砂の王国
――時の流れというものは、この砂に似ているかもしれない。
レトはいつも、流砂を目にするたび思う。
豊かな大河の恩恵を受ける国に生まれ、育ちながらも、レトは流砂の音をより好んだ。罷り間違えば大きな渦となる枯れた大地の死体が、もしかするとこの自分を消し去ってくれるかもしれないから。
「……愚かなことだ」
すっぽりと身体を隠すマントの奥から、彼はつぶやいた。鳶色の視線の先には、巨大な四角形がある。
ずっとずっと、時を経た彼方のこの地で――いや、広い広い世界のどこでも――いずれこれが異国の言葉で『ピラミッド』と呼ばれるようになることを、彼は知っていた。彼は未来を見ることができる。
まだ半分も出来上がっていない建造物を透かして、彼は完成後の姿を見ていた。見たいと思わなくても、見えてしまうのである。『ピラミッド』はこれから十年の月日をかけて、多くの犠牲の上に完成する。しかし、砂漠からの風がそれを覆い尽くしてしまうのだ。そうまでしてなぜ、『ピラミッド』を建てようとするのか、レトには理解できない。
「いずれすべて、この王国すらも滅ぶのにな……」
知りたくもない出来事を、強制的に見せられつづけてきたために、レトは二十四という実際の年齢よりもずっと年老いた外見をしている。その彼が淡々とつぶやく様は、物悲しく儚かった。
王の墓の建築に使う石は、まず大きな岩に四角い穴をいくつもあけ、そこに木の楔を打ちこむ。楔に水をかけると木が膨張するので、石が削り取られるのだ。その石は、ナイルの川の中に沈めて船で引いて運んでいく。
ウセルの今回の仕事は、楔を配ることである。今日はかなり暑い。腰を下ろして一息ついて、彼は汗をぐいとぬぐった。
(ふう。けどもうすぐ、うまいビールと飯にありつけるからなぁ)
ウセルは農民だ。けれどこの時期はまだ農耕には向かない。もうすぐ川が氾濫する。彼らが大地を耕すのは、川の水が引いてからだ。いつもなら、一日中家族と一緒に家で内職などをしているのだが、今年は王の墓建造のための召集がかかったので、彼も加わることにしたのだった。何しろ食事が家のものよりずっと豪華だし、賃金ももらえる。
「おいこら! 休むなよ! 手が空いたんならこっちも手伝ってくれや!」
今日の夕食のことを考えてにやにやしていたウセルに、あきれたような声がかかる。つい数日前まで顔も名前も知らなかった男が、切り出した石に縄をかけているところだった。
短い褐色の髪をかきつつ、ウセルは立ち上がった。
手のあいている農民たちは、毎年すすんで『ピラミッド』造りに参加してきたと聞いた。多くの犠牲が出ることを見ていたレトは初め彼らを止めようと思ったが、すぐにやめた。誰も彼の話を信じはしないだろうからだ。
(何をしても無駄……私が何をしようと、変わらない)
彼がこれまでの経験から出した結論だった。自分の無力さも、いやというほど味わってきた。もう何もするまいと、彼は決めていた。
巨大な墓は、少しずつ高さを増していく。壁面に沿うように土で足場を作っていき、そこをたくさんの石灰岩が上っていく。
(ああ、もうすぐあの岩が落ちるな)
レトは視線を、今しも岩を運び終わろうとしている人足達に向けた。その岩は一瞬の隙に傾いて、十数人の男たちを使者の国へと連れていってしまう。
幻が現実となる瞬間を、レトは見届けようとはしなかった。もう何度も何度も、その光景に悩まされてきたのだ、いいかげん、解放されたかった。
踵を返し、歩き出した彼の背中に、複数の悲鳴がぶつかって消えた。
引きとめる妻の手を、振り払ってきてしまった。何しろ、ウセルの家はお世辞にも裕福ではない上に、家族が多い。彼が工事に参加するだけでずいぶんと助かるのだ。
