まだそこで待っていたマリスニールは彼の姿を認めると破顔したが、彼の伴っている同族にはやや不思議そうな視線を投げかけた。
「誰? 光の精霊と……闇の精霊ね? 一緒にいるなんてめずらしいこと」
近くにいても特に影響しあうことはないが、相反する属性の精霊達はあまり互いに干渉しあうことは少ない。カイもそれを知っていたから最初は驚いたが、ウライユとアディルドが強い結びつきをもっていることは何となく察せられた。遠い道のりを、共に旅してきたからこそだろう。
四人で東屋に座り、カイはマリスニールに簡単に謁見の間での話を聞かせた。話が進むにつれ、青い乙女の形よい眉がひそめられた。
「ひどい。精霊達の恩恵があって、大地は潤うのに。どうして精霊族を追い出すようなことをするのかしら。許せないわ」
「ええ……でも、私達が何よりつらかったのは、愛した人達の子供達の声と言葉で、否定されたことだわ……」
ウライユはまた涙ぐみ、彼女を宥めるようにアディルドがその手に触れた。彼女の心の痛みを、マリスニールは自分のものと同じように感じられるのだろう、唇を覆ってしばらくは何も言わなかった。
(つらいよね、それは……)
カイはそれほど詳しく知っているわけではなかったが、精霊の愛を受けた人間は、その血の中に祝福を受けるのだと、炎の乙女から聞いたことがあった。祝福は子孫にも受け継がれ、美しい容姿や只人では持ち得ない色彩などを先天的に備えるようになるという。代を重ねればそれらの特徴は薄れていくが、精霊達にとって愛した人の血を引く子供達はいつまでも特別な存在なのだ。
ここへ来た精霊族は、そんな人間たちから疎まれたのだ。カイは精霊達への同情と、西の人間達への怒りに拳を握りしめた。
ウライユが落ち着くのを待って、カイは話を再開した。
「それで、彼女達は南へ行きたいんだって。でも、南っていったい何があるんだろう?」
「南? 海を越えたところ?」
「ええ、そうよ。精霊達がたくさんいるわ。人間も、みんな精霊を好きなんだって」
カイは海の向こうにそんな場所があることなど、今まで聞いたことはなかった。そもそも、南方への調査はまだ行われておらず、人の住む場所があるのかすら不明だった。首を傾げていると、それまで無言だったアディルドが補足した。
「西からここへ着いたとき、この地の精霊達と何度か話をした。私達に心を寄せてくれたが、ここはもうすでに私達のすべてを受け入れられるほどの場所はないという。南の大地は広く、そこならば安らかに暮らせるだろうとすべての者が口にした」
精霊達はこの世界中に住んでいる。精霊は自然そのもの―大別すると風や水や炎や大地、そして光と闇である。精霊の中には、そうした属性を利用し世界を巡る者もいるという。恐らく、そんな精霊の一人が南の大地を知っていたのだろう。
「それなら、そうなんだろうね」
「そして、月の色の髪と暁の瞳の若者のことも聞いた。この地で強い力を持つ炎の精霊が好いている者だと。彼ならば、きっと力を貸してくれることだろうと、教えられた。だから、ここへ来たのだ」
数瞬おいて、カイは腰を浮かせて立ち上がった。ウライユは謁見の間で自分の目の色を差して『暁』と表現していたことを思い出す。
「僕のこと……なの?」
「そのようだ。マリスニールの力はとても強い。それにカイの髪と瞳は、月と暁の光に似ている」
カイの戸惑いにもアディルドは態度を変えず淡々と話すが、カイのほうは紫の瞳を揺らしてマリスニールとウライユ、そしてアディルドを落ち着きなく見つめるだけだった。
「それで、カイに何をしてほしいの?」
マリスニールが、カイに代わって問いかけると、闇の精霊は半ば予想どおりの答えを返した。
「ウライユが言ったとおり、少しの間力を取り戻すために休みたい。カイ、そのためによい場所を、どこか教えてくれないだろうか」
カイの困惑は深まる一方だった。
「そう言われても、僕はほとんどカーデから出たことがなかったし……。カーデなら、たぶん気候もいいしゆっくり休養もとれると思うけど……」
「カーデ」
「でも、僕の領地ってわけじゃないから、―皇帝陛下の許可がないと」
アルトスは意志の強固な人物で、真に政治家でもある。何の国益にもならない以上、精霊達の事情だけでカーデを開放してくれるとは思えなかった。
(僕には何もできないよ)
けれど、青い髪の乙女はしっかりとした口調で断言したのだ。
「わかったわ。カイ、私からもアルトスに説明するから、会いに行きましょう」
「マリスニール!?」
「ウライユ、アディルド。あなた達と一緒にここへ来た精霊達は、今どこに?」
「海辺にいるわ。ここから西のほう。海を越えたから、特に水の精霊がとても疲れているの。私達全員を無事に運ぶため、力を使い切ってしまって」
