今は、村中で朝から暗くなるまで畑にかかりっきりになる時期なのだという。だが、栽培しているのはマジェスの主な作物である麦ではなかった。

 それをカイ達が最初に目にしたのは昼間、村長に許可を得てサージェンが案内してくれた、村の倉庫だった。麦よりやや大きめの細長い粒状の穀物が、乾燥させた状態で大切に保管されていた。それをどうやって食べるのかカイには見当もつかなかったのだが、夕刻、食卓に出された器の中を見てようやくわかった。

「ダージウという。先ほどの穀物『ダー』を水で炊いたものだ。最も一般的な調理方法がこれだよ」

 卓に並んで座ったサージェンが、カイ達に説明する。一緒に来た者達はいくつかの空き家に別れて寝泊まりすることになり、カイのところには当然のようにルディルとカーサがついてきた。そして、サージェンも。

「……うまいのか、これ?」

 何やら歪んだ顔で、カーサが器の中を凝視している。ルディルは無言だった。そんな彼らを見て、カイはためらいなく器を持ち上げ、口に付けた。

「カイ!?」

「熱っ!?」

 ルディルが驚いたように叫ぶのと、カイがあわてて器から口を離したのはほぼ同時だった。

「器は厚く焼いてあるから感じないけれど、作ったばかりだからまだ熱いよ」

唇を押さえて涙を浮かべているカイに、サージェンが水の入った木のコップを渡してくれた。

「それから、これを使って食べるといい。少しずつ、さましながらね」

 器の前に置かれていた、先端がやや平たく少し湾曲した道具を、彼は自分で使って見せてくれた。カイ達の故郷で使われている食器と違い、平たい部分に食べ物をのせ、口に運ぶ。

「火傷をしただろう? 大丈夫かい?」

「あ……はい。少し痛いけど」

 サージェンに笑ってみせ、カイはダージウに再び取りかかった。

 確かに熱い。器は持っても熱くなかったから、湯気が立っていても口を付けてしまったのだけれど、丸い食器(ベラというらしい)で口元まで持ってくると、ほかほかと勢いのいい熱気を感じる。

 カイは子供のようにふうふうとそれに息を吹きかけ、ある程度冷ましてからダージウを一口食べた。

「……おいしい」

 今まで知らなかった味だった。特に調味料は使ってはいないということだったが、ほんのりと自然な甘みとそこはかとない香ばしさがあり、食べやすかった。

「ほんとか? じゃあ俺も」

 調子よくカーサもベラを手に取り、どんどん食べ始めた。

 その健啖ぶりに呆れつつ、カイも二口目をベラですくおうとしかけたが、真向かいに座るルディルが依然ダージウを凝視しているのを目に留め、手を止めた。

「ルディル、どうしたの?」

 おずおずと声をかけると、はっと彼は顔を上げた。

「食欲がないの? 疲れたの?」

「……いや。平気だ。何でもない」

 答えて、彼もベラを手に取ったが、彼らが再びベラを卓の上に戻したとき、他の三人がほぼ完食していたのに対し、器の中には冷え切ったダージウが半分以上残っていた。




 翌朝、カイが目覚めたとき家の中には誰もいなかった。ルディルとカーサは一緒に寝室を使っていたが、カイがのぞいたときは寝台も部屋の中もきちんと片づいていた。

「……寝坊したかな」

 独り言を言いながら昨夜から食堂へ行ってみると、一人分の食事を載せた食器の上に布がかけられていた。

「カイ、おはよう」

 どこからともなく、守護者の乙女が現れて、寝癖のついた彼の柔らかな銀髪を優しくなでてくれた。彼女に挨拶を返し、カイはともかく食卓に着く。

「みんな、どこに行ったんだろう? サージェンも……」

「彼から伝言を頼まれているわ。ルディルとカーサと、一緒に村を回るんですって。そうね、二刻(=二十分)くらい前に出て行ったわ」

「そう。じゃあ、急いでご飯を食べないと。どこかで合流できるかもしれないし」

 カイはもともと朝は食の細い質だったが、用意されていたものをすべて食べ終え、きちんと身支度を整えるとすぐに家を出た。

 村は、動いていた。

 すべての人が動き、流れていた。その人々の中を、風が吹いている。

 それはとても不思議な光景だった。人の動きは細かくて止まっていることなどほとんどないのに、なぜかとても豊かだとカイは思った。ゆったりとしていて、安心感を与えてくれる。

 道の向こう側からやってきた村人の一人が、立ちつくすカイを見つけて短く何かを口にした。驚く彼に、傍らにいたマリスニールが、

「おはよう、って言ったのよ」

 カイは急いで口を開きかけたが、自分たちの言葉で同じ挨拶を返したところで、村人には通じないのだと思い当たる。そうしてカイが躊躇っているうち、村人は通り過ぎていってしまった。

 口惜しいと思った。

「マリスニール」

「何?」

「さっきの人の言ったおはよう、どんなふうに発音するかわかる?」

 昨日サージェンに言われたからではなく、カイは自分からこの地の言葉を覚えたいと思った。

 マリスニールはうなずいて、二人は歩きながらそれを練習した。途中何人かと行き会い、そのたびカイは「おはよう」を言った。彼らは驚いていたようだったが、嬉しそうに同じ言葉を返してくれた。