もうこの仕事場に来るのも何度目だろう。すっかりなじみになってしまった仲間たちと挨拶を交わし、ウセルも仕事に取り掛かる。
「なあウセル、あれ見たか?」
「あれ?」
隣で働く男が何を言っているのか、ウセルは一瞬わからなかったが、すぐに合点がいった。
「墓の守護者だろ? もちろんだ。なんとも偉大で、頼もしいじゃないか。王の墓にふさわしい」
「そうだな」
人頭獣身の巨大な石像も、ウセル達が運んだ岩から作られている。彫りの作業も本格的に進んできている。毎日毎日、その行程を眺めているだけで無性に彼らは嬉しくなる。長年携わってきた仕事が、どれだけ偉大でどれだけすごいのかを、実感できる。
「俺達のほうも、がんばらねぇとな。何しろ王様は毎年毎年農閑期の俺達に仕事をくださるんだからよ」
「それに、うまい飯も出してくれる」
「そうだなぁ」
二人の会話に耳を傾けていた他の人足達も、そこでどっと笑った。
「おう、そうだ」
ふと思いついて、ウセルは小さな鑿を腰からはずした。目の前の石の表面に、へたくそな字でひとつの言葉を刻んでいく。
<俺達の偉大なる王、万歳>
『スフィンクス』は、長い間砂嵐にさらされて、やがて沈んでしまうのだ。
さめたまなざしで、レトは造りかけで放置された巨大な守護者の像を眺める。これほど大きく、力強く造られながらも、『スフィンクス』はこの国を守りきることはないのだ。
やがて、この国は外から攻めてきたまったく別の王国の支配下に置かれる。その支配を断ち切る者も現れるが、同時に彼は新たなる征服者を連れてくる。王の一族の血は外部のそれに冒され、やがて美しい女王の非業の死をもってこの国は精神の滅びを迎えるのだ。そうして、この地は蹂躙されつづける――。
「悲しいことだ。だが、しかたのないことだ」
止めるすべは、ないのだから……。
「立派なもんだろ?」
立ち去ろうとしたレトを、屈託のない男の言葉が捕まえた。
恐らく農民だろう。日に焼けた健康そうな肌と、頑強な体躯の褐色の髪の男だった。年齢はレトと同じくらいか。肩に野菜や果物が少しだけ入った籠を担いでいた。
「まだまだ完成してないが、嬉しくなるよな。俺達が長い間努力してきた甲斐があるって、あれを見ると実感できる」
「……墓を造っているのか?」
「ああ、俺は主に石切りだ。あんた、旅の人か?」
男はごく自然にレトの横に並んで立った。人嫌いのレトにまったく警戒を抱かせずに、男はにこにこと話しを続ける。
「俺は楽しみだよ。俺が死んだあともずっと、俺達のやったことは残るんだ。そう考えると石も重くなくなる。暑さも我慢できる。不思議なもんだな。俺が見ることのできない先のことが、俺を励ましてくれるんだ」
「……無駄なことだ」
言わずにはいられなかった。男の嬉々とした様子が、レトの癇に障った。男の想いを、気持ちを壊してやりたいという衝動が、レトを突き動かした。
「この国は外の国の門と接している。外から攻めてくる軍はまず真っ先にこの地を蹂躙する。このように大きな墓など、何の意味もない。守護神の像など、何の役にも立たない。ここは我ら以外の者達に支配され、滅ぶのだ。そう定められている」
見知らぬ男は、どんな反応を示すだろうか。怒りか、それとも不審か。
「この守護神像も、いずれは砂嵐にさらされ沈んでしまう。王の墓は、盗人どもの格好の餌食にされる。お前たちの努力の結果とやらは、そんな終焉を迎えるのだ。それでもなお、墓を造りつづけるのか?」
こんなに話したのは、久しぶりのことだった。レトは荒くなった呼吸を整え、半ば暗い期待に浮かされて男の答えを待った。
「そっか。……やっぱり砂嵐だもんな」
あっさりと、男はつぶやいた。レトは驚いて一瞬息をすることを忘れた。
