恋は突然に忍び込む
世界的な大企業フォルクガング・コーポレーションの、とある一社を任されているのは、会長の孫である青年である。当初はその血筋ゆえの抜擢かと誰もが思ったが、二年経った今ではそんなことを口にする者は皆無だ。彼の秘書から臨時雇いまで、若い社長の実力を認めている。……ただひとりを除いては。
ここの社長が他と違うのは、社長室からよく出てくるところである。自分で社内の様子や仕事の進み具合をしっかり把握するためだ。社員たちも、真摯な若い社長の信頼に応えようと、一生懸命に働く。その結果、業績はうなぎ上りになる。もっとも、女性社員たちのがんばりの源は、社長の気持ちではなく外見にあるようだったが。
今朝も今朝とて、早々と出社してきたOLたちが、きゃいきゃいと毎日恒例の話題を繰り返している。
「社長、早く来ないかな〜」
「あの顔を見ないと、仕事に張り合いがないって感じ」
「そーそー」
つまり、シーヴァス・フォルクガングは美形なのである。その上もちろん地位もある。本来なら廊下ですれ違うこともないだろうそんな青年が、ちょこちょことオフィスにやってくるのだから、彼女たちの化粧にも当然気合が入る。ただし、『過ぎたるは及ばざるが如し』ということわざを知らないようで、念入りにいろいろと縫った顔は恐ろしいことになっている。
シーヴァス社長から始まって流行の服で彼女たちの話のネタが尽きたころ、男性社員たちがわらわらとオフィスにやってくる。彼らはとくに女性社員たちの様子に感想を漏らすことなく、各々の机に座って本日の仕事の準備を始める。そんな中に三名の女性もいるのは、すでに定まった光景だった。
ひとりは、ナーサディアという。そろそろ「お局様」と呼ばれる年齢だが、彼女の成熟した美しさの前にそんなことを言える者は誰もいない。それどころか、彼女を「お姉様」と慕う後輩すらいる。
もうひとりは、フィアナ・エクリーヤ。気性のさっぱりした女性で、言いたいことははっきりと口にする。家庭的で思いやりもあり、男女問わず人気がある。
最後のひとりマイアは、先の二人とは対照的に、社内で敬遠されている。物腰は柔らかいし、受け答えも丁寧で美人なのに、誰も彼女を好んで飲み会に誘ったり、声をかけたりしないのだ。そして彼女も、自分からそういった集まりに顔を出さない。「変わり者」と呼ばれているが、それを知っているのに気にする様子もない。
ともあれ、社内三代美女の出社を潮に、他の女性社員たちも机に戻る。そして全員がしばらく仕事をしているうちに、待ちに待った美貌の若社長がやってくるのだ。
「おはようございますっ!」
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
長い金の髪を首の後ろでひとつにまとめ、どちらかというと女性的な顔に柔和な微笑を浮かべた青年は、挨拶する社員ひとりひとりに同じように挨拶を返し、何か言葉をかけている。特に、女性社員たちには念入りに。
これは、毎朝の情景だ。和やかなムードのオフィスから、静かに出ていく人影があるのも。
オフィスを出て、廊下を右に曲がったところに、喫煙所がある。煙草は大嫌いだが、社員が全部オフィス内にいるこの時間帯、ここでは完全にひとりになれた。それに、見つかる心配も少ない。
「まったく……なんだって飽きもせず毎日毎日……」
マイアは、ひっつめていた波打つ金髪をぱさりと解き、がしがしとかきむしった。そんな大雑把な仕草も、決して不快な印象を見る者に与えない。彼女はそれほどに優雅で、美しい。彼女自身は、それをあまり自覚していなかったが。
だから今日まで、気づかなかったのだ。
「マイア君……だったね?」
「――っ!?」
まったくの不意打ちだった。喫煙所の入り口に身体をもたせかけて立っていたのは、シーヴァスだった。
「……何かご用ですか?」
驚いたことを相手に気取られないように、マイアは勤めて平静を装って彼に微笑みかけた。
彼女が笑顔を見せると、決まって相手は赤くなって視線を逸らした。けれど、シーヴァスは変わらず正面から彼女のアイスブルーの双眸を見つめていた。予想外のことに、彼女のほうが顔を伏せた。
「いつも、私がオフィスに入ると席を外すね?」
「……首にしますか?」
柔らかい口調とは裏腹に、彼女は挑戦的に問いかける。つられたのかどうかはわからないが、シーヴァスの表情も不敵なものになった。
「そんなことで、大切な社員を辞めさせるわけにはいかない。だがそうだな、私の仕事を手伝ってもらおうか」
妙な展開になってきたな、とマイアは声に出さずつぶやいた。表面では、変わらず極上の笑顔のままだ。
シーヴァスはスーツのポケットから手帳を取り出し、数ページを繰った。
「今月の24日、ブレイダリク社社長のご息女の婚約披露パーティがあるんだが、その席に私の秘書として出席してほしい」
「なっ……!」
