しかし、思いの外重大な話をしかも立ち聞きしてしまったという罪悪感は、二人に等しくのしかかっていた。
「……近親婚か。うすうす予想はしていたが……」
「一族のために、か。……俺はあんまり理解できねぇな。したくもねぇ」
ルディルも、半分はカーサと同じ意見だった。あとの半分は、貴族である自分が受け入れてしまっていた。ルディルもまた一族のためにその誇りを常に自覚しろと、幼少時からことあるごとに言い聞かせられてきたのだ。
だが、それはエーレのような存在を認めるのと同じではない。ルディルはカイよりは、近親婚のもたらす害について知っていた。
血が濃くなりすぎれば、どこかに必ず悪い部分が現れる。それは身体の器官の一部だったり、表に現れないこともある。逆に、ずば抜けて優秀な者が生まれる場合もあるらしいが、それは本当に希だという。
エーレは、その最も悪い作用を受けて生まれてしまった。サージェンの言う『澱』だ。本来あるはずの髪の色、眼の色を持たず、病弱でそのほとんどが短命である―ルディルはそんな子供を、自分たちの故郷の言葉で『白い血の子』と呼ぶのだと記憶していた。
ラルジェア一族では<聖なる子>と称すると、先ほどサージェンは言っていた。あまりにもその名に皮肉を感じ、ルディルの胸に憤りとも嫌悪ともつかない感情がわき上がってくる。
「……行こうぜ、ルディ」
自分の気持ちをもてあまし、動けずにいた彼の肩を、亜麻色の髪の友人がいたわるように叩き、促してくれた。そんな触れあいが今はありがたく、ほんのわずかだったが、彼はいつの間にか強張っていた身体から、力を抜くことができた。
『エーレに、会ったのですね』
家に戻ると、ユアニが家事をしていたが、カイのあとに少し遅れてルディルとカーサが戻るなり、彼女は前置きもなくそう『話し』かけてきた。
「うん、会ったけど……」
『……兄が、あなた方がエーレに会ったあとに、私のこともお話しするようにと』
いつになく、『魔力』で長いこと『話す』ユアニを見て、カイは不安になる。今日は本当に、たくさんのことを見聞きして驚いてばかりだった。だが彼女を止める理由を思いつけず、黙ったままでいると、彼女はゆっくりと頭を包む布をほどき始めた。
褪せた色の布の下から、それがはらりとこぼれ落ちる。どこかでカイは、それを予想していたのかもしれない。静かな気持ちで、ただの事実として目の前の光景を受け止めることができた。
ユアニの長い髪は、真っ白だった。エーレと同じように。動かない表情のまま、彼女は静かに『言葉』を紡いだ。
『兄は、これも一族の澱の表れなのだと言いました。でも、私はそうは思いません。澱はエーレが一身に引き受けてくれています。これはきっと、私の病気なのです』
「……違う」
唸るように低い声は、ルディルのものだった。カイが視線を転じた先には、やりきれなさを黒い瞳から溢れさせた幼なじみの、今まで見たことのない顔があった。
「病気などではない。それは確かに、サージェンの言う澱のせいだ」
『でも、<聖なる子>は十数年に一度、一人だけしか生まれないのです。だからそんなはずはありません』
「違う……違う!」
「ルディル」
強く首を振るルディルを、ユアニは困ったように見つめていた。しかし彼女の薄い青の瞳は静かで優しく、カイはルディルの腕に触れながら、そんな彼女を哀しいと思った。
彼女はきっと、自分に何が起きても受け止めるだけ。それについて哀しいとも悔しいとも思わずに。なぜそんなことが起きるのか、疑問を抱くことすらないままに。そんな直感があった。
『サージェン兄様は、一族の中で最も力の強い予言者ですけれど』
元のように頭に布を巻き直しながら、ユアニは『言った』。
『私には、兄様の言うことがときどきわからないんです。あなた方についても、私にはわからないことを言いました』
