ルディルは、自分が苦い顔になっているのを十分承知していた。あの得体の知れない青年に、カイがどうして熱心に興味を持つのか、理解できない。

 カイは話すと約束してくれた。しかし、何もわからずに悶々とするこの状態がいつまで続くのか、それすらも見通しが立たなくてルディルをいらだたせた。

「ルディ、あいつどう思う?」

 カーサも、同じ気持ちのようで、しきりにがしがしと髪をかきむしっていた。

「どうもこうも。判断するにも材料が少なすぎる」

そう返したルディルだったが、少し考えてから「ただな、」と続けた。

「ユグノー殿やお前には受け入れがたいかもしれないが、俺はカイや精霊達の様子からして、あの男は信用できると考えている」

「どうしてだ?」

「あの男の言うように、精霊は、悪意に敏感だからだ。もしもあの男がよからぬ事を企んでいるなら、絶対に見逃さない。そして特に、カイをあれほど大事にしているマリスニールが、あの男とカイが近づくのを許している。こういう理由で、俺はあいつに敵意がないと判断するしかないというわけだ」

「けどよ、マリスニールはカイに甘いだろ? カイが駄々こねたら、許しちまうんじゃねぇのか?」

 まるで子供に対するような言いぐさに苦笑しつつ、ルディルは首を振る。

「いや。確かに、彼女はカイには甘い。そして強いから、自分がいざというときに戦えて、尚かつ勝算があるのならば、カイの行動を止めないかもしれない。しかしなカーサ、カイは精霊族ほどではないが、自分に向かう感情にかなり聡い。なのにあいつが、あんなに積極的且つ無防備にあの男と関わりたがっているというのは」

 言葉を切ったルディルの口から漏れたのは、溜息だった。

「あの男が、カイに本心から好意を持っているということなんだ。……つきあいは長いが、あんなカイは初めて見た」

 もう一度、深く吐息をついたルディルの肩を、カーサがぽんぽんと軽く叩いた。

「娘を嫁に出す親父みたいだぜ、ルディ」

「ああ、今ちょうどそんな気分だ」



 気持ちが落ち着くと恥ずかしくなって、カイは顔を上げることができなかった。

(こんな、小さい子供みたいに)

 サージェンの手は、そんなカイの肩を押して、促されるままカイは、少し離れたところにいたマリスニールの所へ戻る。

「どうしたら、彼の連れてきた者達は私を信用してくれると思う?」

 いきなりサージェンがこんな事を言い出し、カイは驚いて顔を上げた。サージェンのほうは、マリスニールに目を向けている。問いかけは彼女に対してのものだった。

「私にはわからない。私達は、あなたが悪い人ではないとわかるけれど、人間はそうじゃないもの。あの船の大半の人間達は、あなたを信用できないと考えているわ」

「そうだろうね。あそこにいる二人も、先ほどからずっとこちらを睨んでいる」

 指摘されて、カイは初めて少し離れたところに泊まっている船の甲板に、見慣れた親しい人影があることに気づいたのだった。

(ルディルと、カーサだ)

 二人は、サージェンを警戒しているに違いない。カイを案じてくれているからだとわからないわけではもちろんないが、サージェンのことを、そんなふうに思ってほしくはなかった。

(どうしたらいいんだろう)

「カイ」

 思い悩んでいると、サージェンがカイの肩にかけていた手に少し力を込めた。

「私を、この大陸の者に対する人質とするのだと、船の者達に説明するんだ」

「な……!?」

「そうでもしなければ、君の同胞は納得しない。大丈夫。君たちに私を傷つける意思がないのは充分にわかっているし、私の存在はこの地の民にとって盾とするに足りるものだ」

「でも、あなたは――」

「気にすることはない。私の望みは、君たちがこの地で暮らしていけるようになること。そのために、できることは何でもしたい」

 ――なぜ。

 なぜそこまでするのか、なぜそれを望むのか。

尋ねてみたかったが、サージェンはしきりにカイを船のほうに押し戻そうとした。黙って従えと、青い瞳が命じていた。彼の厳しい一面を垣間見たようで、カイは結局、マリスニールとルシエの手を借りて船に戻った。

