「彼女がね、どうしてもあなたに知ってほしいことがあるって。……さっき、私がすぐに駆けつけられなかったのは、そのためもあったの。ごめんなさい」

「知ってほしいこと?」

 マリスニールの言葉を反芻するカイに、ルシエは静かに歩み寄り、躊躇いがちに彼の手を取った。

「……許してあげてほしいの。サージェンはあなたを傷つけようとしたけれど……本当は、彼はとても苦しんでいて、悲しい気持ちでいるの」

「ルシエ?」

「サージェンは話すなと言ったけれど、あなたには彼の気持ちを知っていてほしいから」

 ルシエは、そこで一度言葉を切った。何かを決心するかのように、深く息を吸い込んで、表情を引き締める。

「彼はずっと、カイ、あなたがここへ来る日を待ち望んでいた。あなたと会って、あなたと話して、……あなたと名前を預け合って……あなたの手で、殺してもらう日を」

「――っ!?」

 彼女の口から出るのはそぐわないような不穏な言葉も、もちろんカイを驚かせていた。が、それよりも彼は、ルシエが突如身をよじり地に倒れそうになったことに狼狽し、あわてて彼女を支えようと腕をさしのべた。

「……大丈夫。それより、話を」

 額にじっとりと汗を浮かべながらも、水の少女は気丈にカイを見つめ返した。マリスニールが彼女に寄り添い、その身体に手を添えた。

「ありがとう、マリスニール……」

「私では、あなたの苦しみを楽にしてあげることはできないけれど」

「いいえ。覚悟していたことだから……」

 それでもなお苦しげなルシエを見かねて、カイは彼女に『魔力』を送り込んだ。少しずつではあったが、ルシエの顔から苦悶が消えていった。

「ありがとう、カイ。――話が途中だったわ。サージェンは予言者だから、先のことがわかってしまう。それは彼にとって、ずっと苦しみだった。彼には、この地が穢れをためていったまま、いつかどうにもならなくなることがわかっていた。彼は、それをずっとたくさんの人に話していたわ。彼の一族の人にも、そうでない人にも。だけど、誰も彼の話を理解できなかった」

 ラルジェア一族の中に、“聖なる子”が二人も現れたこと、それこそが血の穢れが一族すべてに及びかけている証なのだと、サージェンは過去に何度も一族の者達に主張してきた。しかし、彼の言うもう一人の“聖なる子”――ユアニ――はただの病だと、一族の他の者は反論した。そして、凝った血を正常に戻すために必要な外の血も、ラルジェア一族を神聖視する大陸の民からは取り入れることができない。近い未来の滅びは明白だというのに、サージェン一人ではそれを止めることはできそうになかった。

 だが、彼は絶望することはなかった。同じくらいにはっきりと、彼には“視”えている未来があったからだ。海の向こう、この大陸の外の地から、銀の光の朝焼けが訪れる、いつかの日の光景。

「まさか、それは……」

「あなた達のことよ。私が彼と一緒にいるようになってから、毎日のように彼は私に話して聞かせてくれた。『私の運命は、あの海を越えてやってくる』と」

 ――彼の想いを、理解できた気になっていた自分が、腹立たしく情けなかった。彼はずっと、たった一人で戦っていた。カイが安穏とカーデで過ごし、その日々を失ったからといって徒に時間を浪費していた間も、彼はいつ来るかもわからない自分を待ち続け、信じ続けていてくれたのだ。

 何という、強い意志。切なる願い。

 彼にその想いを抱かせたのは、彼の妹とあの真白き人の存在だ。生まれたときから孤独なまま、何一つ持たずにただ一人死を待つだけだったエーレ、あの人をずっと見続けてきたサージェンが、心の底から祈ってきたのは。

「彼は……ラルジェア一族と大陸の民との間の関係を断ち切り、人々に新しい生き方をさせたいんだ。そしてラルジェア一族も、純血という枷から解き放とうと……エーレのような、寂しい人が生まれてくることのないように」

「エーレと話したりするのは、サージェンとユアニだけだったわ。本来、“聖なる子”は生まれ落ちてすぐにどこかへ連れ去られ、そのあとはどうなるかわからないって。でもサージェンは、ずっとエーレを世話していたわ。そのかわり、エーレのいるあの村には、彼以外のラルジェアの者は誰も寄りつかなくなって……エーレの持つ澱に触れたくはないからって……」

 カイは、強く拳を握りしめた。奥歯をかみしめ、沸き上がってくる大きな感情の波に耐えた。

 今、カイもその願いを心に抱いた。この地に長い年月存在していた、“何か”を変えなければならない。サージェンの望みを、必ず自分が叶えてみせる。

(だけど、どうして?)

「どうして、彼は僕が……殺すことを望んでいるの?」

 ルシエは、泣き出しそうに顔を歪めたが、涙はこぼすことなくカイの質問に答えをくれた。

「彼は、ラルジェア一族の者。その彼を、外からやってきたあなたという人が殺すことは、この地のすべての者にとって大きな衝撃となる。事実、あなた方はサージェンの予言をすべて信じ、ただ成就を待つことはしなかった……」

「それって……?」

「三年前の、あの火事の時のこと。そればかりかカイ、あなたは私の言葉を聞いて、『魔力』まで使えるようになったわ」

 カイはそこで、ようやく知ったのだった。『魔力』を抑えることができず、暴走寸前になっていた彼に、助言を与えてくれたのはルシエだったのだ。

「ルシエ……」

「あなたがどんどん『魔力』を使えるようになってから、ずっとサージェンは言っていた。カイの存在は必ず、変化のために必要な転機となると……そして、サージェンは……っ!!」

「ルシエ!?」

 胸をかきむしって、ルシエはとうとう地に倒れ伏した。彼女を楽にしてやりたくて、『魔力』で癒しを施そうとするカイだったが、今度は何の効果も現れているようには見えない。

「ルシエ。あなたが彼のためを思ってしていることでも、これはやはり『彼の想いを裏切る』ことになってしまうわ。もうこれ以上は……」

「『想いを裏切る』って……?」

 マリスニールの一言で、カイはルシエの今の苦しみの原因に思い至る。

 ルシエはサージェンと名前を交わし合った――『契約』をした精霊。無上の信頼と無類の愛情のもとに成された聖なる約束は、同時に互いへの裏切りを決して許さない。 もしも片方が相手の心とは裏腹の行いをした場合、『契約』のための媒体となった名前が、そこに込められた『魔力』を発動させ、ひどい苦痛を与えるという。

 サージェンはカイの手による死を望んでおり、いくら彼を想うためとはいえ、ルシエの今の行動はその彼の心とは反するもの。ゆえに、彼女は今苦しみを味わわなければならないのだ。

 ――そして同時に、ルシエを悲しませているサージェンの行動も、彼自身を苦しめているはずだ。

「ルシエ。僕はもう、わかったから。君の気持ちも、サージェンの気持ちも。……彼を殺すことなく、彼の願いを叶える道を、きっと見つけ出すよ」

苦悶のために虚ろなまなざしの彼女を、カイはそっと抱擁する。

「僕も、サージェンを殺したくはない。サージェンは、僕にとってかけがえのない人だから」

 彼に与えられたものは、計り知れない。カイが今こうしてあるのは、あの日のあのとき、彼が“言葉”をくれたからだ。叱咤して、励まして――『信じている』と、『待っている』と言ってくれたからだ。

 何があっても、自分に彼を殺すことはできない。

「彼を助ける。きっと」

 腕の中で、ルシエが大きく震えた。すぐに小さな嗚咽が聞こえてきて、カイは優しく彼女の背中をなで続けた。







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