「なんて……?」
『あなた方の血と肉が、ラルジェア一族を浄める、と』
うつむいていたルディルは、弾かれたように勢いよく顔を上げ、カーサはきつく眉根を寄せる。そしてカイは、深く息を吐き出した。
――サージェンの求めていたものを、このときようやく理解できたと思った。
ユアニは夕食の片づけが終わると帰っていき、そのあと三人は長い間無言のまま、居間に留まっていた。
今日見聞きしたことが重大すぎて、眠れそうにはなかった。だがだからといって、いつまでも額を付き合わせていても何ができるわけでもない。ただ、一人でいたくないがために彼らは同じ場所に集まっていたのだ。
カイは、ユアニの無邪気さに心を痛めていた。同時に、サージェンが見せた悲哀とエーレのあるかないかの微笑みを思った。サージェンは、妹も身内のあの人のこともとても愛しているのだと、彼は感じていた。そして、この先に生まれてくる、二人と同じ境遇の子供達のことを案じ、胸を痛め――救いを求めていたのだ。
海を越えてやってきた、自分たちの血と肉がラルジェア一族を浄める。サージェンは、外部の者と一族の婚姻を叶えるつもりでいるのだ。カイ達はラルジェア一族に対して特別な思いを抱かないゆえに、それが可能だからだ。どうやってかはわからない。
しかし、ユアニは言っていた。かの予言者の青年は、一族の中で最も強い力を持っていると。彼の紡ぐ言葉であれば、一族の慣習をも変えることができるのかもしれない。
(サージェン……)
どれだけの間、一族を憂いながら彼は待っていてくれたのだろうか。一族の凝った血を浄め、彼に近しい血肉を持つ者を救うという、自分たちのことを。
今ならば、わかる。だからこそ彼は、自分を出迎えたあの瞬間、あんな笑顔を見せてくれたのだ。万感の想いを込めて、カイの名前を呼んでくれたのだ。
「……僕達に、サージェンの願いを叶えてあげることが、できるんだろうか」
カイの呟きに、ルディルとカーサも顔を上げた。
「サージェンは、僕たちを待っていてくれたんだ。きっと、とてもとても長い時間。僕は……サージェンに喜んでほしいよ」
このとき、やっとカイは知ったのだった。どうしてこんなに、サージェンのことが気になるのか。惹きつけられるのか。――サージェンが、心の底からカイという存在を望んでくれていたからだったのだ。
誰かに必要とされること、それがこんなにも心震えるとは思いもしなかった。カイは、それをこれ以上ないほど幸福だと感じている。これまで誰も、カイの存在を求めてはくれなかった。両親も、兄弟も。ルディルとマリスニールはカイを好いてくれた。けれど、それはサージェンのそれとはまた違う感情だ。
鮮やかな青い双眸の予言者は、カイの存在を望んでくれた。そして今は、好いてくれようとしている。カイは生まれて初めて、誰かのために、できる限りのことをしたいと願っていた。好意を抱いた人の、笑顔を見たいと。
サージェンのことが好きだ。彼のために、何かをしたい。彼に喜んでほしい。それから―彼と友人になりたい。
「……エーレのことを見せられちゃな」
まず、カーサががりがりと頭をかいた。
「この先にも、またあんな子供が生まれてきたりするのがわかってるのに、見ないふりなんかできねぇよな」
「……それに、ユアニさんのこともある」
ルディルも、視線を落としたまま加わってきた。
「一族に一人だったはずの白い子供が、ほぼ同時期に現れているんだ。ラルジェア一族の存在自体、もう危険なのだと考えて間違いないだろう」
「……僕達が、『浄める』なんてこと、本当にできるのかわからないけど」
カイは顔を上げて、カーサとルディルを交互に見つめた。同じ想いを秘めた、二対の強い瞳を認めて、銀の青年は微笑んだ。