今日は、サージェンもカイ達と昼食を一緒にとった。ユアニの淹れてくれた茶を飲み終え、一息つくとサージェンはそう切り出した。椅子から立って自分を振り返る彼に、カイは従って外へ出た。
エーレを看取ってからほぼ毎日、カイはこんなふうに過ごしていた。そのうちに季節は移り実りを収穫する時期が近づいてきた。畑のものを刈り入れ終わったら、村中でそれを祝う祭りを行う。そのときに合わせて、船に残っている人々と精霊達を村に呼ぼうと、カイはルディル、カーサ、マリスニール、そして船のユグノーと相談していた。
村の長も、彼らの決定を快く受け入れてくれた。この村で暮らし、一緒に生きていこうと長は言ってくれた。だがカイ達は、しばらくの間は作物や家の作り方を村人達に教わって、それが十分に身についたら違う場所に移ろうと決めていた。村の土地には限りがある。
そのときのために、カイは『魔力』はもちろん、この地の言葉を身に着けなければならないと、ことあるごとにサージェンは繰り返した。実際、『魔力』の勉強をするようになってから少しすると、彼は言葉も教えてくれるようになった。それが一月近く続いた今、おかげでカイはごく簡単なことなら、意思の疎通をできるようになっている。
『術』の練習をするカイとサージェンの姿は、村の中ではすでに馴染みのものとなっている。邪魔にならない程度に挨拶してくる村人達に、カイ達も応じる。村人達の仕草、表情から、海を越えてきた自分たちが受け入れられつつあるのを見て取れて、カイは嬉しかった。
「カイ、炎の『力』を呼び出してごらん」
言われたとおりに、カイは『魔力』を炎に換えて、向き合わせた両掌の間に現した。彼が難なくそれをやってのけたのに、サージェンは目を細めてうなずいた。
「もう、こつをつかんだようだね」
「小さな規模ならね。大がかりなものは、成功させる自信がないな」
「基本は同じだよ。徐々に学んでいけばいい。それには実践が一番だ。――ところで」
サージェンは、いつもは様々な用途の『術』をいくつか彼に教えてくれるのだが、このときは違っていた。真っ直ぐ彼を見据えて、思いがけないことを問うてきたのだ。
「カイ、君は故郷の北の大地に、帰りたいと思う?」
目を見開き、彼はしばらく考えてしまった。
故郷には違いない。だが、郷愁といった感情を、今まで不思議と抱かなかったことにこのとき彼は初めて気づいた。帰りたい場所があるとすればそれはカーデで、冷たい王宮ではない。しかし、あの遠いカーデでの日々とこの地での生活は、彼の心を穏やかにしてくれるという点で同じだった。
「……特に、帰りたいと思うことはないな」
だからカイは、そう答えたのだ。
「僕の故郷では、精霊達は畏怖の対象なんだ。そんな彼女達に僕が好かれるからという理由で、両親も兄弟も僕を遠ざけた。……僕がいなくても、マジェス皇国には何も影響はないよ。兄上がいらっしゃるし、別に僕は、あの国には必要ないんだ……」
口に出してみると、胸がちくりと痛んだ。自分には今、ともすれば実の家族以上に愛してくれる友がいるのに、必要としてくれる人がいるのに、やはり血のつながった存在を求めてしまうのだろうか。
サージェンは、胸に手を当てたカイを真摯に見つめていた。そして、左手でカイの前髪を払い、額に触れる。
「サージェン?」