 ただの短い挨拶でも、確かに意思の疎通ができていることが嬉しくもおもしろく、カイは「おはよう」を繰り返した。あまりに夢中だったため、横手の畑のほうからやってくる三人にも気づかなかった。

「カイ、何やってんだ?」

 のんびりとした大きな声に振り向くと、亜麻色の髪ごと額を布で縛ったカーサと、仏頂面のルディル、そしてサージェンがこちらにやってくるところだった。

「『おはよう』。僕も起こしてくれればよかったのに、ひどいな置いていくなんて」

 最前までの癖で、カイがついこちらの言葉で挨拶しまうと、三者三様の反応があった。ルディルはさらに顔をこわばらせ、カーサは目を瞠り、サージェンから返ってきたのは……満面の笑顔。

「ここの言葉を、一つ覚えたのだね。聞いてわかる。上手だね、カイ」

「……ありがとう」

 照れくさくて、はにかんで礼を言うと、カーサが納得したように「ああ」とつぶやいた。

「すれ違えば言われるから、何かと思ったぜ。『おはよう』だったのか」

「僕も、マリスニールが教えてくれなかったらわからなかった。精霊は本当に、人の言葉は何でもわかるんだね」

「人間の言葉に違いがあるってことのほうが、私達にはわからないのよ。その人が何を言いたいのか、自然に聞こえてくるしわかるんだもの」

「イーウ・サージェン!」

 和やかに話しているところに、突然割り込んできたのは一人の男だった。農作業の途中を抜け出してきたのか、服の至る所やその手に土がついていた。驚いているカイ達をちらりと一瞥しただけで、男はサージェンに深々と頭を下げた。

 サージェンと男との間で、カイには聞き取れない会話がしばらく続いた。ただ、男の語調がひどくあわてていることから、緊急事態なのだろうということがかろうじてわかるだけだ。

「彼の家で、病人が出たらしいわ。まだ小さい彼の娘ですって」

 カーサとルディルと顔を見合わせていたところに、小声でマリスニールが耳打ちしてきた。

「今朝から熱が出て、ずっとサージェンを捜していたらしいわ」

「今朝っつったら、ちょうど村のはずれにいたころだな。大丈夫なのか?」

「カイ」

 そこで、サージェンが顔だけでカイ達のほうを振り向き、すぐに男の家に向かう旨を告げた。

「理由は、もう聞いている?」

「はい。マリスニールが教えてくれました。急いで行ってあげてください」

 サージェンはうなずき、長い衣と黒髪を翻して、足早に立ち去っていった。残された四人は、誰からともなく踵を返し、家のほうに戻っていく。

「あいつ、医者なのか? 昨日は“予言者”とか言ってたけどよ」

「あの若さでは信じがたいが、予言者よりまだ医者と言われたほうがましだな」

 先を歩く二人の友人の会話を聞き、カイは少し寂しくなる。自分と違い、彼らはサージェンをまだ信用していない。サージェンはこんなにも自分たちによくしてくれるのに。

「お? なぁ、あそこって俺らの家だよな?」

 昨日から起居している建物が見えるあたりまで来て、カーサが突然足を止めた。ルディルも目をすがめて、怪訝そうに首をかしげる。

「そのはずだが。入り口の前に誰か立っている……女、か?」

 かなり華奢で、小柄に見える人影は、まだ若い娘のようだった。頭に布を巻き、髪をすっぽり隠している。所在なげに立っている彼女の様子が気になり、カイは二人を促した。

「とにかく行ってみよう」

「そうだな。どのみち家に入るにゃどいてもらわねぇと」

 カーサは大股で娘に歩み寄っていきかけ、すぐに足を止めた。ついてきたカイに、困ったような顔を向ける。

「なんて言えばいいんだ?」

「あ……そうか」

 言葉が通じないということは、こんなふうにふとしたときに突きつけられる。カイもたった一つの挨拶しか知らない。すかさず、マリスニールが進み出てくれた。

「こんにちは。ここにいる人に用なの?」

 娘はマリスニールを見上げ、すぐ親しげな笑顔を浮かべた。あまりの屈託のなさに、カイははっとした。

 この地の人々は、皆こんなにも精霊に対して抵抗なく振る舞うのだろうか。マリスニールの美貌は飛び抜けているし、何よりも彼女の髪が精霊族であることを明らかにしているというのに、この娘も、そして思い返せば村人達も何ら特別な反応を示さない。

 その事実を彼がゆっくりとかみしめている間に、娘は視線を炎の乙女から彼のほうにめぐらせていた。

(!?)

 再び、カイは驚かされた。

 娘は、これといって特徴のない凡庸な顔立ちだった。だが、彼女は彼の中にとても鮮烈な印象を以て刻まれた。そうさせたのは、その瞳だ。

(なんて瞳……!)

 ほとんど色素がないのではないかと疑うほどに、薄い薄い青の双眸。どんな揺らぎも見いだせない、静かなまなざしが自分に据えられるこの感覚を、カイはすでに知っていた。











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