まず、何を言えばいいだろう。カイは考えたが先にユグノーのほうから口火を切った。
「こうしてお会いするのはずいぶんと久しいことですな、殿下。昨日(さくじつ)の早朝会議のときは、ご気分が思わしくなかったと聞き、お案じ申し上げておりました」
痛烈な皮肉が正面からぶつかってくる。正直ユグノーから向けられるこんな負の感情はつらかったが、受け止めなければならない。自分は、それだけのことをしたのだから。
気遣わしげに、少し後ろからそっとカイの腕に触れてきた手があった。ルディルだ。振り向くわけにはいかないから、何も返事はできない。代わりに、カイは毅然と顔を上げてやや高い位置にあるユグノーの灰色の目を見据えた。
「大変な失礼をいたしました。本来ならばその日のうちに謝罪するべきでした。皆にいらぬ迷惑をかけ、申し訳なく思っています」
自分でも驚くほど、すらすらと言葉が飛び出してくる。ユグノーもこのカイの態度は思いがけなかったようで、厳しい顔に狼狽が微かに浮かんでいた。彼はそのまま、ゆっくりと両手を胸に当て、彼に頭を下げる。
「か、カイ様!?」
裏返ったルディルの声が聞こえた。この仕草は、マジェス皇国では相手への最上の謝罪を表す。身分はユグノーより上のカイがこんなことをすれば、まず周囲は驚く。
予想していた反応だったが、カイは周囲のざわめきを聞き流しそのままの体勢で言葉を続けた。
「私は己の責務を忘れ、あなた方にその負担を押しつけていました。不快に思われても当然です。改めて、謝罪いたします」
「か、カイ殿下。どうか、頭をお上げください」
狼狽えた声で促され、とりあえず彼は言われた通りにした。徒に相手を戸惑わせてはいけない。
「ま、まぁ……。船旅は過酷ですからな。お身体のすぐれぬときもおありでしょう。殿下にここまでされては、私としても心苦しい。私はただ、殿下といつも会議で直接話し合うことができればと、そう思っているだけなのですよ」
真っ向からの、素直な謝罪の態度が功を奏したらしい。カイはほっと息をつき、ユグノーに微笑みかけた。それがまたしても彼を戸惑わせたようだったが、カイにはまだ、そんな相手の態度を気に留めている心の余裕はなかった。ここまでは第一段階、これから彼らに重要なことを頼まなければならない。
「ユグノー殿。実は、そのことについて二、三あなた方にお願いしたいことがあります」
「……何ですかな?」
ユグノーの眉根が寄せられ、カイは反射的にぎくりとしたが、すぐにそんな己を叱りつけた。言わなければ、ここまで来た意味がない。
「まず、これからは私をマジェス皇国の皇子ではなく、あなた方と同じ目的を持つ者と見なして扱ってほしいのです」
この発言にはユグノーだけでなく、ルディルも驚愕していたようだ。後ろからしきりに腕を引いてくる幼馴染みに、しかしカイは少しだけ顔を向けて目でうなずきかけるだけだった。
「旅は過酷です。そして、目的地での生活もまた、何が起こるかわからない。そんな中で、皇子の身分が私の緊張感を奪い、結果としてあなた方に依存することになるかもしれない。今回と同じように」
「……」
「だから、頼みたいのです。ユグノー殿、あなたは私よりも年長者で、様々なことを知っていることでしょう。あなたの経験と知識は、これからきっと必要とされる。けれど、私には身分以外になにもない。私よりも、皆にとってあなたのほうが重要になっていく」
「それで、私に何を願うのですかな?」
ユグノーの声は、最初よりもかなり柔らかくなり、カイの緊張を幾分ほぐした。ユグノー本来の、知的で冷静な部分を垣間見た気がして、カイは安堵する。共通の目的の前ならば、きっと彼とは信頼できる友となれるだろう、そんな予感すらした。
「私が間違いを犯したときに叱り、力が足りない時には手を貸してほしいのです。そして精霊族と共に、力を合わせてほしい。それを、願います」
「精霊族と……」
