物理的なものではないが、何か大きな衝撃を感じて、カイは飛び起きた。鼓動が激しく、息苦しさも覚えてうずくまった彼の背中を、優しくさする手があった。
「大丈夫、カイ?」
「……マリスニール……?」
顔だけ動かして振り仰ぐと、美しい顔を緊張に強張らせた彼女がそこにいた。いつも優雅な炎の乙女が、こんな表情をしているのはとてもめずらしいことだ。すぐにカイは、緊急事態を察した。
「何があったの?」
身体を起こすと、少しこめかみに痛みが走ったが、気にせずカイはすぐにマリスニールに問いかけた。マリスニールは、逡巡するそぶりを見せたが無言でカイの手を引いて、隣のルディルの部屋まで連れて行った。
ベッドに眠った形跡はあったが、ルディルはいなかった。その理由を、部屋を照らす光でカイは悟った。
朱い。窓のそばまで駆け寄って、彼はよろめいた。恐ろしい光景が広がっていた。
「そんな……どうして火が……!?」
火事、だった。
かろうじて踏みとどまった彼の頭の中に、サージェンの声が蘇る。
――無情なる、朱。
(これが、サージェンの“予言”だったんだ……!?)
悟ると同時に、いてもたってもいられなくなる。ふらつく足取りで部屋を出ようとする彼を、マリスニールが呼び止めた。
「カイ、大丈夫なの? さっきも具合が悪そうだったのに、どこへ行くの?」
「あの火を……消さないと」
「ルディルとカーサが、すでに向かっているわ。二人がいればきっと何とかなる。だからカイ、まずは落ち着いて」
背中をさすってくれるマリスニールの手の感触が、徐々にカイに冷静さを取り戻させてくれた。だが、順序立ててものを考えられるようになっても、早くあの火を消さなければと急く心は変わらない。
「マリスニール、精霊達の力で消せないの? このままじゃ、大変なことに――」
「カイ……」
詰め寄る彼に対し、彼女は悲しげに目を伏せて、首を横に振った。
「炎が燃えることは、当たり前のこと。私達がそれに干渉するためには、とても大きな力を使わなければならないの」
「そんな……!?」
それでは、なすすべもなく、あのすさまじく明るく、猛々しい朱から逃げるしかないというのか。人の小さな力による、ほんのわずかの抵抗をしかできないというのか。
「カイ」
目の前が暗くなった彼の両肩に、マリスニールは両手を置いた。真摯なまなざしで、彼女は彼に語りかける。
「本当は、私はあなたにこんな『力』の使い方を教えたくはなかったわ」
「マリスニール……?」
「でも、あなたはこの村を守りたいのよね?」
この村を。サージェンが自分たちを連れてきてくれた、彼と過ごした、そして――彼の大切にしている同族の住む場所を。
「……うん、守りたいよ」
カイが小さく、しかしはっきりと答えると、炎の乙女は微笑した。そして、彼の手を引いて立ち上がる。
「なら、行きましょう。精霊である私にはできなくても、あなたにならできる。人間であるあなたは、当たり前に起きることを止めたり促したりできるのよ」
彼女に導かれるまま、銀の青年は外へ出る。
世界は、朱一色だった。
乾いた熱い空気に喉が痛んだが、マリスニールは真っ直ぐに進んでいった。カイも口をつぐんだまま、彼女の向かうほうへついていった。
その一角の建物は、もうほとんどが燃え落ちてしまっていたが、カイにはそこに何があったか思い出すことができた。食料庫、村の一年の蓄えが保管されていた場所だ。
「カイ! マリスニール!」
亜麻色の髪を乱し、桶を手にしてカーサが走ってきた。水を汲みに行く途中らしい。もう何度、彼はそれを繰り返したのか。
「危ねぇから、お前は離れてろ!! マリスニール、こいつを守っておけ!」
一方的にがなり、彼は水場へ向かってしまう。マリスニールは、同じ目的で右往左往する人々をゆっくり見回してから、カイの背後へ回った。
「教えてあげるわ」
カイの両手は、自然に上へ持ち上がっていった。
「かつては人間達も、この『力』を自在に扱えた。いつしか人間はその方法を忘れ去っていったけれど、まさかこの地にそれを覚えている人間がいるなんて」
