終了したあと、魔法士達はある選択をすることになる。

「っだーーーーーーー!!!!」

 北海道札幌市にある<会社>の施設内にある実技訓練室で、元気なおたけびがあがっていた。

「ああーーったく! どうして有香にいつも勝てないかな!」

 学校の指定ジャージを着た少女が、どっかりと床に座り込みながら言う。汗だらけの顔を乱暴にタオルでぬぐう、長いおさげが特徴の彼女の名前は秋津朱鷺緒(あきづ ときお)という。視力はいいはずなのに、学校では伊達眼鏡を着用しているので、野暮ったいことこのうえない外見で通している。朱鷺緒曰く「これは私のポリシー」らしいのだが、息を切らしつつもしっかり立ったままの少女――有香にはそのこだわりが理解できない。

 山本有香。朱鷺緒と同級生にして友人。しかし朱鷺緒が明るくていささか元気がよすぎるきらいがあるのに対し、彼女は感情の起伏があまり大きくない。ほとんど正反対の性格のために、逆に親しくなれたのかもしれない。

 高校に入ってから、朱鷺緒と有香は<会社>で出会い、それからずっと縁が続いている。二人とも訓練終了後に同じ選択をしたのは、ただの偶然としか言えない。相談したわけでもないのに、気づけばこうして一緒に、放課後になると頻繁に<会社>にきて、訓練期間と何ら変わりのないことを続けている。

 そして、朱鷺緒が有香と魔法と体術で勝負した場合、有香が勝つのもずっと変わらなかった。

「朱鷺緒は直接戦闘向きじゃない。そんなの、今更でしょ?」

「……そうだけど。だけど、いつまでもそのままってわけにもいかないよ」

 朱鷺緒は、汗用スプレーを勢いよく首の後ろに噴射しながらぼやいた。彼女の姿勢は前向きかもしれないが、人間には向き不向きというのがあるのだ。

「朱鷺緒は、援護向き。魔法の質がそうなんだから、しかたない。私はその逆」

「……」

 納得していないことが見え見えの表情で、朱鷺緒は黙り込む。そして、おもむろに右の腕を持ち上げた。

 ばさばさと、羽音が降りてくる。その音は朱鷺緒の腕で止まった。銀色に輝く烏が、そこに舞い降りたのだ。

 もちろん、この烏は自然の生き物ではない。この烏こそが、朱鷺緒の魔法の性質を如実に語っていると言えるだろう。魔法士が魔法の力でもって生み出す、己のために尽くし仕える存在――使い魔だ。

 使い魔には、二通りある。一つは自然の生き物に魔力を与えるもの、そしてもう一つは、自分の魔力のみで創り出すもの。後者には、高い魔力はもちろんそれなりの技術や経験も必要になる。朱鷺緒も有香も、後者の使い魔を従えているのだから、二人の実力は推して知るべし、である。

 朱鷺緒の使い魔、銀の烏は名前をインウという。その美しさは印象的で、彼女の二つ名になっているほどだ。だが、インウにはもっと秘密がある。

「さて、有香。あんたもクロス呼んでよ」

「……何で?」

 その必要性に思い至らない。有香が眉根を寄せると、朱鷺緒は対照的に満面の笑みを浮かべてくる。

「今日、約束してたじゃないの」

「何を?」

 さらに問い返すと、朱鷺緒は頬を膨らませた。

「使い魔との戦闘をもうちょっとレベルアップしたいから、特訓しようって言い出したの有香でしょ!」

 まくし立てられて、ようやく有香は思い出した。確か、一ヶ月前に<仕事>をしたあと、朱鷺緒に特訓を打診されたのだ。彼女のほうが有香よりも、使い魔に関する能力は秀でているからだ。

 だが。

「なんで今なの? それに私、ちゃんと約束した覚えないけど」

「今日で休暇が終わりだから! 折角の休暇を、特訓して筋肉痛になって潰すなんてもったいないでしょ?」

 わかるようなわからないような理屈を、朱鷺緒は胸を張って言う。しかも、有香の後半の台詞は完全無視だ。そういえば、朱鷺緒はここ一ヶ月、まともに訓練所に顔を出していなかった。