「彼女達は、人間達にない特別な力を持っている。滅多に姿を見せない彼女達と、一緒に旅をすることになって、困惑されていることと思います。……でも、彼女達は、僕達よりも優れている神のような存在というわけじゃない。泣いたり、傷ついたりするんです。だから……西の大陸から逃げてきたんだ……」
自分の拙い言葉だけでは、伝わらないかもしれない。それでもカイは、必死に思いつくことを声に出した。彼らにわかってほしかった。精霊達のことを。自分の気持ちを。
「彼女達と、友達になってほしいんです。僕は、精霊と人間と協力して、生きていける場所がほしいんです。……お願いします」
もはや、その場の誰も何も言おうとしなかった。ここにいるのはほとんどが庶民階級の技術者や農民だ。彼らにしてみれば遠い存在である皇族が、ここまで真摯に自分たちに対してものを請う姿など、想像すらつかないような事態だったに違いない。互いの顔を見合わせたり、ひそひそとささやき交わしたりしながら、一様に彼らのまとめ役―ユグノーが口を開くのを待っていた。
「……」
ユグノーは、渋い顔をしていた。あごひげをしごきながら、どんな返事を返すべきか思案しているように見える。カイは胸を締めつける苦しい鼓動を我慢して、待っていることしかできないでいる。
「いいじゃねぇかよ、ユグノーの旦那」
重苦しく、耐え難い沈黙を破ったのは、意外なところから割り込んできた男の声だった。
「カーサ!」
ルディルが叫んだ。人をかきわけて、大柄な亜麻色の髪の青年がカイの傍にやってくる。その後ろから美しい乙女がついてくるのを見て、カイも目を瞠った。
「どうしたの、マリスニール?」
「カーサと二人で、様子を見ていたのだけれど……」
「カーサ、いきなり何を―」
「ルディ、止めんな。旦那、ここまでこの皇子様が頭下げてんだ。いいじゃねぇかよ。それによ、精霊っつっても特別なわけじゃないぜ。それよりなにより、性格も顔も最高な別嬪だよ」
言いながら、カーサはマリスニールの肩を抱き寄せた。これには周りだけでなくカイも仰天する。
「マリスニール……!?」
「何だか……懐かれてしまったようなの……」
困惑しかうかがえない表情で答えるマリスニール。彼女にかまわず、カーサはあっけらかんと続ける。
「な? だから皇子様の頼み、聞こうぜ。話してみたらけっこう楽しいってこと、人間相手だってあるだろ?」
「しかし―」
「何だよ、苛々すんな。男だったらうだうだ文句並べるよりまず行動だ。マリスニール、あんたの仲間で別嬪なの、みんなこっちに呼んで来いよ」
「え?」
「カーサ……?」
カイ達が茫然としている間に、カーサはさっさと指示を出して、マリスニールを精霊達の船へ向かわせてしまった。
「ま、待て。ここに精霊を呼んで、何をするつもりだ」
一番最初にユグノーが気を取り直し、カーサに詰め寄ったが、やはり彼は飄々と答えただけだった。
「実際に自分で確かめるのが一番だろ。あんたの目で見て、話ししてみて、それで一緒にやってけそうだと思ったらそうすればいいじゃねぇか。な、皇子様よ?」
「あ……う、うん。それはそう……なんだけど。でも……」
「そうなんだよ。お前もちゃんと断言しな」
あれだけ自分を奮い起こして決心し、ここへきたというのに、突然やってきたカーサにどんどん場を仕切られてしまって、カイは半ばついていけずにいた。だが、何にもこだわっていないようなカーサの様子には、救われる思いだった。
自分の気持ちを、わかってくれるかもしれない相手が、ここに一人いたのだ。
「そうだね。思い切って、今からでも彼女達と交流してみませんか? 短い時間でもいいですから……ユグノー殿」
「…………」
いらだちと戸惑いとその他の様々な感情で複雑に歪んでいたユグノーの顔は、しばらくしてマリスニールが戻ってきたのを知ると深い深い溜息によってあきらめ一色に染められた。対照的に、カーサは大喜びしている。
「すっげぇな! ほんとに絶世の美女ばっかりじゃねぇか! なぁみんな!」
たまたま彼の近くにいた、数人の男達は同意を求められて一瞬固まったが、すぐに全員大きくうなずいた。マリスニールを筆頭に、とにかくやって来た五人の精霊達はみなそれぞれ趣の違う美貌の持ち主だった。