さすがの鉄面皮マイアも、仰天してしまった。懸命に頭を動かそうとするが、パニックになってしまって結論らしい結論が出てこない。咄嗟の出来事に弱いのだ。
「実は、その日に秘書は法事があって、どうしても故郷へ帰らなければならないらしい。代理ということで、君にお願いしたい」
「なぜ、私に?」
「秘書免許を持っていると、履歴書に書いてあっただろう?」
「他にもいるでしょう、秘書免許取得者は?」
「もちろんだ。その中でも特に、君に頼みたいんだ」
「……見栄え、ですか?」
ここまでくると、意地の悪い気持ちを隠すことが難しくなってきた。彼女は険悪な低い声で言いながら、もう一度シーヴァスを見返す。すでに、目の前の青年が自分の上司だということは綺麗に忘れていた。
琥珀と薄氷の青が、しばしぶつかり合った。
「正直、君の顔立ちがとても整っていることは、私も認めているよ。だが信じてほしい、私はそんなことで、大事な場所へ伴う相手を決めたりはしない」
どうだか、とは口にせず、マイアは視線を険しくする。
「君は、語学にも精通しているだろう。それに機転もきくし、聡明な女性だ。来てもらえると、何かと助かる」
「……」
また、無言のにらみ合いが続いた。
五分ほどそうしてから、マイアは少し時間をくれとだけ言ってオフィスに戻っていった。
どうして即座に断らなかったのか、彼女自身疑問に思っていた。
(そばにいるのもいやな相手なのに)
「マイア」
ぼんやりしながら仕事を片づけていると、後ろから声がかかると同時にぽんと肩を叩かれた。
ナーサディアとフィアナが、弁当を持って立っていた。
「昼休みのチャイム、聞こえなかったの?」
「あ……」
あわてて時計を探すと、とっくに正午を回っていた。そんなマイアを見て、フィアナがくすりと笑った。
「どうしたんだい? マイアがぼーっとしてるなんて、めずらしいね。悩み事とか?」
「いや、そんなことじゃない」
群れるのが嫌いなマイアだったが、ナーサディアとフィアナとは気があった。二人とも、個人主義なところがあるからかもしれない。こうして三人で昼食を取るのも、長い習慣となっている。
他の社員は、たいてい外か会社の食堂に食べに行く。オフィスには彼女たち三人の他には、数えるほどしかいなかった。
(彼女たちになら、話してもいいかもしれないな)
見た目よりも栄養を重視した自分の弁当をつつきながら、マイアはふとそう考えた。他にもプライベートなことをよく相談する友人はいるが、彼女は今夫に着いてカンボジアへ行っているので、ちょっと電話をするというわけにはいかない。それになにより、ナーサディアとフィアナは、入社して一年経った今マイアにとって大切な仕事仲間であり、友人と呼んで差し支えない間柄になっている。
逡巡して、マイアは二人に朝のことを話した。彼女たちは黙ってマイアの話に耳を傾けていたが、しばらくしてナーサディアが口を開いた。
「それで、マイアはどうしたいの?」
「……断りたいが、パーティの席には他社の重鎮も多く集まる。今後のためにも、人脈は広げておくべきだとも思う」
「じゃ、いけばいいじゃないか。滅多にないチャンスだよ。それに、これがきっかけで社長秘書に昇進できるかもしれないよ」
「……………………」
「フィアナ。マイアは社長が苦手なのよ」
「ナーサ!」
必要以上にむきになるマイアを、ナーサディアは年上の貫禄で軽く嗜め、きつく波を作る茶色の髪をかきあげながら言葉を続けた。
「じゃあ、なんで毎朝社長を避けているの?」
「……それは……会いたくないから」
「どうして?」
さらに言及すると、しぶしぶマイアは小声で答えた。
「……い……から」
「え?」
「嫌いだからだ!」
やけになった彼女は、大きな声を出した。それに驚いた他の社員たちがいっせいに視線を集中させるが、これはナーサディアの流し目にはね返されてしまった。
注目を集めた本人は、感情的になってしまったことを恥じているのか、黙々と食事に没頭していた。
しばらくそんな彼女をじっと見つめていたフィアナは、やがておもむろに切り出した。
「ねえ、明後日の日曜日さ、あたしと一緒に出かけない?」
「……? どこに?」
「それは今は秘密。あたしが十時ごろあんたの家に迎えに行くから。他に予定とかある?」
「いや、ない」
「じゃ、きまりね」
フィアナがどうして意味ありげに片目をつぶってみせたのか、そのときの彼女には見当もつかなかった。
「お姉ちゃん!」
「来てくれたの、お姉ちゃん!」
「ねえ見て見て、僕ね、跳び箱の四段飛べるようになったんだよ!」
そこに入った途端うわっとたくさんの声が突撃してきて、マイアはのけぞった。フィアナのほうはすっかり慣れた様子で、すべての相手に受け答えをしていた。思わずマイアは、とある歴史上の人物を想像してしまった。
「あ、マイア。あたしちょっとこの子達の相手してくるから、先にエレンのところに行ってて。ここ真っ直ぐ行けば、院長室だから」
