カーサの身体が、青の予言者から唐突に離れた。はじき飛ばされた、と言ったほうが正しい。サージェンの周りでは、すさまじい勢いで空気が螺旋を描いていた。黒い髪が、長い衣が、吹き上げられている。
(髪が……?)
三年前は腰の下まであった彼の長い髪は、今は頭を取り巻くほどでしかなかった。彼の操る風は、村の中を荒れ狂っていた。祭りが終わったばかりの喧噪の名残だけでなく、大切なこの年の実りまでをも、天へ巻き上げようとしている。
「『堅牢なる緑の巨人よ』!」
その風に、カイは呼び出した自分の『力』をぶつける。緑は大地を象徴する色、風の荒ぶる力を相殺し得る『力』は、地面を隆起させ風を止め、消し去った。
「……ここまで、君は成長したのだね」
「いったいどうして、こんなことを? 村の一年分の大切な蓄えに、君は――!!」
「カイ・メルス・ロータ・マジェス」
未来を告げるときの、厳かな声音で、予言者はカイの名前を口にした。反射的に、カイは身体を強張らせてしまう。
「ラルジェア一族に伝わる『魔力』を行使する方法、それをここまで使いこなせるようになるとは思わなかった。君はこの大地にとって、この先災いとなる」
「……!?」
返す言葉もなく、大きく目を見開いているカイの隣に、ルディルが寄り添ってサージェンに怒声を放った。
「ふざけるな! お前は三年前、自らカイに近づいて、あれだけ親しくなっておきながら!」
「そうだ。カイがどれだけお前に懐いてたか、知らねぇなんてぬかしやがるわけじゃねぇだろうな!?」
カーサも、カイを庇うように目の前に立ちはだかった。
「それとこれとは、関係のないことだ」
何事にもまったく揺らがない、神性すら感じさせる強いまなざしで、サージェンはそんな二人を見返していた。
「カイは、ラルジェア一族と大陸の民の間にずっと存在していた秩序を乱した。『魔力』を自在に行使し、ラルジェア一族の存在を脅かす。―未来に凶兆を見たゆえに、私は……」
サージェンが、片手を高くかざした。
「カイを、この手で殺さなければならない」
ルディルとカーサは、それぞれの知る戦いの型で身構えたが、『魔力』の攻撃の前に何の役にも立たないことは、彼らも承知しているはずだった。
「駄目だよ……早く逃げて、二人とも」
「何言ってんだよ。そんなことより、お前は村の連中をちゃんと守れよ。ここにいる中じゃ、お前にしかそれができねぇんだからな」
「カーサ、来るぞ!!」
ルディルが、鋭く警告を発する。再び、サージェンは風を集め始めていた。先ほどよりも勢いのある風―嵐にも似た力を。
(どうしてなんだ……サージェン!)
村人達を傷つけようとしていること、自分に攻撃してきたこと、そして……自分を、殺すと、はっきり口にしたこと。
すべてが夢のようで、カイは守りのための『魔力』を発動させることすらできず、立ちつくしていた。信じたくない。サージェンが戻ってきたこのときは、本当は皆が笑って喜びに溢れていなければならないはずなのに。
「――おやめなさい!」
女の声とともに、すさまじい炎が渦を巻いてカイ達とサージェンの間に落下してきた。 熱の塊はサージェンの風を吹き散らし、直後カイは後ろから強く抱き寄せられた。
「マリスニール!」
「あんた、今までどこで何してたんだよ!?」
「ごめんなさい。あとで説明するわ」
胸の前に柔らかく、しかし必ずカイを守ろうとする意志を以て回されている白い腕は、確かにカイを愛する炎の乙女のものだった。彼女もまた祭りのため一緒に村へやってきていたのだが、今朝から姿が見えなかった。
「サージェン。あなたは本心から、カイを殺そうと思っているの?」
抑えているがよく通る声で、彼女は真っ直ぐにサージェンに問いかける。彼女の声音の中にも答えるサージェンの瞳にも、何の感情も表れてはいなかった。
「殺すよ。“時の河”の中に、災いを見た。カイがその元凶となる。災厄の元を断つために、私達予言者は先の出来事を知る。だから……カイは私のこの手で」
「そんなことはさせないわ!」
叫んだのは、マリスニールではなかった。小さな人影は、決然と両手を広げ、カーサとルディルの前に立ちはだかっていた。
「イニル!?」
「危ねぇぞ、下がってろ!」
「だって、こんなのおかしいじゃない! あたし達みんな、サージェン様がカイ様に『力』を教えていたことを知ってるわ! どうしてそのときに、カイ様が悪いことの元になるって……ううん、それよりもっと前、カイ様達がここへ来るときにどうしてわからなかったの? そのときには何もなくて、三年も経ってからこんなことをするなんて、絶対におかしいわよ!!」
「そ、そうだ!」
まくし立てたイニルの後に、別の男が続いた。
「先の出来事がわかるなら、三年前にわかっていなきゃ変だ! カイ様達をこの村に受け入れるようにと言ったのは、サージェン様、あんたじゃないか!」
「その通りだ!」
――村人達が、次々に口を開き始めた。異口同音に、サージェンを責めたてる。その言葉を、カイは空虚な気持ちで聞いていた。
そして、その中でサージェンは―一瞬だけ、ふわりと微笑んだのだ。
(サージェン……?)