人間達の中に、女性はいない。目的が短期間の生活と大陸の視察という試験的なものだったから、皇帝アルトスは今回の視察団を男のみで構成した。反対に精霊族はもともと女が多くを占める種族だから、どうしても女性ばかりになってしまう。
そういう事情も考慮して、精霊と人間の船は分けられていたのだが、ほとんど初めて対面した両者を見て、カイははらはらしていた。まず、人間達が落ち着きをなくしていた。カーサは最初から興奮していたが、他の者は完全に美の力に圧倒されていた。救いを求めてカイはカーサに視線を向けたが、彼はすでに再びマリスニールに話しかけるのに夢中になっていた。
(みんな、どうしていいかわからないんだ。―僕も、だけど……)
だがとりあえず確実なのは、この場をまとめる誰かがいなければ、互いに気まずいままだということだ。意を決して、カイが前に進み出ようとしたそのときだった。
「カイ! あれ? みんなここで遊んでたの?」
ユグノーの方、つまり船尾側から転がるようにやってきた小さな者を反射的に受け止めてから、カイは紫の双眸を見開いた。
「エリル? どうして―まさか、この船にいたの?」
「うん。起きたらカイいなくて、一人で遊んでたらここに来ちゃったの」
そういえば、カイが先程一度寝室に戻ったときエリルはいなかった。気になったが、朝のうちにマリスニールが連れて帰ったのだろうと勝手に納得していた。しかし、思い返してみると他ならぬ彼女が先ほど『エリルを迎えに来た』と言っていたのだ。 「エリル……ずっと、この船に?」
「そうなんでさあ」
答えたのは、エリルと同じところから人をかき分けて近づいてきた、小男だった。顔も身体も、真っ黒に汚れていた。
「俺っちが、ずっと今まで面倒見てやした。ユグノーの旦那は朝からご機嫌悪そうで、ちっと声はかけにくかったもんで。俺ら仕事の合間に順番に遊んでやってたんでやすが、連絡しねぇですいやせんでした」
「え……いやあの……」
「もちろんわかってやす。この子も精霊なんでしょう? 髪の色ですぐわかりますって」
「な、何!?」
先ほどから、ユグノーは驚いてばかりである。カイは、エリルを抱き上げたまま、曖昧に笑う。
「ええと……。エリル、この人にちゃんとお礼を言って?」
「うん! ありがとうね、ソージャ!」
ソージャというらしい男は、にこにこしながらエリルの頭をなで、カイに軽く会釈してからまた戻っていってしまった。カイはまだ茫然としているユグノーに向き直った。
「あの、ユグノー殿」
「う、うむ」
お互いに、それ以降が続かない。言葉を探して焦るカイだったが、意外なところから救いが来た。
「ねえ、遊ぼうよ?」
エリルだった。屈託なく話しかけられたユグノーは、またしてもこぼれんばかりに目を見開き、カイは思わず声が裏返った。
「エリル! 駄目だよ、そんなふうな言い方をしたら―」
「どうして?」
「どうしてって……」
精霊族に、相手を敬う言葉遣いや、相手を高めるという観念はない。カイは言葉に詰まったが、とにかく小さな精霊をたしなめた。
「とにかく、駄目なんだよ。あとでちゃんと説明してあげるから」
「うん……」
「いえ、よろしいのですよ、殿下」
す、と手が伸びる。無骨で乾いていたが、その手はおずおずと動き、優しくエリルの頬に触れた。きゃっきゃっと、無邪気な子供の笑い声が響く。
「ユグノー殿……?」
エリルを見つめるユグノーのまなざしが思いの外優しくて、今度はカイが驚く番だった。ユグノーは、柔らかい表情のままカイに視線を移し、ややためらいを感じさせる口調で尋ねてきた。
「この子を……抱いてもよろしいでしょうか?」
「え? それは……エリルがいいのなら」
半ば惚けたままカイが腕の中のエリルを見下ろすと、何の含みもない笑顔が目に飛び込んできた。つられてカイも笑い、ユグノーの腕にエリルを移動させた。
「……軽いな」
ぽつりと、ユグノーのこぼしたつぶやきの中に、深い情愛を垣間見たと思った。