「あ、ああ……」
フィアナは人気者のようで、たくさんの子供たちは嬉しそうに笑って彼女にまとわりついている。賑やかにグラウンドに出ていく彼女たちを見送ってから、マイアはしかたなくひとりで歩き出した。
ここはフィアナが幼少期を過ごしたという孤児院だ。理由を話さないまま彼女はマイアをここに連れてきた。せめて建物の中に入る前に、説明を聞きたかったのだが、子供たちのあの勢いに押されて何も言えなかった。
院長室は、本当にすぐだった。建物自体が狭いのだ。マイアは軽く身だしなみをチェックしてから、ドアをノックした。
「はい」
温和な老婦人の声がして、ドアが開かれた。
「あら……どなた? あいにくと今来客中で」
「かまいませんよ、シスター・エレン。私はもう失礼しますから」
声と同じく優しげなシスターの言葉は、まったく耳に入っていなかった。彼女はいっぱいに目を見開き、シスターの背後にいる人物を凝視した。
「君は……。奇遇だな、マイア君」
「な、ど、どうしてあなたがここに!?」
休日ということもあって、ラフな格好をしてはいたが、そこにいたのはまぎれもなくシーヴァス・フォルクガングだった。
驚愕が大きすぎてうまく話せない彼女に、シーヴァスは笑顔を向けた。その微笑が嬉しそうで、彼女は急速に頬に血が上るのを自覚した。
「明日また、会社で。それでは、シスター」
「ゆっくりしていけばいいのに。またいつでもいらっしゃいね、シーヴァス」
――衝撃の冷めないマイアを尻目に、穏やかな雰囲気で彼は帰っていった。その直後、フィアナが外から戻ってくる。
「ごめんね。あれ、エレン。シーヴァスは?」
「ついさっき帰ったよ。フィアナ、こちらの方は?」
「あたしの友達。ねえ、シーヴァスに会った?」
「……………フィアナ」
ぐわしっ! と、マイアは友人の肩をつかんだ。
「…………………事情を、説明してくれないか? 最初から」
シスター・エレンと少し話をしてから、二人は車で帰途に着いた。すっかり薄闇に覆われてしまった空の下、街灯の明かりがボンネットの上を滑っていく。
「シーヴァスはね、あの孤児院によく寄付をしてくれてるの」
フィアナはそんなふうに話し始めた。
「あたしもそのこと知ったのは偶然なんだ。今日みたいに遊びに行ったとき、ばったり会って。それから友達づきあいしてるんだ。秘密だけどね」
「それはそうだろうな」
一社員と社長が友達なんて、周囲に知られたらちょっとした騒ぎになる。
「それでわかったんだけどね、あの人けっこういい奴だよ。最初はかっこつけてるぼんぼんだと思ってたけど、話してみるとなかなか見所あるんだ」
「……今日、私と彼を会わせようとしたのは?」
「あ、気づいてた?」
悪びれた風もなく、冷ややかな顔つきのマイアに、フィアナは悪戯っぽい視線を投げかけた。
「だからさ、あんたが思いこんでるシーヴァス像を崩そうって思ったんだよ。なんかさ、傍で見ててじれったいんだよね。あんたはとんでもない頑固者だし、シーヴァスはシーヴァスで今までにないタイプだからなかなか踏みこめないし……」
「……なんの話だ?」
「……こっちには気づいてなかったか……」
心底マイアが訝しんでいるのを感じて、フィアナは深くため息をついた。口の中で、シーヴァス浮かばれないねとつぶやいたが、エンジン音にかき消されてマイアには聞こえない。
「とにかくさ、パーティに出てみなよ。独立考えてるんなら絶対にプラスになるし、あたしに騙されたと思ってさ」
「……」
マイア自身、昨日までそうと思っていたシーヴァスと、孤児院に寄付をしているというシーヴァスが一致しなくて戸惑っていた。
彼女が彼を嫌っているのは、彼がいわゆる『女たらし』だからである。ただの『女たらし』ならまだ容認できるのだが(幼馴染みに一人いるから、免疫があるのだ)、彼は『女を遊び道具にしている女たらし』だから、許せなかった。
けれど、孤児院で彼が見せた笑顔は、本当に純粋で温かいと思った。いつも見てきた微笑みとは違う、心からのものだった。
(気づかなければよかったな)
会社での彼の振るまいが虚飾であるのなら、彼女自身と同じということになる。
真実を知りたかった。どちらの彼が本物なのか。
「フィアナがそこまで言うなら、引き受けてみる」
――答えを得るためには、彼と何度も接してみるしかなさそうだ。
膨らんでいく彼に対する興味を、彼女はこんな形で認識することにした。
1999Hitの桜花様へのプレゼントです。
シーヴァスとマイアなんですけど……。ラブラブじゃ
ないなぁ……。フィアナさんのほうが出張ってるような……。
シーヴァスとフィアナさんは、とてもいい友人に
なれると思いますね。個人的に。教会つながりなのに、
なんで接触イベントがないんだと
ゲームやりながら思ってました。それが今出たのかも……。
ともあれ、桜花様。1999ありがとうございました。