「さー有香! さっきの借りを返すからね! ほらさっさとクロス呼び出して!」

 クロスは、有香の使い魔。コウモリの翼を持つ巨大な蛇の姿をしているが、性質は至って穏和だ。有香の有力な持ち技の一つでもある。

「ほら! ほら! ほら!」

 満面の笑みを浮かべて、朱鷺緒はインウを肩に有香に詰め寄ってくる。楽しそうなのは、さっきの敗北がよほど悔しかったからなのだろう。

 しかし、結局朱鷺緒の雪辱戦への願望は遂げられることはなかった。


 きーんこーんかーんこーん……。


「何ぃぃぃぃ!?」

 やたらと大きな動作で、彼女は天井を見上げた。スピーカーから流れてきたのは、チャイムの音と。

『本日の営業は終了いたしました。社内の皆様は、速やかに退出してください。一日お疲れさまでした。明日もまた、快適な業務を心がけ、がんばりましょう。……』

 どやどやと、多数の人がいっせいに同じ方向へ流れていく。すぐに朱鷺緒と有香、そしてインウだけが取り残され。

「……帰ろう、朱鷺緒」

 なにやらぐったりとはいつくばった朱鷺緒の肩を、有香は気軽にぽんと叩いた。




 遙か昔から、神秘的な力が存在するのか否か、人々は議論してきた。

 西暦2035年、ドイツの物理学者トーマス・シュナイダーが『魔法』の実在を明らかにする。

 西暦2060年、『魔法』を発動させるには発動体である石・ステイオンが必要とされていたが、ステイオンなしでも『魔法』を使うことのできる子供達が現れ始める。子供達は『魔法士』と呼ばれ、その十年後、国連は魔法士保護のために世界各地に『国際魔法擁護団体』の設置を義務づけることを決議。しかし、団体に所属せず犯罪に手を染める魔法士達も徐々に増加。団体はこれの取り締まりも責務とすることになる。

 そして、西暦2087年――。




 札幌駅は、当然といえば当然の事ながら、店が多い。地下街にあるパン屋は、手頃な値段となかなかいける味でちょっとした休憩スポットになっている。有香と朱鷺緒にとっては、<会社>帰りの寄り道ポイントの一つだ。

「腹立つー。結局今日は、私やられっぱなしじゃん」

 がつがつと生クリームたっぷりの菓子パンをほおばりながら、愚痴る朱鷺緒。有香はそれを無視してクロワッサンをかじり、その向かいでは……銀髪の少年がコーヒーを飲んでいる。

 かなり特殊な取り合わせだが、魔法発見から数十年、この少年のような存在はもうめずらしくはなくなっている。魔法士でなくとも、彼が使い魔だと一目でわかる。

 朱鷺緒と有香、二人の使い魔が共に持っているもう一つの能力がこれ――人間と近い形態への変化――だ。この力もまた、主の魔力の高さに関係する。

 インウが人に変化した場合、銀髪に金色の瞳の美しい少年になる。いつも朱鷺緒に忠実で、朱鷺緒を第一に考えている。朱鷺緒もまた、彼を大切にしている。

 今も、二人は目の前で仲良く話をしている。有香はたいてい聞く一方だ。そして、どこかでそれを腹立たしく思っている。

(インウはただの使い魔でしょう?)

