収穫を祝い、それをもたらしてくれたすべてに感謝する祭りは、辺りが暗くなるとすぐに松明を灯すことから始まった。
カイ達も準備を手伝った。いつも生活を共にする人々と、特別な何かのために力を合わせるのはカイには新鮮だった。こんな期待感と高揚感を味わえるのは、一年に一度だけなのだ。
村長が、杯を掲げた。麦から造った酒を一斉に飲み干し、それからは歌があったり踊りがあったり、とにかく賑やかだった。
初めてのことにいちいち驚くばかりで、広場の隅で杯を手に立ちつくしていたカイに、白い装束のサージェンがそっと耳打ちしてきたのは、かなり夜も更けてきたころだった。
「これから、収穫の祭りにおける私の務めを果たす。君にも手伝ってもらいたい」
「手伝うって、何をすればいいの?」
「私と一緒に、炎を呼び出してくれれば」
サージェンの装束も、やはり今日の祭りのための特別なものだという。彼はカイの肩にも同じ白の布をかけさせ、手を引いて広場の中央へ進んでいった。
「サージェン様」
「カイ様!」
村人達が、二人の名を口々に呼んだ。面映ゆい気持ちでカイは視線を地面に落としたが、サージェンはまったく気にした様子はない。毎年、同じ事を経験してきたためだろう。
しつらえられた台の上に、カイはサージェンと並んで立った。村人達の視線を一身に浴びることになって、ますます居心地が悪かったが、彼を励ますようにサージェンは腕に触れてくれ、次いで村人達に向き直った。
「再び訪れる冬の前に、大地よりもたらされた恵みに感謝を」
厳かに、静寂の声で彼は言葉を紡ぎ出し、両手を真っ直ぐ前に伸ばし、何かを抱えるような仕草をした。
「恵みを育てたもの、これはその姿なり」
彼の手の中に水の珠が生まれ、瞬時に巨大な蛇のような姿となり天へ駆け昇った。
――おお……!
人々の間から、ざわめきの空気が漏れた。サージェンはかまわず、再び口を開く。
「恵みを助けたもの、これはその姿なり」
次に現れたのは、風だった。不可視の流れは、その場にいた者達の髪を、服を巻き上げ肌を嬲り、やはり天へ昇っていく。
「恵みを守ったもの、これはその姿なり」
今度は、サージェンの両手の中には何も現れなかった。代わりに、玲瓏たる歌声が突如周囲を満たし、響き渡った。
大地が唄っているのだった。土の中に秘められた生命の力が、顕現しているのだ。それは世界を讃美する強い歌声であり、あるいは安らぎそのものの子守唄でもあった。
やがて歌は、最後の音をかすれさせて消えていった。サージェンはそれを確かめてから、カイに視線を向けた。
「カイ。最後の『恵みを励ましたもの』は、君が呼び出すのだ」
「僕、が?」
サージェンは黙っていたが、きっぱりとうなずく。カイは戸惑い、そんな彼にサージェンは重ねて言った。
「君にならわかるはずだ。『恵みを励ましたもの』が」
「『恵みを励ましたもの』……」
サージェンの青い双眸が、自分に注目する、人々のまなざしが、とても真摯だったからカイは懸命に考えた。
恵みを育てたものは――水。
恵みを助けたものは――風。
恵みを守ったものは――大地。
これは、世界を構成する四つの重要なものだと、以前サージェンが教えてくれた。残る一つは火なのだが、火が『恵みを励ました』とはいまいちカイには腑に落ちない。むしろあの火事のときのように、すべてを無に帰してしまうものなのではないだろうか。
だが、それ以外の何かと問われれば、カイにはやはり答えられない。
(恵みを励ます……。育てたのは、水。助けたのは、風。そして守ったのは大地)
カイはじっと自分の爪先を睨みつけて、考えた。サージェンが、彼が答えを出すのを待っているのを感じる。答えを出せると、信じているのが。
ぱちん、とどこかの松明が爆ぜた。途端にカイは暑さを意識する。
次の刹那、彼ははっと顔を上向けた。緊張に震える両腕を、胸の前に持ち上げる。
恵みを励ましたものは、やはり火なのだ。
「……恵みを励ましたもの、これはその姿なり」
カイの掌の間に、炎が生まれた。明るく輝くそれは、燃える光の珠となってゆるゆると昇っていく。
「わあ、お日様みたい!」
子供が一人、歓声を上げた。
太陽の光は、畑の作物になくてはならないもの。その熱は確かに『恵みを励ます』のだ。
カイはサージェンを振り向いた。目の前に優しい笑顔があって、彼は誇らしさでいっぱいになった。
彼に喜んでもらえた。彼の期待に応えられた。なぜだかそれだけのことが、純粋に嬉しい。
「カイ様!」
「サージェン様!」
わあっ――と。
彼らの名前と、感謝の言葉を人々は一斉に叫んだ。そこここで杯を合わせる声が挙がり、一気にその場は喧噪に包まれた。
