お弁当のできるまで
今日は日曜日で、天気は晴れ。湿度も低く、風が気持ちいい。こんな日にはどうしたって心がうきうきしてしまう。ヤルルは鼻歌を歌いながらこれからの楽しい計画のことを想像していた。
「ヤルルー! 遊んでないで手伝いなさいよ!」
台所のほうから、姉の怒声が聞こえてきて、ヤルルは首をすくめた。
「はぁーい!」
姉が怒ると恐ろしいことを、生まれて十二年間で身体に覚えさせられている少年は、とたとたと台所に入っていった。
「レンジからポテト出して」
「うん」
長い銀髪をポニーテールにして、せっせと二人分のお弁当を作っている姉アーシェは、おにぎりを握っていた。ヤルルが言われた通りにほかほか温かいジャガイモを入れた容器を渡すと、アーシェは手早くそれをつぶし始める。
「おいしそうだね。楽しみだな♪」
「おいしいのはあたりまえ。あ、そうだヤルル、ティアのところから塩わけてもらってきて」
「塩?」
ヤルルは思いきりいやそうな顔をしたが(アーシェが背中を向けているからできることだ)、お楽しみ計画には絶対に塩がないとだめなこともわかっていたので、靴をはいて外に出た。
(でもなぁ)
このアパートの隣の住人ティアとアーシェは、年が近いこともあって仲がいい。ヤルルもティアのことは優しくて大好きだ。問題は、彼女の兄だった。グリフィンという名前なのだが、いつもヤルルがティアのところにいくたびにぎろっ! とにらんでくるのだ。
(グリフィンさん、怖いからいやだな。そうだ、ラビエルお姉ちゃんのところで借りてこよう!)
ヤルルは自分のアイディアに満足し、逆隣のチャイムを押した。
「はーい。あら、ヤルルくん」
「おはようございます」
応対に出た金髪の美女に、ヤルルは多少赤面しつつもきちんと挨拶した。
佳人はラビエルといって、最近結婚したばかり。優しい物腰とおっとりした雰囲気で、人を包みこむ。
まさに天使と呼ぶにふさわしい彼女は、ヤルルに微笑みながら尋ねた。
「どうしたの? 何か困ったことでもあったの?」
「えっと、あの、塩を少しわけていただけませんか?」
「お塩? ええいいわよ。どれくらい欲しいの?」
「あ……」
分量を聞くのを忘れた。ヤルルはそのことに気づいて「しまった」という顔をした。
(お姉ちゃんも、最初から言ってくれればいいのに)
「あらあら。聞いてこなかったのね? じゃあ、容器ごと持っておいきなさいな。あとで返してくれればいいわ」
「ごめんなさい、ありがとうございました」
ラビエルはヤルルに中へ入るように言って、一度奥へ引っ込んでごそごそしていたが、なかなか戻ってくる気配がない。
「ええと、買い置きの塩は確かここに……」
どこかをあさっているらしい物音に、少しかかりそうだなとヤルルは思った。急いで塩が必要なのだけれど、まさかそんなことを言うわけにもいかず、ちょこんとソファーに座って待つことにした。
「おや?」
もともとそんなに広くないアパートの、無理に分けてある隣室から、長身の青年がぬっと出現して、ヤルルは仰天した。
「君は隣の……」
「はっっ、はい、ヤルルですっ」
「どうしたんだ?」
「え、え……う……」
この青年はラビエルの夫なのだが、何しろいつだって無表情で無口なので、ヤルルは苦手だった。それでもグリフィンより苦手度は低いのだが、できれば顔を合わせたくないことに変わりはない。
「ごめんなさい。時間がかかってしまって。あらレイヴ、もう起きてしまったんですか? 昨日夜勤だったんですから、もう少し眠っていても」
「いや、大丈夫だ。それより、彼はいったい?」
「お塩を借りに来たんですよ。はい、ヤルルくん」
「あ、ありがとうございましたっ。それじゃ」
陽気を受け取るなりダッシュで出ていく少年を、レイヴは黙って見ていたが、やがてぽつりと漏らした。
「何となくだが……怖がられているように思えたんだが」
「そうですか? きっとあまり顔を合わせることがないから、人見知りしたんじゃないでしょうか」
「そうか」
結局、どちらもレイヴが強面だということに気づいていないのであった。
さて、ポテトをつぶし終わったアーシェは、なかなかヤルルが戻ってこないのでいらいらしていた。
「何やってんのかしらあの子。すぐ隣なのに」