 なのになぜ、好意を向けるのだろう。人と同じように、扱うのだろう。

「それでね。明日は必ず有香とクロスと訓練だから。インウ、大丈夫?」

「ああ。絶対勝つから、朱鷺緒」

「そうじゃなくて」

 朱鷺緒は首をかしげ、インウの顔を覗き込んだ。

「怪我しないようにね。インウが痛いのは、私いやだから」

一瞬目を見開いたが、インウはすぐに微笑んだ。はにかんだように、心から嬉しそうに。

(どうして)




「インウは、おそらく朱鷺緒殿を好いています」

 有香の使い魔は、朱鷺緒とインウについてそう言った。

「あの者が、朱鷺緒殿が窮地に陥るときまって普段の実力以上の力を発揮する。我々使い魔という存在の特徴とは裏腹に」

 主が怪我をすると、通常の場合主自身の身体を護るために、魔法力は身体の内へ向かう。つまり、使い魔に流れ込む魔力が少なくなるため、そうなった場合使い魔は行動不能になることが多い。使い魔とは本来、そういうものだ。

「インウだけ、違う方法で創り出されたという可能性はないの?」

 感情などで使いの魔のもともとの性質まで変わるものだろうか。納得しかねて、有香はそう尋ねたのだが、返ってきた答えは「否」だった。

「我々は、皆同じように生まれます。人間が母親の腹から生まれるように。それは、変えることはできません」

 ならなぜ、インウは。

 問いを重ねる有香に、<彼>は優しく微笑みかけてきた。


「人も同じと聞きました。大切に想う誰かのために、無限に強くなることができるのだと。そして、そういう心を――」




「やめて――――!!」

 叫んで。

 目を開けると、真っ暗。

 ここが自分の部屋で、自分は横になっていたのだと一瞬遅れて有香は気づいた。半身を起こして、額に手を当てて長い溜息をつく。

 なんて夢を見ていたのだろう。いつのまにか、記憶が混ざり合ってしまっていた。

(よりにもよって……)

 もう、あのときのことは過去になったのだと思っていた。もう大丈夫だと、安心していた。

(朱鷺緒達のせいだ)

 朱鷺緒とインウ。あの二人が、目の前で仲むつまじくするから。そこら中どこにでもいる、カップルのように。――人間同士のように。

(馬鹿みたい)

 何度朱鷺緒に言ったかしれない。インウは使い魔なのだと。道具と変わりないのだと。

 そしてそのたび、朱鷺緒を怒らせた。彼女は有香と言い争いをしても、しばらく顔も会わせないような長引く喧嘩をしても、インウに向ける想いを変えなかった。

 インウもまた、そんな彼女の気持ちを無下にするはずはなく。

「どうして……あの二人は」

『マスター?』

 静かな声が、遠慮がちに呼びかけてくる。有香は顔を上げ、枕元にその影を見つけた。巨大な蛇。今は畳まれているが、その背には翼がある。

『ご気分が優れないのですか? 薬を取って参りましょうか?』

「いい」

 必要以上に、声が尖ってしまう。

 クロス。有香の使い魔。もう一年ほどのつきあいになるだろうか。朱鷺緒とインウのそれよりは短いのは確かだが、有香がクロスに素っ気ないのは決して時間だけのせいではない。

「ちょっと、散歩してくる」

『では、お供を』

「いらない。三十分しても戻らなかったら、探しに来ればいいから」

 寝間着を着替えようとして、クロスの存在を意識してしまう。有香は逡巡して、寝間着の上に直にジャケットを羽織った。靴を玄関から魔法で取ってきて、窓を開けた。

 風が、有香の短い髪を流した。夜の匂い。春の終わりを予感させる。

『……お気をつけて』

 やや躊躇いがちな、クロスの言葉にも有香は振り返らなかった。

 窓から、隣家の屋根へ。ふわりと着地して、すぐに跳躍。それを何度も何度も、機械的に繰り返して有香は夜空の中を跳んでいた。

 魔法という力は、人の持つ力を高めることができる力。有香は、肉体の能力を強化する術に長けている。それでも、幼い頃は両親に魔法で身体能力を上げることを禁止されていた。安易に魔法を使うことを覚えないようにという配慮だったのだろう。

 有香は素直にそれに従った。けれど、かわりに自分の力の別な使い方を見出した。

 それが、『使い魔』の能力。

 兄弟のいなかった有香は、偶然とはいえ得られた<友>を喜んだ。いつもいつも、そばにいてくれる兄弟のような友人のような、そして長ずるにつれ自分の子供でもあるような存在を有香は愛していた。

