しかしカイにとって、アルトスは自分に冷たい顔しか見せない、他人に近い存在だった。幼少時に愛しんでもらった記憶もほとんどない。控えの間で名を呼ばれるのを待ちながら、彼は何度も何度も溜息をついていた。
「そんな不機嫌な顔をしないでください」
付き添いでやってきたルディルがすかさず口を出す。乳兄弟だからこその遠慮のなさは、この二年間でカイにとって疎ましいだけのものになっている。
「陛下の御前ではちゃんとする。それでいいだろう?」
「そういう問題ではありません。どうしてそんなに、陛下との謁見をいやがるんですか?」
「……」
カイはますます眉間にしわを寄せ、むっつり黙り込んだ。ルディルがもう一度何かを言いかけたところで、入室の許可が与えられる。
「それじゃあ行くよ」
「―はい」
ルディルを見ないまま、カイは謁見の間に足を踏み入れた。個人的な用向きであることは事前に知らされていたので、アルトスの周りに兄の他に家臣達がいないことには驚かなかった。彼が目を瞠ったのは、ここにいる可能性が限りなく低い存在を見つけたからである。同時に、その二人を観察して自分が呼ばれた理由も見当がついた。
「挨拶は抜きで、本題に入らせてもらう」
口上を述べようとしたところを、皇帝自身が遮った。カイとよく似た、しかし微妙に異なる色彩の白金の髪に、強い光を秘めた暗褐色の瞳をもつアルトスは、気難しげな顔でまずカイを、次いで例の二人のほうに視線を巡らせた。
「お前にも、すでにわかっていることと思う。この二人が何者なのか」
「……はい」
アルトスの言葉は曖昧だったが、ぼかしたことがなんなのかは、件の二人の容姿から明白だった。
一人は男性。漆黒の長い髪は地に届くほどで、同じ色の瞳からは一切の感情を読みとれない。白皙の肌が、髪と瞳のために強調されて見える。もう一人は女性で、アルトスやカイと同じような銀色に近い色の髪をしている。彼女の目は金色だ。
どちらも、人ならざる美貌の持ち主だった。男性のほうはともかく、女性の瞳の色は、どんな者にも彼女が神秘の一族であることを示す。そしてカイは、マリスニールを初めとする多くの精霊と幼少時から交わって育ってきたため、かの一族独特の空気のようなものに敏感だった。
「どうして、こんなところを訪ねてきたの? それに、どうやってここまで来たの?」
柔らかく、銀髪の青年は二人に語りかけた。精霊達は、人間のような仰々しい挨拶や改まった態度を嫌う。彼の親しみを込めた言葉に、まず女性のほうが安堵の笑みを見せた。
「あなたに会えて嬉しいわ、優しい人。途中まで、風の精霊達が力を貸してくれたのよ。−あなたの目は、本当に暁と同じ色をしているわね。とても綺麗」
「ありがとう。僕はカイ。カイ・メルス・ロータ・マジェス」
「私はウライユよ」
ウライユの髪を優しく撫で、今度は彼は男性のほうに身体ごと向き直った。
「君は闇の精霊だね。ここまで来るのは大変だったでしょう?」
「……そうでもない。ウライユが計らってくれた」
「でも、明るいところは少しつらいいでしょう? 来てくれてありがとう。会えてとても嬉しいよ」
闇の青年の表情が、微かに和らいだ。
「私も、同じ気持ちだ。私の名はアディルド。カイと呼んでもいいだろうか」
「もちろん。よろしくアディルド」
精霊族にとって互いに名を明かしあうのは、親愛と信頼の証である。カイの名乗りに、精霊達は安堵を表情に浮かべた。カイもまた、彼らが心を開いてくれたことを嬉しく感じた。
「陛下」
「うむ」
これで自分の役目は半分終わりだ。アルトスは突然やって来た精霊達を訝しみ、カイを使って彼らの意図を図ろうとしたのだ。精霊のことを知ろうともしないくせに、徒に警戒するアルトスに対して、ますますカイは不快感を募らせた。
「神秘の種族の方々。あなた方がなぜ突如この宮殿に現れたのか、私はそれを訊きたく思う」
皇帝の問いかけに、ウライユはちらりとカイを見やり、カイが軽くうなずくと口を開いた。
「海を越えた西に、人間達がラジェーンと名付けた大地があることを、知っている? 私達はそこから逃げてきたの。しばらくの間休んで力が戻ったら、さらに南へ行くつもり」
「西のラジェーン……。その大陸には二つの王国があったはずだな」
「そう。でもね、西の大地の人間達は、最近私達精霊族を疎んじ始めたの。”カミ”というもののために、私達が邪魔だって……」
ラジェーン大陸の情報は、マジェス皇国にも入ってきていた。しかし表向きの国交がないため、一般の国民達は存在すら知らない者の方が多いかもしれない。宮廷のごく限られた者達だけ、外交上の必要で詳しい情報を得ているが、それでも彼我を隔てる海の存在で、すべて明らかになるわけではない。ウライユの口にした”カミ”については、幸いカイや皇帝達に心当たりがあった。
「ラジェーン大陸で、近年新たな神の教えが広まりつつあるということだったな」
「はい。唯一の光神エルネイスを崇めるもので、アルバート・フェイネルという男が民衆を中心に布教しているとか」
アルトスに答えたのは、カイの兄ヴェアルだ。彼に少し遅れ、カイもエルネイス教についての概要を思い出す。確か光の神エルネイスは、世界を創り出したときから闇の神ネルフィードと敵対しており、千の昼と千の夜の戦いを経て、千一日目にエルネイスが勝利し、ネルフィードの身体を千に切り刻み、世界の礎としたという話だったはずだ。
「そうか」
ラジェーンを調査した者からの報告にあったあることに思い至り、精霊達がなぜ西の大陸から逃げてきたのか、彼は理解した。
「闇の神ネルフィードの眷属として、精霊族は……忌み嫌われるようになったと……」
それまで冷静さを保っていたウライユは、彼の言葉にくしゃりと顔を歪めた。彼は手を差し出して、彼女の肩をそっと抱いてやる。
「苦しかったろうね。よくがんばったね」
アディルドはあからさまに感情を面には出さなかったが、内心重いものを抱えているのだろうと、カイは闇の青年にも同じように手を伸ばした。彼はその手を取って自分の額をそっと押しつけると、すぐに離した。
「陛下」
込み入った話になりそうだった。カイはウライユを抱き締めたまま、アルトスに退出許可を求めた。アルトスのほうも、この件はカイに任せたほうがいいと判断したようで、ほどなくカイは二人の精霊をつれて先ほどの東屋へ向かっていた。