「私の『力』で、これから君に見せてあげよう。君が得られなかった時間、君のいない場所で流れた時間を。それを見た上で―考えるといい。君にはまだ、故郷へ帰るという道もある」
彼の手が触れている箇所から、すさまじい衝撃がカイを襲い、貫いた。
小さな子供が泣いている。四つか、五つほどだろうか。嗚咽するたびに、柔らかそうな銀の髪が揺れていた。
「どうしても、カイをここから遠ざけると言うのか」
重々しく、苦みを伴った声がわずかに開いていた扉の隙間から漏れてきた。
「お前は、実の息子を厭うのか?」
それに対して応えた女の声からは、嫌悪感と恐れしか感じ取れなかった。
「あんな不気味な子は、妾の子ではありませぬ! あのように精霊族を意のままに従わせるなど、そのうちよからぬことを企むに決まっております!」
覚えている。これは、母の声だ。
(そうだ……五歳の時、母上がなぜか僕を見るなりすごく怒って、僕のことを……叩いたことがあった)
今まで、すっかり忘れ去っていた。どうしてという悲しみの中見上げた、引きつった母の顔をこの上なく怖いと思った、あの日の出来事を。
「妾の子ではありませぬ。あの子供は……きっと将来妾の愛しいヴェアルにも害を為すに違いないのです! どうしても陛下があの子供をここへ留め置くとおっしゃるのならば、妾はヴェアルを連れて故郷へ帰らせていただきます!」
幼い自分に聞こえることを、微塵も考えずに、生みの母親は癇性にまくし立てていた。
(そうだったんだ……)
そして結局、兄ヴェアル――第一皇子と皇妃のために、父はカイを見捨てたのだ。
胸が痛まないわけではなかったが、思いの外冷静にカイは過去をただの事実として受け止めていた。知ったところでもうどうにもならないというあきらめにも似た気持ちのせいでもあったが、そんな彼の目の前を遠い日の時間は流れ続けていた。
場所が移動していた。王宮のどこかには違いないようだったが、小さく寂しい門の前で、黒い馬車が一台止まっていた。やがて、門の内側から二人の人影が外へすべるように出てきた。
(あれは)
なぜか、カイにはわかった。マントのフードをかぶり、うつむきがちに腕に何かを抱えている背の高い人影が、父であることが。そして父が覗き込んでいるのが、幼い自分であることも。
(父上……?)
「本当に、くれぐれも我が子を頼む」
「は。命に代えましても、カイ様は私がカーデまで無事にお連れいたします。そして、彼の地でお健やかにお育ちあそばされますよう、力を尽くします」
「……信じておるぞ」
もう一人の人影は深く敬礼し、アルトスの腕から恭しくカイを受け取った。幼い銀髪の子供は、これからの自分の運命を知らず、ぐっすりと眠っている。
(……そう、目覚めたら、僕は馬車の中だった。彼はカーデを父の代理として管理する大公で……僕の育ての父上)
養い親は時には厳しかったが、優しい人だ。確かにカイは恵まれて成長したと言えるだろう。事実思い出に浸るとき、幸せな気持ちがいつだって蘇るのだ。
「……待ってくれ」
アルトスは、大公が馬車に乗り込もうとした寸前で唐突に呼び止めた。大公は少し驚いていたようだったが、何も言わず馬車の階段を降りて、大切に抱いたカイをアルトスの前に差し出した。
『……許してくれとは言わぬ』
次の瞬間、カイの頭の中に直接父の声が響いた。アルトスの心が、カイに伝わってきたのだ。カイは父に視線を転じ、そして信じられないものをその目で捕らえた。
(涙……!?)
