星の中の天使

 

 

 

 華やかに着飾った男女が笑いさざめく。もっとも、その笑顔が作り物であることなどシーヴァスはとうの昔に知っていた。

「こんばんは、フォルクガング社長」

 元に彼を取り巻いている数人の人々も、瞳の中には冷徹で利己的な光を隠していた。許されるのならば、彼はこんなパーティになど出席しなかったろう。今にも飛び出していきたいという彼の衝動を圧しとどめているのは、社長としての責任という言葉と、傍らでやはり微笑の仮面をつけている女性の存在だった。

 身体のラインを強調する、しかし下品ではない薔薇色のドレスを身につけ、優雅な物腰で招待客たちと挨拶をしている、豪奢な金髪の女性。意思の強いアイスブルーの瞳と鮮やかな美貌が、周囲の視線を惹きつけて止まない。

 彼女は秘書でもなく、ただの一社員に過ぎない。それでもその聡明さと人を引きつける花は会場の中でもひときわ輝いている。と思うのは、決して彼の欲目ではないはずだ。

(誰が見ても彼女は美しく、最高の女性だ)

 自分自身もたくさんの女性たちの注目を集めているがそれにはまったく気づかず、彼は彼女に見とれていた。

「社長」

 抑揚のない声で彼女に呼ばれ、彼は我に帰る。ずっと彼女を見つめていたことに急に照れくささを覚え、努めて事務的な表情を装った。

「アーシェ嬢とその婚約者殿に、ご挨拶に行かなくてよろしいのですか?」

「あ、ああ……。そうだな、そろそろ行かなくては。君も一緒に、マイア」

「なぜです?」

 代理の秘書でしかない自分のことを気にしたのか、マイアは遠慮するように首を振ったが、シーヴァスは再度彼女を促した。

「君を一人にしておくなどという、失礼なことはできない」

「……」

 マイアの白い頬に一瞬だけ赤味がさした。すぐにもとに戻ったが、シーヴァスは見逃さない。

「……わかりました」

 

 今夜の主役であるアーシェ・ブレイダリクは、銀の髪の愛らしい少女だ。少々気が強そうだが、婚約者のミリアスに寄り添う彼女からは幸福感が溢れていて、見ている者の温かい微笑を誘った。

「このたびはおめでとうございます」

「ありがとうございます。この通りの若輩者ですが、これからもいろいろとご指導のほどをよろしくお願いします」

 ミリアスは誠実な人柄のようで、シーヴァスは一目で好感を覚えた。けれども、経営の上ではライバルということには違いない。すでに慣れてしまった駆け引きを何気ない言葉の裏でしつづける。マイアもそれを心得ていて、アーシェと話をしていた。

「あら?」

 談笑の合間に、マイアは少女の胸元に輝くペンダントに目をやった。星をかたどった金のトップの端に小さく『いつまでも幸せに』という意味のフランス語が刻まれていた。

「素敵なペンダントですね。ミリアス様からの贈り物ですか?」

 マイアは優しく聞いたつもりなのに、アーシェは唐突に全身を強張らせた。そして、

「あの、少し喉が乾いたので飲み物をもらってきます。マイアさんもどうですか?」

「え?」

「すみません、シーヴァス様、ミリアス。少しの間席を外しますね」

 アーシェはマイアの返事も聞かずにぐいぐい腕を引っ張って、飲み物のテーブルまで来るとようやく手を離した。

「危ない危ない」

「あの……?」

 わけのわからないマイアは、何をどう聞けばよいのかも整理できないまま、アーシェの顔を伺う。すると、少女は小声の早口でささやいてきた。

「このペンダントのことは、ミリアスには秘密なの! もう、危ないところだったじゃないの」

 口調まで変わっている。マイアのパニックにますます拍車がかかった。

「これはお守りなの。私の友達が、私の結婚のお祝いにってくれたものなのよ」

 それなら別に秘密にすることもないだろうとマイアは言いかけて、やめた。隠さなければならない友達といえば、非常に近しい間柄だった異性ということになる。

「人のいないところに行きましょうか」

 彼女が沈黙したのをどう受け取ったのか、アーシェは二人分のジュースを手に会場の外へ向かう。そこはロビーになっていて、人ごみにつかれたときに休憩するには最適といえた。

 アーシェは高い位置で複雑に結っていた髪を解いて、窓の傍に座った。マイアもそれに倣うと、彼女はもう一つのグラスをマイアに手渡した。

「あなたになら、話してもいいかもしれないって思うの」

 彼女は静かに話し始めた。

「私ね、つい最近まで家出してたの。自分一人で自由に生きてみたくて。他の街で働いていたときに、彼と会った」

 ペンダントを見つめる彼女のまなざしはとても愛しげで、マイアはなにも言葉を挟めない。

「すっごい野次馬で、頭の回転も速い人だった。だんだん仲良くなって、あるとき私は自分のことを彼に話したの。そしたら……怒られた」

 くすりと彼女が笑った拍子に、グラスの氷が揺れて涼しげな音が響いた。

「頭ごなしじゃなくて、真っ直ぐに私を見て諭してくれたの。嬉しかった。私のことで真剣になってくれたことも、私の素性を知っても私自身を見てくれていたことが。そのときに私、彼が好きなんだって気づいた」