早くしないといつまで経ってもお弁当ができないし、せっかくのおかずが冷めてしまう。彼女は玄関に鍵をかけ、ティアの部屋のチャイムを鳴らした。
「おはようございまーす!」
「はぁい」
すぐにレースのエプロンをつけたティアが出てきた。
「ティア、おはよう。ねえ、ヤルル来なかった?」
「ヤルルくん? ううん、来ないわ」
「もう! どこ行ったのかしら」
まさか、こんな小さいアパートで迷子になるわけはないだろう。気にはかかったがそう結論付け、アーシェはティアに塩を貸してくれるように頼んだ。
「塩? ごめんなさい、うちも切らしちゃって」
「そうなの。じゃあ逆のお隣にでも頼むわ」
「あ、待って。私フェリミさんから借りてこようと思ってたの。今行ってくるわ」
フェリミ。
愛らしい容貌と繊細な性格と、何よりも天賦を感じさせる美声の持ち主である彼女らと同い年の青年は、いろいろと複雑な事情を抱えているらしくて、お互いにお人よしの少女たちは差し入れをしたりして何かと彼の世話を焼いている。
「でもフェリミ塩なんて持ってるの?」
かなり失礼なことを言うアーシェに、ティアは苦笑してエプロンを外す。
「塩くらいあるわよ。決して貧乏ってわけじゃないんだから」
彼女はエプロンを玄関にきちんと畳んで置き、奥に声をかけた。
「お兄ちゃん、ちょっとアーシェと一緒に塩借りてくるから!」
「おう」
夜の仕事をしていていつもこの時間は寝ているグリフィンの、めずらしく明瞭な返事が聞こえた。
フェリミの部屋はこの上にある。少女たちは一緒に階段を昇っていった。
もしそこでアーシェがちょっと振り返っていたら、レイヴ・ラビエル宅から出てくるヤルルの姿を見つけたことだろう。
「あれ?」
塩の容器を抱えて自分たちの部屋に戻ってきたヤルルだったが、なぜか扉は施錠されていた。
「お姉ちゃん、どこ行ったんだろう。せっかく塩持って来たのに」
あんまりヤルルが遅いから、自分で塩を探しにいったのだろうか。それとも、何か別のものがなくてどこかに借りに行ったのか。
「どっちにしたって、家に入れないや」
ちょっと出てくるつもりだったから、もちろんヤルルは鍵なんて持っていない。でもこんなところでぼーっと待っているのは退屈だし、空しいからいやだ。
「そうだ、リュドラルお兄ちゃんのところで待たせてもらおうっと」
ちょこちょこ遊んでもらっている上の階の住人の顔を思い浮かべ、少年は容器を持ったまま階段をぴょんぴょん駆けあがり、「203」号室の前に立った。
「お兄ちゃーん。起きてるー?」
今度はチャイムを押さずドアを叩きながら、ヤルルは大声で中の青年を呼んだ。程なくして、ドアチェーンを外す音がしてぼさぼさ頭の青年が顔をのぞかせた。
「おはよう、ヤルル。どうしたんだ、塩なんか持って」
「うん、あのね……」
――かくかくしかじか。
事情を話すと、リュドラルはあくびをしながらも彼を入れてくれた。
「ごめんねお兄ちゃん。寝てた?」
「うん、レポートの提出期限近いから、徹夜したんだ。なんとか終わったけどね」
「ふーん」
義務教育中のヤルルには、大学生にとってどれほどレポートが恐ろしいものなのかまだよくわからない。
「ゲームでもやってなよ。俺、朝飯買ってくるから」
「うん」
言われるやいなや、ヤルルは素早くソフトをセットしていた。巷で話題の大スペクタクルRPGで、かねてから彼は欲しかったのだが貯金がなくてあきらめていたのだ。
「うっわあ! すごーい!」
最新作のゲームを前に、当初の目的をすっかり忘れているヤルルであった。
リュドラルははしゃぐ少年を優しく見つめると、小銭入れをポケットに入れて髪を手櫛でちょっと整えてから、外へ出ようとドアノブに手をかけた。
「リュドラル!」
「わあ!?」
開ける寸前に外からの力でドアが引っ張られた。転倒は免れたが、リュドラルが上げた視線の先には、すごい剣幕のアーシェが仁王立ちしていた。
「ヤルルいるんでしょ!? ちょっと! あんた塩も借りないで何やってんのよこんなところで!」
リュドラルを押しのけて、アーシェはずんずん部屋に入っていく。必然的に外に押しのけられる格好となった彼は、通路の先に茫然とこちらを見ているフェリミとティアの姿を見つけた。
「……何があったんだい?」