「なるほど。村人達をも味方につけたようだね」
この状況に、彼の表情はあまりにそぐわなくてカイは瞬きしたが、その間にすでにサージェンは冷たい表情でカイを見返してきていた。まるで、あの笑みは幻だったかのように。
「今は退こう。しかし、君は必ず、私が殺すよ。カイ」
「っ、サージェン!?」
最後の最後で、ようやくカイは言葉を発することができた。三年間、再会を望んできた友人の名前を、呼ぶことができた。
それなのに、彼はその声が届くよりも前に、踵を返して歩き出していた。
カイ達の住む村にはすぐにカーサが連絡に走り、精霊達を数人連れて戻ってきた。サージェンを迎え撃つために、カイ達の住む村に戻らなかったのは、カイを守るために村人達も協力を申し出てくれたためもあったが、ユアニのことを心配したからでもあった。
ルディルが、サージェンの妹にしてラルジェア一族の一人である白い髪の娘を、こんな状況で一人村の中に残しておくことに不安を感じているのは、カイにも察せられた。ユアニのほうも、サージェンの行動を目の当たりにして受けた衝撃は大きかったようだった。
その夜カイは、寝台に座ってうずくまっていた。自分のためにサージェンをどうにかしようと、額を寄せて相談している数人の声が、階段を上って聞こえてくる。話の内容まではわからないが、カイにはそれ自体がつらかった。
サージェンを捕らえるのだろうか。だが、彼は強大な『魔力』を行使できる。仮にそれが成功したとして、村人達は彼をどうするつもりなのだろう。
(殺す……の?)
サージェンを。つい三年前まであれだけ尊敬して、頼りにしていた青年を。カイを待っていてくれた人を。たくさんのことを、カイに与えてくれた彼を。
(サージェン、僕はやっぱり……)
彼は、自分を殺すと言った。実際に攻撃もしてきた。なのに、カイの心に彼への憎しみや怒りは、まったく沸いてこないのだ。渦を巻いている感情は、疑問と、悲しみと、名前のわからない強い想いだけだ。
「僕はどうしたらいいんだろう、サージェン……」
たとえ彼が再びカイを傷つけようとしたとしても、自分には彼に反撃することなどできはしないだろう。けれど、殺されたくはない。
どうすれば。
堂々巡りばかりで、答えの出ない問いが、ずっとカイを苛んでいた。息を詰め、顔を両手で覆った彼の銀色の髪に、ふと優しいぬくもりが降りてくる。
「……マリスニール?」
「ついてきてほしいの。誰にも見つからないように、静かにね」
いたわるように、マリスニールは一度だけカイの額に口づけて、そっと彼の手を引いて促した。彼は乙女の導きのままに、窓から夜の空気の中に身を躍らせた。
ひやりと澄んだ夜の中を、二人は静かに進んでいった。距離も時間も感じられず、目に映るものだけが変わっていく。いつしか、カイは背の高い木々の中を、奥へ奥へと進んでいた。
それは、突然だった。樹木に埋め尽くされていた視界が、不意に明るく開けた。その場所だけを、なぜか周囲の木々が護るように取り囲んでいるのだった。
月と星の光で銀に輝く不思議な場所に、カイは二つのものを見出した。
「しばらく、あなたともこうしてお話しできなかったわね、カイ……」
癖の強い、長い水色の髪。ひっそりと、少女のまま時を止めたかの如き美貌の水の精霊は、静かに立ち上がりカイに悲しげなまなざしを向けた。
彼女の傍に、石を積み上げて作られた小さな小さな塔があった。目にしたのは初めてだったはずなのに、彼はなぜかそれが何かを知っていた。
「これが……エーレの墓なんだね?」
水の少女――ルシエは、沈黙のまま首を縦に振った。
サージェンのこのあとのことが、なかなか決まりませんでした。
見えてこなかったというか。あまりに思いあまって、カイと
対談してみたりしたおかげで(笑)、ラストまで書き上げられた
次第です。カイの意志がとても強いことに、私も驚いたラストです。