「……なぜだ」
こんな呟きがアレクスの口から漏れたのは、彼がヴァリスの家にやってきてから半日経過したあとのことだった。
右手にほうき、左手にははたき。足元にはぞうきんとバケツ、背後にはきっちりとひもで束ねられた反故の紙束。それらは、彼が全身全霊でこの部屋の清掃に打ち込んだことを証明していた。
「ふあぁ〜〜〜〜。ん? あれ、何でこの部屋片付いてるんだ?」
呑気な欠伸と共にやってきて、あっけらかんと言い放ったヴァリスを見た瞬間、なぜか掃除に熱中してしまった自分に心底疑問を抱いてしまったアレクスであった。
ひょんなことから知り合った、銀髪に青紫の翼の天使ヴァリスとは、今でも親しい交流を続けている。ヴァリスの家の裏庭で、気がすむまで戦闘を繰り返したりすることもあれば、ヴァリスのほうからアレクスの家に訪ねてくることもある。今回のアレクスも、何の気なしに彼の家のほうに足を向けたのだ。
扉を開けるなり、アレクスは目の前の現実を疑った。
普段通される部屋も、けっこうものがたくさん溢れていた。しかし今日は玄関を開けるなりすさまじい光景が目に飛び込んできたのだ。
まず目立つのが、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの酒瓶。その間に、開封されて中途半端に余っているつまみ。当然床はいろいろ散らかっているし、なぜか天井にまで真新しいシミがある。銃やナイフなどの危険な代物までが無造作に散乱し、そんな室内を気をつけて歩いていった先に――この家の主である青年が、豪快に手足を広げて床の上に寝転がっていたのだった。
とりあえず、アレクスは彼を起こしにかかった。ヴァリスの服はよれよれで汚れていたし、床の上で寝ていると起きたとき絶対に体中が痛い。だが、酒が入っているヴァリスは普段よりも睡眠に対して貪欲だった。
「ヴァリス、起きろって」
「〜〜〜〜〜〜」
「ヴァリス!」
「……!」
「うわっ!?」
かなり本気の裏拳に危うく額を割られそうになり、アレクスはヴァリスを放置することにした。
「…………」
時刻は、とっくに『朝』である。もうすぐ『昼』になる。爽やかな陽気で、ぽかぽか暖かい。
そんな日に、家の中をこのままの状態にしておくことは、アレクスにとっては何となく許せないことだった。単に整理魔とも言う。
ヴァリスのいる空間だけを残し、アレクスはローブを脱いで身軽な恰好になると、まず酒瓶を集め始めた。中身が残っているものは台所に運んでおき、空のものを一箇所に集め、大きめの箱を探してきてその中に入れた。ヴァリスの酒量がどれだけかは知らないが、いくら何でも一人では飲みきれないだろうという数の空瓶があったので、何人かがここで昨夜宴会を開いたのだろうという推理ができた。できたところでどうしようもなかったが。
次に、食べ物類を整理する。酒と同じく、残っていてまだ食べられそうなものは台所に運び、蓋付きの皿が運良く見つかったのでそこに入れておいた。生ものの分類が終わったところで、アレクスは家中の窓を全開にした。
置き場所がわからなかったので、自分の家に一度戻り、ほうき、はたき、ぞうきんとバケツを持ってくる。まずはたきをかけたのち床をほうきで丁寧に掃き出して埃を外に払い、魔法で水を出してバケツにため、ぞうきんがけをする。椅子などを一度外に運び出したので家の中は広くなり、終わるころには汗だくになっていた。
しかし、まだ掃除は終わらなかった。ある一室に入ったとき、アレクスは見つけてしまったのだ。いつのものだかわからない、古い古い反故になった紙を。しかもかなり膨大な量だった。拭き掃除はそこで一端中断し、アレクスは再び自宅へ戻り丈夫なひもをとってきた。それで紙を束ねてまとめ、運びやすくしてから外へ出し、改めて拭き掃除を再開した。
そして……。件の呟きがこぼれたころには家の中はすがすがしいくらいに綺麗に片付き、まるでそれを見計らっていたかのようにヴァリスが爽やかに起き出してきたのだった。
「お前……どうやったらあそこまで無頓着になれるんだ」
「そうか? 別に何とも思わなかったけどな」
「…………………もういい」
深い深い溜息に、彼の心中がすっかり現れていた。アレクスはできあがった書類をまた一枚、机の脇にかさねた。既にちょっとした書類の山が築かれている。
そう、アレクスが格闘している相手は、ヴァリスが処理しなければならない事務的な書類の山だった。と言ってもプライベートなものなので、目を通すのは専らヴァリスで、アレクスはそれらを分類して持ち出しやすいようにしているだけだが。
反故の束を見て、突然思い出したらしい。ヴァリスは書斎に入って、几帳面にもアレクスが反故の中からより分けていた書類軍を目の当たりにして、げんなりしていた。期日が迫っていて、もし一秒でも遅れたら同僚からのすさまじい制裁があると臨場感たっぷりに語ったヴァリスに根負けし、アレクスはしっかり手伝っているのだった。
「俺はお前の秘書じゃないんだが……」
「お、いいなそれ。また忙しいときに臨時秘書になってくれねぇ?」
「辞退させてもらう」
秘書どころか、また掃除洗濯までしてしまいそうで怖い。漠然とではあるが、自分の性格をいちおうは理解しているアレクスだった。
「アレクス」
「何だ?」
いったん書類の山を移動させようと、席を立ちかけたアレクスに、羽根ペンを走らせたままでヴァリスが声をかけてきた。
「サンキュ」
短くて、聞き取れないような小さな声で発せられたその言葉。
アレクスが返したのは苦笑だったが、気持ちは晴れやかだった。
勢いだけで書いたものの、封印していた「桃花水」の後日談
(エルスヴァージョン)です。ファロウ様のところの9999切
り番をいただいて、これを見ていただいて今回アップするこ
ととなりました。アレクス、もしかしてと
思ってたらやっぱり世話好きでしたな(笑)。