「祝福を」
恐ろしいくらいに、空は透明で青かった。
「まあ、お美しい。マイア様、このティアラもお似合いですわ」
楽しそうにはしゃぐメイドの若い娘。年かさのメイドが見かねて口を挟んだ。
「アリーチェ、もうお召し物は決まっているのよ。早く準備なさいな。お式の前にマイア様がお疲れになるようではシーヴァス様に申し訳がないでしょう」
「……はい、すみませんマリー様」
一瞬だけおとなしくなったが、アリーチェはすぐに元気を取り戻し、満面の笑顔でマイアの化粧をはじめた。白粉をはたかれ、きつい金色の巻き毛が複雑に結い上げられ薄いヴェールを被せられていく様を、人事のようにぼんやりとマイアは薄青の瞳に映していた。
実感がわかない。この背にもう空色の翼はなく、もうすぐかつて自分の勇者であった青年の妻になるなどとは。
シーヴァス・フォルクガングとの出会いは最悪だったし、なぜ勇者にしようと思ったのかあの十年の間何度も首をひねったマイアだったが、今は間違いなく彼を愛しているしこの日を恐れ半分期待半分で落ち着かない気持ちで待ち望んでいたのも事実だ。
(そもそも不安になる理由など、どこにもないではないか)
結婚は喜ばしいことだ。何がこんなに、不安感を呼ぶのだろう。
「マイア?」
ノックとともに名前を呼ばれた。マリーが扉を開け、声の主を部屋に入れた。
「シーヴァス様! ほら、マイア様はお美しいでしょう?」
アリーチェに手をとられて、マイアは椅子から腰を上げる。ヴェール越しに、黒の礼装姿のシーヴァスが見える。いつも以上に貴公子然として、彼女は思わず息を飲んでしまった。
だが驚いていたのは彼も同じだったようで、しばし二人は視線を絡ませて身動きしなかった。
「……式が始まる。大丈夫かい、マイア?」
「……ああ。段取りは覚えているし、問題ない……と思う」
彼にしてはめずらしい、はにかんだ微笑でシーヴァスは軽く彼女を抱きしめ、退室していった。新郎もいろいろと準備があるのだ。
「さ、マイア様。参りましょう」
アリーチェが彼女の手を引き、歩き出す。
礼拝堂からのざわめきが、聞こえるような気がした。
誓いの言葉も、羞恥のため最後まで抵抗した口づけも予想よりもあっけなく終わり、シーヴァスの腕につかまってマイアは教会の扉をくぐった。その瞬間まぶしい光と無数の花びらが彼女経ちに降り注ぎ、驚いて彼女は足を止めかけた。シーヴァスがそっと手に触れてくれなかったら、その場にうずくまってしまったかもしれない。
笑顔で祝福してくれる人々に同じように微笑んで答えながら、彼女は一抹の寂しさを感じている自分に気づいてはっとした。
寂しい、などと。何が寂しいというのだろう。こんなにたくさんの人がいるのに。自分たちを祝ってくれているのに。
「シーヴァス様!」
「お幸せに!」
「本当になんと凛々しい花婿だこと。それに、花嫁のお綺麗なこと」
「いったいどこの姫様なのでしょう。身寄りのない方と伺っておりますが」
(ああ、そうか……)
理由がわかると、周囲の声が遠ざかった。
(私自身を祝福してくれる人が、ここには誰もいないからだ)
急に、泣きそうになる。捨ててきたもの、置いてきたものの存在が、重くのしかかってくる。
マイアはシーヴァスを愛した。そのため人の子となる決心をし、天使の証である両翼をガブリエルに渡してきた。けれど、天の故郷においてきたのはそれだけではなかったのだ。彼女があの日あの瞬間までずっと過ごしてきた部屋、育ててくれた両親、そして――かけがえのない友。
(リリト、エイラン、フォスカリール……)
そして、兄とも弟とも思い、幼いころからずっと一緒だった幼馴染み。黒い髪と金の瞳の青年の面影が、まぶしく彼女の心に浮かび上がってきた。
「……
!?」段取りでは、迎えの馬車に乗ってそのままシーヴァスの屋敷に向かい、その夜の宴を待つはずだった。けれどマイアはヴェールを取り払い、白いドレスの裾を上げて走り出した。
「マイア!」
「すぐに戻る……っ
!! 先に行っていてくれ!」シーヴァスにそう言い置くのももどかしく、彼女は石の道を駆けた。かたい靴が邪魔になったので、脱ぎ捨てて尚も走った。人気のまったくな居場所でようやく足を止め、彼女は荒くなった呼吸を整えた。