カイもまた高揚した気持ちのまま、ルディルやカーサ達と抱擁しあい、杯を干した。普段口にしない酒のせいで、ますますカイの気分は高まって、自分でも何をしているのかよくわからない状態で、彼はしばらく人々と一緒になって騒いでいたようだった。
意識がはっきりしたのは、視界いっぱいにたくさんの銀の輝きが飛び込んできたからだった。寄せては返す一定の音の中で、カイはそっと身体を起こした。砂浜の上に敷かれた布の上に、彼は寝かされていたのだった。
「祭りはまだ続いているよ」
彼の隣に、サージェンが座っていた。
「一晩中、ああして皆騒ぐ。一年に一度、この日のために経験した疲れや苦労を、喜びに換えて表す。それが、祭りなのだよ」
サージェンの声で紡がれる言葉は、物語のようでも詩のようでもあり、カイを陶酔させた。もっともっと、いろいろなことを聞きたいと思った。彼の声で、様々なことを語ってほしい。楽しいこともつらいことも、悲しいことも幸福なことも、すべて。
「君と会えて、僕は本当に幸せだよ。サージェン」
カイの想いは、こんな言葉となってふとこぼれ落ちていた。
「僕を待っていてくれたって、あのときそう言ってくれたのが嬉しかった。今まで僕は、そんな気持ちを誰かに向けられたことがなかったから。嬉しくて……だから、そう言ってくれたサージェンのために、がんばりたいと思った」
「……」
「君と、友人になりたい」
どんなふうに切り出せばいいのか、ずっと今までカイは考え続けていた。精霊と友になるのは、とても簡単なことだった。でもそれと同じやりかたでいいのか、ずっとわからなくて。カーサと親しくなりたいと思ったときも同じように悩んだけれど、いろいろなことがあって、気づけば友人というよりも身内のような関係になっていた。
だから未だに、どうすればいいのかカイにはわからなくて、こうして素直に切り出すしかなかった。
固唾をのんで返事を待っているカイの横で、サージェンは青い目を丸く見開いて――吹き出した。
「わ、笑うことないじゃないか!」
小さく笑い続ける彼に文句を言いつつも、言葉の選択を間違えてしまったのかとカイは赤面した。
しばらくして笑いが収まってから、サージェンは立ち上がり、波打ち際に近づいていった。
「そんなふうに言われたのは、初めてだ」
「うん……僕、こういうときにどう言えばいいのか、よくわからなくて……」
「そうではない。――私と友人になりたいと言ってくれたのは、君が初めてだということだ」
「えっ?」
サージェンはカイに背を向けたまま、柔らかな潮風に長い黒髪を流している。
「この大陸の民にとって、ラルジェア一族は支配者に等しい。畏怖し崇める対象であって、自分たちとは異なる存在なのだと、彼らは認識している」
「そんな……」
「ラルジェア一族も、民との間に区切りをおいている。自分たちはアルヴァンテスの民を導き、守る者なのだと……言い換えれば、民を見下しているのだ」
サージェンは海を見つめたままなので、カイから彼の表情はわからない。声の中からもいかなる感情も読みとれない。それがたまらなく、カイを心細くした。
「多くの者達は、このことに何の疑問も抱かない。これがあるべき姿なのだと、何の抵抗もなく受け入れている。……数十年に一人しか現れないはずの、白い髪と赤い瞳の子供についても」
カイは、唇を噛んだ。徐々に時は流れてもまったく遠ざかっていかない、エーレの最期の姿。
「だが、いつか誰かが違和感を覚えたことだろう。私でない誰かでも。……私は、“それ”が自分であったことと、変化の瞬間をもたらすのが君であったこの運命に……心から感謝し幸せだと思っている」
「サージェン……?」
正体の知れない不安が、どんどんふくれあがる。カイはとうとう腰を浮かせ、サージェンに歩み寄ろうとした。
しかしそれより先に、サージェンがゆっくりと振り返った。彼の青い瞳の中に込められた、名前のわからない想いのあまりの強さに、カイは足を止めて立ちつくした。
「君は、私が伝えたかったことをすべて聞いてくれた。私が見せたかったものを、すべて見てくれた。―君に出会えて、私の運命が君で、本当によかった」
突然、カイの目の前が完全な暗闇に閉ざされた。それだけではなく、意識までもが急速に遠のいていく。
必死に、サージェンを求めて腕を伸ばしたのだと思う。しかし、指は空をつかむばかりで、焦燥感の中でカイは気を失った。
翌朝、人々は祭りの痕跡を片づけ始めた。船に残してきていたカイ達の仲間も、全員が村へやってきた。
そして――青の予言者は、その日から忽然と姿を消した。