ユアニが、戸口でぼんやりしていたカイに気づいて、親しげな笑顔を見せた。カイも、笑い返す。相変わらず、彼女は頭を布で覆っている。

「『おはよう、ユアニ』」

 言うと、彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔と会釈で応えてくれた。必要なときでなければ、彼女は精霊の言葉を使わないらしい。

 そのまま、家の中に入っていくユアニを見送り、カイは再びぼんやりと空を見上げた。

 昨夜のサージェンの“予言”は、それを告げた彼の様子もその内容も、カイにとっては大きな衝撃だった。思い出すときはいつも優しい笑顔でいるという印象のサージェンが、あの瞬間は人を超越した神秘的で侵しがたい空気を醸しだし、カイは彼が彼でなくなったように感じた。

(予言者って、ああいうことなんだろうか)

 そして、彼の予言した『無情なる朱』とは何のことで、どのようにしてやってくるのだろうか。

「よう、カイ」

 戸口がきしんで、のっそりと大きな影が出てきた。カーサだった。

「……昨日は悪かったな。俺も止めなけりゃならなかったのにな」

 ルディルのことだ。ルディルはあのあと、誰とも口をきかず部屋に引き籠もってしまい、今朝もその状態は続いている。

「いいよ。ルディルは昔から、怒ったらしばらく口もきいてくれないことがよくあったから。でも、気持ちが収まったら元通りになるから大丈夫だよ」

 そうか、とだけカーサは答え、カイと同じように壁にもたれた。彼もきっと、家の中には居づらくて出てきたものの、手持ちぶさたなので時間をもてあましているのだ。

 今日は、もう少ししてからサージェンが迎えに来てくれることになっていた。全員で、彼が会わせたいという人のところを訪ねるのだ。その相手の人となりすら、カイ達は聞かされていない。

「カーサは……」

 あまりにも気詰まりで、ついカイは口を開いてしまった。聞きたいと思ってはいたが、聞いたら最後彼との間がぎこちなくなるのではないかと、怖くて隠してきた問い。

 けれど、訊かなかったからこそルディルがあんな形でサージェンにぶつかってしまったのではないかと、そんな風にも思うのだ。

「カーサは、サージェンのことどう思う?」

 だから、カイは勇気を出すことにした。

「あ、信用するとか、そういうことじゃなくて。なんていうのか……どういう人だと思うのか、っていうことなんだけど」

「お前は?」

「……不思議な人だと思うよ。でも、なんて言えばいいのか……」

 逆に問い返され、カイは気づいた。言葉にするのがとても困難なのだ。サージェンはカイの中で恩人という位置にいるが、それを差し引いても彼に惹かれる自分をカイは自覚している。その感情はカイの知るどの概念にも当てはまらず、説明することができない。

 ただ、カイの感覚が教えてくれるのだ。サージェンは、彼のそんな気持ちを知っていて、心から応えようとしてくれていると。それ故に、決して彼を裏切ることはないと。

「君達は甘いって言うかもしれないけど、僕は『自分がそう感じる』っていうことを、信じようと思う。僕は、サージェンが撲達にしてくれることに、悪意はないと思う……」

 ぽん、と、カーサの手が頭に載せられた。次の瞬間。

「わわわっ!? か、カーサ何するんだよ!」

 思い切り頭に体重をかけられ、カイは何とか逃げ出そうと暴れた。カーサはしばらくカイを抑えつけていたが、不意に手を離した。

「痛かった……ひどいよカーサ!」

「ルディルも、お前が勘が鋭い方だってことは言ってたぜ。ものの考え方が精霊に近いってこともな」

 それが今の行動とどうつながるのかわからず、カイは飛び出しかけた抗議の言葉を呑み込んでしまった。

「どういうこと?」

「お前さ、自分以外の人間は全部理屈でもの考えて、感情では何にも判断しねぇと思ってねぇか?」

 この大柄な青年は、物事をよく見抜く。彼の指摘は、明確にしたことはなかったけれど、カイが長い間胸の奥に秘めていた想いそのものだった。

「僕は……だって、父上――陛下や兄上も」

「それは理屈で何かを決めなきゃならねぇ立場だからだ。皇帝がただの好き嫌いで何かをしたりしたら、その下で暮らしてる俺らが困る。だから感情だけじゃ駄目なんだ。けどな、カイ。お前の父さんや兄貴だって、きっと理屈より感情で動くこともあるんだぜ」

 そうだろうか。王宮に戻った日から、父や兄、回りの人々は同じことを違う言い回しで繰り返してきた。なぜそれがいいと思うのか。別のものではいけないのか。そのことをきちんと論理的に説明できないのならば、意見として表に出すべきではない――。