「アーシェ様……?」

 少女の声が震えた。マイアは不思議に思って彼女の顔をのぞきこみ、絶句する。彼女は泣いていた。

「でもだめだったの……! 私知ってたから。彼が心から好きな人が他にいるってわかってたから。あの人みたいに強い人が好きになる人なんだから、私には勝ち目がないって、知ってたもの……っ!」

 ペンダントを握り締めて嗚咽する少女に、マイアができることといえば震える両肩をそっと抱きしめることだけだった。

 

「彼女が……アーシェが僕ではない誰かを思っていることは、ずっと前から知っていました」

 壁際に引っ込んで、急にそんなことを話し出したミリアスに、シーヴァスは正直面食らった。婚約パーティにふさわしい話題ではない。

「でも、僕は彼女が大切です。もともと、今まで会ったこともない相手を好きになれなんて無理な話です。僕は幸運にも彼女に恋をしましたが、彼女は僕よりずっと自由な人です。彼女の心がどんなに遠くに行ってしまっても、捕らえる術なんて僕にはない」

 悲しい言葉とは裏腹に、まだ少年の域を抜けきっていないミリアスの表情は穏やかだった。それは、大きな悩みを克服した者だけが得られる心の平安だった。

「だから僕は、彼女を思って待つことにします。疲れきった彼女が戻ってくる家になりたいんです。彼女にそう想われるように、いくらでも努力を惜しまないつもりです」

「アーシェ嬢は、あなたが考えておられる以上にあなたを好いていますよ」

 彼を元気付けたくてそう言うと、彼は笑顔でありがとうとうなずいた。

 自分は彼のように考えられない。虚勢を張るだけの勢いもない。彼が羨ましくて、できればずっとそんなふうに言えるように、シーヴァスは願わずにいられなかった。

 

 

 屋上は風が強かった。せっかく綺麗に結っていた髪がどんどんほつれてしまうので、とうとうマイアはピンを抜いてしまった。きついくせのある金の流れが、地上の輝きを照り返す。しかし、彼女はそんなことにはまったく頓着しない。

 アーシェの言葉が、まだ耳に残っている。

 

『私ね、彼のこと今でも好き。彼がいなかったらずっとわからなかったことがあるもの、とても感謝してる。それからね、ミリアスは私の帰る家なのよ。ミリアスがいてくれると安心できる。だから今の私にとって一番大切な人。二人とも私の恩人だから、どちらか一人だけを好きでいるなんてできない』

 

「感謝している相手と、帰る場所……か」

 アーシェはまだ十七歳。でもそう語る彼女はすでに大人の顔をしていた。年上のはずのマイアよりもずっと。

 恋なんて、うまく生きていくためにじゃまでしかないと思っていた。男たちの勝手な論理だと思っていた。それが少女をあそこまで成長させたことが、マイアには信じられなかった。

「どんなものなんだろう……」

 兄弟とも思う幼馴染みの青年は、人生にとってかけがえのない宝石のようなものと言う。遠くにいる親友は、人間の持つ感情の中で最上のものだと言う。今まで恋を遠ざけてきた彼女には、二人の言葉の意味が理解できない。恋という感情がわからない。

「マイア!」

 名前を呼ばれて、マイアの全身が硬直した。

 誰にも見つからないように抜け出してきたはずなのに。彼女がどこにいるのかなんて、知りようがないはずなのに。

「こんなところにいると、風邪をひく。そろそろ帰ろう、マイア」

 走ってきたのか、額にうっすらと汗を浮かべているシーヴァスは、手にしていた上着を彼女の肩にかけた。反射的に上げた視線が、彼のそれとぶつかった。

「……どうして」

 そう尋ねるのが、精一杯。

「夜景が好きだろう?」

 こともなげに、答えが返ってきて。

 マイアは完全に言葉を失った。

 残業などをしているとき、ふと窓の外を見ると心が和んだ。この街は急ぎすぎて、そのために夜を遠ざけた。不自然に明るい空には星が一つもなくなってしまったけれど、止まることを自ら放棄した地上に、たくさんの明かりがともっているから、空の光が降りてきたのだと彼女は考える。宝石を縫い取った黒いビロードは、もう見られないと知っていたから。

「空の星が降りてきたようだな」

 心の中を言い当てられたようで、彼女はまたしてもうろたえた。頬に血が上ってくる。

(なぜわかってしまう?)

 胸が苦しい。その苦しさはどこか甘くて、彼女はどうしていいかわからない。戸惑いを持て余したまま彼女は上着をシーヴァスに返し、挨拶もそこそこにその場から逃げ出した。

 

 ――難しく考えるまでもなく、すでに自分が恋の中にいるのだということに彼女が気づくのは、もう少し先のことだった。

 

 

 

 


2323Hitの桜花様へのプレゼント、

前回のきりリクの続きです(^^)。シリーズリクエスト

してもらえるのって、なんか嬉しいです。しかし、

まだまだ一歩しか前進していない二人でした。

亀のごとき進展度ですねぇ(自分でやっといて)。

あと、アーシェとミリアスがかけて楽しかったです。

桜花様、ありがとうございました。

 

 

 

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