ひやりと冷たく、なめらかだった。カイを見上げる朱い瞳が、細められる。やはり、エーレは笑っているのだろう。ただあまりにも、表情が動かないだけなのだ。
「彼は暁だ。わかるかい、エーレ? ……そう。そうだね。よかった――」
朱い双眸が、サージェンのほうへ向けられた。それがカイの限界で、彼は気をつけてエーレの手を寝台の上におろすと、足音を殺して寝室から出る。居間に戻るなり、彼の足は崩れ落ちた。
(なんて……なんて瞳の色)
無情なる朱。反射的に、昨夜のサージェンの予言が脳裏に蘇る。あの瞳を不吉と思う気持ちはなかったが、与えられた大きな衝撃は、まだしばらく冷めてくれそうにはなかった。
サージェンはなぜ、エーレを自分に会わせたかったのだろう。そもそも、エーレはいったいどういう人物なのだろう。エーレと接するとき、サージェンは心なしかとても気を遣っているように見え―同時に、深い哀しみを感じているような印象も受けた。
「カイ、大丈夫か?」
寝室の扉から、ルディルが出てきて座り込んでいるカイのそばに膝をついた。彼も少し、顔色が悪かった。
カイは無言でうなずき、差し出されたルディルの手につかまった。
エーレは病人だからと、サージェンはしばらくしてから全員を家から連れ出した。帰路についても、誰も口を開かなかった。カイはうつむいたまま足を動かし、ルディルはそんな彼の背を時折いたわるように軽く叩いてくれていた。
行くときよりも長く感じた道を辿り、ようやく家が見えた頃になって、サージェンがおもむろに足を止め、カイを振り向いた。
「カイ。少し二人で話をしてもいいだろうか」
「……カイはまだ疲れている。後ではいけないのか?」
「ルディル」
案じてくれるのはありがたかったが、カイは赤毛の幼なじみに首を横に振って見せた。正直なところ少し休みたかったが、サージェンがやはりまだ哀しそうで、カイは彼をこのままにしておきたくなかった。
青い目の青年は、カイの承諾の返事にわずかだが表情を和らげた。そんな些細なことも嬉しく、カイは彼と連れだって、再び歩き出した。
今は夏に当たるはずなのに、不思議と故郷のような肌を刺す太陽の光を感じない。熱気はあっても、爽やかで心地よい。道すがらの話題のつもりでそれを口にすると、これも精霊達の力なのだとサージェンは答えた。
「精霊は、自分たちの住む大地に加護を施す。それはその地に生きる人間達を、彼女達が愛しく思うからだ。彼らが暮らしやすいように、力を使ってくれるのだよ」
「人間のため?」
「そう。だから早晩、ラジェーン大陸は厳しい大地に変わるだろうね」
故郷の西方にあるという大陸を、カイは思った。精霊達を敵視し、ひどいやりかたで追放したことを考えれば、当然の報いかもしれない。
けれど、それでも彼の地から来た精霊達は、いつかあの場所へ帰りたいと願っている。彼ら彼女らの愛した人間、或いはその子孫達がそこに生きているから。
「――エーレを見て、どう思った、カイ?」
本当に静かに、カイの恐れていた問いが発せられた。彼は答えを探して視線を泳がせ、サージェンはそんな彼の様子を見て、緩く首を振った。
「言葉にするのは、やはり難しいのだろうね。無理に答えなくともいいよ」
「……でも……サージェンは」
サージェンはとても、エーレに優しく接していた。
「エーレは、私の身内なのだよ」
少しの間サージェンの青い双眸は瞼に隠れ、カイは驚愕の表情を見られずにすんだ。
――では、エーレとサージェンは同じ血を引いた一族ということになる。なのに、エーレのあの色彩はどういうことなのだろうか。
再び目を開けたサージェンは、戸惑い顔のカイにぽつりぽつりと話し始めた。 「ラルジェアは、常春の名を持つこの大陸に生を受けた、最も古い血を持つ一族。予言と呼ばれているが、時の流れに関わり過去と未来を知る力を持ち、長い間それを使い大陸を守ってきた。――と、一族のほとんどの者が信じている」
「え?」
最後の言葉に引っかかりを覚え、思わずカイは問い返していた。サージェンは一拍の間をおいて、続けた。
「ラルジェア一族の力を保持するため、純血が尊ばれる。一族の者以外との婚姻は禁忌とされ、生まれたときから一族内で配偶者を決められる。もちろん、私達のこの力でふさわしい者を選ぶのだ」
それなのに。
それなのに、とサージェンは視線を遠くへやる。カイの記憶が正しければ、その方向にはあの人の−エーレの家があったはず。
「時折、一族の澱をすべてその身に受けて生まれる子供がいる。そんな子供達を、一族では<聖なる子>と呼ぶ」
「澱?」
「同じ血が交わりすぎれば、澱となる。子孫を絶えさせないために、それは外へ出されなければならない。ゆえに、澱を一身にためた白き子供が生まれるのだ。……エーレのような色彩を持った子供が」
もはや、カイはどんな感情も表に出すことはできなかった。驚きが大きすぎたためばかりでなく、彼の理解を超えたことをあまりに多く、立て続けに聞かされたためだった。
同族婚の危険については、少しだけ知識があった。長い間それを繰り返すと、大変なことになるとだけ。具体的に何が起きるのか、彼はこんな形で知ることになってしまった。
(エーレ……)
自分のほうに手をさしのべるのも、ひどくゆっくりでつらそうだった。本当に微かだったけれど、自分を見て確かにエーレは微笑んでくれた。何も知らずに、驚愕の念からエーレに対してとった自分の行動が、とても恥ずかしくなる。
「カイ。……私はしばらく、エーレに付き添っている」
羞恥と後悔にうなだれる彼の横を、静かにサージェンが通り過ぎていく。
「もう一度、エーレに会いに来てくれるだろうか。エーレは、とても君を好いている。君を待っているだろうから」
勢いよく、カイは振り向いた。サージェンの後ろ姿はそのまま離れていったが、心の底から彼は「必ず」と答えた。