薄々、カイにもマリスニールが自分に何をさせようとしているのかわかっていた。真っ直ぐに自分の手を凝視して、カイは待っていた。彼女の言葉は、彼を不思議に高揚させていった。
「今は私が手伝うけれど、あなたもきっと、自由に使いこなせるようになるわ。この『魔力』を」
掌に、爆発的な熱が生じた。しかしカイは驚きもあわてもせず、『熱』が自分の望む形になるように願った。
この『熱』は、自分を害するものではない。むしろとても近しく、貴いものだ。それでいて特別なわけでは決してない。自分が今望むことを、これが叶えてくれるのだ。
「もうこれ以上、『朱』が広がらないように――」
そのために、必要な助力を。
次の瞬間、カイの唇から、短い言葉がほとばしっていた。
「『青き腕(かいな)の抱擁を』」
涼やかな、何かが流れる音がその場を満たした。業火の爆ぜるそれよりもなお大きくそれは広がり、すぐに周囲を染める色が変わった。
朱から、青に。
「これは……!?」
「サージェン様の……ラルジェア一族の方々のお力だ!?」
ざわざわと、たくさんの話し声が急に明瞭に聞こえるようになる。あとになって、それも『魔力』のおかげだったのだとカイは思い返したのだが、このとき彼は自分で生み出した青い力を抑えるために必死だった。
カイはもちろん、水を呼び出していた。それはもちろん、今最もほしいものには違いなかったけれど、彼は恐らく本能的な部分で、気を抜くと何か恐ろしいことが起きるという危機感を覚えていた。
「カイ……!」
自身が炎の属性だからか、マリスニールは水を操っているカイからやや離れた場所にいた。これ以上、彼女の手助けは期待できない。
(彼女は、この炎を消すことはできない。今は僕にしか、できない!)
水は蛇の如き形を取って、燃えさかる火を包み込まんとしている。カイはさらに強く念じ、炎に水をぶつけようとした。
「うわっ!?」
突然何かに胸を突かれたような感覚が生じて、彼は叫んだ。同時に水が遠ざかってしまいそうになり、あわてて彼は意識を集中させる。
(今のは何……?)
ばくばくという音が、胸の内から聞こえてくる。頬を汗が一筋流れ落ちた。
(ぶつけようとしたら、水が逸れそうになった……?)
だが、まさに炎に水をかけて消すために、カイは水を呼び出したのだ。
(どうしよう、このままじゃ……!)
焦る気持ちが大きくなる。しかし、不意に全身にかかっていた緊張が軽くなり、カイは目を瞠った。
『カイ、ぶつけては駄目』
静かな、声が聞こえた。
男とも女ともつかない、透明な声がカイに語りかけている。
「誰……?」
『違う。今カイのところにある水は、ぶつけるためのものではないの』
柔らかく、声は続ける。
『あの朱い炎を、抱き締めてあげるの。ぶつけられると、水達が痛がる』
「抱き締める……?」
『そう。抱き締めてあげて、カイ』
願いにも祈りにも似た言葉が、カイの中に染み込んでくる。それに応じるように、彼の唇は自然に動いていた。
――青き腕(かいな)の抱擁を。
水が、流れた。
炎の周りを螺旋状に取り巻いたそれは、徐々に狭まってすぐに球の形を取った。まさに、抱擁のような優しさで、炎が包み込まれていく。
予言者に無情と称された朱は、清らかな青の中に、徐々に溶けていく。その様を、カイを初めとしてすべての者がただ茫然と見つめていた。
やがて、誰かの声が高らかに叫んだ。
「火が消えた!」
「すごい! ラルジェアの力を使う方が、ここにもいらっしゃった!」
上がった歓声を、カイは最後まで聞き届けることはできなかった。炎の収束を確かめると急激に力が抜けて、膝をついて倒れそうになった彼を、マリスニールが抱きとめた。
「カイ。やっぱりあなたは、使いこなすことができたのね」
万感の想いが込められた、彼女の言葉に果たして微笑み返すことができていたのか。
カイの意識は、そこで途切れた。
カイが魔法を使えるようになるため、いろいろ
必要なことがありました。そう言えば、サージェンが
しばらくでていませんね。タイトルロールなのに……。