「王様の墓だもんな、中はすごく豪華なんだろうよ。だけどさ、俺たちはやっぱり墓を造らないとならないさ。じゃないと、俺は金を稼げない」
――なんと単純に、この男は自分の憂いを吹き飛ばしてしまうのだろう。なんと単純に、物事を割り切ってしまうのだろう。
正直で純朴な男の言葉に呆気にとられているレトに、彼は屈託なく笑いかけた。
「それにさ、守護神が埋まったって、大丈夫だと思うぜ。埋まったもんは掘り出せばいいんだから」
埋まったら、掘り出せばいい。
壊れたら、造りなおせばいい。
ウセルはこれまで、ずっとそういう繰り返しを見てきた。どこでだったか、どういう状況だったか、それは思い出せない。日常の生活の、当たり前の出来事だったからだ。
かなり高くなった土台の上、巨大な直方体の石灰岩をウセルは押して進む。石をひとつ運ぶごとに、どんどん王の墓はその形を得ていく。その課程が彼は好きなのだ。たとえ、盗人に蹂躙されるかもしれないとしても。
(不思議な奴だったな)
置いた目をした、不吉なことを語る男が、ぼんやりと頭に浮かんでくる。あの男は、守護神像は砂の下に隠れてしまうと言った。王の墓は――ウセルたちが必死に造ってきたこの巨大なものは結局本来の意味をなさなくなってしまうと言った。
(それでも、俺は)
埋まったら、掘り出せばいいのだ。
壊れたら、造りなおせばいいのだ。
恐らくそのとき自分はこの世にいないだろうが、この先に生まれる命がそれを果たしてくれるように、彼は祈っている。祈りながら、大きく重い岩を運んできた。祈りが現実になる力を信じて、ずっと。
「うわあっ!?」
「危ない!?」
一瞬だった。
腕にかかる岩の重さが増す。ウセルは、自分の身体が傾いで登ってきた道を転がり落ちるのをひどい痛みとともに感じていた。
『ピラミッド』は完成した。そこにどれほどの犠牲があったのだろう。何人の血がしみこんでいるのだろう。
レトの目は、その答えを忠実に写していたが、彼は意識的にそこから意識を遠ざけていた。
あの褐色の髪の男は、どうしただろう。束の間の出会いだったが、男の印象は実に強烈だった。忌まわしい予知の力は、肝心なところで働いてくれない。
(ともかくも、完成したのだな)
――埋まったら、掘り出せばいい。
――壊れたら、造りなおせばいい。
「……?」
風のように、レトの耳をなでていった声。彼は視線をめぐらせるが、周囲に人はいない。ただ、遠くにちらりと動いた褐色が目の端をよぎったような気がしたが、はっとして探したときにはそれはどこにも見えなかった。
代わりに、彼の心の中に浮かんだ風景がある。
「これは……!」
『ピラミッド』と『スフィンクス』だった。ただし、彼が先程まで眺めていたそれではない。守護神の鼻は削げ落ち、三角錐の頭頂部にしか化粧石が残っていない。ずっとずっと先の姿に違いなかった。
(まさか、これは)
埋もれてしまう瞬間の『スフィンクス』にはまだ鼻があった。それが意味するのは。
(――埋まったら、掘り出せばいい……?)
そして壊れてしまったら、造りなおせばいい。
レトは静かに、涙を流した。
8765Hitの緋竜様からの
リクエストです。<古王朝時代のエジプト>
って……わからんわ! 世界史は好きですが
この時代のこの国はまったくの専門外だったので、
図書館で至急資料を探してきました。
古王朝時代はとにかくピラミッドが
有名なので、ピラミッドを造る話にしてみましたが
いかがなもんでしょうか? 難しかった……。
緋竜様、8765Hitありがとう
ございました! 今度は
ギリシアでお願いします(馬鹿たれ)!
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