「そう。ではとりあえず、あなた達はここにいてくれる?」
「……感謝する。マリスニール、カイ」
何か言おうと口を開きかけるカイを、炎の精霊は視線だけで制した。彼女に気圧され、彼は再び謁見の間へ足を進めることになった。
「どうしてこんな強引に?」
すれ違う者達に聞こえないよう、カイは隣を歩くマリスニールにささやきかけた。彼女もまた、小声で返す。
「これからアルトスにきちんと説明するわ。でもとりあえずは、こんなふうに一つの大地に急に精霊が増えるのは、危険なのだと考えていてちょうだい」
「危険?」
「魔力の均衡が崩れるの。精霊族は人間よりも、世界と魔力に近い存在だから……」
彼女の言いたいことの半分も理解できなかったが、彼はとにかく彼女に任せることにした。彼女の黒い瞳が、今まで見たことがないくらいに真剣な色を帯びていたからだ。
「カイ様!」
もうすぐ目的地というところで、ルディルが駆け寄ってきた。やはり怒ったような表情で、カイの腕をつかみ、引きずって歩き出した。
「ちょっと、ルディル!」
「陛下がお呼びです。まったく、どうしてそうふらふらするんですか!」
皇帝のほうでも、一刻も早く報告を聞きたかったと言うことだろうか。カイ達はおとなしくルディルに案内されるままについていき、謁見の間ではなく皇帝の執務室へ通された。
「お呼びでしたか、陛下。遅くなりもうしわけありません」
「カイか。……マリスニール殿も一緒とは」
「先ほどの件について、彼女からも助言を聞きたいと思いまして」
本当はマリスニールのほうに主導権があるのだが、適当にごまかしてカイは彼女にうなずきかけた。人間の作法にもすっかり慣れた乙女は優雅に礼をして、真っ直ぐにアルトスを見つめて話し始めた。
「精霊達が大勢、西から逃げてきたと聞いたわ」
「うむ。宗教弾圧に耐えきれなくなったからだと、彼らは言っていた。それで、マリスニール殿。同じ精霊族として何か意見がおありか?」
アルトスが渋い顔なのは、マリスニールの口調のせいだ。彼女は必要なときは人間の作法には従うが、よほどの時でない限り自分たちのやり方を通している。生まれてからずっと命令する者だった彼にとっては、やりにくいのだろう。父が彼女と会話するのを見るたび、カイはこっそり楽しい気持ちになる。
「同じ精霊族として、というよりも、あなた方を心配してこうしてここへ来たの」
マリスニールは、早口に言葉をつなげる。
「なるべく急いで、西からの精霊達を南へ連れていかなくてはならない。けれど一度に移動させるのは無理ね。何度かに分けて行きましょう」
「……なぜかな?」
「急に一つの大地の上にたくさんの精霊が集まれば、大気に満ちている魔力の均衡が崩れて、爆発してしまうからよ」
息を呑んだのは、どちらが先だったか。皇帝は勢いよく椅子を蹴って立ち上がり、カイは瞠目して一瞬思考を停止させた。
「今、何と……何と言った!?」
「精霊が急に増えたら、大地が爆発すると」
「どういうことなのだ!? 詳しく説明してもらえるのだろうな?」
「もちろん。そのために、ここへ来たのよ」
何とか心身の硬直を解いたカイは、深呼吸を何度か繰り返し、自らマリスニールを促した。
「詳しく教えて、マリスニール。さっき言ってた精霊が魔力っていうものに近い存在っていうことと、関係あるんだよね?」
「ええ」
神秘の乙女は、アルトスを椅子に座らせると、重々しく口を開いた。
―様々なものから、世界は成り立っている。大地、水、炎、風、樹木、光、闇……たくさんの恵み。動物や人間はその与えられる『物』を糧として生き、精霊族は世界の至る所に満ちている何か……『魔力』と彼女達が呼ぶものを直接取り入れている。それゆえ精霊はその力に近しく、生きられる限界までいきついたときはそれに変化して消えるのだという。
マリスニールの危惧は、精霊族の生態に起因していた。魔力は繊細で敏感で、徒に刺激してはいけない。そして、生き物の暮らす場所はそれぞれに魔力の性質も異なっており、異質な物と混ざり合うまでに時間がかかるという。
「それで……西からの精霊が大陸の中に入れば、危険だということか」
「そうよ。今はまだ、ウライユとアディルド以外の精霊はここから西の海辺に固まっているから、それほど危なくはないわ。だからすぐにでも、南へ行くための準備をしてほしいの、アルトス」
「南か……」
そう呟いたきり、アルトスは沈黙した。考える時間をくれとカイとマリスニールは退室させられた。
が怒ってばっかりなのもうなずけます。
この後ろ向きで情けなくて精霊への人望だけが
取り柄のカイ君が(ひどい)どう変わっていくのか。
それがテーマの一つでもありますので見捨てず
見守っていて上げてください……。次章で、
カイは旅立ちを決意します。