『お前の母は、我が妻は、このままでは早晩お前を害することになるだろう。しかし、それは皇妃だけではない。お前の存在を畏怖し、恐れる者は多いようだ。こうすることでしかお前を守り切れぬ無力な父を、成長したお前は憎むことだろうな』
一筋の涙が、父の頬を伝って流れた。アルトスは静かに身をかがめ、カイの額に口づけた。
それを最後に、彼は踵を返し足早に門の内側へ戻っていく。だが彼が振り返らない理由を、カイは容易に察することができた。
(父上)
王宮へ戻ってから、ほとんどこう呼びかけることはなかった。自分を疎み、愛情を注いでくれなかったと、ずっとそう思いこんできたから。
つらい思いを、させていたのかもしれない。
「父上――っ!!」
叫ぶのと同時に、視界は白光に覆われていた。
長い長い時間が経ったように感じたが、逆にほんの刹那でもあったようだった。カイは草の上に座り込み、両拳をきつく握りしめていた。
「……どうして、僕にあのときのことを見せたの?」
「必要だと、私が考えたからだ。知らないままに背を背け続けることと、知った上で自ら遠ざかることは違う。私は、君には選択をしてほしかった。流されるのではなく」
父の傍で、父を支えるために力を尽くすか。それとも故郷から遠く離れたこの南の大陸で、いつまでともわからず暮らしていくのか。
「君は、北の国へ帰ってももう生きていく場所がある。よく考えて、君自身が決めるんだ、カイ」
サージェンは、カイの肩にいたわるように一度触れ、静かに草を踏んで歩き去ろうとした。彼の長い黒い髪から微かに落ち着いた香りが流れ、カイの気持ちを和らげてくれる。
「……待って、サージェン」
自分でも、意外にしっかりした声を出せたと思った。立ち上がりながら、カイはサージェンに向き直って、告げた。自分の意志を。
「僕は、ここにいるよ」
「……本当に?」
顔だけで振り返った青い瞳の友人に、カイは微笑むこともできた。
「僕は今まで、ずっと忘れていた。知らなかった。父上は……少なくとも父上だけは、僕のことを大事に思ってくれていたんだ」
あの日の涙を、あの日の優しい愛情に溢れた接吻を。
「思い出せて、本当に嬉しいよ。ありがとう、サージェン」
「では、帰ってもいいのでは? 君の父は、君を迎えてくれるだろう。君は国にとっても大切な存在、故郷ですべきこともたくさんある」
「うん。だけど、僕はここでルディルやカーサ、ユグノー、それからみんなと一緒に暮らす。今君があの日を見せてくれたから、決心がついたんだ」
カイは逡巡したが、一歩ずつサージェンに歩み寄った。そして、両腕で彼をしっかり抱擁する。
「本当にありがとう、サージェン。―ここには、僕にしかできないことがたくさんある。最近特にそう感じることが多かったけど、心の底では……少し迷っていたんだ」
この地での暮らしは、自分にもできることがあると実感させてくれる。けれど、その感覚を今こそ故郷でも見出すために努力しなければならないのではないか、こんな想いが、いつしか芽生えていた。二年の間、自分がどれだけ甘えて過ごしてきたのか、思い返せば恥ずかしかった。
その二年を埋め合わせることは、ここでもできるのだと、サージェンは暗に示してくれたも同じだった。
父は自分を、確かに愛してくれていた。そして自分のために、精霊達と共に南の大陸へ旅立たせてくれた。宮殿で、カイがどんなふうに日々を送っているかを、恐らく父は、知っていてくれたからだ。
(ごめんなさい、父上。僕は……)
「僕は、父上のお役に立つためにも、ここで生きたいんだ」
そうして、あの二年の分を、父に返すのだ。
「――カイ」
サージェンが、静かに自分の名前をつぶやくのが耳元で聞こえた。彼はそれ以上は何も言わず、カイをしっかり抱き返してくれた。
時間は緩やかに、しかし確実に流れていった。カイはこれまで以上に積極的に、サージェンに教えられることを吸収していった。ルディルやカーサを始め派遣団の者達も、生きていくために必要な技術・知識を村人達から学び、それに連れてこの地の言葉も身に着けていくことができた。
人間達の周りで精霊達は、近づく大きな喜びを一足先に感知して、楽しげに笑いさざめきあい、それを今か今かと待ち望んでいた。彼女達の感情の動きに呼応するかのように、草は涼やかな音を立てて揺れ、花は香り、木々が歌った。
やがて、人々も周囲の微妙な変化を感じられるようになった。風が、少し冷たくなっていた。空の青さも濡れたような深みを増し、大地のそこここにあった鮮やかな色彩が消えていた。
――秋が、やってきたのだ。
すごく哀しい気持ちになるけれど、私はこの物語が
大好きです。ファンタジーの世界でただ一生懸命に生きている人たちを
書きたいと思ってきて、この精霊と人間の生きる大地
の物語は、少しずつその気持ちに近づいているものだと
信じたいです。カイの決意のあと、いよいよクライマックスへ突入します。