「勝手なことをするな、お前は!」

 船に乗るなり、予想通りルディルの怒声がカイを迎えた。続いて、カーサの大きな手がぐしゃぐしゃとカイの銀髪をかき回す。少々痛かったが、文句を言える立場ではない。

「ユグノー殿は?」

 カーサの手からやっと抜け出して訊くと、ルディルはそのまま船室のほうへ向かった。彼にも叱られるだろうなと思いつつ、カイはちらりと砂浜を振り返る。

 そろそろ、黄昏時にさしかかっていた。空が暗さを帯び、静かだが大きな力を秘めた光が空全体から放たれている。サージェンは、ルシエと二人その中に立っていた。

 ふと、サージェンが微笑みかけてきた。笑みを返し、カイは憂鬱な気持ちがどこから来るのか悟った。

 たとえ彼自身の申し出でも、自分はサージェンを、自分たちのために利用などしたくない。彼を好いているから。

「カイ様!」

 ルディルがユグノーを連れて戻ってきた。やはりユグノーの顔はしかめられていたが、彼が口を開くより先に、カイはサージェンの意向を伝える。

 ユグノーの顔が、ますます険しくなる。

「つまり、あの男は自ら人質になる、と言ったのですな」

「はい」

「ますますわからない。いったい何の目的があってそのようなことを」

「しかし、いつまでもこうしてはいられません」

 ルディルの言うとおりだった。何人かの者は危惧する思いがあって上陸に躊躇いを見せているが、それでもやはりそれより多くの者達―特に精霊達は上陸を主張している。

「それじゃよ、中を取ってみるのはどうだ?」

 とても疲れて見えるカーサが、手を挙げる。

「どちらかというと賛成してる奴らが、まず様子見としてあいつについていってみる。大丈夫だってわかったらすぐに、船に残った残りの奴らに連絡する。もしもあいつがなんか企んでるっていう、最悪の場合も考えつつ、そいつらはそのとき速やかにここから離れられるように、出航準備を常に整えておく。それでどうだ?」

「僕はいいと思う」

 実に簡潔で、カイはすぐに賛成を示した。ルディルは逡巡した後に賛同し、ユグノーは少しだけ寄せていた眉から力を抜いた。

「では、私は残っていましょう。ルディルにカーサは」

「俺は行くぜ」

「私もです」

 ユグノーは二人にうなずきかけて、カイを目で促した。カイの意思など、最初から決まっていたのだけれど、ユグノーを前にすると自分の立場というものを、常に突きつけられているような気になる。

 カイはここにいる皆の代表者で、責任者。そしてマジェス皇国の第二皇子。

(そういう立場の人間としては、ここにいるべきなのかもしれないけど……。でも、僕は)

「僕も行きます」

 ユグノーが、大きく息を吐いた。急いでカイは言葉を続ける。

「常に安全なところにいなければならない僕の立場は、わかっています。でも、僕がすべての責任者なら、この目でこの地の安否を確認するのも、やはりしなければならないことだと思います。だから僕も、上陸します」

「……一理ありますな」

 老人は、とうとう苦笑いを浮かべた。カイに呆れているわけではないのは、その目が優しいことからわかった。

「それに精霊達は、あなたのそばにいたがることでしょう。結果的に、そうしてあなたは精霊達に守られる。ルディルとカーサにも」

 幼なじみと新しい友人は、それぞれに肯定の意を示す。

「ありがとう。――ごめんなさい」

 我が儘を言っている自覚は、ある。しかしどうしても、自分は早くこの地を見てみたい。サージェン−彼と一緒にいたい。

「謝ることなど何もありません。どうか、無事にお戻りください。カイ様」

「はい、必ず」

 ユグノーの手を硬く握り、カイはルディルとカーサの手も同じように握りしめた。

「明日の朝、上陸します」

 サージェンにも、船の皆にも、その言葉は速やかに伝達された。

 それからすぐに、上陸のための準備が始まった。こればかりは全員で取りかかり、必要なものを最低限度、人数分だけ用意した。食料はほとんどなく、少量の水だけということに決めた。サージェンが、その村は歩いてそれほどかからない場所にあり、もちろん水もあるのだと説明したからだ。その情報が偽物でも、往復するのに困らないだけの水さえあれば、上陸組はどうにか過ごしていける。何より、水の精霊達が何人か同行するのだから、問題はない。

 船に残る者達にとっては、真水は重要な問題だ。今までは、水の精霊達に頼んで海水を蒸留し、飲み水を用意してもらっていたのが、これまでいた水の精霊達がたとえ少数でもいなくなるため、これからは大変な手間をかけて自分たちでも水を確保しなければならなくなるからだ。

 そして、武器。弓矢と、短剣、長剣がそれぞれに配られた。カイは剣術の基礎的なことしか学んでいないので、護身用の短剣だけを渡された。

 所持品を決める話し合いも含め、五限(=五時間)ほどですべての準備は整った。

 早めに床について、カイは長い一日のことを回想する。

 とうとう自分は、あの“声”の人に逢った。名前を名乗り、あの人の名を聞いた。さらに朝になれば、ずっと目指してきたこの大陸の奥に入っていくのだ。

 どんな人と出会うのだろう。どんな出来事が待っているのだろう。

 未知数のことが圧倒的に多いのに、不思議と不安を感じないのは、興奮しているからだ。

(サージェンがいれば、きっと大丈夫)

 鮮やかな彼の瞳の色は、思い描くだけでカイの鼓動を早める。同時に、大きな安堵感をもたらしてくれた。

(サージェン……)

 心の底から安らいだ気持ちで、彼は柔らかなまどろみの中にゆるゆると沈んでいった。









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