「俺はどうだ? どっちかっていうとお前に近いと思うんだけどな?」

 顔を曇らせた彼に、幾分軽めな調子でカーサは肩をすくめた。

「それから、今のルディルだってそうじゃねぇか? あれはサージェンが信用できるできない以前に、あいつにお前が懐いてんのが面白くねぇんだよ」

「……え?」

 まったく予想外の発言に、カイは唖然と黙り込んでしまう。まあとにかく、とカーサは照れくさくなったのかそっぽを向いて続けた。

「自分と自分以外、ってはっきりわけようとするのはやめろってことだ。お前は特別じゃねぇし、お前から見た他の奴だって、お前となんにも違わねぇよ」

 言い終わり、むやみに彼ががしがしと自分の頭をかきむしったのとほぼ同時に。

「――カイ、カーサ」

 村のはずれのほうから、背の高い人影がやってくるのが見えた。広い袖の、カイ達が見たことのない前あわせの衣服の裾を引き、風に流した長い黒髪を先端近くで結っている。彼は二人の名を呼んで、少し距離を置いたところで立ち止まった。

「よう、サージェン」

「待たせただろうか。行こう、それほど遠いところではない」

 ルディルを呼ぶためカーサが家に入っていくと、サージェンはカイのそばまで歩み寄ってきた。

「サージェン……?」

 心なしか、彼が悲しげに見えて、カイは彼の名を呼ぶことしかできず、困惑する。

「あの人も、楽しみにしている。私が君のことを話すと、いつも嬉しそうに見えた」

「見えた?」

 不自然な表現だった。しかしそれを疑問として口に出すことは憚られ、カイはサージェンから視線を逸らした。

 サージェンは、そんな彼の銀髪を、そっとなでてくれた。カーサにかき回され乱れたままの髪が急に気になって、頬を染めた彼の視界の端に、サージェンの笑顔が見えた。

「あの人の名は、エーレという。カイ、君が呼んであげれば、喜ぶと思うよ。そうしてくれるだろうか?」

 何かはわからない。でも、何かがとてもカイを不安にさせた。

 けれどともかくサージェンを落胆させたくなくて、カイは何度も首を縦に振った。



 その家は、本当に小さかった。村の外れにひっそりと建つそれは、相当に古いのが一目で見て取れたが、手入れはされているようだった。

(この家に、エーレっていう人は一人で住んでいるんだろうか)

 サージェンは、結局エーレの名をカイにしか教えなかった。彼には何か思うところがあるのだろうと、カイも口をつぐんでいた。会話もほとんどないまま、カイとサージェン、カーサ、そしてルディルは村を出て一刻(=約十分)ほど歩いたこの家に到着したのだった。

「先にユアニが来て、掃除をしていったのか」

 扉から入って、サージェンがつぶやいた。確かに、家の床や壁などに汚れが見られない。彼女は定期的に来て、掃除などをしているのだろうか。

 扉の一つをサージェンは目に留め、三人を振り返った。語る声が、急に潜められる。

「この向こうに、あの人がいる。―どうか、この部屋で何を見ても、心に思ったことを表に出さないでほしい。あの人はすべてわかっているけれど、傷つかないわけではないから」

「それはどういうことだ?」

 ルディルは訝しげだ。カーサも何も言わないが同じ気持ちなのは顔に表れている。カイは、そんな二人を横目で伺いつつサージェンの次の言葉を待った。

「その通りの意味だ。もっとも、君達に納得してもらうためには、すべてを話さなければならないのだろうね。けれど、あの人に会う前には、話したくはない」

 黒髪の青年は、青い目を伏せて扉に手をかけた。押し殺した声で、彼はなおも請う。

「だから、頼むしかない。どうかあの人をいたわってほしいと。あの人は……近々死を迎えるから、悲しませるようなことはしないでほしいと」

 扉が、押し開かれた。

 そこは、寝室だった。小さめの寝台の上に、誰かが横たわっている。窓からの明かりが、その人物を照らしていた。

 サージェンをのぞく三人は、声を出すことはおろか呼吸すらできずにいた。彼の頼みを聞き入れたからではなく、あまりに大きな驚愕の念が、彼らを石の如く硬直させてしまっていたのだ。

 長い長い髪が、寝台からはみ出して床に流れて散っていた。室内はそれを目の錯覚と思うことすらできないほどに十分明るく、その流れが何の色も帯びていないことを彼らに事実として突きつけていた。

「エーレ。連れてきたよ。やっと、彼がここへ来てくれた」

 サージェンだけが、いつもと変わらなかった。彼は白い髪の人物の枕元へ行き、そこからカイを振り返る。

「ほら、銀色と紫だ。本当に、彼は暁のようだね。……カイ、そばに」

 優しくエーレに話しかけてから、サージェンはカイに手をさしのべる。その動きにつられたのか、エーレもカイの方に顔の向きを転じた。

「――っ!?」

 カイは、唇を引き結んで必死に悲鳴をこらえた。恐怖などによるものではなく、ただ純粋な驚きが彼の中で暴れ回っていた。

(なんて色……!?)

 今までに、エーレのような瞳の色を見たことがない。

 その色は、血よりもなお鮮烈で純粋な、朱だった。












エーレ。最初のプロットの時にはいませんでした。

ユアニも同様です。あ、彼女の場合はいたけど出す予定が

無かったんだ……。誰かこの二人のイラスト描いてくれ

ないでしょうか(こら)。何しろ自分じゃ起こせないので、

ほんとにイメージだけで描いていますので……。





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