 ――それは、あのときにあまりにあっけなく、終わってしまったことだけれど。



 中島公園。昔からずっと人々の憩いの場であった、かなりの広さを持つ公園。有香がようやく移動をやめてそこへ降りたのは、クロスに言い置いてきた三十分をとうに過ぎた頃だった。

 使い魔と主は、特別な絆でつながる。使い魔は主の魔力を与えられることで生き、それゆえ主がどこへいても必ず見つけ出す。きっと、すぐにここへやってくるだろう。

 有香を追いかけて。

『こちらにいたんですね』

 探しにきてくれるのが嬉しくて。相手も自分を好きでいてくれるのだと、そう思えたから。

『私はあなたを捜せますが、あまり遠くへ行ってしまわないでください。あなたが心配ですから』

 小さな有香を抱き上げて、<彼>は困ったように微笑むのだ。その笑顔が好きで、有香はいつも遠くへ遠くへと足を向けた。探しにきてくれるのを、信じて待ちながら。

 いつでも、<彼>は有香を裏切らなかった。最期まで、<彼>は有香を探してくれた。案じてくれた――。

(――っ!)

 思い出してしまった。忘れていたと思っていたのに。安心していたのに。

『人と同じ感情が、我々にあるというのはばかげているのかもしれない。でも、私は信じたい』

 人よりもずっとずっと、真摯に見つめてくれた。想ってくれた。有香を、大切にしてくれた。

『私は、あなたをお慕いしております。あなたが大切です。何よりも――有香様』

 あの声も。あの温もりも。<彼>がくれた言葉も。すべて、有香の宝物だ。

 ――もう、宝物として胸に抱くことしか、できない。

「……ユーティス……っ!」

『マスター』

 ぎくりと、有香は肩を震わせた。転じた視線の先、今最も見たくない者を見出してしまう。

 巨大な、コウモリの翼を持つ蛇。

「……なんで来たの」

 自分でも、狼狽えているという自覚があった。それを気取られたくなくて、彼女は彼に背を向け声を尖らせる。

『三十分経過しても戻らなければ、探しにこいと』

「……」

 そうだ。有香もわかっていた。他ならぬ自分がそう言ったのだ。

 けれど、心は納得してくれない。

 クロスが憎かった。<彼>とまったく同じように、自分を探しに来る彼が。<彼>ではないのに、自分を見つける使い魔が。

「マスター」

 クロスの声の質が変化した。人の姿を取ったのだ。有香は思わず、自分の身体を抱き締める。

 変化をすると、クロスは長身で褐色の肌の、精悍な面差しの青年になる。その頬には鱗のような模様があり、最大の特徴は背中でばさりと音を立てる、コウモリの羽根。

 有香は、そんな姿をした者を求めているのではない。

「もう少し散歩したいの。一人でね。……だから、ついてこないで」

「しかし、」

「来ないで!」

 今の自分では、クロスの存在を許容することができない。翼の生えた、有香に忠実な使い魔の青年。それは有香にとって、たった一人きりでなくてはならない。

「マスター!」

 有香は走り出していた。クロスの声を聞きたくなくて、その一心だけで駆けだしていた。

 公園を抜けて、冷たいアスファルトを蹴って。

 横から強い光を浴びせかけられて、ようやく彼女は我に返る。

 ――すべては、遅かった。

 衝撃。

 悲鳴。

 甲高い、大きな音。

 回る視界。

 一瞬の間の、記憶がない。

 怒鳴り声のようなものを聞いたと思って、彼女はそろそろと目を開けた。全身が痛い。特に肩は、ひどくぶつけたようだ。

 自分が道路に倒れていることも、少し遅れて認識できるようになる。だが、目の前にある現実を、有香の理性はなかなか認めようとはしてくれなかった。

「嘘……でしょ?」

 アスファルトにばさりと広がった髪。有香の身体にしっかり回されていた腕。

 閉じられた、瞼。

 鱗のある、その褐色の頬は――。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!」

 絶叫して。

 有香の意識と記憶は、今度こそ暗闇に飲まれた。









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