尋ねてみるが、二人とも首を横に振るばかり。
開けっぱなしのドアから、姉弟の言い争いがはっきりと響いていた。
「まあ、ピクニックですか。楽しそうですね」
「そうだ、ご迷惑かけちゃったし、ラビエルさんたちもよろしかったら一緒に行きませんか?」
すったもんだのあげく無事にお弁当を完成させたアーシェは、塩を返しにいったときラビエルにそう持ちかけた。
「嬉しい! じゃあ、急いでお弁当用意しますね」
ラビエルは綺麗な金髪を虚空になびかせ、お弁当作りに取りかかった。それを見届けて、アーシェは彼女たちの部屋に戻って、準備を手伝ってくれているフェリミとリュドラルのぶんのお弁当作りを再会した。隣の部屋ではティアが、グリフィンと自分のぶんを用意しているはずだ。
「結局みんなで行くことになったね!」
大人数が楽しいのか、ヤルルは満面の笑顔で彼女に話しかけてきた。
「まったく、あんたのせいでこんな大げさなことになっちゃったじゃない。たかだか近所の公園に行くだけなのに」
「じゃ、お姉ちゃんは嬉しくないの?」
「んー? まあ、嬉しくなくはないけど」
いかにも気乗りしないという口調を作ってはみたけれど、アーシェも心からこの展開を楽しんでいた。このアパートの住人たちとは仲がいいほうだけれど、今まで一度もこんなふうにそろってどこかへ行くことはなかった。
(けっこう、いいわよねこういうのも)
「よし、できたわよ」
バスケットに人数分のお弁当を入れ、リュドラル、フェリミ、ヤルルと一緒にアパートの前に出て待っていると、ティアたちもやってきた。
「さ、行きましょう」
「荷物多いから、車出してやるよ」
グリフィンは気さくに笑ってキィを振りまわすと、近くにいたヤルルの頭をぽんぽんと軽く叩いた。ヤルルは少し緊張したようだが、笑顔を返した。それから、グリフィンにピクニックシートやら遊び道具の入ったリュックを持ってもらい、彼の車を見についていった。
「たまに、アパートの全員で出かけるのもいいですね」
「そうですね」
だいぶ太陽は高くなってしまったが、みんなでお昼を食べてのんびりして、夕方まで楽しく過ごそう。
アーシェはティアとラビエルの会話を聞くと話に聞きながらそんなことを考えていたが、不意にフェリミが小さく声を上げたので怪訝な面持ちで彼を見た。集まっていた他のメンバーも、同じような表情をしている。
「どうしたの? なんか忘れ物?」
「い、いえ。忘れ物というか……」
図らずも全員に注目されてフェリミは面食らっていたが、もともと内気なほうではないのですぐにもとの調子になって話を続ける。
「アパートに住んでる人が、もう一人いたなってちょっと思ったんです。『201』号室の」
「フェリミの隣の人? 見たことあるのかい?」
「いえ、時間帯があわないのか、まったく」
「ちょっと待ってよ」
アーシェが口を挟んだ。
「あんたたち、同じかいにいて一度もその人見たことないの?」
「うん」
「そうなんです」
さらりと頷かれて、アーシェは返す言葉を失ってしまう。
大きなマンションならいざ知らず、全部で六部屋しかないこのアパートで、そんなことがあるものだろうか。
「……人が住んでないわけじゃ、ないのよね?」
「……うん、大屋さんも満員だって言ってた」
「……でもあたしたち誰も知らないわよ……」
たちまち急低下する周囲の温度を振り払ったのは、けたたましいクラクションの音だった。
「おい、なにしてんだよ。車とって来たぜ」
「早く行こうよ!」
すっかり意気投合したらしいグリフィンとヤルルの明るい表情を目にして、一同はもう深く考えるのはやめようと、暗黙のうちに取り決めた。
わいわい賑やかに出発する4WDを、どこかから謎の視線が追いかけていたという話しがあとから浮上したが、事の真偽は誰にもわからなかった。
1234Hitの朔月様のリクエスト
アーシェ・ヤルル姉弟、リュドラル、ピクニック、グリフィンとティア、
をミックスしてみました。フェリミも出てきましたが、
どんな感じでしょう? 最後怪談チックにもなってますが(^^;)。
ま、まあもうすぐ夏だし。
でも今は、塩を借りたりすることないんでしょうねぇ。
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