「アレクス!」
女性にしては低いがよくとおる張りのある声で、彼女はその名を叫んだ。
「アレクス!」
幻ではないはずだ。会いたい思いが見せた白昼の夢ではないはずだ。自分が彼を見間違えるはずがない。
「……花嫁が花婿を置いてきて、どうするんだ?」
あきれた調子のその言葉が降りてきたとき、今度こそマイアは顔を歪ませた。
「……アレクス」
「久しぶり。綺麗になったな、マイア」
銀の翼をたたんで地上に降りた天使に、彼女はむしゃぶりついていった。嗚咽が漏れる。涙が止まらない。きっと化粧が流れてひどい有様だから、見られたくなくて彼女はアレクスの胸に顔を押し付けた。
「何だよ。泣くことなんてないだろう? ほら、顔上げて」
「……っ、化粧が……」
「いまさらだろ。もっとひどい顔だって俺はずいぶん見てきてるんだから」
「何を……」
わずかに顔を持ち上げられ、目じりに溜まっていた涙をぬぐわれる。それをさらっていったのが彼の唇だと遅れて悟り、懐かしさにまた胸がいっぱいになった。幼いころ彼女たちはそうやって、互いの悲しみを慰めてきた。
何度か瞬きをして、ようやくマイアは幼馴染の顔を見つめることができるようになった。記憶よりも高いところに、アレクスの笑顔があることに驚いた。
「天界から出てきて、大丈夫なのか? ばれたら厳罰だろう?」
「そこは抜かりないさ。俺がそんなに間抜けだと思ってるのか?」
「さあな。ときどき信じられないようなことをしでかすからな、お前は」
昔から何度も繰り返されてきた、会話のやり取り。嬉しくて切ない。もう二度と返ってこない思い出だけのことと、半ば覚悟しかけていた。
「罰くらいどうってことないさ。せいぜい謹慎処分だ。それくらいでマイアに祝福の一つもできないほうが、俺は後悔しただろうからな」
アレクスは再び、マイアに顔を寄せてきた。額と、両の頬と瞼にキスをして、小さな声でこう言った。
「祝福を、マイア。俺とリリトとエイラン、リール……それにたくさんの友人たちがずっとお前を見守っているから」
それを、忘れないでと――。
言葉にならなかった彼の想いを、確かにマイアは受け取った。何か言いたいのだが、喉がせき止められて言葉が流れ出てこない。唇のわななきが収まらない。
「……マイア!」
走ってくる誰かの足音に、彼女は潤んだ瞳のまま顔だけをそちらに動かした。
「シーヴァス」
「いきなり走り出すから心配で……追いかけてきたんだが」
せっかくの礼服も乱れ放題で、金髪の青年は彼女たちに近づいてきた。表情がこわばっているのは、全力疾走の疲れのせいではないだろう。
「お前が、マイアの選んだ相手か」
シーヴァスの内心を知らないはずはないだろうに、アレクスは説明も弁解もしようとはせず、人懐っこくシーヴァスに笑いかけた。マイアの予想通り、シーヴァスはますます表情を険しくする。
くすくすと笑いながら、アレクスは翼を広げた。つま先を浮かせて、指を一本シーヴァスにつきつける。
「マイアは俺の大事な幼馴染みだ。彼女を悲しませるようなことをしたら……それなりの報復を覚悟しておけよ?」
一方的に宣言して、彼はさらに上昇していく。青い青い空を目を細めて見上げて、マイアは心の中で呟いた。
(ありがとう)
もう、不安も恐怖も、寂しさもない。今日初めて、マイアはすがすがしい気持ちに満たされた。
「帰ろう、マイア」
差し出された愛しい人の手を、何のためらいも迷いもなく彼女は取った。
――これからずっと、この人と歩いていくのだ。
彼女の裸足の足に触れる大地が、しっとり冷たくて心地よかった。
記念すべき10000Hit
を踏んでくださった、柳 冴葉様のリクエスト
です。マイアのお話でできればアレクスも、
ということだったので結婚式にしてみました。
いや、書いて初めて気づきましたが……
わたしの幼馴染の定義って、いちゃいちゃを
含むんでしょうか(待て)。
私自身、幼馴染にはドリームを
持っておりますので、暴走(さらに待て)。
こ、こんなぶつですがいかがでしょうか。
柳様、10000Hitありがとう
ございましたっ!!
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