長い夜の果てに
虫の声が心地よく部屋を満たし、あえかな月光が柔らかくさしこむ。しっとりと静かに過ごすには最適のシチュエーションだったが。
「……」
ヘブロンの若き騎士団長レイヴ・ヴィンセルラスは硬直していた。最初はまだ『困惑』ですんでいたのだが、目の前で、ベッドに座って酒を飲む女性があまりにも艶っぽいので、とうとう固まってしまったのである。はっきり言って、彼はこういう状況に免疫がない。
「ほら、レイヴも飲まないと。せっかくこんな綺麗な夜なんだ、楽しまなきゃ損だよ?」
藍色の髪が、彼女のむきだしの白い肩をするりと流れ落ちる。ぼーっと突っ立ったままの彼に近づいて、しどけなくもたれかかってきた彼女からは、甘い香りがした。
もはや、レイヴは石化し始めている。
こんなところで石になるわけにはいかないので、彼は一生懸命に頭を動かし、なんとか思考の回復に成功する。それでも、打開策は浮かばない。
彼女は陽気で遊び好きでおまけに酒好きで、かなり前から、一緒にいても楽しくないはずのまったく正反対の性格の持ち主であるレイヴのところに、ちょくちょくやってきていた。
「…………………ロルファレリア」
「ローラでいいって。何回言わせるのかねこの男はっ」
ぺちんと、レイヴの腕を軽く叩いて、彼女――ローラは身体を離した。彼が心底安堵のため息をつくのに気づいているのかいないのか。
「せーっかく任務が終わったんだよ? もっと喜んだらどうなのさ。リュドラルとかヤルルは、仕事終わったあとはちゃんとあたしにつきあってくれるのに」
くいくいと速いペースで杯をあけ、あっけらかんと言い放つローラだったが、レイヴのほうは聞き流せなかった。
(確か妖精たちの話によると、その二人はまだ子供だったはず)
当人たちが聞いたら怒るかもしれないが、そう思い出した瞬間彼の中でいつもの規則正しさがつい頭をもたげ、彼女の手からグラスを奪い取った。
「――っ!」
一瞬だけ、二人の指が触れ合った。思いがけないことにどぎまぎしつつ(と言っても、傍目からではわからなかったが)、彼は目を伏せたまま言うべきことを言おうと口を開いた。
「子供を酒の相手にすることは、感心しない。第一、君は……」
目を伏せていたから、反応が遅れたのだ。
口癖のように、何度も何度も彼女に言ってきた決り文句が、唐突にせきとめられた。驚いて身体をひこうとすると、足がテーブルにぶつかってしまいグラスも瓶も床に落ちてしまう。
感じられるのは、唇に触れるかすかな彼女の熱だけ。
「……そうだよ。あたしは天使で、あんたは本来なら『天使の勇者』でしかなかったはずだった」
首の後ろに絡む腕は細くて、力に任せればすぐに離れるのに、彼は動かない。動けない。いつも陽気なローラの声は、今にも泣き出しそうで、抱きしめたいとさえ思う。でもそうしてしまえば最後、きっと自分はとまらなくなる。それがわかるから、彼は呼吸すらひそめて彼女の言葉を待っている。
「あとひとり、あとひとりの堕天使を倒してしまえば、もうあたしはここに来ることができなくなる。……なんでだろう。インフォスが滅びたっていいとさえ、あたしは思ってるよ」
彼女は、その身に萌黄色の翼を隠している。情熱に輝く紫の双眸と、長い藍色の髪の眩しい乙女。破天荒な彼女の性格のために、彼は何度も危険に巻きこまれたが、それすらも魅力だと思えてしまうほどに、明るい光を放っている。
彼女の激しい想いが自分に向けられていると気づいたのは、もうずいぶん昔のことのように感じる。囚われの身となった彼を救うため、全身全霊で戦ってくれた彼女のことが、とても大切だというのは事実だ。けれど、人である彼には、天翔ける翼をとどめるすべなど最初からない。知らぬふりで忘れてしまおうと、心密かに誓ったはずなのに。
……彼女が、それを揺さぶる。壊そうとする。
甘い香り。柔らかな肌。目の前にある、藍色の滝。それらから無理やり意識を遠ざけようとしたレイヴの瞳と、ゆるゆると顔を上げたローラの視線とがぶつかり合った。
「――」
果たして、自分はどんな言葉を口にしようとしていたのか。
枯れてしまった声は意思を伝えることが叶わず、かわりに両の腕がしっかりと彼女を抱きしめていた。
「あたし、絶対に戻ってくる。大天使様たちを何人敵に回しても、さらに神様が出てきたって絶対に。だから、レイヴ……!」
再び重ねられた唇を、もうレイヴは拒まなかった。すでに限界だった。ローラが何よりも愛しかった。
願わくば、と、この夜恋人たちは切に祈った。
――願わくば、このときが最後と神がお決めになるのなら、永遠の闇が世界を覆いつくさんことを。
2121Hitの高橋怜様へのプレゼントです。
……なんかあったのか自分パート2。明るい話に
したかったのに、フタを開けるとこんなどすぐらいのになって
しまいました……。こんなんでよろしいでしょうか怜様。
でも個人的に、くら〜〜〜〜〜〜い恋愛話は好きだったり
します(自分で書くのは)。どこまでも暗くしたくなるんですよね。
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